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呉宮史桜の優雅な放課後  作者: 詩央
Case02【雨露のメッセンジャー】
11/11

day1─雨音の昼下がり─

 六月の雨が、校舎の屋根や窓を静かに叩いていた。梅雨に入った湿った空気が校庭を重たく包み、放課後の静英高校はどこか夢うつつのように沈んでいる。

 六時間目の授業が終わり、生徒がまばらになった頃。

 鞄を抱えた絢葉は、そっと優雅部の部室の扉を開いた。


 ──ふわり。

 漂ってきたのは、紅茶の香り。

 中では史桜が窓際の机の前の肘掛け椅子に腰掛け、優雅にポットから紅茶を注ぎ、三段重ねのティースタンドを前にしていた。そこにはサンドイッチや焼き菓子、そしてレモンタルトまで並んでいる。


「やぁ、東雲君。今日も来てくれて嬉しいよ」

 史桜が顔を上げ、ゆったりと微笑んだ。


(なんか本格的なアフタヌーンティー楽しんでるこの人!どこからこんなの持ち込んでるの……)

 絢葉は心の中で小さく突っ込みを入れつつ、思わず一歩立ち止まる。


「さ、遠慮はいらない。君もこちらへ」

 史桜に手で促され、絢葉は「は、はい……!」と少し緊張しながら机に向かい合って腰を下ろした。


 ティーカップを手に取りながら、史桜は得意げに言う。

「今日のレモンタルトはなかなかだよ。レモンの酸味とカスタードの甘さが、互いを引き立てている」


「た、確かに美味しい……!まるでお店みたい……」

 絢葉はタルトを一口食べ、思わず感嘆の声をもらす。


 そのとき──

 コン、コン。

 部室の扉が、小さく控えめに叩かれた。


「ほう。久々のお客様かな。どうぞ」

 史桜が朗らかに声を掛けると、ゆっくりと扉が開いた。

 姿を見せたのは、小柄な女子生徒。

 肩まで伸びた髪は手入れされずぼさぼさに乱れ、前髪が顔にかかっている。大きな丸眼鏡の奥の瞳は、その髪に隠れてほとんど見えなかった。小さな体をさらに縮めるようにして猫背で立ち、制服の袖口をぎゅっと握りしめている。


「あ、あの……」

 震える声。

「し、白石(しらいし)……琴音(ことね)。に、二年です……」


 史桜は微笑みを崩さず、椅子を指さした。

「存じているとも。君は図書委員だったね。どうぞ、掛けたまえ。今日は何の要件で?」


 促されて腰を下ろした白石琴音は、肩をさらにすぼめ、か細い声で話し始める。しかし言葉はしどろもどろで、途切れ途切れに消えていく。


「えっ……?あの、すみません、もう一度お願いできますか……?」

 絢葉は首を傾げ、必死に耳を傾けるが、それでも聞き取れずに戸惑った。


 そんな中でも、史桜は眉一つ動かさず、柔らかい声を差し出す。

「落ち着きたまえ。我々は君の味方だ。きっと力になってみせよう」


 その言葉に、白石の張り詰めていた肩がほんの少しだけ緩む。そして、途切れ途切れながらも、やっと本題が口にされた。

「……と、図書室で……あの……雨の日になると……窓に、も、文字のような、記号のような……何かが……浮かぶんです……。最初は落書きかと……でも、怖くて……何度も……出てきて……」


