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マシなんでしょ?

作者: 月迎 百
掲載日:2026/06/24

長編を連載中なのに、仕事でちょっと嫌なことがあって……。

なんだか思いついてしまったストレス発散短編です。

どうぞよろしくお願いいたします。

 私は幼馴染のクリスチャン・モーリー子爵令息と婚約している。

 小さい頃から時々違和感を感じていたが、何とか飲み込んできた。

 でも、最近は、彼と過ごすのが憂鬱になってきている……。

 子どもの頃は、彼の楽天的なところに助けられたこともある。だから……。




「キャス! お待たせ!」

 いつも待たされるのは私の方。

 学院の食堂で。もうわかっているから、ふたり用のテーブル席を取って、居心地の悪い思いをしながら座っていると、悪びれる様子もなく、クリスはにこにこやってくる。

 私はため息をついて「先に……」と言いかけるが「取ってくる」と彼はもう食堂カウンターに向かっていた。

 もう一度ため息をつく。

 ああ、学院に入学した時はもう婚約者がいて、それが子どもの頃から知っている幼馴染で良かったと安心はしたわよ。

 でも、今は、正直、クリスといると楽しいと思えなくなってきた。

 自分の分の食事を持ち戻ってくるクリス。

「どうぞ」

 そう言われて私は立ち上がる。

 自分の分の食事を持ち戻ってくると、もうクリスは半分ほど食べ終えている。

「早く食べなよ。中庭に行くだろ?」

 急かされて、イラっとした。

 だったら、ちゃんと約束の時間に来て!

 せめて、どう考えても食べるのが遅い私に先に取りに行かせてよ。

 でも言わない。

 なんて返されるかわかっているからだ。

 さんざん、言ってきた。



「待たされて、席を使いたい方がいる中で席取りをしているのは苦痛なの」

「……アントニオはすっぽかされたことがあるんだよ。

 ずっと待っていて食べっぱぐれたらしい。

 それよりはマシだろ?」

「……」

 いや、だから、アントニオって誰?

 なんでここで、すっぽかされるよりマシって言えるの!?



「申し訳ないけど、頭痛があって。

 約束していたけれど、今日は出かけずに休みたいの」

「……ケイは頭痛の上に微熱があっても、婚約者との約束は守ったって。

 頭痛だけなら、それよりかはマシだろ?」

「……」

 いや、ケイって男性だよね?

 あ、同じクラスの男爵家の?

 婚約者は伯爵令嬢で、しかも、ケイがメロメロに惚れこんでるんだったわ!

 私と比べること自体が間違ってる。



「クリス、その日は私と約束があった日よね!?」

「……ジュードは婚約者との約束を優先して男友達との集まりに行かなかったら、無視されるようになったんだよ。

 君だって、僕が男友達に無視されるより、一回ぐらい会うのが減るくらいの方がマシだろ?」

「……」

 ジュードって誰?

 あ、隣のクラスの子爵令息!?

 うーん、でも、一時期だけよね、冷やかされたり、無視されたの。

 今でも婚約者とはラブラブだわ。



「ああ、こんな点数を取ってしまった……」

「……ローズ姉さんもこの科目で0点取ったことがあるって。

 女の子は苦手な科目なんだね。

 8点ならまだマシだよ」

「……」

 そんなこと言ってもいいの!?

 ローズ様、怒るわよ!

 でも、ちゃんと勉強しないといけないんだわ……。

 こんな慰め方をされても全然うれしくない。

 

 そこではたと気づいた。

 私も『キャスよりマシだよ』と誰かに言われているんじゃないかって。


 


 初めて会った時、まだお互い5歳で。

 我が家の庭を散策しておいでと言われて、張り切って案内しようとして転んで……。

 お気に入りのドレスを泥で汚してしまい、泣く私にクリスは言った。

「泥で汚れただけですんでよかったね。

 マーニーは転んで服を汚すだけじゃなくて腕の骨を折ったんだよ。

 マーニーよりマシだね」

「マーニーって誰?」

「僕の従姉妹」

 私を慰めようとしてくれてる……のよね?

