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鬼の命

流血注意。


 何故自分がここにいるのか。そんなふと訪れる疑問が、どれほど怖かったか。

誰かに話したことはない。

逃げ出してしまいたいほど、怖いものだ。

 きっと過去のなにかが原因なのだと思うけれど、そんな風に振り返ることはもううんざりしてしまった。

 思い当たる過去を一つ挙げるなら、大好きだった友だち。

彼女のことは親友と思えるほど好きだった。なんでも話したいくらい、好きだった。口下手ながら、話そうとした。

 でも気付いた。彼女はちゃんと聞いてくれていないということを。適当に相槌を打って聞き流しているということを。

その瞬間、誰よりも近い存在だと思っていた親友は、誰よりも遥か遠い存在に思えてしまった。

 だから、自分の気持ちを削るようになったのかもしれない。

箱の中にいるように、世界を遠くに感じるようになってしまったのかもしれない。

もっと他の過去に原因があるかもしれない。

 正直、そんな例え話はどうでもいい。過去の話はもういい。

現在(いま)が、私にとって価値あるものに映っていたから――――……



 意識が浮上して目を開くと、そこは病院のようだった。霞んでよく見えないけれど、病院のベッド。個室らしい天井の電気は、明るすぎて目が眩む。

 自発呼吸ができないのか、酸素マスクがつけられていている。少し呼吸がしずらい。酷く身体は重く、指を動かすのも無理に思えた。それほどの重体。痛みは感じない。薬のおかげだろうか。

