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一人が脱落した。ということは、もうこれから先誰が脱落しようと、僕たちが罰ゲームを受けることは無くなる。したがって、もう気合いで体力を削りながら鍋と格闘する意味もないわけで。
それがわかった瞬間、僕と蜂は一斉に駆け出した。目指すはウォータークローゼット。つまりトイレだ。僕たちを縛るものはもうなにもない。罰ゲームが蜘蛛ちゃんで確定したのだから、罰ゲームを考える権利なんて明紀に好きなだけくれてやろう。この気持ち悪さから解放されるならば、そんなものは要らない。
少しすっきりした顔で僕たちがダイニングに戻ると、テーブルの上にあった土鍋とガスコンロは既に片付けられていた。電気はつけられ、焼き鳥を片手にビールを飲む兎さんの姿がよく見える。その前にはどこか疲れた様子の明紀が何処か遠い目をして何もない空間を見つめていた。
「俺様の勝ち」
僕たちが戻ってきたことに気づくと、明紀は首だけ動かして、力なくへらりと笑い言った。明紀は勝負事には勝たなければ気が済まないという謎の負けず嫌い過ぎる性格をしているため、今回も意地で勝ったのだろう。しかしギリギリのところで勝ったのでは格好がつかない。だから土鍋とガスコンロを片付けてしまうことで、自分にはまだ余裕があるということを演出したというところだろうか。全く、中学生みたいなやつだ。僕が立派に言えたことではないのだけれど。
「そんじゃ、俺様は蜘蛛ちゃんにちょっと罰ゲームでも仕掛けてくるわ」
ゆらりと立ち上がって明紀は言う。顔色は見るからに悪い。そんなに無理をする必要もないと思うのだけれど。ここは吐いてスッキリする方が健全だと思う。
なんて声をかけることもなく、ふらふらとした足取りで蜘蛛ちゃんの部屋へ向かう明紀の背中を、僕はただ黙って見守った。何を言っても無駄だろう、という思いが強い。
「どんな罰ゲーム仕掛けるんだろうな。俺たちには教えてくれないのかな」
「無理だと思うよ。明紀のことだから、多分個人情報に関わるんじゃないかな」
蜂の率直な疑問に僕は答える。蜂はどこか不満げな表情を浮かべたが、特に何も言わなかった。
明紀にとって、これはとてもいい機会だったのだろう。情報を集めることを得意とする明紀は、得意である前に情報というものが大好きなのだ。知識欲の塊と言っても過言ではない。そんな明紀の近くに隠し続けられる情報があったら、明紀は当然それを暴きたくて仕方なくなる。しかも今回は掃除人の中で一番情報が無い蜘蛛ちゃんだ。声を発しない、表情も中々動かない彼女の情報なんてゼロに近いはず。罰ゲームを提案したのも、これを狙ってのことだろう。下手したら、蜘蛛ちゃんが真っ先に脱落するよう仕組んでいた可能性だってある。兎さんは鍋を開けたとき、鍋の中身をかき回すなんてことはしなかった。つまり、蜘蛛ちゃんの近くにトンデモ食材を配置してそれを食べさせるのは可能だということだ。そう考えると、明紀の近くにいる人間でよかったと心底思う。こういうときに策に嵌められるような心配がないというのはとても胃に優しい。精神的にも、物理的にも。
極力個人情報を晒さない掃除人にもう一人、蜂という仲間が増えたわけなのだけれど、明紀は多分そこまで蜂に執着することはないだろう。僕の勝手な印象だけど、蜂は正直者だ。自分のことを闇のなかに隠してしまわずに、自分から積極的に光を当ててくれる。最初に会ったときの『死んだらどうなるか』という持論や、学校での自分の容姿について。自分のことを何でもないと思っているから、あそこまで簡単に話せたのだろう。或いは、僕たちがおかしな力を持っているという点で、通常では見つけることのできない共通点を見出だし、強い仲間意識を持ってしまったか。どちらにせよ、訊けば答えてくれるのだ。執着する必要はない。
多分、蜂のような人間の方が普通なのだと思う。まだ出会って一週間も経っていない蜂よりも、一年付き合っている他の掃除人たちの方が知らないことは多いだろう。そっちの方がおかしいと、蜂を見ると感じることができる。蜂を見なければわからない時点で、僕も相当やられてしまっているが。
「……柄じゃないな」
「あん?」
「なんでもないよ」
ポツリと零れた言葉に反応した蜂に僕はそっと微笑む。この普通の人が、これからどう変わってしまうのだろうか。なんて僕はいつからか性格の悪いことを考えるようになってしまった。
真面目なことを考えるのは柄じゃない。分かっていても思考は動く。唐突に切り替わる思考に、僕は呆れるしかなさそうだった。全く、自分というものは分からない。