「ふむ、雨の日に窓に……」

 史桜は指先でカップの縁を叩き、少し考える素振りを見せる。

「今日は、まさに雨だね。君は、今日はもう図書室に行ったのかい?」


 琴音は小さく首を振った。

「い、いいえ……今日は、まだ……」


「ならば、今から向かうとしよう」

 史桜は即座に立ち上がるでもなく、絢葉へと視線を送った。

「東雲君、頼んだよ」


「えっ、今から!?は、はいっ!」

 絢葉は背筋を伸ばし、慌てて答える。

「うむ。現場を観察するには、まず素直な眼が必要だ。奏汰もまだ校内に待機しているだろう。合流して、白石君と共に向かってくれたまえ」


 こうして、絢葉と白石、そして呼び出された奏汰の三人は、連れ立って図書室へ向かうことになった。

 雨脚は次第に強さを増し、校舎の窓を叩く音が一層はっきりと耳に届いていた。


 図書室へ到着し、中に一歩踏み入ると、紙の匂いと湿った木のにおいが混ざり合う。本棚の長い影が低く床を這うように伸びている。

「……あ、あそこ」

 白石が示した先の窓には、確かに文字らしいものが滲んでいた。輪郭はまだはっきりしない。雨粒が走るたびに線は揺れ、文字なのか記号なのか、ただの落書きなのか。それは捉えどころなく形を変える。

 絢葉は息を詰める。指先が、少しだけ震えた。奏汰は眉を寄せて窓の表面を覗き込む。「なんだこれ?ペンとかで書いたもんじゃない。窓に、そのまま文字みたいなもんが浮かんでる」

「読めますか?」

 白石が囁く。答えはだれにもない。


 そのとき、

「やー、何やってんの?」

 背後から明るい声が響いた。

 振り返ると、黒髪短髪の男子が立っていた。ジャージの胸に『佐伯』と書かれたワッペンが光る。やや日焼けした肌と軽い彫りの顔立ちが、ぱっと目を引く。誰が見ても明るく、声が大きいタイプだ。

佐伯(さえき)……」

「知り合いですか?」

 ぽつりと呟く奏汰に絢葉が問う。

「佐伯悠斗(ゆうと)。クラスメイトだ。陸上部の練習中じゃないのか?」

 佐伯悠斗はニカりと笑った。

「今日は雨だからなー、室内で簡単な自主練して終わったんだよ。そしたらお前らを見かけて、なんか珍しい組み合わせだなーって思って。奏汰が居るって事は優雅部だろ? あの呉宮が部長の」

(やっぱり呉宮先輩、有名なんだな……) 

 脳内で史桜の得意げな顔を思い浮かべる絢葉。すると、何があったのか佐伯が問うてきた。

 ここに来た経緯を簡単に説明し、窓の文字を見せる。

 すると彼の顔には、好奇心と、どこか少年らしい無邪気さが浮かんだ。


「へぇ!面白そうじゃん!なぁ、よかったら俺も混ぜてくれよ。部活ある日は来られないけどさ、出来る範囲で手伝うよ。白石も一年の時は同じクラスだったよしみでさ」

 悠斗は肩をすくめて、再び笑った。その無遠慮さが、図書室の空気に少しだけ日常を取り戻す。

 奏汰は面倒くさそうにしながら、

「オレは知らん。呉宮に聞けよ」と言い、絢葉は史桜にメッセージを送る。

 直ぐに携帯が震えた。画面には史桜からの返信。

【ほう、面白い。よろしい、佐伯君を優雅部の臨時調査員として任命しよう】

「よっしゃ!」

 メッセージを覗き込んだ悠斗は両手を挙げて得意げに笑う。絢葉はやや呆れ顔で呟いた。

「ほ、本当に、良いんですね……?」

  部室で腰掛ける史桜には、驚きや戸惑いを許さない確信がある。だが、その確信は決して威圧ではない。調査は遊びでもあるし、真剣勝負でもある。悠斗のような風は、ばらつくピースを動かす拍子木にもなるだろう。


 図書室の窓は、相変わらず薄い文字を揺らしている。誰が書いたのか、何が書かれているのかは分からないままに、雨がまた一滴、窓を伝った。

 その日、絢葉は胸の奥で静かに、物語が動き出したのを感じた。


──優雅部の新しい“事件”の幕が、そっと上がったのだ。

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