 ベッドのそばでは家族が見えて、医者に向かってなにかを叫んでいるようだった。

 また意識が暗闇に沈んでいく中で、聞き取れたのは一つ。

 私は長く持たないということ。

 私は死ぬらしい。もう、死んでしまうらしい。

 真っ先に思い浮かんだことは、彼に会いたいということ。

公園で私を待ってくれているはずの彼を、呼んでほしい。一緒に満月を見るために、あのベンチで待っているはずの彼を、呼んでほしい。

 最期にもう一度だけ。

 彼に会いたい。

 もう一度会いたい。

 でも声が出ず、頼めなかった。私が目を開いたことにも気付いていない家族達の姿が遠退く。

 そもそも、彼の名前を知らない。名前がわからなければ、頼むことも出来ない。訊かなかったことを酷く後悔した。

呼びたいのに、名前がない。酷く悲しいことだった。

 どうか、どうか。

もう一度だけ、会いたい。最期に目にするのは、彼の瞳でありたかった。

 でも、それは、とても我が儘な願いに思える。世界で一番、我が儘な願い。

 それでも、彼の姿を思い浮かべて呼んだ。

暗闇に意識が沈んでしまっても、月明かりを探すように彼を求めた。名前も知らない彼を、呼んだ。

声が出るなら、叫んで呼びたい。最後の力を振り絞ってでも、呼びたい。

 泡沫の夜の記憶の中にいる彼を、呼んだ。

藍色の瞳で笑う彼を、呼んだ。

 暗闇に沈んだ意識の中、その記憶だけが月明かりを纏う。

 それが私の唯一の宝だから――――

 それ以上の幸福を求めてはいけない――――



 私の命を支える機械音は微かなはずなのに、すごく不快で私は目を開いた。

明かりが消された個室は、薄暗い。夜空に月を見付けるように、真っ先に彼を見付けた。

締め切られたカーテンを背にした彼が、私のそばにいてくれた。

 夜の公園よりも、よく見える。黒いハイネックは袖無しのようで、羽織の隙間から色白の肩が見えた。羽織は夜空のような藍色だ。

整えていない黒髪の隙間から見つめてくるのは、光を淡く放つ藍色の瞳。

 夢だろうか。

それでも構わない。私は「会いたかった」と言おうとした。でもか細い息が出るだけで、声は出ない。


「僕も会いたかった」


 口の動きを読んだようで、彼には伝わった。そっと微笑みかけてくれる。

 嬉しくて、嬉しくて、右目から涙が落ちた。彼は人差し指で優しく拭ってくれる。

 その手は、想像と違って冷たくない。氷のように冷たいものだと思い込んでいた。

 ビー玉を見付けたのに、なくしてしまった。そう言おうとしたけれど、やっぱり声が出ない。


「……君が事故に遭った場所で……見付けたよ」


 事故の騒ぎが公園にまで届いたらしい。彼はビー玉を私に見せた。

 藍色のビー玉だったのに、私の血にまみれて赤黒く染まってしまっている。


 本当は綺麗な藍色だったんです。


 私は言おうとしたのに、また声は出なかった。


「見てみたかったな……君が宝石よりも価値あるように見えた輝きを……」


 輝きを失ったビー玉を、彼は大切そうに握り締める。


 ごめんなさい……


 そう言おうとすると、彼は首を横に振った。


「僕もたくさん、見付けたんだ。君に見せたくって……でも……ここに来る途中で他のは落としてしまったんだ、ごめん」


 たくさん、拾ったのだろうか。どこかの道端に転がり落ちたビー玉を拾いながら、私に見せようとあの公園に来てくれる姿を、想像したら口元が緩んだ。

 見てみたかったな。

掌にいっぱいのビー玉を差し出して見せる彼の笑顔。

 思い浮かべて、目を閉じる。深呼吸をすると、また意識が沈みそうになった。その前に、彼に手を握られたのを感じる。

目を開くと、彼が身を乗り出して顔を近付けていた。


「……君の、ことを聞いたよ……。君はもう……」


 言葉を詰まらせるから、私は頷く。気を遣わなくても、わかっている。

 死んでしまうけれど、最後に会えたからこれでいい。私は微笑んだ。


 名前は?


 最後に名前を知りたくって訊いてみた。声は出ない。


「僕に名前はないんだ……」


 握った私の手に、囁くように答えた。


「僕は人ではない。……君は気付いていたよね」


 人間ではない。人ではない存在だと、彼は告白してくれた。気付いていながら毎晩会っていたことも、彼は知っていたみたい。


「本当はあの公園からうんと遠く離れた山の中に住んでて……散歩していたんだ。そうしたら、君を見付けた。君と話したら、楽しそうだと思えたんだ」


 微笑んで言ってくれる彼に、微笑み返す。

遠くから来て、私を見付けてくれた。


「とても楽しかったんだ。君のそばで、君の目に映るものを、もっと見てみたかった。まだ……君と話したい。……我が儘で、ごめんね?」


 私を見つめる彼の笑みに、悲しみが浮かぶ。

我が儘なんて、そんなことない。私も同じだから。

大丈夫という意味を込めて、私は笑みで応えた。


「……君の脳に、腫瘍があるそうだ。事故の怪我を抜きにしても、もう君の寿命は……長くないんだ」


 彼はそっと教えてくれる。事故に遭わなくとも、もう寿命は短くなっていた。

 改めて聞かされても、別にどうも思わない。死ぬことは理解しているから。

 でも寿命が迫った私が、彼と出会えたなんて最後の幸福だ。

そう思うと安らぎを感じた。

 そっと彼の手を握り返す。とても弱いけれど、彼は反応して握り返してくれた。


「……ねぇ」


 彼は顔を近付けて、囁きかけた。


「もしも君が望むのなら――――僕の命を分け与えるよ」


 ふわりとカーテンを揺らして、夜風が入り込んだ。でも彼が告げた言葉はちゃんと耳に届いた。


「僕は千年生きた鬼だ。命を分け与えれば、君は生きることができる」


 こつり、と彼は私と額を重ねた。

藍色の瞳が変わるのが見えた。瞳孔が鋭利に尖り猫のような瞳に変わって、硝子玉のような藍色を包むような縁は金色に光る。白は暗い藍色に染まった。


「――――鬼として」


 彼が一度目を閉じると、元に戻った。悲しそうな表情の彼が、額を重ねたまま私を見つめる。


「我が儘にも、僕は君ともっと話をしたい……もっと色んなものを見たい……僕のそばにいてほしいから、ともに生きてほしいんだ」


 生きてほしいから、命を分け与える。

そう言ってくれるのに、どうして悲しい顔をするの?


「鬼になれば、もう二度と家族には会えないよ。会ってはいけないんだ。友人にも……。人間と違って人里離れた森に住まなくてはいけないんだ。それに、この先、血を飲まなくてはいけない。命に限りはないんだ。それはとても酷いくらい長い。それでも君は……望んでくれるかい?」


 酷いくらい長く生きた彼は、私を鬼に変えることに躊躇している。同じになることは辛いものだと理解しているのだろう。

それでも、彼は問い掛けてくれた。


「鬼になることを――――僕と生きることを」


 私に生きてほしいから、私と生きたいから。


 生きたい。


 考えることなく、私は声なく答える。


 貴方と生きたい。


 まだ貴方と話せるなら、まだ貴方のそばにいられるなら、また貴方に笑いかけてもらえるなら。

貴方と生きていけるなら、どんな苦しみも耐える。

希望に、涙が溢れてきた。


「――――ありがとう」


 目を閉じて、彼は心から感謝を伝える。礼を言うなら、私なのに。

 彼が目を開くと、また不思議な瞳に変わっていた。

離れながら、私のマスクを外す。彼は自分の右手首を唇に押し当てて、それからかじりついたらしい。

 赤く濡れた唇。

彼はそれを近付けて、私の唇に重ねた。それが命を分け与える行為。

 意識は遠ざかり、暗闇に沈んだ。けれども、月明かりは見失っていない。そんな気がした。




20141209

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