17
最近の意識を失う率は異常だと思う。この一ヶ月の間に僕は一体何度意識を失っているのだろうか。全く、笑えない話だ。
目を覚ますと見慣れた天井と見慣れた顔があった。見慣れた顔は、僕の顔を見るなり安堵の表情を見せる。そして「よかった」と言いながら抱き締められた。このやり取りも一体何度目だろうか。
「……兎さん」
「中々目を覚まさなくて、心配したのよ。どこか変なところをぶつけたのかと思って診てみたけど傷もないし……」
しょげた様子の兎さんに「大丈夫ですよ。ありがとうございます」なんて言っておきながら、僕は記憶を失う前の最後の記憶を探してみる。案外それは早く見つかり、なんでかは知らないけどこの場で兎さんに言うのはなんとなく憚られた。でも明紀には報告した方がよさそうだ。
恐らく、例の通り魔とご対面してしまったのだから。
さて、今は何時だろうか、とスマホを確認してみる。画面は月曜日の十五時を指していた。よかった、あまり時間は経ってない。
意識は失わされたけど、記憶は失っていない。それを確認すると、僕は“あれ”について思考し始めるのだった。
“あれ”が本当に例の通り魔なのだとしたら、僕たちはこれからとんでもないものを追うことになる。僕の記憶が正しいのであれば、僕は“あれ”に意識を奪われた。ただ、“あれ”が僕たちに接近した様子も、何らかの動きを見せた様子も見られなかった。僕たちは“あれ”と向き合って、顔を合わせていた。あのシルエットすら判別つかない姿と、合成に聞こえる声では本当に顔を合わせていたのかは怪しいが。でも、少なくとも僕は“あれ”をしっかり見ていた。はずだ。
動きもなく相手の意識を刈り取れる通り魔。そんな奴からすれば、目撃者を誰一人として出すことなく一般人を殺して回ることは容易いのかもしれない。そう考えると、僕たちがその殺しの場に居合わせてしまったのは通り魔にとって誤算だったのだろうか。
『君たちは殺さない』という言葉もとても気になる。
君たちは殺さない。
僕たちは殺さない。
『僕たちは』
それはあの場限りのことなのか、それとも今後も含まれるのか。今の僕にはそれを知る術はない。これからの僕にもその術があるのかどうかは怪しい。そもそも、また“あれ”と遭遇するのかどうかさえ分からないのだ。
「やあ、熊くん。起き抜け早々難しい顔をしてるね」
そんなことを考えながら移動していたのだけれど、とっくにリビングスペースに到着していたらしく渡り鳥さんが苦笑しながらそう話し掛けてきた。その手にはおぼんがあり、おぼんの上には湯気をたてるティーカップが一つ乗せられている。
「ロールケーキがあるんだけど、紅茶、飲むかなって」
「ああ……ありがとうございます」
「そこで待ってて。切って持ってくるから。呼べば蜂ちゃんも来るかな」
そう言って渡り鳥さんは台所スペースへ消えていった。一人残された僕はまた止められた思考を再開しようと……
「あら? 渡り鳥、私の紅茶がないわよ」
出来なかった。いつの間にか背後にいた兎さんの声によってあっさり阻まれてしまった。僕の集中力なんてそんなもんだ。仕方ない、続きはまた自分の部屋にいるときにしよう。
さて、三時ともなればもうじき明紀が帰ってくるだろう。別に明紀は掃除人ではないから廃ビが帰る場所の一つではないはずなのだけれど。でも、毎日毎日来ているんだ。今日も来るだろう。そうしたら、僕の話を聞いてもらおう。
なんて考えながら、僕は持ってきてもらったロールケーキを一口口に運んだ。美味しい。まったく、これをあのおっさん(失礼な言い方だ)が作っているのだから信じられない。渡り鳥さんは一体どこを目指しているのだろうか。最近、特に力を入れているのかどんどん豪勢になっていくことだし。




