1章 第4話
次の日の夕方、弦内は寮の自分の部屋にいた。
今日は朝から4人だけの授業をうけた。朝から最後まで同じ教師だった。生徒がたった4人なので曜日ごとに違う担当教師が来るのだ。そして同じ科目をまとめて講義する。今日、月曜日は彼の苦手な英語の集中講義の日だった。それでなくても月曜日は嫌われる曜日ナンバーワンなのに。
「4人だけの授業というのは本当に疲れるな。よそ見できない、居眠りできない、落書きできない……」
弦内はひとりで愚痴る。
4時過ぎからは彼の担当教官となるサントス教授に自分の理論の説明をした。サントスは説明を聞くと、彼に宿題を出した。彼の方程式の計算可能な境界条件とその結果予測をせよ、と言うものだ。
彼の方程式は式はあっても計算が複雑すぎて、実際はそう簡単には答えが出せない。但し特殊な条件には求めやすい解が存在するので、そのケースを挙げよと言うのが宿題の意味だ。提出は一週間後。
「まあいい、今日は忘れておこう」
弦内はあっさり問題を先延ばしする。
「はあ」
そして思わず嘆息する。
彼の部屋にはシンプルな机とベット、それにテレビとタンス程度しかない。
「つまらないな、ゲーム機持ってくるの忘れたな……」
彼は遊びたい気分だった。
超常現象を数式で説明するという世紀の大発見をした弦内だが、その実態は好奇心旺盛な、数学と科学が大好きなだけの普通の少年だ。漫画も読めばゲームだってする。
テレビをつけても彼の興味を引く番組はやっていなかった。
「何かいいことないかな……」
そう言うと弦内は窓の外を見た。3階にある彼の部屋からは寮から道ひとつ隔てたところにあるコンビニが見えた。
「すぐ近くにコンビニがあるんだ……」
そうだ、コンビニに行こう! と彼は思った。
欲しいのはお菓子でもカップ麺でもない。
そう、本だ。
「しかし僕は外出禁止だったな。朝永さんに頼んで…… は、無理だな」
買いたいものがお菓子やカップ麺なら頼めばいい。しかし、男の子には女の子には頼めない買い物があるのだ。彼だって男の子だ。
「すぐ近くだし、大丈夫だろう。ちょっとだけ、行こう」
そう呟くと弦内は私服に着替えて部屋を出た。
裏口を出るとコンビニは目の前だった。横断歩道がないので車が途切れると走って道を横断した。
「いらっしゃいませ」
どこにでもある普通のコンビニ。雑誌コーナーで愛読の週刊漫画誌を見るふりをしながら、隣の棚を横目で覗く弦内。彼は心の中で呟く。
「最近妹ものが多いな。流行かな? まあ、あまりエグいのは万一見つかったときに困るし、ここは正統にお姉さま系がいいかな」
彼の心臓がドキドキと音を立てる。この程度で緊張するとは小心者の小坊主だ。
レジを見る。そこには男性店員の姿。行列もない。チャンスは今だ。
意を決した彼は漫画週刊誌の下に目的のエロ写真雑誌を重ねるとレジへ向かった。どこまでも小心者だ。
「970円になります。970円ちょうどお預かりします」
準備も抜群だった。
レジで支払いを済ませた彼はレシートも受け取らず心ウキウキ店を出る。表情も自然とニヤけていた。
しかし、そんな彼のウキウキ気分は一瞬で吹き飛んだ。
「キリマ、デスネ」
コンビニの前で弦内は3人の屈強そうな黒服の男達に取り囲まれていた。
言葉から日本人ではなさそうだ。
3人とも手に拳銃を持っている。
まだ夕方なのに大胆なヤツらだ。
その中で一番太った男が弦内の背後から拳銃を突きつけ前に進むように促す。
「コッチ、ツイテコイ」
後ろから押しておいて「こっち付い来い」とはこれ如何に、と思った弦内だが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。目の前には黒い高級乗用車のドアが開いている。弦内は車に乗るよう押し出される。
「……クルマ、ノレ」
しまった、と思っても後の祭り。男達に隙は見えない。
全く打つ手なしだ。
エロ本買うために外出禁止の約束を破って拉致された、なんてシャレにもならない。
