21 終わらせるために
それからフィガロ達は時計塔の展望台に下りて、マーヴェル達と円になって話し始めた。
基本的な事情説明と情報交換、そしてこれからについての提案である。
もちろん音楽の神ルクスフェンが両国の平和を望んでいる――というでっち上げを前提に、だが。
しかし意外な事にマーヴェル達はこのでっち上げに乗り気だった。
「実は今回シュテルンビルトへ向かわせる勇者達には、停戦の話を持って行ってもらう事になっていたのだよ」
マーヴェルはそう教えてくれた。
どうやらアーネンコールの役人にも、古くから続くこの取り決めは無益だ、と考える者が少なからずいるらしい。
けれども、彼女達がいくら提案をしても話はなかなか進まず、今回ようやく許可を得る事が出来たそうだ。
転生前のフィガロも件の取り決めについては全く知らなかった。
恐らくその事を知っているのは、役人などの国を動かす仕事についている者達ばかりなのだろう。
(たぶん、一般人には知られない方が都合が良い事……なんだろうなぁ)
もちろん何の準備もなく真実を白日の下にさらせば、国民から怒りや非難がぶつけられ、アーネンコールの政治に影響が出るからと考えた部分もあったのかもしれないが。
世論とは味方につければ心強いが、無責任な暴力にもなり得る。
フィガロも横領の罪を被せられそうになった時、それを感じた。いくら自分は無実だと訴えても、面白おかしく娯楽の材料にされ、新聞記事を読んだ読者はフィガロを犯人だと決めつけて暴言を吐く。
(……アレは辛かった、からなぁ)
無実が証明された時は心底ホッとしたし、疑いを晴らしてくれた警察には感謝している。
けれども当時の事をたまに夢に見るくらいには、フィガロのトラウマになっていた。そしてあの時、一方的に崩された信用を取り戻す事も、とても大変だったのをよく覚えている。
(そう言えば、アーネンコールでの私の評判って、今どんな感じなんだろう)
ニコロのスピーチを聞いた限りでは、再びとんでもなく落ちていそうだけれども。
そんな事を考えながら、うーん、と腕を組んでいると、
「それだけ渋っていたのに、よく今回は許可が出たよなぁ」
なんてグレイが感心したように言った。
それは確かにとフィガロも思った。マーヴェル達の提案を通したくないと考えているならば、何故許可が出たのだろうか。グレイと揃って首を傾げていると、
「ああ、それはな……。これまでシュテルンビルトへ向かった勇者一行は、誰一人帰って来なかった。つまりは、そう言う事で許可が下りたのさ」
マーヴェルが何とも言えない顔でそう答えてくれた。
彼女の言葉の意味を察してフィガロ達は絶句する。
今まで旅立った勇者一行は、誰一人としてアーネンコールへ戻っては来なかった。実際にはシュテルンビルトに定住したからではあったが、その報告はアーネンコールに届いていない。
つまり全滅したと同じ意味だ。
今回、勇者達が停戦の話を持っていったところで、誰も戻って来なければ、その話は立ち消えるだけ。
しかも「停戦を持ちかけても向こうが拒否した」という、それこそでっち上げが出来る。
だから話は進まない。意味がない。意味がない。しかも「こちらは妥協してやった」と停戦派に恩を売る事も出来る。都合が良いのだ、色々と。勇者一行が戻らない方が。
「ひっでぇなぁ……」
グレイが顔を顰めてそう言った。自国の人間をここまで使い捨てに出来るのかと、嫌悪感を露にしている。フィガロも同感だ。人は使い勝手の良い道具ではない。
感情を隠せない二人が顔に出して怒っていると、マーヴェルは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「それで今回、リヒトにその使者として同行してもらうつもりだったのだよ」
そしてそう続けた。彼女に言葉にリヒトへ視線が集まる。
「オルトノス教の神官がか? しかもルクスフェン様の神託を受けられるのに?」
オボロが目を丸くした。
神から神託を受ける事が出来る人間はそう多くない。気に入った人間に加護を与えるのと同じく、神託だって神は嫌いな人間には送らないのだ。
つまりルクスフェンから神託を受けたリヒトは彼女に気に入られている。だからこそアーネンコールの上層部からすれば惜しむ人材のはずなのだ。
