20 時計塔
夜空を飛んでしばらく経つと、徐々にアーネンコールの街並みが見えて来た。
アーネンコールの街の明かりは、まるで宝石のようにキラキラと輝いている。この高さから故郷を見た事がなかったフィガロは「うわぁ……!」と感嘆の声をあげた。
二十五年も暮らしていて、この街がこんなに美しかった事にフィガロは今初めて気が付いた。自分がいかに狭い世界しか見ていなかったのが良く分かる。
「トバリ様、ありがとうございます」
「うん? 僕、お嬢さんにお礼を言われるような事したっけ?」
「はい、今まさにしていただいていますよ。空からアーネンコールを見る事が出来るとは思いませんでした。すごく綺麗です!」
「あはは。そっか、それは良かったよ。それにしてもお嬢さんは素直だねぇ。騙されないように気を付けなね」
トバリは小さく笑ってそう言った。
何となく子ども扱いをされているような気がしたが、神からすれば二十五年程度しか生きていない人間なんて子供――下手をすると幼児くらいの感覚なのかもしれない。そう言えばルクスフェンもそんな雰囲気でフィガロの相手をしてくれていた。
そんな事を考えていると、トバリが不意に「ん?」と小さく呟いて空を見上げた。
「え? あ、はい。……はい。ああ、なるほど。了解です」
まるで誰かがいるように、トバリは空に向かって話をしている。
一体どうしたのだろうかとフィガロが見ていると、少しして会話は終わったようで、トバリがオボロの方へ顔を向ける。
「魔王君、ちょっといい~?」
「あ、はい。何でしょう?」
「ルクスフェン様が、アーネンコール側の人間に僕達が来る事を伝えてあるから、時計塔まで飛んで欲しいって」
「えっ、ルクスフェン様が?」
オボロは目を丸くした。彼が手で掴んでいるグレイもポカンとした表情になっている。
彼が驚いているのはルクスフェンから伝言があった事――ではなく、彼女の手助けがあった事についてだろう。
神は基本的にそういう事をしないのだ。トバリの場合は例外だが、本来であれば手助けをするにしても、もう少し距離を取って行うのが普通なのである。
「それは……こちらとしてはありがたいですが、問題はないのですか?」
「ん~、今回はちょっと、こちら側の理由があってね」
オボロの質問に、トバリは若干言葉を濁しながらそう答えた。彼の様子から察するに、どうやら神々にとって何か都合の悪い事が起きたのだろう。
何があったのかは気になるが、神の問題に首を突っ込んでも碌な事にならないし、そもそも何か出来るわけでもない。
ついでにフィガロは転生前に、モントシュテルとルクスフェンのやり取りを聞いているので、知らない方が心が穏やかでいられるだろうな、なんて事も思っていた。
だって加護を与えすぎると弾けるとか恐ろしい事を言っていたのだ。それが事実であっても、世の中には知らない方が良い事だってある。とりあえず弾けなくて良かったな、とフィガロは安堵している。
――のだが。
ルクスフェンから加護をちょっと多めに与えられているフィガロなので、弾けて消える可能性は消えているわけでもないのだが。知らぬが花とは正にこの事である。
「なるほど……。分かりました、ありがとうございます」
「となると俺は来なくて良かった感じっすかね?」
「まぁ、今分かったんだから、どの道連れて来ていたよ」
「そっすか。じゃ、じゃあ……用事がないなら、あのぅ……」
「ダメ。単独行動はダメ。絶対ダメ」
グレイがソワソワした様子で何かを言いかけ、即座にオボロから却下されていた。
ガーン、とグレイはショックを受けた顔になる。
「ほ、ほんのちょっとだけ!」
「ダメ。後にしなさい」
「ええー、せっかく来たのによぉ……」
「グレイさん、アーネンコールに何か用事があるんですか?」
あまりに残念そうだったのでフィガロは聞いてみた。するとグレイは頬をポッと赤く染めて、
「い、いや~、用事って言うかぁ」
なんてもじもじし始める。子狼サイズだから可愛いが、これが実際の大きさだったらちょっと怖いなと、フィガロは内心失礼な感想を抱いた。
しかし、この様子だともしかして、色恋沙汰関係ではなかろうか。そう思って見ていると、
「お前の恋路はどうでもよろしい。ところで、ほら、目的地が見えて来たぞ」
オボロがにべもなく切り捨てた。なかなか容赦のない魔王である。
グレイの恋路についてはフィガロも興味はあるが、今の目的はそれではないので、そうであるなら後回しだ。
しょんぼりするグレイにほんのり同情しながら、フィガロは時計塔の方へ顔を向ける。
(時計塔……何度か上った事があったなぁ)
アーネンコールの時計塔は、古い時代から変わらず、王都の中央に建っていた。
両親が健在だった頃、フィガロも一緒に上った事がある。懐かしいなぁと思いながら眺めていると、ふと、一番上にある展望台に影が二つ並んでいるのが見えた。
