茨の靴のシンデレラ~虚偽の告発で復讐した私は、処刑台に送られる~
【第1話 籠の中の鳥】
カチャ、と繊細な銀のナイフが磁器の皿に触れた。
そのかすかな音が、静まり返った食堂に不吉な余韻を残す。
私は反射的に肩を震わせ、手元にあるスープ皿を見つめたまま固まる。
「コレット」
対面に座る男が、酷く穏やかな、それゆえに冷徹な声で私の名前を呼んだ。
私の夫であり、この領地の絶対的な支配者であるギルバート伯爵。
彼はナプキンで優雅に口元を拭うと、灰色の瞳で私をじっと射すくめた。
「三度。食事中、三度も音を立てたね。不快だと言っているだろう」
「……申し訳、ございません」
「声が小さい。私の顔を見ろ。ただし、視線は私の顎のあたりに固定するんだ。お前のような下賤な者が、私の目を真っ正面から見つめるなど不敬を通り越して不快だ」
私はナイフを置くことすらできず、手の中で震える銀の重さに耐えていた。
ギルバートは暴力は振るわない。
私の身体に、他人の目を引くような痣を作るような愚かな真似はしなかった。
その代わり、彼は言葉という名の鋭利な刃を使い、毎日、毎時間、私の心を丁寧に削り取っていく。
食事のメニュー、歩く速度、一日の視線の動かし方に至るまで、彼が定めた「指導」という名の異常な規則に私は縛られていた。
「お前は本当に物覚えが悪い。農民の泥に塗れた娘を、伯爵であるこの私がわざわざ妻にしてやったのだ。その並外れた慈悲に対し、毎日私に感謝して生きろ。お前は私に養われなければ、一人では生きていくことすらできない無能なのだから」
ギルバートの言葉は、じわじわと私の脳裏にしみ込んでいく。
私は無能だ。
私には何の価値もない。
この美しい邸宅で上質なドレスを着せられ、飢えを知らない生活を送れているのは、すべて彼のおかげなのだ。
もし彼に見捨てられれば、私は再びあの貧しい泥の中へと突き落とされ、一人で生きていくこともできずにの垂れ死ぬに違いない。
何より、私の実家である貧農の家は、ギルバートから多額の援助を受けていた。
彼が指先一つ動かすだけで、私の両親ときょうだいたちは一瞬にして路頭に迷い、飢え死にすることになる。
実家という名の強固な鎖がある限り、私に逃げ場などなかった。
生活のレベルは格段に向上した。
けれど、私の精神は完全に擦り切れていた。
私はただ、彼を怒らせないように、殴られないように、細心の注意を払いながら呼吸を潜めて生きるだけの、生きた人形だった。
そんなある日、私はギルバートの「お飾り」として、王城で開催される大規模な舞踏会に参加することになった。
あてがわれたのは、私の意思など微塵も反映されていない、ひどく締め付けのきつい紺色のドレスだった。
コルセットが肋骨を圧迫し、息をするのも苦しい。
「いいか、コレット。お前は私の所有物だ。夜会では私の三歩後ろを歩け。ただし、口は開くな。お前の取り柄はその美しい顔だけだからな。他の男を見ることも許さない。ただ私の影として、大人しく従っていろ」
馬車の中でギルバートは私の顎を強く掴み、その灰色の目を光らせた。
私は小さく頷くことしかできなかった。
絢爛豪華な王城の舞踏会場は、眩いばかりの光と、貴族たちの虚飾に満ちた笑い声で溢れていた。
ギルバートは私を連れ回し、他の貴族たちに自分の「慈悲深さ」を自慢して回った。
行き倒れの農民の娘を拾ってやった高潔な伯爵。
それが彼の演じる仮面だった。周囲の貴族たちは彼を称賛し、私のことを「幸運なシンデレラ」と羨んだ。
シンデレラ。
ガラスの靴ではなく、歩くたびに肉を抉る茨の靴を履かされたシンデレラだ。私はただ、ギルバートの後ろで、視線を床に落としたまま静かに立ち尽くしていた。
やがて、会場の空気が一変した。
重厚な扉が開き、側近を従えた一人の男が姿を現した。周囲の貴族たちが一斉に頭を下げ、道をあける。
