2章 第8話
ふたりが帰って暫くして。
嶺華は弦内の部屋にいた。
「明日帰るっておばあさんに言わないといけないね」
「そうね……」
「晩ご飯の時にお話しようか」
「そうね……」
少し寂しそうな嶺華。
「おばあさんにはお世話になりっぱなしで、こんなに急に出て行くって言いにくいけど、仕方がないよね」
「あのね、わたしね、ここの生活、楽しかったの。おばあさんと、お兄ちゃんと。わたし凄く気持ちが落ち着いて、楽しかったの……」
「レイちゃん……」
弦内は嶺華を見つめながら、しかしそれ以上返す言葉がなかった。
小一時間後。
弦内と嶺華は老婆と一緒に食卓に着いていた。
「今日は鯛の塩焼きにお刺身にお赤飯って何だか凄いですね」
「ありがとうございます。お赤飯なんてわたし中学の時以来です」
老婆は上品に微笑む。
「喜んで貰えて嬉しいですよ。いっぱい食べてくださいね」
弦内は塩焼きの鯛をほぐしながら嬉しそう。
「何かのお祝いみたいですね」
ほんわりと微笑む老婆に弦内はなかなか話を言い出せずにいた。
弦内もここの生活が気に入っているし、何より老婆に対し申し訳ないという気持ちも大きい。さて、いつ切り出そうかとタイミングを見計らっているその時だった。
「お兄ちゃん、ちょっと……」
嶺華が弦内の耳元で老婆に聞こえないように囁く。
「追っ手が来ているようだわ」
「来てるって、どこに?」
「ここよ、この家!」
「えっ!」
嶺華は老婆を見て、
「あの、もし今から誰かが尋ねてきても私達はここにいないことにして下さい。お願いします」
「ええ、わかりました。この家には私しかいない、それでいいですね」
「はい、お願いします」
「わかりました」
老婆は何も聞かずにあっさりと承諾するとにっこり微笑んだ。
と、その時、
ピンポ~ン
玄関の呼び鈴が鳴る。
インターフォン越しに女性の声がした。
「あの、学校のものですが桐間弦内さんをお願いします」
「桐間さん? そんな人はここにはいませんが」
「嘘をつかれては困りますね、こちらにいる高校生ですよ」
そのやりとりを聞いて嶺華は弦内に耳打ちする。
「庭から逃げましょう!」
「わかった」
弦内と嶺華はテーブルを立って玄関から靴を取る。
そして居間に戻った瞬間、
バアン!
インターフォン越しの押し問答にしびれを切らしたのか、玄関が押し破られる音がする。
「急ぎましょう!」
ふたりは庭へ通じる窓サッシを開け庭へ駆け出す。
「ちょっとそこの嘘つきばあさん、あなたにも来て貰おうかしらね!」
玄関から入ってきたのは数人の女性と黒服の男達。
その内のひとりの女がおばあさんを殴りつけた。
「ひいええっ!」
おばあさんは壁にぶつかりそのまま倒れ込んでしまう。
庭垣を乗り越えようとした嶺華の目に倒れた老婆の姿が映る。
「おばあさん!」
嶺華は庭垣を乗り越えるのをやめた。
「お兄ちゃんは逃げて!」
そう言うと家に戻る嶺華。
「おばあさん! おばあさん!」
それを見た弦内も逃げるのをやめ嶺華を追った。
「おばあさんっ!」
「あら、噂の最強魔女さんのおでましかしら。でもね、わたくたちには通用しないわ」
「あなたたちどうしておばあさんを。許せないわ!」
嶺華の体の周りに薄い光が輝き始める。
しかしそんな彼女の回りを3人のブロンドの女達が取り囲む。
そして嶺華の回りに光のベールを創り出す。
「えっ!」
嶺華は驚愕の表情を浮かべ体を動かそうとするがぴくりとも動かない。
「ううっ、えっ、こ、こんな……」
「シントウ国の連中みたいな失敗はしないわ。我々はバルティアとルートランドの魔法使いのトップ3を揃えたわ。みんなあなたと同じくらいの魔力を持っているはずよ。諦めて降参するのなら弦内と一緒に連れて帰ってそれなりの待遇を用意してもいいわよ」
銀髪に碧眼の女が流暢な日本語を喋りながら嶺華を見下ろす。
「その少年をつかまえなさい!」
その指示が早いか、弦内の両腕は黒服の男達に組み押さえられた。
「うっ、放せ、放せよ!」
「放せと言われて放すバカはいないわ。苦労したわよ、桐間くん。あなたには一緒に研究をして貰うだけだから何も心配しないでね」
「放せ、放せよ!」
弦内の横でおばあさんが呻き声を上げる。