にも関わらず許可が出た事を考えると、停戦に賛成する側の人間として厄介だと判断されたのだろうか。そう思っているとリヒトは胸に手を当てて、頷いた。
「ええ。あのような馬鹿げた取り決めで、若い命が摘まれる事など許せませんから」
「ああ。これまでの勇者達にはもう、詫びようがないが……せめて繰り返さないようにしたい」
二人は神妙な顔でそう言った。
(お二人も勇者が生きている事を知らないんですよね)
これは話した方が良いのではないだろうかと思い、フィガロがオボロを見上げると、彼は至極楽しそうな顔をしていた。
「ああ、勇者達か。寿命で死んでいる以外は、全員うちでのんびり暮らしているぞ」
そしてにっこり笑ってそう言うと、リヒトとマーヴェルは一度ぴしりと固まり、そして、
「……は!?」
と目を剥いた。
その様子にオボロはくつくつと笑っている。それを見てトバリは「魔王君、そういうところあるよねぇ」なんて感想を呟いた。
「……ほ、本当、か?」
「ああ。ま、戻るに戻れないと言っていたからな。この分だと口封じされそうだ」
「…………」
オボロの言葉にリヒト達はポカンとした後、肩の力が抜けたように「はは……」と笑った。
「ああ……」
リヒトの目から涙が一滴伝う。
「……良かった」
そしてぽつりとそう呟いた。彼の表情に安堵の色が浮かぶ。
フィガロ達がやって来た時からリヒトは難しい顔をしていた。最初は警戒しているのだろうなと思っていたが、リヒトはずっと、その事を後悔していたのかもしれない。もしかしたらフィガロの事も含めて。
「……ならば後はこんな馬鹿げた事を終わらせるだけです」
リヒトはそう言うとマーヴェルの方へ顔を向けた。
彼女も「ああ、その通りだ」と頷き返す。
それからマーヴェルはオボロの方を見て、
「オボロ殿。我々は、あなたに協力させていただく」
はっきりとした口調で宣言した。
フィガロは彼女の声に、先ほどとは少し違う、純粋な明るい感情の音を感じた。
マーヴェルの返答にオボロも満足そうに口の端を上げ、そして自身の右手を差し出す。
「感謝する。マーヴェル殿、リヒト殿」
「こちらこそだ」
マーヴェルもニッと笑ってその手を握り返した。
「ああ。今日の酒はまずいと思っていたが、まさかこんな事が起こるとは……ルクスフェン様に感謝を」
「あれだけ飲んでおいて、まずいも何もないでしょう」
「酔いが醒めたのでもう一杯行きたいところだよ」
「やめてください、誰が介抱すると思っているのです」
呆れたようにこめかみを押えるリヒトに、マーヴェルはカラカラと軽快に笑う。本当に先ほどよりも声色に熱が感じられる。
フィガロはそんなやり取りを見ながら、聞きながら「お、おおお……」と軽く慄いた。するとトバリが首を傾げて見下ろして来る。
「お嬢さん、どうしたの?」
「何かすごい場面に居合わせたなぁと思いまして……。私の魔族生での幸運、使い切っていませんかね」
「まぁ、そこはルクスフェン様の加護で補完されているから、まだあるんじゃないかな」
「ああっ! ルクスフェン様ありがとうございます……!」
トバリの言葉にフィガロは徐にルクスフェンへ祈り始めた。
するとグレイが目を軽く補足して、
「浮気者……」
なんて再び呟くものだから、思わずといった様子でオボロ達が噴き出したのだった。
◇ ◇ ◇
同時刻。
マーヴェルの部下であるリチェは、その上司の指示でとある人物の家を訪れていた。
今、アーネンコールで最も話題の、新進気鋭のピアニスト――ニコロ・ヴァイツの家である。
彼の住まいはアーネンコールの端にある、家賃や地代が比較的安い場所に建っていた。
高級そうな調度品もなく、玄関周りには枯れた植物の鉢植えが並んでいる。掃除はされているようだが、遠くから見ればまるで廃屋だ。
ここ最近の華々しい活躍とは裏腹に、意外と暮らしは質素なのだなとリチェは思った。
(……まぁでも、ここは元々フィガロさんの家だそうですけれど)
フィガロ・ヴァイツ。お腹が空いて動けずにいたリチェにジャムパンをくれた人だ。
リチェは彼女の事をよくは知らない。何ならピアニストだったと言う事も最近知ったばかりだ。
だけれど良い人だったなぁと思う。
リチェは食べる事が好きだ。だから食べ物で親切にしてもらった事は忘れない。
お腹が空いて悲しかった時にフィガロはリチェを助けてくれた。