この国の絶対権力者であり、次期国王たるレイナルド皇太子だった。
眩い金髪と、すべてを見下すような冷徹な氷の青い瞳。彼は傲慢そのものの足取りで、貴族たちの間を歩いていく。
その圧倒的な覇気に、誰もが息を呑んだ。
レイナルド皇太子の視線が、ふと、ギルバートの後ろで震えている私に向いた。
一瞬、彼の動きが止まる。
金縛りに遭ったようだった。
皇太子の青い瞳が、私の姿をじっと見つめている。
豪華なドレスを着せられながらも、完全に心を殺し、怯え、人形のようになって立っている私の、歪んだ美しさに彼は目を留めたのだ。
レイナルド皇太子は迷いのない足取りで、私たちの方へと歩いてきた。
ギルバートが慌てて恭しく礼をする。
「皇太子殿下、お目にかかれて光栄にございます。こちらは私の不肖の妻でして——」
ギルバートの言葉を遮るように、レイナルド皇太子は冷酷な声を響かせた。
「おい伯爵。その女を私に寄越せ」
会場が水を打ったように静まり返った。
あまりにも傲慢で、理不尽な要求。
ギルバートの顔が、一瞬にして怒りと屈辱で引き攣った。
いくら皇太子とはいえ、他人の妻を公衆の面前で要求するなど正気の沙汰ではない。ギルバートにとって、私は自分の所有物であり、プライドそのものだったからだ。
しかし、相手はこの国の全権を握る次期国王だ。
どれほど不服であろうとも、ギルバートのような一地方の伯爵に、彼を拒絶する気骨などあろうはずがなかった。
逆らえば、伯爵家そのものが明日にでも潰される。
「……殿下がお望みとあれば、拒む理由などございません」
ギルバートは血の気の失せた顔で、絞り出すようにそう言った。
彼の腕が、悔しさで小刻みに震えている。
私はその場で、別の主人の元へと引き渡されることになった。
ギルバートの手が私の腕から離れ、代わりにレイナルド皇太子の、手袋に包まれた冷たい手が私の手首を掴む。
私の意思など、最初から誰も求めていない。
私はただの物だ。
伯爵の鳥籠から、今度は皇太子の金色の檻へと移り変わるだけ。
遠ざかっていくギルバートの、憎悪に満ちた視線を背中に受けながら、私はただ、新しく私を縛る支配者の横顔を、感情のない目で見つめていた。
【第2話 まやかしの蜜月】
ギルバート伯爵の手から、レイナルド皇太子の手へ。
私の身柄が引き渡されてから、瞬く間に一年という歳月が流れ去った。
新しい檻の中での生活は、笑ってしまうほど贅沢なものだった。
与えられた部屋には、素足が沈み込むほど毛足の長い絨毯が敷き詰められ、絹のシーツは肌を滑るように滑らかだった。
差し出される料理はどれも、かつて農民の娘だった私が名前すら聞いたことのない珍味ばかりで、クローゼットには一生かかっても着切れないほどのドレスが並んでいた。
けれど、私の心がその贅沢さで満たされることは、ただの一度もなかった。
なぜなら、この国の次期国王たるレイナルドが愛したのは、私の「顔と身体」だけだったからだ。
昼の私は、彼の権力と審美眼を周囲に誇示するための、ただの美しい装飾品だった。
何人もの侍女に囲まれ、磨き上げられ、ため息が出るほど高価な宝石の首飾りをあてがわれる。しかし、鏡の中に映る私は、きらびやかな衣装をまとわされただけの、ただの空虚な木偶人形に過ぎなかった。
夜会に同行しても、私に言葉を発する自由は与えられない。
私が何かを言おうと口を開きかけると、レイナルドは私の腰を抱く手に力を込め、冷ややかに囁くのだ。
「お前はただ、私の傍らで美しく微笑んでいればいい」
それは、暴力の伴わない、だが徹底的な人格の無視だった。
ギルバートは言葉の暴力で私という人間を否定し続けたが、レイナルドは私という人間の内面に、最初から一瞥もくれなかった。私の声も、私の思考も、私の感情も、彼にとっては存在しないも同然だった。
