第13話:煙草
玄関でぐずぐず泣いていたはずのあたしは、しっかりと布団に移動して寝ていた。気がつけばもう昼近くだ。
布団を残してもらったのはすごくありがたかった。心ちゃんの匂いがするから、まるで心ちゃんに抱かれているような気がしてよく眠れる。匂いなんて何日かすれば消えてしまうんだろうけど。
心ちゃんとよく聞いた歌を流して、あたしは2人掛けのソファーの右側に座った。もう左に座ってくれる人はいないのにね。ソファーの横には2人で苦労して取った、ぶたのぬいぐるみが置いてある。あの時2人とも意地になって、UFOキャッチャーにとんでもなくお金を使ったね。あれはまだ付き合って1年の頃かな。あたしはぬいぐるみを膝の上に乗せ、じっと睨み合った。
「お前は可愛いね。」ぶたの鼻を人差し指で押しながら、あたしはそう言った。独り言だなんてちょっときてるよね。うなだれてため息を着いたあたしは、テーブルの下に潜んでいた灰皿に気がついた。
心ちゃんが使っていた、青い灰皿。そっと手を伸ばしてテーブルの上に置く。心ちゃんが忘れて行った、心ちゃんの愛用品。まだ長いのに消されてる煙草もある。…心ちゃんもあたしのことを考えて、苦しくて、こんなに沢山煙草を吸ったのかな。心ちゃんだって悩んだよね。辛かったよね。そう、信じていいよね?
あたしは化粧ポーチの中から、ずっと入れっぱなしにしていたライターを取り出した。初めてラブホに行ったとき部屋にこれが置いてあって、思い出にってあたしがもらったんだよね。心ちゃんが煙草を吸う女嫌いだって言ってたし、あたしはライター使うタイミングなんてなかったんだけど。
あたしは心ちゃんの吸いかけの煙草を手に取った。心ちゃんが傍にいた頃はごみにしか思ってなかったのに…心ちゃんがいなくなった途端、こんなものまでが愛おしく宝物のように思えてしまう。煙草をくわえ、思い出のライターで火を付けた。煙草の吸い方なんてわからないけど、無償に吸いたくなったの。心ちゃんが吸ったこの煙草を。
「っこほ。…まず。」
少しむせて、すぐに口元から煙草を離した。灰皿に煙草の灰を落とす。段々その指が心ちゃんのものに見えてきた。太さも色も全然違うのにね。あたしの頭の中が心ちゃんでいっぱいになってるせいだね。
あたしの手元からただ真っすぐ上に煙が流れる。それをぼーっと眺めてただけなのに、涙が溢れてきた。
心ちゃんの匂いが体中を包んでくれる。でも、足りないよ。心ちゃんに触れないもん。心ちゃんの声が聞けないもん。
その煙草が短くなるまで、あたしはむせながらも吸い続けた。煙草を持つ自分の手を心ちゃんの手に重ねて。煙の向こうに心ちゃんを想像して。ただひたすら泣きながら煙草を吸った。
短くなった煙草は灰皿の上でしばらく飾られた。ハイライトメンソールの煙草の匂いが部屋中に充満していた。
いつも聞いていた2人の思い出の曲は、よく聞けば別れの歌に聞こえた。