夏の思い出
僕は決まって誰かと遊ぶ時は小さな麦わら帽子を首の後ろにかけて出掛ける。友達には笑われたり、「何で下げてるだけなの?」と聞かれたりする。
そんな時、僕はいつだって笑うんだ。懐かしむように、寂しそうに。
だって被ってしまったら、彼女の匂いが消えてしまいそうで...
小学5年生の夏、僕は田舎のお婆ちゃんの家に遊びに行った。と言っても、何百年前の村にタイムスリップしたかのような田舎には何の娯楽もなく、僕はよく1人で山を探検したりしていた。それもただ時間を潰すだけのものだ。
小川で水遊びをした日の帰り、僕は小さな神社に通じる階段を見つけた。
「こんな所に神社なんてあったかな...」
夕陽が木々の葉に遮られ木漏れ日となり、石畳の階段に水玉模様が浮かび上がる。
途轍もなく冒険心と好奇心の混じり合った感情が胸の内から沸々と沸き上り、気づくと僕の足は1段目に差し掛かっていた。
____今日はもう遅いぞ?
「?」
てっきり1人と思い込んでいた僕は不意に耳元で囁かれたその言葉に身を跳ねらせた。
キョロキョロと辺りを見回した後、狐につままれたような間抜けな表情をする。
日暮の鳴き声がやたらと煩く感じた。
「こんな感じの神社...僕の家の近くにもあったけど...。お婆ちゃん家の近くにあったかなぁ」
都会の僕の家の近所にもこういった建物はある。ただあまり通らないだけで。近所の老人曰く神様はもういないらしいが、本当のところはわからない。
汗で濡れた頭をポリポリとかくと、若干の疲労を思い出す。
____今日はもう帰ろう。
頭の裏に直接響く謎の声に従って、僕は神社を後にした。
家に帰ると肉じゃがの芳しい香りと家族の温かみが出迎えてくれた。
お婆ちゃんの作ってくれた肉じゃがは逸品だ。
「なんかいいことでもあったの?」
と母。
「なんでも」
このことは秘密だ。調査結果が出るまで公には晒せない。子供ながらにそんなことを思った。
その夜は退屈な日常に見つけた少しの非日常にわくわくしながら眠りについた。
翌日、僕は朝早くに家を飛び出して例の場所に向かった。その日は陽射しが強く、近くの畑でも野菜たちが汗をかいているよう。
足が縺れるほど焦る気持ちに従って神社まで走る。
青々と茂る木々の葉の下。
石造りの階段を駆け上がり、神門を潜る。左手にある社務所はもう人がいなくて苔と蔓に覆われている。
永らく人の手が加わっていない様子だ。
僕は拝殿を横見に本殿に向かうと、あの声が聞こえてきた。
____やっと来た。
高くなった床の上で無造作に寝転がる少女。杜若の花が散らばった着物を見に纏い、足袋の足裏をこちらに見せながら気怠そうに起きた。
床が軋む。
その姿が、僕にとっては何とも魅力的で、自然と彼女に惹かれていった。
「ウチのこと、見たことないじゃろ?」
「うん。ここで何してるの」
「何もしてない。ウチはここの神様だから。でも誰も来てくれないから暇だったのじゃ」
おかっぱ頭の彼女はくりくりとした目を向けてそう言った。
「神様!?神様ってあの神様?」
「そうじゃ。でもお前さんの思ってるほど神様は何もできんぞ。ただ【居る】だけじゃ」
「えぇ、何か期待と違った...」
「そりゃ人間さんの勝手な妄想じゃろ。まぁ、見ての通りウチは暇人じゃ。お前さん、ウチと何かせんか?」
僕は言葉を詰まらせたが、あることを思いついて再び口を開いた。
「そうだ!神様はここでずっと惚けてるんだよね?じゃあこの村を探検しようよ」
「おぉ!一言余計だが良い案じゃ!早速案内してくれ」
彼女は草履を履いて僕の背後についてきた。
先ずは裏山にある小さな滝だ。
人が通る道から少し外れている場所にあるそれは特有の寂が現れていた。
「しかし暑いなこの季節は」
「はい。これで少しは涼しくなるかな?」
僕はそう言うと麦藁帽子を彼女の頭に乗せた。着物に麦藁帽子という何とも奇妙な組み合わせだったが、そのちぐはぐな感じがまた可愛らしかった。
「おぉ、滝の効果もあってか少し涼しいの」
彼女は「暑い」とだけ不満を漏らした。体力に自信のある僕でさえ疲労を覚えたほどの坂や階段には何も言わず...。
ふと彼女から目を逸らした隙に、彼女の姿は風に吹かれて消えた。
「あれ?」
「こっちじゃ」
声のするほうを見ると、彼女は滝壺の腰の丈まである水面に浸かっていた。
いつの間にか着物が白のワンピースになっている。
「あれ?着物はどうしたの」
「着替えた。これは昔知らないお婆ちゃんが置いていったものじゃ」
服装を瞬時に変えたり、坂や階段を楽々と登ったりと、やはりこの少女は非日常なる者なのだろう。