そして夜になれば、私はただの夜伽の相手として、彼のベッドに囲われた。
カーテンが引かれた暗闇の中、彼は容赦のない力で私を抱く。
そこに愛という名の温もりは存在しない。
あるのは、所有物を貪るための、冷徹で一方的な熱情だけだった。
私はただ、彼の激しい抱擁を受け流しながら、天井の彫刻を眺めて嵐が過ぎ去るのを待つだけだった。
彼は私の内面には一切の興味を示さず、私もまた、これ以上傷つかないために心の扉を固く閉ざし、機械のように彼に従い続けた。
心が完全に麻痺してしまったかのように思えた、ある夜のことだった。
事が終わった後の静寂の中、レイナルドは寝台に身を横たえたまま、退屈しのぎの世間話でもするように、ふと口を開いた。
寝室を照らす月光が、彼の美しい金髪を白銀に染めている。
「この一年で――随分と、夜の物覚えが良くなったな。……そういえば、今日の昼食会でギルバート伯爵がお前をずっと見ていたぞ。私に奪われた玩具に、まだ未練があると見える」
その名前を耳にした瞬間、私の身体は激しく硬直した。
ドクン、と心臓が嫌な音を立てて跳ね上がる。
全身の血の気が一気に引き、指先が凍りついたように冷たくなった。
脳裏に、あの邸宅で過ごした地獄の日々が、鮮明な色彩を持って蘇る。
『お前のような泥に塗れた下賤の娘を、誰が妻にしてやるというのだ』
『私の許可なく話しかけるな、不快だ』
耳の奥で、ギルバートのねっとりとした冷酷な声が再生される。
呼吸の仕方を忘れたかのように、胸の奥が不快な熱を帯びていく。あの男はまだ私を見つめている。あの檻の暗闇から、私の身体を狙っている。
深い嫌悪と、じっとりとした鬱屈が胸を満たしていく。
私はレイナルドの胸元にそっと指先を滑らせながら、まるでお茶の銘柄でも品評するかのような、何気ないトーンでポツリと言葉をこぼした。
「あの男は日頃から、殿下よりも自分の方が優秀だと言っておりましたわ。いつか謀反を起こして、自分が次期国王になってやる、とも」
「……なんだと?」
レイナルドの身体が、微かに強張る。
その氷のような青い瞳が、寝台の暗闇の中で低く据わった。
その瞬間、私は冷や水を浴びせられたかのように、背筋が凍りつくのを覚えた。
——あれ?
なぜ、私は今、こんな突拍子もないことを口にしているのだろう。
ギルバートは傲慢な男だったが、皇太子に逆らうほどの度胸も狂気もない。
私の口から滑り出たのは、根も葉もない、完全なる嘘だった。自分でも予期していなかった虚言の暴走に、私は心の中で激しく肝を冷やした。
しかし、もう遅い。
絶対権力者の前で、今さら「冗談です」などと言い逃れができるはずがなかった。
ここで言葉を止めれば、不敬罪で殺されるのは私の方だ。
引き返す道は、最初から存在しない。
私は小さく息を吸い、さらに言葉を重ねて畳みかけた。
怯えを完璧に隠し、真実を憂う愛妾の顔を作って、彼の首筋に腕を回す。
「今では、私を奪われたことへの憎しみも加わっております。あの男のプライドは完全に切り刻まれましたから。殿下が油断をなされば、本当に刃を向けて実行するやもしれません。……私は、それが恐ろしいのです」
私の必死さをあえて排した淡々とした告発と、その後に続けた偽りの抱擁が、レイナルドの猜疑心を完全に煽り立てた。
彼は何も言わず、ただ冷酷に目を細めた。
数日後。
レイナルドが私の部屋を訪れ、衣服を脱ぎ捨てながら、事も無げに事実を告げた。
「ギルバート伯爵家は、謀反の疑いで取りつぶした。一族郎党、皆殺しだ。もうお前をジロジロと見る不快な男はいない」
その言葉を聞いた瞬間、私の背筋に猛烈な悪寒が走った。
私の吐いたたった一言の嘘が、一つの高貴な家爵を、そこに住む何十人もの人間を、一瞬にしてこの世から消し去ってしまったのだ。
その事実の重さに、最初はただ、己の仕でかしたことへの恐怖に身がすくんだ。
しかし。