たったそれだけ。たったそれだけだ。
しかし、たったそれだけが出来る人間が、そう多くない事もリチェはよく知っている。
リチェは貧困街で生まれ育った。
物心ついた時には親はおらず、同じ境遇の子供達と共に身を寄せ合って毎日を必死に生きていた。
お金もなく、学もなく。唯一持っていたのは馬鹿みたいな身体能力だけだ。
そのおかげで王都の外に生息する魔物を狩ったりして、リチェ達は何とか食べ物を得る事が出来ていた。
しかし逆に言えばそれは、リチェが動けなかったら満足に食べられない事を意味する。
今でこそ上司や同僚から戦闘狂だの何だの称されているリチェだが、子供の頃は今と比べるとずいぶん普通だった。
病気にだってなるし怪我だってする。寝込んでしまったら食べ物を得る事が出来ない。
お腹が空いても誰も助けてはくれない。自分の事は自分でしなければならない。
マーヴェルが自分の事を拾ってくれたおかげでリチェは今、自分も仲間達も満足に食事が出来るようになったが、その頃は本当に誰も手なんて差し伸べてくれなかったのだ。
とは言えリチェは別に恨んではいない。ただ悟っただけだ。指をくわえて持っていたって、何も変わらないという事を。
だから空腹で動けなかった自分に、何の躊躇いもなくジャムパンをくれた赤の他人は、リチェにとって本当に稀有な存在だったのだ。
(あの人を殺したらしいのが、ニコロ・ヴァイツ)
マーヴェルから聞いたが、彼はフィガロに拾われたらしい。
生活費を切り詰めてお金を貯めて、音楽学校にも通わせてもらっておいて、その恩人を刺殺するなんてどういう神経をしているのか。
リチェはマーヴェルに向けるほどの強い恩義をフィガロには感じていないが、自分に優しくしてくれた人が悲惨な目に合ったと聞いて、平然としていられるほど達観出来てはいない。
色々と考えていたら怒りがふつふつと湧いてきてしまったので、リチェはいったん深呼吸をして自分の気持ちを落ち着かせる。
いけない、いけない。こう言う感情は自分の目を曇らせるだけだ。
仕事中は抑えなければと自分に言い聞かせながら、リチェは玄関のドアベルを鳴らした。
「こんな時間にすみませーん! ニコロ・ヴァイツさーん」
そして家の中に向かってそう呼び掛ける。
少しして足音が近づいて来た。
「……はい、何でしょう?」
キィ、と軽い音を立てて、ドアが僅かに開く。隙間からニコロが怪訝そうな顔を見せた。
居留守を使われなかった事は良かったと思いながら、リチェはにっこり笑顔を浮かべる。
「こんばんは、ニコロさん! 私、マーヴェル・オルロックの部下で、リチェと申します」
「ああ、マーヴェルさんの」
上司の名前を出したら、ニコロの警戒心が少し薄れたのが分かった。
彼は先ほどよりも大きくドアを開くと、にこりと笑みを浮かべる。
「遅くまでお勤めご苦労様です。僕に何かご用事でしょうか?」
「はい! 実はですねぇ、マーヴェルさんが依頼した曲の楽譜の件なんですよ」
「楽譜ですか?」
「はい。あの楽譜を寄贈していただけないか、と別の者から依頼がありまして」
「寄贈……ですか」
「あの曲がとても素晴らしくてですね。きっとルクスフェン様もお喜びになるに違いないと仰っておりまして。女神様に捧げるために教会に置きたい、との事なんです」
にこにこと笑顔を崩さずリチェは話す。
「……どなたからのご要望ですか?」
「オルトノス教の偉い人ですね」
「なるほど……」
リチェの言葉にニコロは少し考える素振りを見せた。
損得を考えている――というより、たぶん保身について考えているだろうなとリチェは思っている。
リチェがマーヴェルから指示された事は「ニコロ・ヴァイツから楽譜を手に入れる」事だ。
その理由は、楽譜に残された筆跡を調べるためである。
ニコロは「自分の曲をずっとフィガロに奪われていた」と言っていた。
フィガロが死んだ事件の原因も曲が絡んでいる。
マーヴェルはニコロが加害者側だと考えているようだが、如何せん証言や証拠が足りない。そこで楽譜の筆跡鑑定をしたらどうかと考えたようだ。
幸いニコロは王都の音楽学校に通っていた。学校への提出物等を探せば、彼が実際に書いたモノが見つかるだろう。
逆にフィガロの楽譜はこの家の中に保管されている。
