第35話:溢れ出しちゃったの
どうしよう…どうしよう……どうしよー!!
あたしはバスローブ一枚でダブルベッドに腰掛け、ドアの向こう側から聞こえるシャワーの音を、ただずっと聞いていた。
…正に据膳。
大樹、シャワー浴びながら何を考えてるんだろう。あたしは…どうにかこの場を回避する方法ばっかり、さっきからずっと考えてる気がする。今、寝たふりしちゃおうかな。でも、大樹のことだから見破るだろうし…。具合悪いふりしようかな…却下。明日楽しめなくなっちゃう。あぁ…どうしよう。
シャワーの音が止まり、一段と緊張が増したところで、あたしのおマヌケな携帯着信音が鳴った。無駄に慌てながらあたしは立ち上がり、テーブルに置いてある携帯を手に取る。
「えっ…」
携帯を開くと、そこには懐かしい名前が点滅していた。゛心ちゃん゛。
ただでさえパニクってる状況なのに、なおさら思考回路ごちゃごちゃ。なんで?どうしてこのタイミングで電話なんかかけてくるの?もう、大樹だって上がってきちゃうし…。
あたしは何度も携帯をテーブルに置いたり、手にとったりを繰り返した。正直、早くコールが鳴りやめばいいと思った。そしたら何もなかったように忘れられる、きっと。でも、全然止まる気配はない。痺れをきらしたあたしは、勇気を振り絞って通話ボタンを押した。
「…はい。」
思わず声が震える。
「あ、ちかちゃん?」
「…え?」
電話の向こうから聞こえて来た声は妙にお気楽で、あたしは一瞬言葉に詰まった。そんなことより、多分、この声…心ちゃんじゃない。
「あー、わかんないか。俺、俺!心の友達のゆーたっ。」
゛ゆうた゛っていう名前を聞いて、ようやく声の主と顔が一致した。そういえば、あたしも仲良くしてたっけ。
「あっ…お久し振りです。えっと…なんで?」
「あー、実はさ、」
ゆうたさんが何かを話し始めようとしたとき、
「もしもし?ごめん!」
急に聞き慣れた愛しい声に変わった。心ちゃんだ…。
「えっ?」
「今ゆうたと飲んでたんだけど、あいつ酔ってるから、俺がトイレ行ってる間に勝手に電話かけちゃったみたいで…。ほんと、ごめんな。」
「…ううん、なんとなくそんな気したし。いたずらされたんじゃ、しょうがないよ。大丈夫、気にしてないから…。」
あたしは少し意地を張ってそう言った。3年近くも引きずってるなんて、そんな重い女だって思われたくなかったから。
「そっか。じゃあ、またな。…あ、またっていうのは違うか…」
心ちゃんが困ったように笑ってる姿が目に浮かんだ。゛また゛なんて、もうあたしたちの間には必要ない言葉なんだね。
「…うん。飲み過ぎないようにね。」
「…ん。気をつける。」
「じゃあ…切るね。」
「…うん。」
あたしは心ちゃんの返事を聞いてすぐ、電源を切った。昔は心ちゃんが電話切ったのを確認してから、切ってたんだけど…。早く切ってしまわないと、余計なことまで言っちゃいそうで怖かったから。
逢いたい、まだ好きだよって…心ちゃんの声を聞いたら、溢れ出しそうになったの。だって、あたし…期待した。もしかしたら、心ちゃんが『やり直したい』って、そう言ってくれるかもって、期待したの。
馬鹿みたい。こんなタイミングで、自分の本当の気持ちに気付くなんて。
あたしきっと、この状況でも、心ちゃんに『やり直したい』って言われたら、大樹を置いてでも、今すぐに帰った。まだ、全然ダメだよ。
声聞いただけなのに、笑顔を思い出しただけなのに、こんなに゛好き゛が込み上げて来る。今までずっと押し込めてきた気持ちが、溢れ出しちゃったの。今、あたしの頭ん中は心ちゃんでいっぱいだよ。
『またっていうのは違うか』って言葉が、ずっとチクチクして…苦しい。悲しい。
忘れてた…。好きな人を思うと、こんなに切なくて涙が溢れること。
「…ちか。」
「…。」
大樹…ごめんね。