二人組の男女だ。妖精は意外と夜目が効く種族のようで、顔まではっきりと分かる。
(――あ)
フィガロはポカンと口を開けた。見覚えのある顔だったからだ。
ルクスフェンの言葉通り、そこで待っていてくれたらしい。
「いたな」
オボロも口の端を上げてそう言う。
時計塔の展望台。
そこにいたのはアーネンコールの役人マーヴェルと、オルトノス教の神官リヒトだ。
◇ ◇ ◇
時計塔に到着すると、フィガロ達は展望台に下りたりせず、その手前の空中で一度止まった。
その位置からだと月を背にマーヴェル達を見下ろす形になる。
フィガロが転生前に魔王に抱いていたイメージからすると、実にらしいなと思った。
(あ、良い曲が浮かびそう)
シュテルンビルトの魔王とアーネンコールの人間。月の光に照らされて出会った両者。
思わず曲想が浮かびかけて、フィガロの指がぴくりと反応する。
……まぁ、グレイの手前、さすがに止めておくけれど。
さて、そうしていると、マーヴェル達が手に持ったグラスを床に置き、すっと立ち上がった。
「やあ、こんばんは。月の綺麗な夜だね。シュテルンビルトの魔族諸君」
まず口を開いたのはマーヴェルだった。赤い髪を風に揺らしながら、彼女はにこりと笑みを浮かべて話しかけて来た。
目の前に魔族が現れたにも関わらず、実に堂々とした態度である。ルクスフェンから話を聞いて、やって来る事は知っていただろうけれど、それでもここまで動揺を見せない姿は格好良かった。
これがもしフィガロだったら、青褪めて逃げ腰になっていた事だろう。
そんな事を考えながらフィガロは彼女の隣に立つリヒトへと目を向けた。マーヴェルが作曲の依頼を打診しに来た時に一緒に来ていたオルトノス教の神官だ。
見ていると、ふと、彼と目が合った。
彼は魔王よりもトバリやフィガロの方が気になるようだ。こちらへ視線を向けたまま動かない。
オルトノス教の神官なので神の気配には敏感なのだろうなとフィガロは思った。
トバリは眠りの神だし、フィガロもルクスフェンの加護をもらっている。だからこそ、何かしら察するものがあるのだろう。
「ああ、実に良い月夜だ。こんばんは、アーネンコールの諸君」
さて、フィガロがそんな事を考えていると、今度はオボロが堂々とそう返した。
どっしりとして落ち着いた様子の彼に、普段よく見る疲労困憊の姿はない。
どちらも表情一つ崩さない辺り、ずいぶん場慣れしているなぁとフィガロは思った。
「ルクスフェン様から神託をいただいたが、君達の事で会っているかい?」
「ああ。こちらもルクスフェン様からお話をいただいている。アーネンコールのマーヴェルというのは、そちらで会っているか?」
「おや、私をご指名か。嬉しいね。ああ、そうだ。私がマーヴェルだよ」
オボロが確認するように聞けば、マーヴェルが胸に手を当てて頷いた。
するとオボロからちらりと視線を向けられた。合っているか、と聞かれているようだ。なのでフィガロも頷いておく。
その短いやり取りに、マーヴェルとリヒトの目が少し細くなった。行動の意図を探っている様子だ。
(これが駆け引きという奴かなぁ)
自分では絶対に真似できない芸当だなぁとフィガロは思った。
「話をする前に、まずは自己紹介をしておこうか。私はオボロ。シュテルンビルトの魔王だ」
「……!」
オボロが名乗った途端にマーヴェルとリヒトが目を見張った。どうやらルクスフェンは誰がやって来るかは伝えていなかったようだ。
「それは失礼した! 何分、今の代の魔王の顔を見た事がなかったのでね!」
はっはっは、とマーヴェルは明るく笑う。先ほどよりも声に張りを感じた。恐らく無理に明るい声を出しているのだろうとフィガロは察する。
人は言葉で嘘を吐けるけれど、声を偽る事は意外と難しい。ほんの小さな変化だとしても、それを察する事が出来るくらいずっと、フィガロは音楽の中で生きて来た。
(……なんて、それが日々の生活に役立つ事は、あまりなかったんですけれども)
何ならニコロの変化にも気が付かなかったくらいだ。どうにも自分の特技は、人生に生かし辛いなぁとフィガロはこっそり肩をすくめた。
「……二つ、確認させていただいてよろしいですか?」
そうしていると、今まで黙っていたリヒトが軽く手を挙げた。
「ああ、どうぞ」
「そちらにいらっしゃるのは、眠りの神トバリ様……でしょうか?」
「そうだよ~。こんにちは、神官君」
リヒトの質問に、トバリはにこっと笑って軽く手を振った。相変わらずフレンドリーな神様である。
するとリヒトは胸に手を当てて跪いた。
「ああ、やはり。お目にかかれて光栄です、トバリ様。オルトノス教の神官のリヒトと申します」
「ルクスフェンに聞いていたけれど、君は真面目な子だね~。いいよいいよ、もっと気楽で」
「いえ、そう言うわけには……」
「ほら、僕なんて信者が少ない神様だからさ。そんなに仰々しくなくて大丈夫」
