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呉宮史桜の優雅な放課後  作者: 詩央
Case.01【消えるピアニスト】
8/10

day7─歪み─

 火曜日。放課後の音楽室は、吹奏楽部の合奏で活気づいていた。

 フルートが軽やかに舞い、クラリネットが旋律を支える。トランペットが金色の音を響かせ、打楽器が全体を引き締める。


 絢葉は再び見学という名目で音楽室を訪れ、周囲に意識を巡らせていた。視線の先は──山野辺。


 合奏が小休止に入ると、山野辺はサックスを置き、両手を大きく伸ばした。指を一本ずつ、親指から小指まで丁寧に反らせ、最後にグーパーを繰り返す。


 周囲にも、指や手首、首や肩周りなど、様々な部位を気遣うようにストレッチなどを行う部員は居るが、史桜から「彼女らの一挙手一投足を見逃さぬよう」と指示されていた絢葉はポケットのスマートフォンを握りしめ、すぐに報告を送った。今日は、史桜が音を拾えるようにだけ通話自体は繋げているが、報告の度に喋っていては迷惑になる。また、幽霊ピアニストがこの場にいた場合警戒をより強めてしまうので、報告や指示はメッセージで送ることにしていた。

【山野辺先輩は現在手のストレッチしています。村西先生と古谷先輩には特に大きな動きはありません】

【ふむ……日常的に楽器を演奏していればどこかしら痛める事もあるが。具体的にはどのような?】

【ええと、親指から小指まで順番に、ゆっくり反らすように伸ばしたり、グーパーを繰り返したり、手首をゆっくり回したり】

【ほう。なるほどね】

 その返信を読んだ直後だった。

 一枚の楽譜が、ふわりと床に落ちた。慌てて拾おうとする一年生の前に、村西がすっと歩み寄る。

「ほら、気をつけなさい」

 そう言って左手を伸ばすが、紙は指からすり抜け、床に滑り落ちた。村西は一瞬だけ眉を動かすと、右手に持ち替えて拾い上げ、無造作に生徒へ差し出す。

「……す、すみません」

「別に」

 何気ない一幕。だが、少し違和感も覚える。


 絢葉は近くにいた部員へ小声で尋ねた。

「あの、村西先生の左手って……?」

「ああ、事故の後遺症ってやつ?あの人授業のときも、教科書を持ったまま黒板に書いたりしないんだよ。必ず教卓に置いて、そこから内容を確認して黒板に書いて、また教卓に戻って……ってのを繰り返すんだよ。新任の頃からずーっとそうらしいけど、よっぽど悪いのかなぁ」

「そう言えば」

 隣の別の部員が会話に入ってくる。

「村西先生、元々は左利きだったらしいよ。事故の後、ペンとかお箸とか、右手で使えるよう猛練習したんだって。凄いよね」

 その証言を通話越しに聞いていた優雅部部室の史桜は、静かに顎に手をやり、眉をひそめた。


 やがて休憩時間、山野辺は席を立ち、先日と同様音楽室の端にあるピアノへ歩み寄った。指を軽くほぐし、鍵盤へ置く。

 奏でられた旋律は、昨日録音したあの曲。先日練習を訪れた時にも聞いたものだ。だが、またしても同じ箇所でつまずき、音を外してしまう。

「……っ。また……」

 悔しげに肩を落とす山野辺へ、古谷が声をかけた。

「なかなか上手くいかないね。……最近、由美先生とは練習してるの?」

「……お母さんは、『無理しなくていい』って言ってくれてる」


 そのやりとりに、絢葉はそっと隣の部員へ訊ねる。

「何度もすみません、由美先生とは?」

「ああ、山野辺先輩のお母さんだよ。プロのピアニストで、ずっと家で指導してもらってるんだって」


 山野辺は再び鍵盤に視線を落とし、力なく言った。

「でも……申し訳なくて、あれ以来家では弾けてないの。子供の頃少しだけお世話になったピアノ教室で練習させてもらったこともあるけど、結局人がいると駄目だった。ここでも、部活が休みの日でも誰かしら自主練してるし……」


 その吐露に、古谷が眉を寄せた。

「麻美……」


 しばし沈黙が落ちた後、古谷が口を開いた。

「……ねえ、私もちょっと弾いてみていい?」


 そう言って山野辺と場所を代わり、鍵盤へ向かう。指先から流れ出したのは──山野辺と同じ曲。

 絢葉は思わず息を呑んだ。

「古谷先輩も、この曲を……」


 演奏は最後まで途切れることなく流れた。部員たちからおおっという声と共に拍手が漏れる中、山野辺が驚きに目を見開く。

「果歩……いつのまに、この曲を」

「ふふ、私だって頑張ってるんだよ。麻美にだって負けないから!」


 照れくさそうに笑う古谷。しかし、その直後。


「まだまだね」


 冷ややかな声が割って入った。村西だ。

 彼女は眉ひとつ動かさずに続ける。

「テンポが一定じゃなかったし、装飾音の乱れも多い。これでは人に聴かせる演奏にはなっていない」


 古谷は俯いて唇を噛み、山野辺は彼女の肩にそっと手を置いた。


 自分には何も掛ける言葉が無い。緊張した雰囲気に萎縮していた絢葉の耳元に、史桜の声が静かに響く。

『もういいよ、東雲君。戻ってきたまえ』

「えっ?」

 つい声を洩らしてしまう。近くの部員が怪訝な顔でこちらを窺ってきたため、絢葉は顔を赤くして素早く音楽室を後にした。


─────


 そして、優雅部部室。

「やぁ、ご苦労様」

 部室へ戻った絢葉を、いつものように紅茶を嗜みながら史桜が労う。

「なんか、最後変な空気になっちゃいましたが、もういいんですか?」

「もう十分だ。一〇〇パーセントの確信と言えるほどではない囁かなものではあるが、幽霊ピアニストの正体に迫るに足る情報は得られた」

「え、そうなんですか!?じゃあ、呉宮先輩は、誰が幽霊ピアニストか、もう……?」

 今日の様子から、一体何が判明したのか。絢葉にはさっぱり分からない。しかし史桜は不敵に笑う。

「決着は金曜日だ。それまでに多少の仕込みは必要だが。とりあえずは、一度事件の事から離れ、普通の高校生として過ごしたまえ」

 絢葉はごくりと息を飲む。遂に辿り着けるのか、幽霊ピアニストに。

 一体、誰が、なんの為に。答え合わせは、金曜日。

 絢葉は胸が少しずつ、大きく高鳴っていくのを感じていた。

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