恐怖の波が引き去った後、私の心の奥底から、ゾクゾクとするような、悍ましくも甘美な刺激が湧き上がってきた。
(ああ……消えた。あの男が、消えたのだ)
私を泥人形と蔑み、無能だと罵り、呼吸をすることすら制限していたあの巨悪が、私の口から出たわずか数行の言葉だけで、木っ端微塵に砕け散った。
どれだけ泣いても、どれだけ祈っても、誰も助けてくれなかったあの絶望の日々。
それを、私は「嘘」という名のナイフ一本で覆してみせたのだ。
レイナルドは私を人形としてしか扱わないが、その彼の手にある強大な国家権力を、私の言葉一つで自在に誘導することができる。
恐怖は、いつしか歪んだ全能感へと形を変えていた。
私の魂は――
どす黒く、しかし抗いようのない快楽の蜜に、深く、深く染まっていく。
私はレイナルドの冷たい首筋に腕を回し、闇の中で、生まれて初めて妖しく微笑んだ。
【第3話 狂い咲く毒花】
元夫であるギルバート伯爵家が跡形もなく滅び去ってから、三か月が過ぎた。
私は、自分が手に入れた「嘘」という名の無敵のナイフに、すっかり魅了されていた。
言葉一つで世界が動く。
私を縛るものは何もない。
思い上がりが、私の胸の中で黒い毒草のように根を広げていた。
そんな折に参加した王宮の夜会で、それは起こった。
「あら、ご覧になって。あれが噂の『泥まみれのシンデレラ』よ。いくら皇太子殿下の悪趣味な寵愛を受けているからって、元はただの野良犬。よくもまあ、私たちと同じ空気を吸えるものだわ」
大勢の貴族たちが行き交う絢爛なホールの中心で、名門の公爵令嬢が、扇で口元を隠しながら私を大きな声で嘲笑した。
周囲の貴族たちから、くすくすと忍び笑いが漏れる。
平民出身の私を、快く思わない連中の冷ややかな視線が突き刺さる。
その瞬間、頭の芯がカッと熱くなった。
脳裏に蘇るのは、私を人間扱いしなかったギルバートの冷酷な歪んだ笑い声だ。
(まただ。また私を、泥人形のように見下すのか)
激しい怒りと憎悪が、私の胃の腑を焼け焦がす。
しかし、今の私はあの頃の無力な農民の娘ではない。私の後ろには、この国の絶対的な権力がついているのだ。
私は静かに微笑みを浮かべたまま、その令嬢をじっと見つめ返した。
私の心はすでに、次の「獲物」を定める冷徹な猟師のそれだった。
その日の夜。
私はレイナルドの寝室のベッドで、彼のしなやかな肢体に気だるげにしなだれかかっていた。
彼の長い指先が私の髪を弄ぶ中、私はまるで今夜のワインの味でも褒めるかのような、極めて自然で、物憂げな声音で囁いた。
「殿下、偶然にも悪だくみを聞いてしまいましたの。あの公爵家……どうやら裏で他国と密通し、殿下の暗殺計画を進めているようですわ。夜会で私を脅してきたのです。いつまでその席にいられるかしらね、と」
「……何だと?」
レイナルドの動きが止まる。
その氷の瞳が、寝室の闇の中で鋭く光った。
私は彼の胸に顔を埋め、怯える愛妾の振りをしながら、心の中で狂おしい歓喜に震えていた。
数日後、公爵家は深夜に突然の焼き討ちに遭った。
弁明の機会すら与えられず、一族は捕らえられ、公爵家は有無を言わさず取りつぶされた。夜空を赤く染める炎の噂を聞いた時、私の身体を駆け抜けたのは、鳥肌が立つほどの猛烈な快楽だった。
またしてもうまくいった。
目障りな存在が、私の嘘一つで、この世から消えてなくなった。
私はもう、誰に脅かされることもない。
この国の権力は、私の舌先一つでどうとでもコントロールできるのだと、完全に狂った全能感に魂を染め上げていった。
それから、さらに一年という月日が流れた。
私は宮廷の中で、誰もが恐れる「皇太子の不吉な愛妾」となっていた。
私に逆らえば家が滅ぶ。そんな根拠のない恐怖が貴族たちの間に広がり、私は贅沢の極みの中で傲慢に振る舞い続けた。
茨の靴の痛みなど、全能感の麻薬にかき消されて、もう何も感じなくなっていた。