「……そうね。怪我しなくてよかったわ」

 私は汚れてしまったドレスを見下ろして力なく言った。




「キャス、眉間に皺寄ってる」

 親友のアディが私の額に手を伸ばし、すりすりする。

 アディはアデライト・モンタギュー侯爵令嬢なんだけど、ほわほわ系じゃなくてさっぱり系だ。

 うん、カッコイイ感じの女の子。

「また、クリスチャンのせい?

 いいかげん、別れたら?」

「……そんな簡単に言わないでよ」

「でもさ、伯爵令嬢であるキャスの方が強い立場だろ?

 いいかげん蹴ってやれば、あんな奴」

「うーん。

 幼馴染だから、クリスがあんななのは想定内というか……。

 でも、年齢が上がるにつれて、厳しくなってきた。

 私のメンタルが持たんかも」

「いいじゃん。あんな奴、婚約破棄しちゃえ!」

「うーん」

「……幼馴染で、情があるとか?」

「うーん、一応、私を慰めてくれたり励ましてくれたりっていう気持ちはあるんだろうなとは思うのよ……」

「ふーん。

 ま、あんなのでも子爵家の後継だもんな」

「うう、そんなのはもうどうでもいいんだけど。

 なんか、人と比べてマシでしょ? と言われるのが辛い……。

 自分が我儘だとか、高望みしているんじゃないかとか、欲張りだと、突きつけられて我慢させられてるような?」

「そりゃ、最低の経験をした人と比べられたら、どんな状態でもマシってことになるよね」

「うう……」


 自分がいじいじしているのはわかっている。

 もし婚約解消や破棄ということになるなら、今が最後のチャンス。

 学院を出てしまえば、社会との繋がりがなくなる。逃げ場がなくなる。

 私はため息をついた。

 アディが苦笑した。

「違う人を見てみれば? お薦めがいるんだけど」

「違う人だなんて、それこそ、クリスを他の人と比べるみたいな、その相手の方にも悪いわ……」

 アディはクスッと笑って私の頭を撫でる。

「……こんな優しいキャスを苦しめるなんてね」

「優しいだなんて……、いじいじして、決められないだけよ。自分にうんざりする」

「そうか。

 じゃあ、楽しい話をしよう!

 夏休み、我が家へ遊びに来るって話!」

「ええ、楽しみにしてる!」

「よかった。キャスが笑った!」

「アディ、ありがとう……」




 夏休み前、なんとなく学院の雰囲気もウキウキしてる。

 私は図書室係で返却された本を書棚に戻していた。

 奥の書庫室の方へ行くと何やら男子達の声がする。

「クリス、夏休みは愛しの婚約者と過ごすのか?

 いいよあー、キャサリン嬢、おとなしそうでかわいいし!」

「ああ、控えめなところがいいよ。

 健気にクリスのことを食堂で待っているところなんか!」

 言葉とは違う意味を持った笑い声。

「あー、キャスは……、まあいないよりはマシかな」

 クリスの声。

 私の心が悲鳴を上げた。

 私、誰とかではなく、比べる人がいない状態よりマシって……!?