ついでにトバリは自虐のような事まで言い出した。
何となくこれは嫌だな、とフィガロは思ったので、
「トバリ様、信者ここにいますよ!」
なんて手を振ってアピールしておいた。
するとトバリは「おや、そうだった」と楽しそうに笑う。
それを見てオボロが目を丸くする。
「ルクスフェン様の信者じゃなかったのか?」
「信仰心に一柱限りという決まりはありませんし」
「浮気者……」
「グレイさん?」
胸を張って答えたフィガロに、グレイがぼそりとそう呟いた。
フィガロが解せぬ、と言う顔になっているとトバリが楽しそうに笑って、
「ま、神にも色々いるからね。僕は嬉しいよ」
と言った。本当に気さくな神様である。
さて、そんな話をしていると、
「では、もう一つ」
リヒトがそう言って、今度はフィガロの方へ目を向けた。
「ルクスフェン様の加護を持って生まれた者が、シュテルンビルトにいると伺いました。もしや、トバリ様の手の上の妖精がそうではありませんか?」
そしてそう問われた。やはり気付かれていたようだ。
ただ、この質問への返答は事前に決まっている。アーネンコールへ向かう道中で、フィガロの事情について問われた時にどう答えるかを、オボロと相談して決めていたからだ。
「オボロ様」
「いいよ」
フィガロが念のため確認すると、彼は軽く頷いた。
ならばとフィガロは立ち上がり、背中の翅を動かしてトバリの手から浮かび上がる。
「そうです。先日妖精になったばかりのフィガロと言います。こんばんは、お二方」
「――――、やはり……」
リヒトとマーヴェルは目を見開いたが、オボロの時よりは驚きが小さい。
グレイがアーネンコールの人間に「ルクスフェンの加護持ちが生まれた」という話をしていたらしいので、可能性は感じていたのだろう。
「フィガロ・ヴァイツ……ですか?」
リヒトはもう一歩踏み込んで、そう聞いて来た。
「はい」
「……そう、ですか」
フィガロが頷くと、リヒトは痛ましそうな顔になった後、胸に手を当てて頭を下げた。
突然の行動にフィガロが目を丸くしていると、
「私があなたを推薦したばかりに……あのような事件が起きてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
リヒトはそう謝罪を口にした。
「え、あ、えっと……?」
「それならば私もそうだ。私が最終決定を出し、君に依頼をしたために、命を落とす事になってしまった。……すまなかった」
「ひいっ、マーヴェルさんまで!?」
フィガロがあたふたしていると、マーヴェルにまで頭を下げられてしまった。
居たたまれない。これは本当に居たたまれない。
だってフィガロの死因にこの二人は関係がないのだ。フィガロを刺したのはニコロであり、その理由は今も分からないが、どう考えてもフィガロとニコロの問題である。
「いやいやいや、か、顔を上げてください! 作曲の依頼をいただいたのは、とても嬉しかったんですよ!」
「だが……!」
「本当に! 本当に嬉しかったんですよ!」
フィガロは大慌てになりながら、両手を身体の前でぶんぶん振る。
それから少しだけ間を空けて、右手の指で頬をかいて、
「私、ずっと音楽やって来ましたけれど、全然芽が出なくて。自分の音楽を好きだと言ってもらえて、嬉しかったんですよ。だから謝らないでください。そもそもお二人のせいじゃないんですから」
笑いながらそう言った。
「……君は、人が良いんだな」
「あははは……どうですかねぇ」
「うーん、変なツボを買わされそうなくらいには、人が良さそうだなって僕も思うよ」
「トバリ様!? これでも生前、変なツボは買っていませんよ!?」
「買うお金がなかったんじゃない?」
「うぐう、その通りです……!」
トバリにはすっかり見抜かれている。神様だからとかそう言う事ではなく、単純にフィガロが分かりやすいからだろうが。
そんなやり取りをしていると小さく噴き出す声が聞こえた。声の方へ顔を向けるとマーヴェルとリヒトがくすくす笑っている。二人の表情は最初の頃よりも自然なものになっていた。
それを見たらフィガロの顔も緩んで、へらり、と笑う。
「……あ、そう言えば。そのご様子だと、私がニコロの曲をどうこうって言う話、お二人は信じてらっしゃらない?」
「ルクスフェン様に気に入られている者が、他人の曲を奪うなどありえませんよ」
「――――」
自分を信じてもらえる事は、こんなに嬉しいのかとフィガロは思った。
それを実感したら胸が熱くなって来て、
「そ、そうですか、へへへ……」
照れながらそう笑っていると、トバリ達から微笑ましそうな眼差しを向けられてしまった。
だが、いいのだ。嬉しいからいいのだ。フィガロがそう思っていると、
「……さて、自己紹介は済んだな。それでは、本題に入ろうか」
オボロが笑みを浮かべて、そう切り出した。