慢心は、決定的な油断を生む。
ある夜会で、私はまた別の高慢な令嬢から、冷ややかな態度を取られた。
大した侮辱でもなかった。ただ、私への挨拶をわざと無視した、その程度の些細な不敬――。
だが、肥大化した私のプライドは、それを許さなかった。
私はその夜、いつものようにレイナルドの腕の中で、全く同じ手口を使って嘘の告発を吹き込んだ。
「殿下、あの令嬢の家に謀反の疑いがございますわ。裏で兵を集めているとか」
これまでのように、私の言葉一つでその家が燃えるのを楽しみに待っていた。
しかし。
数日を過ぎても、数週間を過ぎても、その令嬢の家が取りつぶされる気配はなかった。
……おかしい。
そう胸騒ぎを覚え始めた頃、私は突然、レイナルドの執務室へと呼び出された。
部屋に入った瞬間、いつもとは違う異様な空気に息が詰まった。
部屋の四方を、武装した近衛兵たちが隙間なく取り囲んでいる。
部屋の中央、豪奢な執務机に腰掛けたレイナルドは、氷よりも冷たい瞳で私を真っ直ぐに見据えていた。
その手元には、何十枚もの報告書が積み上げられている。
「コレット。お前に一つ、聞きたいことがある」
彼の声には、いつもの寝室での甘さは微塵もなかった。
地平線の彼方から響くような、地を這う冷徹な声だった。
「一介の平民出身であるお前が、なぜ国家機密レベルの謀反の情報を、これほど頻繁に、誰よりも早く掴むことができるのだ?」
「それは……あの方々が、私を見下して油断していたからで……」
言い訳をしようとした私の声が、情けなく裏返った。
「白々しい嘘を吐くな」
レイナルドは机の上の報告書を、私の足元へと叩きつけた。紙がバラバラと床に散らばる。
「お前の告発を受け、私は裏で隠密に内偵調査を行わせた。結果、お前の告発した令嬢の家には、他国との密通や謀反の兆候など一切なかった。……すべては、お前の虚言だったな」
全身の血の気が、一気に引いていくのが分かった。
レイナルドは愚かではなかった。
ただの美しい人形だと思っていた愛妾が、あまりにも都合よく謀反の情報を運んでくることに、不審を抱いていたのだ。
彼は私を疑った。
そして私は、見事に嘘を見破られたのだ。
「私を欺き、国家を揺るがした罪は重い」
レイナルドが冷酷に右手を上げる。
「大罪人コレット。お前を捕縛し、公開処刑に処す」
近衛兵たちが一斉に私に掴みかかり、床へ組み伏せる。
冷たい床に顔を押し付けられながら、私はただ、遠のいていく意識の中で、自分が手放した「嘘」の代償の大きさに、初めて本物の恐怖を感じていた。破滅へのカウントダウンは、とっくにゼロを迎えていたのだ。
【第4話 断頭台のシンデレラ】
コンクリートの冷たい床から引きずり出されたとき、朝靄の空気は肌を刺すように冷たかった。
私の身体を拘束する太い麻縄が、容赦なく皮膚を擦りむく。
だが、不思議とその痛みすら、遠い世界の出来事のように現実味がなかった。
罪人を乗せる荷馬車に揺られながら――
私はただ、抜けるように青い空を見上げていた。
処刑場へと続く大通りは、溢れんばかりの群衆で埋め尽くされていた。
「国家を揺るがした希代の悪女め!」
「公爵家を滅ぼした毒婦に呪いあれ!」
怒号と罵声が、鼓膜を破らんばかりに押し寄せる。
投げつけられた腐ったトマトが私の頬で潰れ、生臭い汁が首筋を伝っていく。
かつて、夜会でまばゆいドレスをまとった私を「幸運なシンデレラ」と囃し立てた者たちも、きっとこの中に混ざっているのだろう。
栄華など、舌先一つの嘘で手に入り、そして同じように一瞬で霧散していくまやかしに過ぎなかった。
罵声の嵐を通り抜け、荷馬車が止まる。
目の前には、天を突くようにそびえ立つ、巨大な木製の処刑台。その最上部で、陽光を浴びてぎらぎらと鈍い光を放っているのは、巨大な鉄の刃だ。
