2章 第5話
次の日の朝。
気持ちよく青空が広がる、暑くも寒くもない絶好の小春日和。
学校に着いた嶺華は珍しく教室を見回した。
そして誰かと目が合ったのか、にこりと会釈をする。
「今日は嬉しそうだね、レイちゃん」
「ありがとうございます、お兄ちゃん」
学校で初めて目にする彼女の笑顔に弦内はどうしようもなく嬉しくなる。
「良かったね、弦内くん」
まりやが笑顔で弦内の肩を叩いてくる。
「ああ、みんなのお陰だよ、ありがとう」
「でも、油断は禁物よ。学校ではあたし達から絶対離れちゃダメよ」
「うん、分かってるよ」
次にまりやは嶺華の肩を叩く。
「と言うわけで、今日は一緒にお弁当を食べよう!」
「あ、まりや、ごめん。お昼はちょっと……」
嶺華はすまなそうに両手を合わせる。
「ん、まだ何か問題でも?」
「いや、そうじゃないけど」
「じゃあ…… おっと席に着かなくちゃ」
予鈴を聞いてまりやは自分の席に戻る。
その日、緩やかに朝の時間は過ぎていった。
昼休みになって。
いつものように弦内が後ろに座る関と弁当を食べようとすると、嶺華が立ち上がった。
「あれっ?」
彼女の視線を追うと、ひとりの女生徒がこちらへ歩いてくるところだった。
「伊能さん、あの、お昼ご一緒して戴けないですか」
嶺華が声を掛けると、女生徒も笑顔で頷いた。
「はい、こちらで食べましょうよ」
嶺華は嬉しそうに弁当を持って後ろの席に向かった。
「伊能さんってずっとレイちゃんを気に掛けてくれたんだ」
弦内は独り言つ。
後ろの方で嶺華は伊能達と4人で机を囲んで弁当を食べ始めた。
その様子を見ながら、弦内の頬は自然と緩んでいた。
「これでいいんだ」
***
実に平和な日々だった。
それから一週間、弦内と嶺華は楽しい高校生活を満喫していた。
週末には老婆と外出もした。
電車に乗って市の中心地へ3人で買い物に行ったのだ。
「わたしはもう歩くのも遅いし、それに若いご兄妹だけの方が楽しいでしょ」
そう言って最初老婆は遠慮していたのだが、
「おばあさん用事があるって言ってましたよね、じゃあ一緒に行きましょうよ」
「そうですよ、遠慮はなしですよ」
嶺華と弦内に押し切られた格好だった。
弦内も嶺華も老婆が大好きだったし、何故か心から一緒に外出したかったのだ。
「で、おばあさんの用事って?」
「スポーツ用品店なのよ」
「スポーツ用品店って、ああ、スポーツジムの?」
老婆は最近スポーツジムに通い始めていた。
季節も変わってこれからだんだん暖かくなる。だから夏物が欲しいのだそうだ。
3人は大きなビルのワンフロアを占有する大型スポーツ専門店に入る。
「じゃあ、おばあさんゆっくり選んでくださいね」
そう言うと弦内は店内をふらふらと見て回る。
嶺華はおばあさんに付いて一緒にウェアの選定をしていた。
まるで本当のおばあさんと孫のようだ。
嶺華の嬉しそうな顔を見ると弦内の気分も明るくなる。
老婆の用件が済むと3人はファッションショップを何店か回った。
食器や電化製品など生活用具はほとんど老婆が無償で使わせてくれるので買う必要がないのだが、下着や洋服類だけはまだ絶対的に不足していたのだ。
「ねえお兄ちゃん、このブルーとグリーンのワンピース、どちらが似合うかな?」
「どっちも似合うよ、レイちゃんなら」
「そうですか…… じゃあ、このふたつ、どっちが好みですか?」
「どっちも似合うよ」
「……」
やりとりを聞いていた老婆が弦内に耳打ちする。
「これはお兄さんの好みを聞いているんですよ、どっちか答えてあげなくっちゃ」
「このみ?」
嶺華なら、何を着ても、いや、なにも着なくても綺麗に決まっている。意味が良くわからない弦内だったが、取りあえずブルーと答えておいた。
「じゃあブルーにしますね、ふふっ」
嶺華の笑顔に満足そうな弦内。
それからも買い物に美味しいランチ、午後のカフェと、とても楽しい時間が流れた。
「嶺華さん、せっかくならお兄さんと腕組みしたら?」
帰り道、老婆はそんなことを嶺華に言ってそそのかす。
老婆にもふたりは兄妹だと説明し、芝居を打ってきたのだが、バレていたのだろうか。
「なに言ってるんですか。お兄ちゃんと腕組みなんて」
言いながら嶺華の顔は真っ赤になる。
でも、何故だろう、嶺華はこの老婆にはバレても構わないような気がしているのだ。
「おやおや、遠慮はいらないんですよ、若いんだし」
そう言うと老婆は弦内に向いて小さな声で、
「嶺華さんを大切にしてあげてくださいね。彼女を守れるのはあなただけですから」
「えっ?」
弦内は驚いたように老婆を見た。
「彼女がどんなにしっかりしていても、どんなに強くても、ひとりのかよわい女の子ですからね。彼女が傷つかないように出来るのは弦内さんだけですから」
老婆はにっこり微笑むと前を向いて、
「あ~あ、歳を取ると余計なことばかり口走りますねえ」
弦内が老婆の横顔を見ていると、すっと右腕が何かが当たる。
レイちゃん……
俯いたままの嶺華が弦内の右腕に左腕を絡ませていた。
弦内の右腕に柔らかい女の子の膨らみの感触が伝わる。
「この時間が、ずっと続きますように……」
嶺華は俯いたままささやいた。
そんな、羨ましくもウザすぎる、平和で、幸せなな時間は流れて。
水曜の昼休み。
嶺華はこの一週間、伊達さんやその友達と仲良く食事を取っていた。
今日も彼女たちは楽しそうにお弁当を広げている。
残念ながら今でもクラスの女子の大半は嶺華のことを快く思っていない。
何せ最初の態度が悪すぎたし、転校生なのに男子生徒の人気を奪っているのもその理由だろう。
ただ、伊達さんは最初から嶺華のことを気に掛けてくれていたからか、馬が合うのか、仲良くやれているようだ。
「なあ弦内、お前部活入ってないよな、軽音部入らないか?」
「関って軽音だったっけ。楽しそうだけど。ごめん、部活は遠慮しておくよ」
「そか、残念」
「ちょっとトイレ行ってくるな」
弦内もかなりクラスに馴染んでいる。
「軽音か、面白そうだよな。でもいつまでこの高校にいるのかも分からないし……」
そんなことを考えながら用を済ませてトイレから出た弦内は3人の女生徒に囲まれた。
「探したわよ、桐間弦内さん」
「なっ!」
ひとりは日本人だが他のふたりは違うようだ。
「おとなしく付いてきて頂戴。もっとももう体の自由は利かないと思うけど……」
そう喋る女は化粧の厚さから見て高校生とは思えない。コスプレ潜入女か。
「んんっ」
しかし弦内の体は金縛りにあったかのようにぴくりとも動かず、宙に浮いて勝手に彼女たちに並んで動いていく。
「ん……ん……」
声の自由も奪われた弦内は為す術なく校舎の外へと消えていった。




