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第6話 不能

 気が付くと俺の中から性欲が消えていた。

 手応えは無いのに、その記憶はしっかりと残っているところがまた悪質だ。

 当てもなく歩きながら、あらゆる倒錯を頭の中で試みては、なんとか奮い立つものがないか試している。

 わかっている。

 そんなことは、すべては無駄だ。

 存在しない相手に問いかけても、返事などあるはずがない。

 俺の中の悪魔の俺が、股間を指差してあざ笑っている。

 悪魔に身心を売り渡した俺は、どうやら生殖能力を完全に失ってしまったらしい。


「ねぇ、どこへ向かっているの?」

「いやぁ、うーん。街かなぁ……。だがアン、お前は……ついてくるのか?」

「私は……そう……、そうね、悪霊……でしょう? あなたに取り憑いているのだから――、ついて行っても、おかしくない……でしょう?」

「ああ、まぁ……そうなのか?」

「きっとそうよ」


 ちなみに、カーネリアンは俺の後ろをぼんやりとした表情でテクテクとついてきている。

 立派な胸に釣られて、思わずこんな姿にしてしまったが、性欲も無いのに果たしてどうするか……。

 こんなことなら、ウェンディゴのまま食いきってしまえばよかった。

 あの立派なシカ角だって街で高く売れたかもしれない。

 振り返り、あらためて彼女の姿を観察する。


「……?」

「しかし……あまりにもなぁ」


 俺が振り向くと、アンは首をかしげる。

 いい女だ。

 大きな街の娼館で、いくら金を積んだところで、アンほどの女にはまず出会えないだろう。

 顔と身体、そして醸し出す雰囲気、どれ一つとっても、俺がこれまで見てきた女とはまるで次元が違う。

 鮮烈な見た目に、どことなく儚げな様子も、何とも言えない感情を掻き立てられる。

 そんな女が一切の衣服を身に着けず、俺の不躾な視線も、まるで気にした様子もなく、目の前にただぼんやりと佇んでいるのだ。

 このクソ寒い中、一切そんなことは感じさせない涼し気な表情で、明るく輝く赤髪をたなびかせている。

 ウェンディゴ以上に現実味がないな。

 うっかりと、神話の世界から出てきてしまったような女だ。

 性欲を失ったのが返す返すも残念だ……。

 ただまぁ、それを抜きにしても、この女をこのまま森へ捨て置くのはかわいそうな気がする。

 ウェンディゴであった頃ならばそんな心配はいらなかっただろうが、今の姿で森のモンスターに襲われれば、いくら元騎士とは言え、丸腰では簡単に殺されてしまうだろう。

 さすがにそれは気まずい。


「どうしたのかしら?」

「いや……、行こうか。一緒に」

「ええ」


 それに、やはりこれほどいい女だと、ただ側にいるだけでもなんだか気分が良い。

 曇天のうす暗いこの森でさえ、彼女が視界に入ると、妙に詩情溢れる意味ありげな景色に見えてくる。

 一応こいつをいじくった際に、悪魔を介して緩く繋がっている気配があるので、俺に敵意を持っていないことは分かっている。

 いや、むしろうっすらと好意のようなものまで感じる。

 なぜだろう。

 よっぽど心臓がうまかったのだろうか。


「おっ! 一応道らしい場所にでたな。これで何とか街へも行けそうだ。ただなぁ……、俺達二人そろって素っ裸なのはまずいよな……どうしたもんか。アンどう思うよ?」

「はだか……。ええ、そう……ね、どうしましょう?」

「楓の葉っぱでどうにかならんかな? あダメだ、これたまに血吸い虫くっついてんだ……」

「葉っぱ」


 アンはぼんやりとした表情で、ゆっくりぽつぽつと喋る。

 いまのこいつは空っぽと言ってもいいだろう。

 むしろ言葉を喋れていることが奇跡に近い。

 自意識のようなものはあるようだが、ほとんど記憶はないはずだ。

 例えあったとしても、とても断片的で、もはや誰のどんな記憶かもわからないようなしろものだろう。

 女騎士、ヘラジカ、ヤモリ……あるいはウェンディゴのものか。

 いずれも本当に断片的なもののはずだ。

 ただ、いくら壊れてるとはいえ、女騎士、人の頭にはなっているはずだ。

 時間とともに明確な意思を示し、しゃべり方もより自然なものになっていくだろう。


「――人、いるわね」

「ん? ひと? あ~……なんだかうさんくせぇ奴らが出てきたなぁ」


 荒れた森の小道を考え事をしながら歩いていると、汚らしい男たちがぞろぞろと姿を現した。

 茂みから、木の上から、落ち葉の中から。

 どうにもまとまりのない連中だ。

 三十人くらいか。

 半農半盗賊といったところか。

 こういった森では大して珍しいものではないが……数が多いな。

 大体が盾とこん棒、あるいは鎌やナイフで武装している。

 取り囲む様にゆっくりと近づいてくる。

 斧を持っている奴もいるようだ。

 ……あれは欲しいな。

 俺とカーネリアンを無言で囲み終えると、リーダー格と思われる三人が一歩前に出てくる。

 全員似たような風貌だ。

 見た目は髭を蓄え一人前風だが、表情はやや幼い。

 実際はかなり若そうな連中だ。


「おいっ! お前ら、金目のものを置いていけ!」

「はぁ? お前、目ん玉ついてんのか。金目のものを俺達が持ってるように見えるのか?」

「な、なんでお前ら森の中で裸なんだ……。もう盗られた後か?」

