15
絶望感よりも先に違和感を覚えた。
頭上からうめき声が聞こえる。それは分かる。刺されて、血が流れたのだから。
「う……あぁ……ッ」
しかしそれが、男の声だというのはどういうことだろうか。うめき声だから男の声に聞こえた、というわけではなく、ナイフを蜂に突き刺そうとしていた男のものと思わしき声が聞こえるのだ。根本から蜂である可能性を否定している。
寝転がっていては分からない。僕は腹と右足になるべく負担をかけないようゆっくりと身体を起こす。ハンマーだけでなく全身に力を込めていたせいで、僕が床に倒れた衝撃でその部分が砂になったらしく、身体には大量の砂がついていた。ああ、気持ち悪い。口のなかもじゃりっとしてるような気がする。全く、どうして僕の能力はこう汚れて不快になるようなものなのだろうか。まあ、狐さんみたいな燃やす能力とかだったらそれはそれですごく困りそうなのだけれど。倒れたら辺りが火の海なんて御免だ。
なんて、心の中で文句を垂れ流しにしつつ起き上がる。
「…………え?」
よくわからない光景が目の前に広がった。
「いてぇ……いてぇよぉ……! 手が、俺の手がぁ……!!」
「あーらら、立派な大人がぴーぴー泣いちゃってら。いや、『鳴く』かな?」
ボタボタと血を流す右手を左手でおさえて痛みに悶える男をヘラりと笑ってバカにする蜂。勿論無傷だ。でも、一体どうやって? すんでのところで液体を使ったとしても、あんなピンポイントで溶かせるものなのだろうか。僕の抱いた印象じゃ、液体を喰らったら最後、右手は無くなるだろうと思っていたのだけれど。
「よく考えるべきだと思うんだよな」ニヤニヤと意地の悪い笑みを顔に貼り付けて、蜂は足を動かし始める。「なんで俺の名前が『蜂』だと思ってんだよ。毒を蜜と置き換えたってんなら『蝶』でもいいと思わねえか? なあ」
痛みに悶える男に親しげに話し掛ける蜂。しかし忘れてはいけない。その男はまだナイフを握っていて、いつでも蜂に牙をむくことができるのだ。
「無視かよー。さっびしーなー?」
蜂はそんなことなど気にも留めず、男の背後に周り肩に左手を置いた。顔は相変わらずニヤニヤと笑っており、口調も心の底からウザいと思わせるようなふざけっぷりなのだが、どこか乾いて見えるのは気のせいだろうか。蜂は、一体何を考えているのだろうか。何をしようと言うのだろうか。
「て、テメェ――チョーシに乗ってっと……」
「調子に乗ると危ないのはアンタじゃねーの?」
男は言葉をつまらせる。まるで心臓でも握られてるようだ。いつ、男の顔から冷や汗が滴り落ちてもおかしくないような、そんな絶望的な表情まで浮かべてしまっている。
「蝶は舞うけどさ」蜂は話の続きを始める。男の肩に置かれた左手は、いつの間にか背中まで移動していた。「蜂は刺すんだよな」
瞬間、ドシュッという音がした。男は恐怖と驚愕に顔を歪ませながら、胸の辺りに手のひらほどの大きさの穴を開けて、そこから大量の血液を盛大に噴射させながら前向きに倒れていく。その背中を見つめる蜂の目はゾッとするほど冷たかった。
幸いなことに、蜂が移動してくれたお陰で男の血のシャワーを僕は浴びずに済んでいる。しかし辺り一面はどろっどろの血の海と化しつつあった。人間一人分の血液はこんなに多かったのか。発見だ。いつもは砂にしてしまうため、血は見慣れていないのだ。
いや、そんなことよりも。
そんなことよりも、だ。
蜂は今、何をした? 一部始終をしっかりこの目で見ていたはずなのに、何をしたのかさっぱりわからなかった。蜂はただ、手を男の背中に置いただけだ。触れていただけ。なのに、突然穴が開くなんて。僕には見えない光線とかそういう類いのものを放ったのだろうか。いやいや、そんな馬鹿な。
「あー、教えてやるからさ、これ擬装してくんねえ? いつもみたいにちょちょーっと砂にしちゃってさ」
「あ、ああ、いいけど」
蜂の手を借りて車椅子に座ると、僕は出番のなかったハンマーで男の頭を軽く叩いて男の全身を砂にする。身体は直ぐに形を失い、ただの砂の山になっていた。
「ん、ありがと。ああ、それでさっきのなんだけどさ。あれも俺の能力なんだわ」
何処からかロリポップキャンディを取り出し口にくわえる蜂。余りにもあっさりと言うものだから、一瞬反応に遅れた。
「は、能力……!? でも、蜂の能力は」
「あれも俺の能力。これも俺の能力。誰も『力は一つだけ』なんて言ってないし決めてないよな。聞かれなかったから言わなかっただけで、嘘もいってねーし。ははは、なんつー顔してんだよ。……あ、えーっと、俺のこっちの能力は『手のひらが触れた部分を刺す』ってのらしいんだわ。蜂っぽいだろ? 渡り鳥さんが決めたんだ。
手のひらサイズ以内だったらどんな大きさでも出来るっぽいんだ。あんま使ったことねーならわかんねえんだけど。それに、刺すって言っても俺の手が直接ずっぷりいくわけでもねえしな。刺し傷を作るって感じなのかな」
一気に喋る蜂に僕はついていけない。
ただひとつ、言えることがあるとするならば、蜂は最初から『隠し事のしない純粋なやつ』なんかじゃなかったということだ。ずっと隠していた。それどころか、隠していることすら気取られないようにしていたのだ。それに気づいたとき、明紀はきっと蜂に強く興味を持つのだろう。そんなことを血の海と人の砂の山を見ながら思った。