それを見上げた瞬間、私の心は、驚くほど静かに澄み渡っていった。
恐怖はなかった。
ただ、深い得心だけが胸を満たしていた。
こうなるのは、最初から決まっていた必然なのだ。
断頭台へと続く木製の階段に、裸足をかける。
一段、上る。木肌のささくれが足の裏に刺さる。
——この階段こそが、私が歩むべき茨の道の終着点だった。
振り返れば、私の人生に関わった男たちは、誰も私の「心」など見ていなかった。
最初の夫であるギルバートは、私を自尊心を満たすための便利な泥人形として扱い、言葉の刃で支配した。
次の主人であるレイナルド皇太子は、私の顔と身体だけを極上の玩具として愛し、その内面には一瞥もくれなかった。
けれど、階段を上りながら、私は己の胸に手を当てる。
他者を呪い、玩具のように扱われた私自身は、どうだっただろうか。
私もまた、レイナルドという男の持つ「絶対的な権力」だけを愛していた。
彼が私という人間に興味がないことをいいことに、その権力を吸い上げ、己の醜い復讐心と肥大化した全能感を満たすための道具として消費していたのだ。
ギルバートも、レイナルドも、そして私も。
私たちは誰も、誰のことも愛していなかった。
お互いに、相手の皮膚の表面にある「都合のいい部分」だけを貪り合い、搾取し合っていただけの、浅ましい怪物たちの集まりだったのだ。
だから、その結果として私がこの場所に立っているのは、あまりにも正しい因果応報だった。私の心を顧みなかった男たちに、今さら何も期待などしていないし、恨みもなかった。
階段を上りきり、私は処刑台の壇上に立った。
群衆の歓声が一層激しく燃え盛る。
近衛兵によって押し倒され、木製の台座に首を固定される。
冷たい鉄の輪が首筋を締め付け、視界の端にレイナルドがいた。
処刑台に設けられた、一際豪華な特等席。
そこに、彼は座っていた。
眩い金髪を完璧に整え、豪奢な軍服をまとった次期国王、レイナルド皇太子。
彼は微動だにせず、氷のように冷徹な瞳で、台座に組み伏せられた私を真っ直ぐに見つめていた。
その冷たい瞳と視線が交わった、まさにその瞬間だった。
私の胸の奥を、激しい、そして生まれて初めて受ける衝撃のような感情が突き上げてきた。
耳元の喧騒が、嘘のように遠のいていく。
(あの方の瞳は、あんなにも……)
底冷えするような氷の青。その奥深くにしがみついているのは、怒りでも、憎しみでも、軽蔑でもなかった。
それは、果てしない、漆黒の「孤独」だった。
誰も本当の彼を見ず、ただその王冠と権力だけを求めて群がってくる世界で、彼は最初から、誰も信じずに生きるしかなかったのだ。
だからこそ、私の心にも興味を持たず、ただの美しい人形として側に置くことしかできなかった。
そのことに、死を目前にしたこの数秒間で、私は初めて気づいた。
死ぬのは自業自得だ。
未練などない、そう自分に言い聞かせて諦めていたはずの私の心に、どす黒い後悔が濁流となって押し寄せる。
(ああ……もしも、やり直せるなら)
私は、彼の心を覗こうとしたことがあっただろうか。
ギルバートに傷つけられた痛みに閉じこもり、レイナルドの瞳の奥にある寂しさに、一度でも触れようとしてみただろうか。
彼をただの「便利な権力」として利用するのではなく、一人の孤独な人間として、正面から向き合おうとしてみればよかった。
私たちがほんの少しでも、互いの表皮ではなく、内面にある痛みに手を伸ばし合っていれば、違う未来があったのかもしれない。
だが、その気づきは、あまりにも遅すぎた。
胸を掻きむしるような、たった一つの、そして生涯で初めての純粋な「未練」を抱いたまま。
——ギィ、と重い金属音が響き、頭上から断頭台の刃が解放される。
風を切り裂く鋭い音が迫る中、最期まで彼の孤独な青い瞳を見つめ続け、そして、私の世界は永遠の闇へと閉ざされた。




