day2.2─無人の放送室─
夕暮れの校舎は、昼間とはまるで別の世界のようだった。
グラウンドの喧騒も止み、廊下を渡る風がどこか冷たく感じられる。
絢葉と奏汰は、靴音を響かせながら昇降口を抜けていく。
放課後の光が、長く伸びた二人の影を床に映していた。
(あれだけ張り切ってたけど、結局、呉宮先輩は来ないんだなぁ……)
小さくため息をつく絢葉の横で、奏汰があくび混じりに言う。
「なぁ、早く帰りてぇんだけど」
その言葉とほぼ同時に、下校時刻を告げるチャイムが鳴った。
校内には、もう生徒の気配はほとんど残っていない。
「それで、どっちから行くんだ?」
「呉宮先輩からは、先ずは放送室を調べるようにって」
「なるほどな」
奏汰はポケットに手を突っ込んだまま、気怠げに頷く。
窓の外では、夕陽が沈み、校庭が徐々に夜の闇に沈んでいく。
────
その頃、優雅部の部室では。
一人残った史桜が、机の上に湯気を立てる紅茶を置いた。
「下校時刻後の学校で飲む禁忌の紅茶──ふむ、それもまた優雅」
軽くカップを傾け、夜の校舎を見下ろすように窓の外を眺める。
月明かりが静かに差し込み、ガラスに彼の微笑が映った。
「……さて、どうなるか」
────
放送室が見える廊下。
絢葉と奏汰は、壁際に身を寄せて様子を窺っていた。
「どうせなら、二手に分かれるのも良いとは思うんですが……」
「夜の学校にお前一人は危ないって、呉宮が言ったんだろ」
「そ、それはそうかもしれないですけど……」
そんな会話を交わしたその瞬間──。
校舎全体に、突如として音楽が鳴り響いた。
体育祭で流れるあの軽快なBGM。
昼間のざわめきが甦ったかのように、無人の校舎に弾む音が満ちる。
「っ……! これ、まさか!」
驚く絢葉とは対照的に、奏汰は特に動じた様子もなく言った。
「ずっと見張ってたけど、人の出入りは無かったよな」
「はい……放送室には鍵も掛かってましたし」
「だったら、元から中に居て、内側から鍵かけてたんだろ」
奏汰はポケットから小さな金属製の道具を取り出した。
器用な手つきで鍵穴をいじると、わずか数秒でカチャリと音が鳴る。
「……開いた」
扉を引くと、ガラッと音を立てて放送室の中が露わになる。
だが──そこには誰の姿も無かった。
そして次の瞬間、流れていた音楽がぴたりと止んだ。
「え……!? そんな……」
絢葉は駆け寄って放送機器を確認する。
電源ランプは消えたまま、スイッチもすべてオフの位置。
それでも、確かに先ほどまで音は鳴っていた。
絢葉は慌ててスマートフォンを取り出し、史桜に電話をかけた。
『ああ、こちらでも聴こえたよ。──なるほど、実に奇妙だね。念のため、一度その場を離れて再度様子を見てみよう』
「わかりました」
二人は指示に従い、放送室から少し離れた廊下へ移動した。
廊下の奥は闇に沈み、薄暗い照明がぼんやりと揺れる。
──数分後。
再び、あのBGMが流れ出した。
どこか遠く、しかし確かに校舎全体に響いている。
「また……!」
二人は走って放送室へ戻る。
扉を開けた瞬間、またしても音は止んだ。
中は静寂に包まれ、放送機器の電源も依然として落ちたままだ。
「……どうなってるんですか、これ」
絢葉が困惑していると、背後から声がかかった。
「どうだね? 調子は」
振り向くと、初老の男性教師──三年学年主任の飯沼が立っていた。
「あ、飯沼先生……」
絢葉が状況を説明すると、彼は顎を撫でながらゆっくりと頷いた。
「ふーむ。我々で調べた時と同じだね。校庭の人影の話は聞いたかな? あれも、例によって今夜も現れたらしい。見回りが確かめに行った時には、もう姿が無かったそうだ。暗がりでは隠れる場所も多いが、確証が無ければ何とも言えん。……兎も角、今日はもう帰りなさい」
通話越しにそれを聞いていた史桜の声が、少しだけ落ち着いた調子で届く。
『そうだね。今日はもう進展は望めないかもしれない。──東雲君、撤退しよう』
「……わかりました」
絢葉は頷き、奏汰とともに静かな廊下を歩き出す。
窓の外では、風がグラウンドの砂をさらっていった。
夜の学校は、再び、何事もなかったかのように沈黙を取り戻していた。