(捜査に来た人から聞くと、かなりの量の楽譜があったみたいですもんねぇ)
しかも作成順に、棚にきちんと並べてあったそうだ。その辺りから几帳面な性格が伺える……のだが。
フィガロがそこまできちっとした性格だったかは、正直なところリチェにもマーヴェルにも分からない。
そして、もしその楽譜全てがニコロによって書き換えられていたとしたら、筆跡を鑑定してもニコロが書いたとの結果が出るだけだ。
(だけどマーヴェルさんが依頼した曲の楽譜なら)
あれにはフィガロ・ヴァイツの血がついている。
そしてニコロは大衆の前で、その楽譜を大事に抱えて「弾き続ける」と宣言した手前、これに関しては書き換える事が難しい。イメージに関わるからだ。
少なくともニコロは、そう言うパフォーマンスをする程度には、周囲からの評判を気にしている。
で、あれば、あれだけは何も手を加えられていない楽譜のはずだ。
(……悩んではいる風ではあるけれど、ニコロ・ヴァイツがそれを手放す事は、まずない)
フィガロの死からニコロについて色々調べてはいるが、彼は相当用心深い性格だ。
自分が犯人である事に繋がる大事な証拠を手放す事はまずないだろう。
だからリチェは最初に「寄贈して欲しい」と、彼にとって一番難しいであろうお願いをしたのだ。
本来の要求を通しやすくするために。
「難しいお願いなのは重々承知しております。……ですから寄贈ではなく、少しの期間だけお借りする形でお願いしたらどうかと、マーヴェルさんがその者に提案したのです」
「少しの期間ですか?」
「はい。実は楽譜を置きたいと望んだのは、明日旅立つ勇者一行の旅の無事を女神様に祈るためなのです。ですから一週間だけ。一週間だけお借り出来ないか、と。今回の旅には王都の教会を任されているリヒト神官も同行しますから、教会側としては心配で仕方ないのでしょう」
「…………なるほど」
リチェが話をしている間、彼はずっとリチェの目を見ている。このお願いに裏がないかを探っているようだ。
さあ、どう出るか。リチェがそう思いながら聞いていると、
「……分かりました。一週間だけならばお貸ししましょう」
ニコロはそう頷いた。
リチェはにっこり笑って「ありがとうございます!」とお礼を言う。
そんなリチェに対して、ニコロは「ただし」と付け加える。
「教会へは僕が直接お渡しします。……大事なものですから」
そしてニコロもにこりと笑う。
……なるほど、やっぱり用心深い。リチェはそう思いながら、
「分かりました! ではその時、私も同席しますね。私、うっかりが多いので、ちゃんと見届けてから報告しないと、マーヴェルさんから怒られちゃうんですよ~」
と言った。
まぁ、これは想定していたやり取りだ。しかしあながち嘘というわけでもない。
リチェは戦闘狂と言われるようになったくらい、誰かと戦う事が好きだ。けれども、その戦いに夢中になり過ぎると、リチェは色々と疎かになってしまう。要は頭からスコンと抜けてしまうのだ。
先日のシュテルンビルトからの使者との戦いでもそうだった。相手から面白い情報を聞かなければ、マーヴェルの指示を忘れるところだった。
(あの獣人さん強かったな~、また戦いたいな~)
そんな事を思い出しながら、ニコロの反応を見ていると、
「……ええ、もちろんです」
彼はひとまず了承してくれたようだ。
若干、不満気な雰囲気も感じるけれど。
「それでは受け渡しは明日になりますか?」
「はい。勇者さん達が旅立つ時にも祈りたいそうですから。出発時間は朝の六時過ぎなんですが……大丈夫ですかね?」
「ああ、はい。朝は強いので。それではその時間より前に、教会へお届けしますね」
「よろしくお願いします!」
――とりあえず約束は取り付ける事が出来た。
何とか自分の仕事をやり遂げる事が出来たリチェは、表情こそ崩さないものの内心ホッとしながら、
「それでは、また明日。遅い時間にすみませんでした」
「いえいえ。おやすみなさい」
「おやすみなさい!」
なんて挨拶を交わして、リチェは背中を向けて歩き出す。
背中にしばらく、刺すような視線を感じていたが、リチェは慣れっこである。
(……見事に敵認定されてますねぇ)
楽譜を一時的でも手放すのが相当嫌なのだろう。
そんな事を考えながら、リチェはマーヴェルがいると聞いている時計塔へと向かった。