「なんでもいいから服くれよ。寒いわ――」


 背中を蹴り飛ばされ、前に倒れ伏す。

 どうもこの三人がリーダでは無かったようだ。

 俺の背中を蹴り飛ばした男だろうか、倒れた俺の腹をさらに蹴り上げ、顔を踏みつけてくる。


「おい、髭面! 調子に乗るなよ! 平然とした顔しやがって……気持ち悪い。腕に自信がるのか知らんが、この数じゃどうにもならんぞ」

「いてぇよ~。足どけろよ~。いったいなにがしたいんだお前ら?」

「なんだこいつ……」

「おい、そんな男どうでもいいって! 女どうするよ? なぁ、もう……いいだろ?」

「こんないい女見たことねぇ……」

「お前ら……。わかった、いいだろう。ただし、先にこいつを殺せ。女はそれからだ」

「わ、わかった……。よし、俺が最初だ! 斧もってこい!」

「おいおい、お前らふざけるなよ? 俺がどれだけ苦労したとおもってるんだ! お前ら喜ばせるために頑張ったわけじゃないんだぞ!」


 顔を踏みつけられているので、いまいち状況がよくわからない。

 ただ、何人かの男たちが興奮した様子で、アンに近寄っていく気配を感じる。

 腹の底に火がついたようにムカついてくる。

 いままでは、この野盗について特別何の感情もわかなかった。

 多少蹴られたが、心臓をほじくりだされた後じゃあ、撫でられたようにも感じない。

 どうやって三十人もの人間を食い殺すかは厄介な問題だが、ただそれだけのことだ。

 面倒だが難しいことじゃない。

 だが、この俺を差し置いて、男たちがアンに盛るのは許しがたい。


「な、何言ってるんだこいつ……。もういい、女! こっちへ来い!」

「なぁに? あなたたち――、あなたたちも、心臓を……くれるのかしら?」


 顔のを抑えつけていた足から力が抜け、後ずさる。

 ここからでは、ちょうどアンの表情が見えない。

 アンの顔を見ていた男たちの顔が引きつっている。

 どうも様子が変だ。


「はあ? なんでもいい、女はこっちへ――なっ!?」

「でもね……、フーを蹴ったのは、気に入らないの」

「ヒッ――」


 顔にへばりついた落ち葉を払い落としながら立ち上がると、ちょうどアンの赤い瞳が鬼火のようにぼんやりと輝きはじめたのが見える。

 次の瞬間、彼女の白く滑らかな額から、白い骨のようなものが二本、飛び出してくる。

 思わず息をするのを忘れてしまったかのように、誰も声を発しない。

 あたりの空気が変わったのを感じる。

 あっという間にその骨のようなものは木の枝のように枝分かれし、巨大なヘラジカの角にまで育つ。

 気が付くと彼女の美しかった顔はどこにもなく、あるのはただヘラジカの頭骨のみ。

 同時に、恐ろし勢いで体が肥大化していく。

 柔らかく滑らかだった肌が、松の樹皮のようにひび割れていく。

 彼女の体が大きくなるたびに、木の枝をまとめて折ったような、バキバキと激しく不気味な音が森に響き渡る。


「うっわー……、まじかよぉ……せっかくいい女にしたのに! はぁ……またシカ面かよ~」

「ウ、ウウウ、ウェ、ウェンディゴだああああっ!」

「にげっ――」


 アンがウェンディゴに戻ってしまった。

 あんなに苦労して、いい女にしたのに……。

 しかもご機嫌に暴れている。

 心臓がいっぱいで嬉しいのだろうか。

 さっそく盗賊を捕まえ、丁寧にひとつほじくりだしている。


「あらためて見ると、めちゃくちゃ痛そう……いや、即死してるし、そんな感覚もないか」


 良く俺は生き残れたもんだ……。

 今でも自分の肋骨が砕け散る音を覚えている。

 骨を伝って直接頭へ響くのだ。

 思い出すと気持ち悪くなってきたな……。

 一方のアンは、巻貝でもほじくりだしているような気軽さで、心臓を取り出し食べている。


「ば、化け物っ」

「ト、トーマスが食われたっ。し、心臓がっ――」

「みんな! お、同じ方向に逃げるな!」

「散れ! 散れえええ!」

「うわぁあああっ、早すぎるっ!」


 次から次へと心臓を求め大暴れしているウェンディゴだが、どうも俺の時とは少し様子が違う。

 まず、ただの伽藍洞だったヘラジカの頭蓋骨の中に、今は赤い炎が煌々と輝いている。

 さらにヘラジカの頭骨からは、まるでたてがみのように、フサフサとした赤毛が生えている。

 何もかも元通りになってしまったわけでは無さそうだ。


「まぁ――、なんだかこれはこれで楽でいい気がしてきたな。俺じゃあんなに早く動けないしなぁ……」


 一番近くにいたはずの俺には手を出す気配がない。

 もう心臓は食われなくても済みそうだ。

 あれをまた繰り返すのは、さすがに勘弁してもらいたい。

 とにかく痛いし、失敗すると死ぬからな。

 よかったよかった。

 ゆっくり見物させてもらおう。

 正直盗賊が三十人もいたので、逃がさないように全員食えるか心配だったのだ。

 ウェンディゴにはそんな心配は必要なさそうだ。

 化け物じみた跳躍力で、逃げる盗賊を次々と捕まえていき、心臓をくりぬいている。


「やばいぞ……あの男、テイマーだったんだ! ウェンディゴを、悪霊をテイムしたんだ! こいつを殺せ!」

「んー? テイマー? なんかまためんどくさいこと言いだしたな……」


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