「ああ、情けない……」
せめて漫画雑誌だけにしておけば良かったと変なところを後悔をする弦内。
このまま謎の研究機関で凄惨な拷問をうけるのか。
そして悪の魔法開発を強制されるのか。
恐ろしい想像が次々と脳裏をよぎるが、どうすることも出来ない弦内。
彼が諦めて車に乗ろうとした瞬間だった。
「ウワアッ!」
「ギャアッ!」
「グエッ!」
3人の男達が拳銃を持った手を真後ろに突き出しながらもがき苦しみだす。
弦内はその光景をどこかで見たことがあった。
「これは!」
慌てて寮を見ると三階の開いた窓から碧い髪の美少女がこちらを見ていた。
「青山さん……」
弦内は未だ呻き声を上げている男達を尻目に、急いで寮に駆け込んだ。
「はあはあはあ……」
寮の三階まで駆け上がった弦内は『青山嶺華』の名札が書かれたドアをノックする。
トントントン
「空いているわ」
ドアをゆっくり開けると恐る恐る部屋を覗き込む弦内。
「あの…… 助けてくれて、ありがとう……」
部屋の入り口で立ったまま頭を下げる弦内を嶺華も立ったままで見つめる。
いつも通りその顔は凛としても冷たく無表情だ。
「やっぱり怒ってるんだ……」
心の中でそう思いながら悔いる弦内に嶺華は表情を変えずに語りかける。
「気にしなくてもいいわ。わたくしたちに気を遣ってくれたのでしょうし」
「えっ……」
「人には知られたくないことだってあるものね」
嶺華は怒るどころか弦内を一切追求しなかった。
「本当にごめん!」
弦内の中で安堵と感謝の気持ちがごちゃ混ぜになる。
「青山さんって、本当に優しいんだね」
「えっ?」
しかしそれは嶺華には意外な一言だった。
いつも表情を変えずニコリともせず、氷の人形の二つ名を持つ彼女はもう何年も優しいなどと言われたことがなかったのだ。だから聞かずにいられなかった。
「ところでひとつ、前から聞きたかったのだけど……」
嶺華は逡巡の後に言葉を切り出した。
「あなたは、わたしが怖くはない、の?」
「怖い?」
「そう。怖い。あるいは気味が悪い、とか」
「ああ、なるほどそう言うことか。それはないよ」
弦内はキッパリと答える。
「青山さんが魔法使いであることをだね。うん、怖くないし気味も悪くない。だって僕は魔法を不思議の産物とは思ってないから」
「でも、わたしはあなたをさっきの男達みたいな目に遭わせることも出来るのよ」
「それでも怖くない。そんなことを言ったら拳銃を持ってるお巡りさんはみんな怖いと言うことになるし」
「……」
「例えば僕の母だってご飯に毒を入れたら簡単に僕を殺せるよね。でも、そんなことをしないと知っている。だから怖くない。青山さんだって一緒さ。青山さん、優しいし」
二回目の優しいと言う評価に彼女は弦内から目を逸らす。
「見え透いた嘘はお世辞にもならないわ」
「えっ、青山さん、凄く優しいよね。昨日拘束されたテロリストが怪我をしなかったか、凄く心配していたよね」
「……」
「さっき僕を助けてくれた時もそうだ。きっと彼らの拳銃を持つ手をはじき飛ばすのが最も簡単な方法だったはずだ。しかし青山さんは敢えて難しくて手間が掛かる魔法を使った。その方が犯人がより安全だからじゃなかったの」
「魔法を使えないのに、どうして、わかるの……」
「考えればすぐわかるよ、それくらい」
そう言うと弦内は少しだけ済まなそうな顔をした。
「それに今だって…… 僕のこと…… 気遣ってくれている、よね」
そして弦内は明るく言い放つ。
「だから、そんな青山さんが怖いわけないじゃないか。表情は、いつもクール、だけどね」
「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ。だけど……」
嶺華の頬が少し桜色に染まる。
と同時に『ぱあん』と何かが弾ける音がした。
「わたしって、結構意地悪なの」
弦内が手に持ったコンビニ袋の中で1冊の本が弾けて紙吹雪になっていた。
「はい、これで桐間くんの罰、執行完了」
嶺華の声は珍しく嬉しそうだった。