「あいつ、頭悪いし。子どもの頃からよく知ってる俺じゃないと相手できないよ。

 まあ、平凡でおとなしいから、そこらの女よりかはマシってことかな」

 周囲の男子の何かを含んだ笑い声。

「いやいや、かわいけりゃいいじゃん。

 しかもグリース伯爵令嬢だぞ。

 クリス、うまくやったな」

「……まあ、俺の努力、かな。

 子どもの頃、転んで汚れてベソかいているようなどうしようもない女だったけれど、最近は俺の言うことを聞いて、いろいろ我慢するようになって、だいぶマシになったな」


 私はくるっと回れ右して、引き返そうとした。

 その時、書庫のそばの書棚の前にいた上級生と目が合った。

 私はかあっと顔が熱くなって、恥ずかしくなって慌ててしまい、抱えていた本を1冊落としてしまった。

「何の音だ?」

 書庫からクリスの声がして。

 上級生がこちらに来ると本を拾って、書庫から死角になる書棚の奥へ私を押し込んだ。


「すまない、本を落としてしまった」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。本も壊れていない」

「怪我したり本を壊さずに済んでマシでしたね」


 私からは上級生の横顔が見える。

 彼の表情がクリスのその言葉に少し変わった。

「ああ、おかげさまで。

 君達の話、聞いてしまってたんだが……。

 その、マシという言葉は……」

「こいつの婚約者のことですね!」

 クリスの友人の声とクリスが「おいっ!」という声が聞こえた。

 肩でも組んでわちゃわちゃしてるのだろう。

「婚約者のことをひどく言っているように聞こえたが……」

「そんなことないです。

 僕はキャサリンのことを大切にしています。

 彼女も僕のことが好きなんだ。

 僕は彼女がもっとマシな人間になるように教育しているんですよ」

「……教育?」

「ええ、彼女が不必要に高望みしないように、僕をないがしろにする我儘を言わないように、僕より成績を良くしようなんて思わないように。

 子爵家夫人として、僕を支え、前には出ずに後ろに控え、慎ましく過ごすように。

 なにしろ元が伯爵家でしょ? 

 我儘言われると困るんですよ。最近は以前よりマシになりましたよ」

 私は悲鳴を上げそうになり、口を手で抑えた。

 つまり私の思う幸せや喜びや誇りの基準をクリスは必死に下げようとしていたのか?

 自分のために?

 私を慰めていたのではなくて?

 私を扱いやすくするために、言うことを聞かせやすくするために?


「こいつ、なかなかわるですよねー。

 あんなかわいい婚約者がいるのに。いじめるんだもん」

「かわいいかな?

 キャスの友人のモンタギュー嬢の方がよっぽどきれいだよ。

 いじめてるわけじゃないんだが……、言い聞かせてるってとこかな。

 君には贅沢や我儘は分不相応だと。

 上を見て暮らすのでなく、下を見て暮らすべきだと」

 

 上級生がふっと笑った。

 私を笑ったのではなく、クリスのことを笑ったのだと瞬間的にわかった。

「なるほど。

 彼女を逃すまいと必死なんだな」


 冷やかすような男子達の声。

「いや、そういうわけじゃ!

 キャスの方が僕にベタ惚れなんですよ!

 だから、そう、無難な……。そこいらよりはマシってだけな女です!」

「なるほど……」


「……失礼しますっ!」

「おい、クリス、ずいぶん語ってたなー」

「僕のキャスか!」

 だんだん声が、笑い声が遠ざかり……。

 私はへたり込みそうになり、上級生に腕を引き上げられた。

「大丈夫か?」

 頷いたが笑われる。

「全然大丈夫そうじゃないな。

 言っていいんだよ。

 辛い時は辛いと。私は誰とも比べない」


 その言葉に涙がぶわっとぼろぼろ出てきて、しゃくりあげてしまった。でも本を抱えていて。

 上級生が本を受け取り、書棚へ置くとそっと私を抱きしめて、背中を擦ってくれた。


 だんだん気持ちが落ち着いてきて、今の状態に気づいて慌てる。

「ご、ごめんなさいっ!」

 婚約者のいる身でこんなところ見られたら、というか見られてなくてもだめなんだけどっ!

 上級生の彼も巻き込んでしまうっ!


「落ち着いた?」

「はい……、恥ずかしいところを、お見せしてしまいました……。

 助けて頂き、ありがとうございます」

「……どうするの?」

「え?」

「あそこまで言われて、婚約、続けるの?」

 私はぎゅっと唇を引き結んだ。

「うう、決心しました。

 婚約を解消します。

 でも、父になんと……」

「私が話そうか?」

「え?」

「私が証言しよう。彼の、クリスチャン・モーリーの君への扱い方と暴言を」




「キャス!!

 なんで、待っていない!?」

 学院の食堂。

 私はアディと一緒にテーブルについて昼食を楽しんでいた。

 そんな私を見つけてクリスはつかつかと歩み寄りながら叫んだのだ。

 みんなに注目される。

 ああ、ひとりで席取りをしていて、使ってもいないのに席だけ押さえてるなんて! と見られるよりも全然苦しくない。


「モーリー子爵令息。

 私達、ただの学友になりましたので。

 もう、名前で、愛称で呼ぶのはやめて下さい」

「何を……。

 なんか拗ねてるのか?