「危ないよー」
僕は通る声で彼女に呼びかける。
「ふぅっ。涼しくなったし次はどこに行くのだ?」
水に濡れた白のワンピース。透ける彼女の身体を一見したが、中には虚しかなかった。
一瞬戸惑いながら、僕は家の玩具で遊ぼうと提案した。
彼女は猫のように目を笑わせ、それを了承する。来た道を戻る頃には、浅葱色だった空の西は少し丹色がかっていた。
帰路の途中で小川を見たり野良猫と触れ合ったりした。その度に彼女は夏に降る雪を見たように目を丸くしていた。
「神様はずっとあそこで、あぁやって過ごしていたの?」
ボロボロになった畳の上で、本殿の奥を眺めながらつまらなそうに。
「そうじゃ。神社の外にはあまり出ないな。たまに散歩もするが、どうにも人間に目撃されてしまうのじゃ」
「へぇ。僕には見られてもいいの?」
「かかっ。何を抜かすか」
彼女は変な笑い方をして口の端を吊り上げた。
道中、日暮の歌声を聞きながら雑談に耽る。
今日歌っている彼らは、昨日の彼らと同じなのだろうか。ふと、そんなくだらないことを考えた。
「着いたよ」
リビングのテーブルの上にある書き置きによると、母と姉は買い物に、父は公民館に行っているらしい。
彼女を居間にあげると、僕は麦茶とカステラを出した。
「ありがとう。むむっ!!何だこのふわっとして、それでいて甘いものは?」
彼女は身を震わせながら僕にずいっと顔を寄せる。鼻のあたりそうなほど近い距離に戸惑いつつも、僕はカステラだよっと声を振り絞る。
「ほら、羽子板にメンコ、トランプに縄跳び。たくさんあるよ」
正直小学5年生の男がこんな遊びをするのはいかんせん恥ずかしいものがあるが、きっと歳より何十周りも小さい彼女と遊ぶには妥当だと思った。
彼女は少しつまんなそうな、表情の固まったような顔をしたが、すぐに笑顔を取り戻して「よし!何からする!」と声をあげた。
このような遊びはしばしば軽視されがちだが、実際に遊んでみると面白いものだ。
羽子板で僕の顔が真っ黒になったり、トランプでお菓子をかけてポーカーをしたり。
僕達は時を忘れて遊んだ。
まるでやっとめぐり逢えた兄妹のように、恋人のように、今迄会っていなかった時間を紡ぎ直すかのように。
...
......
.........
2人の童は遊び疲れ、いつしか彼女は僕の膝の上でうつらうつらとし始めた。
「ウチ、あの神社から出て行こうと思う」
「え?何で?」
「...」
何となく察しはついた。この付近はもうすぐニュータウン計画で景観が損なわれる。神社だってあの有様だ。いつ壊されるかもわからない。
神様は天に帰るのだろう。
「他に欲しいものある...?逢える時はそうそうないし」
僕は彼女の黒い髪を撫でながら言った。
「お前さんが欲しい」
僕は驚いて暫く髪をとく手を止めた。
「一目惚れじゃ。1年前、散歩をしていたら車の後部座席に乗って帰るお前さんを見つけた...。それから1年。お前さんのことをずっと考えていた」
だから、呼んだのか。
あの時。
彼女はそう言うと僕と膝を突き合わせるように正座して座り、不意に僕と接吻を交わした。
まるで秋の木枯らしとキスをしたような、寂しいキスだった。
...
......
.........
「何してんのー?」
目を開けると、母親が呆れた顔で僕を覗き込んでいた。
どうやら眠っていたらしい。
辺りには玩具が散乱し、神様がかぶっていた麦わら帽子だけがポツリと転がっていた。
僕はそれを大事に大事に胸に抱くと、涙を一雫流したのだった。
母には当然心配されたが。
もうあの人とは会えない。
この淡く儚い夢のような1日は、もう二度と戻ってこない。
彼女の変な笑い方も、話し方も、もう聞けないんだと思うと、僕の胸の中がきゅっと締まった気がした。
それが、僕の思い出。
彼女との日常が嘘でないと証明するために、僕はこの麦わら帽子を持ち続ける。
これがあるだけで、非日常と付き合えたという事実があるだけで、僕はどこまでも行けそうなんだ。
僕はアスファルトの上を意気揚々と歩き出す。今日はふといつもは行かない神社の近くを通ってみたくなった。
「変に今日は暑いなぁ」
僕が麦わら帽子を持ち続ける理由。
もうひとつある。
なぜなら。
____遅かったじゃないか。お前さん。
彼女がふと、現れてくれるような、そんな気がしたんだ。
消えてしまうと思っていた神様は実は引っ越しをしただけでした。
夏の日の終わりのように淡い思い出。
実は神様が消えるシーンまでは私が昔見た夢なんです。どうしても夢の続きを創りたくてこのような形に仕上がりました。




