21
こんな熱烈な出迎えをするのは一人しかいない。
この家は僕を含め、男女比が一対一の関係なのだけれど、母親がこんなことを僕にするはずがない。あの人は僕に二メートル以上近づかない筈だ。
「……姉さん、ただいま」
強すぎる姉さんの抱擁からなんとか脱出しつつ僕は言う。自分が思っているよりも機嫌が悪い声が出てきて、少し姉さんに申し訳なくなった。
「チーズ鍋は楽しかった?」
僕の声のトーンを気にせずに姉さんは会話をしてくれる。チーズ鍋と言われて一瞬なんのことか分からなくなり、僕は「え?」と聞き返した。
「あれ、スーパーで金髪の子と話してた内容は今日のことじゃ無かったのかな? 最終的にお前はトマト缶を買っていたけど」
姉さんが言っていることはすべて事実だ。はて、姉さんはいつからスーパーでの僕たちのやり取りを聞いていたのだろうか。
そんな疑問が僕の顔にでも書いてあったのか、姉さんは「愛するお前のことなら何でも知ってるよ」なんてにっこりと笑って言ってくる。その発言が僕の知っているいつも通りの姉さんで、僕は安心した。掃除人になってからというものの、姉さんとは殆ど顔を会わせていなかったので、しばらく見ないうちに変わってしまったのではないかと少し心配に思っていたのだ。スーパーの時点で大丈夫そうな気はしていたのだけれど。
「全く、あんな牛乳の腐ったものを鍋にするなんて私には考えられないよ」
「腐ってるんじゃなくて発酵させてるんだよ」
「同じようなものだよ」
「菌が違うよ」
やれやれ、と僕はため息をつく。チーズを牛乳の腐ったもの呼ばわりする人は今日で二人目だ。姉さんも兎さんも、どうしてそんなにチーズが嫌いなのだろうか。美味しいのに。
「ところで姉さん」リビングのソファーに座りながら僕はさっきからずっと気になっていたことを訊くことにする。「どのくらい飲んだの?」
ミニテーブルの上には既に空になったチューハイやビールの缶が置いてある。しかし、姉さんからはミニテーブルに置いてある程度ではしないような、アルコールの臭いがしたのだ。要は酒臭い。僕が来るまでの間にどれだけ飲んでいたのだろうか。その証拠を隠滅するために一部の空き缶を片付けたのだろうけど、匂いが誤魔化せていないのは痛手だと思う。
「うーん……どのくらい……数えてないから忘れたよ」
少し考えるような素振りを見せてから、姉さんは朗らかに笑って言う。ここでそんないい笑顔を見せられても。
「もう今日は飲んだらダメだよ」
まだ開けられていない缶が無いことを確認しつつ僕は姉さんに言う。姉さんが二日酔いになるとか、そんなことは全く心配していないけれど、こんなペースで飲まれたら確実に肝臓は悪くなるだろうと予測できる。姉さんの将来を思ってのことだ。
「お前に言われたらそうせざるを得ないね」
姉さんは少し残念そうに言った。相変わらず僕に弱い。弱いというか、甘いというか。厳しいところはきっちり厳しい人なのだけれど。
それから僕と姉さんは、今まで会っていなかった時間を埋めるように暫く雑談を続け、日付を跨いだ辺りで就寝することにした。まだまだ起きていられるのだけれど、学校の授業中に居眠りをしてはいけないと姉さんに言われたのでそれに従うことにしたのだ。確かに僕は、授業中夢の世界に旅立ち過ぎてテストが怪しくなってきている。これ以上はまずいだろう。
「それじゃあ、おやすみ」
「うん、また明日」
久しぶりに本来の家族とそんな言葉を交わす。悲しいことに違和感がした。




