day4.1─下卑た笑み─
翌日の放課後。
陽が沈みかけ、窓から差し込む橙色の光が優雅部の部室を静かに染めていた。
ティーカップから立ち上る湯気がゆらりと揺れ、史桜は机の上の資料に視線を落としたまま、淡々と口を開く。
「ここまで大きな収穫は無いが……一つ言えることがある。恐らく“放送室”と“校庭”の怪異は、繋がっているということだ」
その言葉に、向かいに座る絢葉が小さく瞬きをする。
「繋がってる……? なんでですか?」
史桜は指先で顎を支え、窓の外を一瞥した。
その横顔は、いつも通り穏やかで、どこか冷静すぎるほどだった。
「我々以外にも、以前から校舎に残っていた先生や警備員の方々からの話をまとめると──『校庭の人影』が現れるのは、放送室からBGMが鳴るのとほぼ同時だ。事実、昨日もそうだっただろう? 偶然では片付けられまい」
「た、たしかに……」
絢葉は思い出すように小さく呟いた。
夜の廊下で響いた体育祭のBGM、そして校庭に現れたあの人影。
どちらも同時に、そして唐突に現れた。
史桜は紅茶に口をつけ、わずかに息を吐く。
「次に、基本的な点だが──放送室のBGMは、内部に誰かしらが入室するとほぼ同時に停止する。その時には放送機器の電源も落ちている。昨日、君たちには校庭へ向かってもらったが、代わりに放送室を確認した警備員からも同じ報告があった。我々が調査に介入する前から、どうやら同様らしい」
「校庭の人影よりも、こっちの方が謎ですよね……。放送室は確実に無人なのに、なんで音楽が鳴るのか。旧音楽室の時みたいなトリックも多分無理ですよね?」
「いかにも。考えられる点はいくつかあるが……」
史桜はそう言って、紅茶のカップをそっと受け皿に戻した。
微かな音が部室の静寂に溶けていく。
「ともかく、今日はそちらを調べようか」
「はい!」
絢葉は勢いよく返事をして、椅子を引いた。
窓の外はすでに薄暗く、夕暮れの校舎が長い影を落としている。
彼女は軽く一礼して扉を開けた。
「天野先輩がもう放送室に向かってるらしいので、そっちで合流しますね!」
「よろしく頼む。……無理はしないように」
史桜の声に、絢葉は振り返って笑みを返した。
そのまま部室を後にし、扉の閉まる音が静かに響く。
史桜はしばらくその音の余韻を聞きながら、机上の資料に目を戻す。
記録された報告書の中で、彼は指先で文字をなぞった。
「……さて、そろそろ前進したいところだね」
その独り言は紅茶の香りに紛れ、部屋の静けさの中に消えていった。
────
夕暮れに染まった校舎を横目に、絢葉は一人、放送室へ向かって歩いていた。
部室棟から、本校舎の玄関へ入り、下駄箱で靴を履き替える。そこから歩き始めたところで、教員用下駄箱の前に人影が見えた。
鞄を片手に、革靴に履き替えている男性──結城先生だった。
「あれ、結城先生。今日はお早いお帰りなんですね」
絢葉が声をかけると、結城は驚いたように顔を上げ、すぐに柔らかく笑った。
その笑みは穏やかで、どこか人の良さを感じさせる。
「やぁ、東雲さん。今日は居残りで見回りの担当じゃないからね。僕は部活の顧問とかも請け負ってないし、仕事さえ終わらせれば定時上がりさ。良いだろう?」
冗談めかした口調に、絢葉も思わず笑みを返す。
「良いですね。ではお気をつけて、さようなら」
「うん。君たちは今日も調査か、気をつけてね」
軽く手を振る結城を後に、絢葉は再び校舎の奥へと歩き出した。
──と、その時。
曲がり角を抜けた瞬間、前方から数人の男子生徒が談笑しながら歩いてくるのが見えた。
その中心に、先日廊下で眞鍋を追っていた、と思われる不良生徒、翔の姿が見えた。
絢葉の肩がわずかに強張る。
だが、彼らはこちらに気づく様子もなく、ふてぶてしい笑い声を響かせながら近づいてくる。
「今日は眞鍋がいねぇから、つまんねぇな」
「そーだな。とうとう不登校か?」
「いぃや、アイツはもう二年間もオレから逃げ回りながらも学校来てんだぜ?
今さらンなことしねぇよ」
「ははっ! たしかに! 結城は“体調不良らしい”だとかぬかしてたな。明日来たらまたシメっか!」
「当たり前だ。もうすぐ楽しい楽しい体育祭だしな?」
下卑た笑い声と共に、翔たちはそのまま通り過ぎていった。
絢葉は息を詰めたまま、彼らの背中が遠ざかるのを見送る。
──あの人たち、やっぱり眞鍋先輩を追ってたんだ……。“結城”って、結城先生の事かな?
彼女の胸の奥で、小さな疑問が生まれた。
しかし今は立ち止まっている暇はない。
絢葉は小さく息を整えると、再び前を向き、放送室へと歩みを進めた。
廊下の奥に続く静寂が、まるで何かを待ち構えているように感じられた。