「う、ううっ……」
「おばあさん、おばあさん大丈夫?」
「あらやだ、嘘つきのおばあさんもいたのね。色々みられて厄介だから消えて貰おうかしら?」
「止めろ、おばあさんは何も関係ないじゃないか!」
「だって、あなたがいないって嘘をついたし。嘘つきは泥棒の始まりよ」
「お前らみたいな誘拐犯に言えたセリフか!」
「それもそうね」
銀髪の女は冷酷な笑みを浮かべる。
「じゃ、おばあさんには苦しまないで楽になって貰おうかしら……」
そのやりとりを見ていた嶺華の表情が青くなっていく。
「うっ、うくくっ!」
「……あなたたち、そのふたりを放しておやりなさい!」
と、よろめきながらも老婆が立ち上がる。
「何を言っているのかしら、この嘘つきばあさん」
「言っても分かって貰えないんなら、仕方がありませんね……」
「なにを言って、いる……」
バキバキバキッ
ドンッ
ガキッ
その光景に弦内は息を飲んだ。
3人のブロンドの魔女達が自分らを守るために張った結界が火花とともに消失した。
と同時に、ブロンドの魔女達がひとり残らず壁に吹き飛ばされ、嶺華を縛り付けていた光の輪が消失した。
「やっ!」
嶺華の声とともに弦内を押さえていた黒服の男達が天井まで吹き飛ばされ、泡を吹いて倒れる。彼女はそのまま老婆の元に走り寄った。
「おばあさん!」
「はあ、はあ、はあ……」
嶺華が走り寄ると老婆は苦しそうに呼吸を荒げた。
「うっ、歳を取ると、だめ、ですねえ……」
「レイちゃん、うしろ!」
嶺華が振り向くとブロンドの女達がゆっくり立ち上がっていた。
それを見た嶺華も彼女たちに対峙する。
「許しません……」
嶺華の碧い髪が逆立ち眩い光を発し始めた。
「いりゃっ!」
「せいっ!」
ブロンドの女達から光のエネルギーが嶺華を襲うが、嶺華の回りには眩い光の輪が発生しビクリともしない。
「はいっ」
嶺華の声とともにふたりのブロンドの魔女ふたりが激しく壁に激突する。
「ふぎゃっ」
「ううっ」
そのまま倒れ込み気絶するふたりの魔女。
嶺華はもうひとりのブロンドを見た。
「ふっ、ふふふっ!」
彼女が不敵な笑みを浮かべるとブロンドの髪が逆立ち、眩しい光の輪が発生する。
その様は嶺華と同じだった。
まるで神のような、別次元の圧倒的な力を見せつける。
「凄い力だよ、気をつけて!」
弦内の叫びに小さく頷いた嶺華は彼女に対峙する。
ビキビビビキキッ
両者の間に激しい火花が発生する。
「ふたりが互いに相手にぶつけようとするエネルギーが衝突しているんだ……」
弦内が呟く間も攻防は続く。
「くっ!」
銀髪の女が嶺華に向かって手を伸ばすと、嶺華の光の輪に火花が走る。
彼女も魔女だったのだ。
しかし嶺華はチラリと銀髪の女を見ただけで一向に動じなかった。
それを見ていた老婆が銀髪の女に両手を突き出す。
「そうはさせませんよ」
しかし銀髪の女も老婆を振り向き、右手の掌を突き出す。
「がはっ!」
「ううっ!」
女と老婆は互いに壁に打ち付けられて倒れ込んだ。
「おばあさん!」
弦内は老婆の元に駆け寄り抱き上げた。
「こしゃくな婆さんね……」
銀髪の女は倒れたまま半身を起こすと老婆を睨みつけた。
その間も嶺華とブロンドの魔女の攻防は拮抗して消耗戦の様相を呈していた。
「このままじゃ、このままじゃダメだ……」
弦内は老婆を抱いたまま部屋を見回す。
部屋の隅に置かれた、金属ファイバ製の嶺華の制服が彼の目に入る。
老婆が洗濯してくれたのか、綺麗に畳んで置いてあった。
「これだ!」
弦内は老婆をそっと床におくと、その制服を持ってブロンドの魔女に突進した。
「んにゃろ~!」
そして嶺華の制服をブロンドの女の回りに発生している光の輪に被せた。
『こうするとこの女の魔力が少しは消耗するはずだ!』
「バチバチバチバチ……」
光の輪と金属ファイバ製の制服の間に激しい光が発生した。
弦内の推測は的を得ていたようだ。
「くっ!」
しかしブロンドの女はその制服を一瞥する。
すると服は一際眩しい光を発して吹き飛んだ。
「はいっ!」
「ビギギギギ バギッ! ドガッ!」
しかし、その一瞬の出来事が頂点の魔女同士の雌雄を決した。
弦内の行動を見た嶺華の気合いとともにブロンドの女の魔法結界が破壊された。
