写真
「ふう……」
仕事帰りの電車の中で、ネクタイを緩めながらため息をつく。
今日もよく働いた。しかし、どうにもくたびれているというか、何というか。ここは一つ、あの子の写真でも見てリフレッシュするとしようか。
パスケースにこっそりと挟んだ、一枚の写真。そこには八重歯の印象的な、可愛らしい女性が映っていた。
彼女は三年前、会社に入ってきた俺の後輩だった。いつも俺の後ろをついて回っては「先輩先輩! これ、どうやるんですかぁ?」と聞きまくってくる、小動物系の愛らしさのある娘だった。
なぜ彼女の写真を持っているのかというと、まぁ、その、そういうことだ。この歳になって言うのも気恥ずかしいが、俺は彼女に恋をしていた。あの屈託のない笑顔を見ると、自然に元気が湧いてくる。一目惚れだった。
なんとか振り向いてもらおうと、今思えば随分と強引に誘ったりもした。十回に九回は断られたが、それでも一回オーケーを貰えれば充分嬉しかったし、楽しかった。
しかし、残念ながら彼女は昨年、会社を退職してしまった。寿退社だった。あの子のいない会社の風景は、途端に色あせて見えた。
だから俺はこうして時折、彼女の写真を眺めてモノクロの風景に再び色彩を取り戻させるようにしている。まったく、我ながら情けない。職場から娘っ子ひとりいなくなるだけで、これだけモチベーションが下がってしまうのだから。
そうこう考え事をしているうちに、最寄り駅についてしまった。俺は思い出をそっとしまいこんで、自宅へと向かった。
家に帰り、ただいま、と言うとパタパタとスリッパを響かせながら、昨年結婚したばかりの妻が「お帰りなさぁい」と出迎えてくれた。彼女の顔を眺めながら、そっとパスケースをカバンの奥に追いやる。
写真を持ち歩いているなんて妻にバレたら「これからは家でいつでも会えるのに、あなた、どんだけ私のことが大好きなのよー! もー!」と笑われるに決まっている。だから写真のことは、妻の前ではお首にも出せやしない。
彼女は俺と視線が合うと、八重歯を見せて屈託なく笑った。その笑顔は写真と変わらず、俺を心の底から癒してくれるものだった。
【了】
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