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病院の外に出ると、僕は外気のあまりの冷たさに体を震わせた。歯がガチガチと鳴っている。体の震えが止まらない。当たり前だ。今を何月だと思っているのだ。山に囲まれたこの土地の一月の気候、しかも夜となれば気温は零度を楽々と下回る。そんな中、上着も羽織らずパジャマ一枚で出てきたら寒いに決まってるだろう。バカなんじゃないだろうか、僕は。
「ご、ごめんね熊くん、車までダッシュするから!」
身を縮こまらせた僕にそう声をかけて、兎さんは一気に加速していくが、そのせいで体感温度が一気に下がっていることに気付いているだろうか。寒い。とにかく寒い。
「ああああばばばばばばばばばばばばばばばば」
変な声が漏れる。頭の中は至って冷静なのだけれど、僕の思考とは無関係に声が漏れていく。無意識のうちに声を出して温まろうとしているのだろうか。いや、それにしたって温まる気配がないし寒すぎるのだけれど。
「はい! 到着! 入って入って」
寒さのあまりどのくらいの時間が経ったのかは分からない。が、体感ではとても長い時間が過ぎたあとで、兎さんは一台のワンボックスの前に止まった。そしてそのドアを開くと、いつの間にか僕の隣に来ていた狐さんが僕の身体をひょいと持ち上げて車の中へ入れた。余りにも軽く持ち上げられたものだから、僕は一瞬何が起きたのか理解できなかったし、理解したあとは男としての尊厳を失った気がして悲しくなった。年上の男の人に軽くお姫様だっこされるなんて……。
僕を後部座席に寝かせると、狐さんは運転席、兎さんは車椅子を後ろに乗せてから助手席に乗り込む。二人ともしっかりとシートベルトをしめると、車はすぐに動き出した。
「よう、熊。悪かったな、目が覚めたことは知ってたんだがどうしても抜けられなくてな。あー、なんだ、大変だったな」
「大変ってレベルじゃないわよ。とっちめてやるわ」
「とっちめただろ、十分に……」
げんなりとした様子で狐さんは言う。銀行でのことを言っているのだろうか。そういえば蜂もそんなことを言っていたような気がするし、やはり相当な状況だったのだろう。
車の中は暖かくて、一定のリズムを刻む車の振動が段々心地よくなっていく。あれだけ寝ていたはずなのに、僕はまた緩やかな眠気に襲われていた。
「ったく、こいつずっとお前の話しかしてなかったんだぜ。そんなに心配なら病院にいろっての」
「私だってそうしたかったわよ。でも追い返されたら仕方無いじゃない」
そんな狐さんと兎さんの会話もどこか遠くで聞こえる。ああ、これは本格的に寝るかもしれない。視界が段々狭くなっていき、心地いい暗闇が僕の身体を次第に包んでいくような、そんな感覚を覚えた。
◇
目が覚めるとそこは見慣れた天井だった。でも、どこか懐かしいような、この部屋で目覚めるのは随分久しぶりのような、そんな錯覚を覚える。僕が病院で目覚めたのは一度だけだというのに。
身体をゆっくりと起こしてみる。幸い、脇腹の辺りにひきつるような痛みが走ることはなかった。
身体を起こし、部屋の全体を見回して、僕はここが自分の部屋であるということを確信した。廃ビの一室に設けられ、僕が自分好みの家具で埋め尽くした、正真正銘の僕の部屋だ。やっぱり、どこか安心感がある。
さて、見慣れた愛しの僕の部屋だが、そこに唯一見慣れない物が存在する。青い車椅子だ。
ああ、そういえば僕は足も撃たれたんだっけっか――なんて思いながら、でも何だかんだ足は動くのだろうなんてタカをくくって足を動かしてみる。
「――――ッ!!」
ビキリと痛みが足から電撃のように伝わってくる感触がして、僕は思わず悶えた。そしてタカをくくって調子に乗ったことを深く反省し、後悔した。ごめんなさい。二度としません。
少し動かしただけでこれなのだ。歩くことなど到底できないだろう。僕は素直にそう判断し、慎重に足を動かしながらベッドの隣にある車椅子にへばりつく。そして、そこからまた右足に極力衝撃が走らないよう細心の注意を払って車椅子に座る。きっと僕はさぞかし滑稽な動きをしていたことだろう。
両腕に力を込めて車輪を回すと、車椅子は予想してたよりもずっとスムーズに動いた。ついでに、この廃ビには殆ど段差がないことを知る。蜘蛛ちゃんがいるからこういう設計になっているのだろうか。かなり車椅子に優しい設計なのだけれど。
「ん? 車椅子替えたのか? 機動力アップを図ったりとか……って熊!?」
リビングに行くと、ソファーに寝転がっていた明紀がゆっくりと起き上がり、凄まじい速度で僕を二度見した。なにもそんな大袈裟な反応をしなくても。
「は!? なんでお前病院にいねえんだ!? 昨日の今日だろ!?」
「正確には昨日の夜帰ってきた」
「なにやってんだお前! んな……車椅子乗ってまで無理矢理退院してくるとか意味わかんねぇ……」
最後には呆れたように言う明紀。どうやら結構僕のことを心配してくれているみたいだ。そこは素直に嬉しく思う。友とはいいものだ。
「……確かに退院してるのには吃驚だけど」そこにどこからともなく現れた蜂がテレビのチャンネルを回しながら言う。「退院しなきゃいけない状況になるぐらい大変なことが起きちゃってるらしいな」
蜂がチャンネルを回す手を止めると、テレビは無機質にニュースを流し始める。そのニュースの内容は、昨日まで僕がいた病院で大量の虐殺事件が起こったということだった。
僕は思わず絶句する。
「ネットで丁度流れてたけど嘘じゃなかったんだな」
蜂は少し興味なさげに言う。
「……昨日の警察署襲撃事件といいどうなってんだ?」
明紀は困惑したように言った。
状況を理解できない僕は、その二件の重大さがあまりにも大きすぎて逆に分からなくなり、言葉を流してしまったのだった。