 いつも僕が遅刻するから」

「……もうやめたんです。

 誰かと比べて自分の方がマシだと諫められたり慰められるたびに、苦しく悲しい気持ちになっていました。

 だから、そういうのからぜーんぶ、根本からおさらばしたのです。

 昨日、父と話して了承を貰い、今朝、婚約解消の書類をモーリー子爵家へはお届けしています。

 同時にグリース伯爵家からは王家に届け出をしています。

 既に婚約解消は決まりです。

 後はモーリー子爵家からサインしてもらった書類を形式上、提出して頂くだけですわ」


 ざわざわしていた食堂がしーんとなった。

 クリス、いえ、モーリー子爵令息はわなわなして青い顔をしている。


「……こんなっ、婚約解消したとしてもっ!

 僕よりマシな男との縁組はもう見つからないぞ!」


 私達のテーブルにこんな空気感をものともせずに例の上級生が昼食を手にやって来た。

「アディ、キャス、お邪魔するよ」

「レオン兄様、どうぞどうぞ」

 アディがわざとらしくレオンハルト・バウンス伯爵令息を歓迎する。

 私の隣にレオンハルト様が座ったのを見て、動揺するクリス。いやモーリー子爵令息。


「キャス……、お前、僕という婚約者がありながら、浮気してたのか!?」

「人聞きの悪いことを……。

 レオンハルト様とは昨日初めて言葉を交わしまして、友人になって頂きましたの」

「あ? 昨日の図書室の!?」

 気づいてさらに動揺するクリス、いや、モーリー子爵令息。


 レオンハルト様がちらっと、モーリー子爵令息を見て言った。

「昨日、君の、彼女への仕打ちの話を聞いてね。

『大丈夫か?』と聞いたんだ。

 それでなくても、彼女のことは噂になっていたからね。

『子爵令息に尽くす健気な伯爵令嬢』と」

「お前が、キャスを唆して!」

 私は立ち上がる。

「私も聞いていたんです。

 昨日、書庫で」


 モーリー子爵令息とその友人達がギクッとした表情になり、友人達はそろそろと逃げ出した。

「あ、おい!」


 私はモーリー子爵令息に微笑んだ。


「まあ、婚約解消されても、いないよりかはマシな程度の婚約者でしたし。

 どうっていうことはないでしょう?

 どうぞ、私よりマシな新しい婚約者を見つけて下さい!」


 アディも立ち上がり、私の隣に並ぶと言った。


「私は婚約破棄にしちゃえと言ったんだけど。

 婚約破棄より婚約解消にしてもらえてまだマシだったな。

 まあ、グリース伯爵にぼこぼこにされるよりかはマシじゃないか!

 キャスが優しい女の子で良かったな」


 レオン様も私の隣に並ぶと言った。


「自分のせいで婚約者を失う者はまあ、時々いるからな。

 ……2年前に婚約破棄騒ぎを起こして学院を退学、王籍を剥奪されたジョセフ王子よりはマシじゃないか?」


「うう……」


 モーリー子爵令息は子どもみたいに目に涙をためて手をグーに握り込んで唇を引きむずびぷるぷる震えてから叫んだ。


「マシって言うなー!!」

 

読んで下さり、ありがとうございましたー。

レオンはアディの従兄です。

キャスに紹介したかった自慢の親戚の兄様。

レオンもキャスのことを気にしてました。

でも、キャスに婚約者がいるからねー、声は掛けられず。

きっと夏休みで、キャスとレオンは仲良しになって、キャスの父の目論見通り、婚約するでしょう。

クリスよりもマシな婚約者ゲットです。

クリスは……。だめだろな。人はそう簡単に変われないでしょ?

まあ、自分が言われたら嫌だと知って、少しはマシな人間になれよ。

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― 新着の感想 ―
軽口を咎めずイザという時は真っ先に逃げる友人達は類友っぽい。
おいおいクリス坊ちゃん、自分は散々他人よりマシだろだのキャスはいないよりマシだの言っておいて自分が言われるのは嫌だってか? まるっきりガキじゃんね、オチまで含めて。 こんなガキよりもマシどころかまとも…
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