そしてそのまま女は壁に激しく吹き飛ばされる。
「う、うう……」
ブロンドの魔女は気を失ったかのように倒れ込んだ。
「くそっ、このばばあ!」
それを見た銀髪の女が弱り果てた老婆を吹き飛ばし、逃げようとする。
「おばあさん!」
嶺華と弦内は老婆に走り寄った。
「くっ!」
逃げようとしている銀髪の女は、しかしまるで金縛りにあったかのようにその場に立ち止まってしまった。ただ、その顔色はどんどん青ざめていく。
「あなた、許さないわ」
嶺華の圧倒的魔力は銀髪の魔女を捕らえ、彼女の自由を奪っていたのだ。
「おばあさん、大丈夫!」
弦内は老婆を抱き寄せる。そして嶺華も老婆の元に跪く。
「ありがとうございます」
微笑みながらそう言う老婆に弦内が大きな声を上げる。
「何言ってるんですか! 僕たちご迷惑ばかりおかけして! こんなことになって!」
「違いますよ、弦内さん。私は嬉しいですよ。ねえ、弦内さん。嶺華さんはとっても強いですけど、それでもひとりの女の子ですからね。彼女を守ってあげてくださいね。彼女が傷つかないように。そうそう、嶺華さんを止められるのもあなただけ、ですよ」
そう言うと老婆は嶺華に向かって、
「嶺華さんは気がついていましたよね、私が魔女だって」
「……はい」
「優しいですね、嶺華さんは」
老婆は嶺華の手を取って自分の額に当てる。
「私には特殊な能力があります。嶺華さん、気がついてましたよね、私は意識や気持ちを感知したり、されたりするのを自由に制御できます。魔法使いだけの意識を感じたり、敵意がある人だけを感じたり、好きにフィルタリング出来るんですよ」
「はい、わたし、少し気がついていました」
「この能力は、昔、私が若い頃に別の魔女から引き継いだ能力なんですよ。私が死んだら、この能力は、嶺華さん、あなたが受け取ってください、ね……」
「お、おばあさん!」
「私、歳なのに張り切りすぎ、まし、た…… ぐほっ!」
そこまで言うと老婆は口から大量の血を吐いてぐったりとしてしまった。
「電話だ、研究所に電話だ!」
弦内が慌てて携帯を取り出す。
「おばあさん、おばあさん!」
嶺華の切れ長の瞳から大粒の滴があふれ出す。
「おばあさん、おばあさん!」
「レイちゃん、揺らしちゃダメだ! 研究所に連絡取るから、あっ、もしもし……」
嶺華はゆっくりと顔を上げる。
彼女の視界に銀髪の女が金縛りにあったまま立ち尽くしている姿が映った。
「許せない、あなたはなんてことを! おばあさんを返しなさい!」
「ひいいっ!」
ゆっくりと立ち上がった嶺華の碧い髪が逆立って眩しい光を創り出していく。
その神々しい様に銀髪の魔女は震え上がる。
「ひいええっ! ば、化け物っ!」
嶺華は涼しげな瞳に激しい炎を浮かび上がらせると、きつく彼女を睨みつけた。
「ああっ、許して! 許してっ! うぐあっ!」
しかし嶺華が彼女を睨みつけると彼女の体は宙に浮き、そのままきつく壁に押しつけられる。やがてギシギシと彼女の骨格が歪む音がする。
「いやあっ、うぐっ!」
「おばあさんを返しなさい!」
「ぐほっ!」
冷たい嶺華の瞳が銀髪の魔女を追い詰める。
もはや抗う術を持たないその女は苦痛に顔を歪め、やがて口角から血を滴らせる。
「おばあさんを返さないのなら、死んで償いなさい!」
「ぐえうあっ!」
身動きが出来ない銀髪の魔女は、しかし恐怖に顔を引きつらせて悶絶する。
「あっ!」
研究所に連絡を入れながらその様子を見ていた弦内はハッとしたように立ち上がり、嶺華に飛びついた。
「ダメだ! ダメだよレイちゃん。これ以上は……」
光の輪をすり抜け嶺華に抱きつく弦内。
「げふくっ!」
銀髪の魔女は泡のような血を吹き上げる。
「ダメだ、ダメだよ、これ以上やったら死んじゃうよ!」
「弦内、さん……」
その瞬間、彼女を包んでいた光の輪が消失する。
「ぐふへっ……」
銀髪の魔女は壁からズルズルと滑り落ち、そのまま倒れ込んだ。
「レイちゃん……」
「お兄ちゃん…… いえ、弦内、さん」
ふたりは、しかし抱き合っているわけにはいかなかった。
「おばあさん!」
「おばあさん~」
ふたりは老婆の元に駆け寄ると、同時に絶叫した。
二章 完




