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結局、その日明紀は廃ビには来なかった。今までは毎日のように来ていて若干鬱陶しいところもあったが、来なければ来ないでそれは何となく寂しい。
しかし、人間、用があるときに限って会いたい人に会えないものだ。鮮明に覚えているうちに、通り魔らしき人物の話をしたかったのだけれど。一晩寝てしまえば忘れてしまうのではないかと思えるほどに“あれ”の存在は危うく、ぼやけている。そういう風に仕組まれたのだろう。一体どうやったのか、それはまるで分からないが。
それにしても、平日の昼間というのは暇なものだ。
午後に病院に行くという予定があるものの、それまでの時間が暇すぎる。なんでこんなにやることがないんだ。
銃で撃たれた傷が癒えるまで僕は学校には行ってはいけないらしく、休みを強いられている。病気でもなんでもなく、『休みたい』という意思もないのに学校を休むというのは、なんというか罪悪感を煽るものだ。まだたまに傷は痛むけれど、他はすこぶる元気なのが原因だろうか。
「たっだいまーっと」
なんてことを考えていたら蜂が帰ってきた。まだ十一時なのだけれど、どうして帰ってきているのだろうか。サボりか? 学校での蜂はそんな風には見えなかったのだけれど。
「おかえ……うっわ、やっぱ見慣れないわ、それ」
とりあえず出迎えようと僕は蜂の方を向いた。そして思わず本音がこぼれた。
蜂は学校から直接ここに帰ってきたらしい。家などにはよっていないらしく、その格好は普段のボーイッシュな(手抜きとも言える)ものではなく、一般的な女子の制服姿だ。そう、つまり今の蜂はとても女の子らしく見えるのである。一瞬誰なのか分からない。眼帯もつけていないことだし。
「流石にその反応はあんまりだと思うぞ……仮にも俺、これで一年間通ったんだからな」
「似合わないとは言ってないから安心しろよ。ただ、引くぐらい見慣れないだけ」
「おんなじようなもんだわ」
蜂は目を細めて言う。
確かに、僕のこの発言はデリカシーも何もない、女子に対するには失礼すぎるものだっただろう。しかし、そういう感想を抱かせてしまう蜂も悪いと思うのだ。
蜂にも言った通り、ウィッグをつけ、カラコンをつけ、医療眼帯をはずし、女子の制服に身を包んだその姿が似合ってないわけではない。むしろ、元の素材が良い分、女子の中ではかなり上位に食い込んで来るのではないだろうかというレベルではあるだろう。初めて蜂を見たとき、素直にその顔立ちが整っていると感じたのだから、そのくらいの感想を持っていたって良いだろう。本人には決して言おうとは思わないけれど。
「……ったく、何がいけねーっつーんだ」
蜂は実に不服そうな表情で僕の目の前まで来ると、ソファーにどっかりと座った。
本当にどっかりと。
足を大きく広げて。
「それだろォッ!!」
思わず僕は叫んでいた。
それだ。間違いなくそれだ。その言動の女の子らしからぬどころか女の子らしさの片鱗も見せないところが悪い。そしてそれはどう考えても蜂の自業自得だ。
「あ? なんだよいきなり」
「その言動がダメだって言ってんだよ……気にするぐらいなら女の子らしく、しろ」
「命令形かよ、びっくりした……」
なんていいつつ大して驚いたそぶりを見せない蜂。中々表情豊かな筈なのに、こうしてみると案外読めないな、と思った。結局、こいつは『女の子らしく』とか全く興味がないんじゃなかろうか。
「で?」
「でってなんだよ。ガラ悪いな」
ガラの悪さで言えば、ウィッグとカラコンをとり、金髪隻眼という姿になり、制服を着崩して足を組んでいる蜂の方がずっと上だと思う。しかし、僕の言い方も悪かったのでその突っ込みはしないでおく。
「なんでこんなに帰りが早いんだよ。授業は?」
「は?」僕の質問に、蜂は訳がわからないと言った顔をした。「お前、記憶とか軽くぶっ飛んでる? 頭大丈夫?」
確かに僕の記憶はぶっ飛んでいたり途切れたりしているけれど、その言い方はあんまりだと思う。まるで僕が頭のおかしい人みたいだ。
「今日から学年末テストだぜ? お前が学校休む前から騒いでたはずだけど」
「…………」
二月。
そういえば、そんな季節だった。
そして僕は、テスト勉強をしていないどころか、テストを受けられる目処すら立っていなかった。そもそもテスト範囲が分からない。追試でも赤点をとる自信があった。元から成績は良くないのだ。
「聞いた話じゃ明紀もいねーみたいだし……何? テストなんて余裕なのか? 掃除人ってその辺に特待制度でも…………無さそうだな、その顔は」
一体僕の顔はどんな風に見えたのだろうか。こんなにも憐れみに満ちた表情を、僕は生まれて初めて見た気がした。




