19 それぞれの夜
その日の夜、目を覚ましたフィガロは自分の身体が揺れている事に気が付いた。
顔にはひんやりとした風も当たっている。窓でも開いているのだろうかとぼんやり思いながら目を開けると、真上にトバリの顔が見えた。
どうやら自分は彼の手のひらの上で寝ていたらしい。
(はて、何故トバリ様の手の上に……?)
フィガロが意識を失ったのは魔王城だった。
倒れている人を放置するような魔族達ではないので、見つけたらベッドか何かに運んでくれると思うのだが、何故か自分はトバリの手のひらの上。
寝起きではっきりしない頭で考えていると、ふと、トバリの顔の向こうに満天の星空が広がっている事に気が付いた。天井が無い、つまりここは屋外だ。そう思ったらヒュウヒュウと風を切る音も聞こえ出す。
(何でまた外に……?)
状況がよく分からないままフィガロが身体を起こすと、その動きに気が付いたトバリがこちらへ目を向けた。
「あ、起きた? こんばんは、お嬢さん」
「こんばんは、トバリ様。おかえりなさい?」
「あはは、ただいま。……なんだけど、ちょっと今、外出しているところなんだけどね」
「はぁ、外出ですか……」
フィガロは首を傾げながら周囲を見回した。
よく見れば自分達の周りには建物も、植物も何もない。何にも遮られない夜空が広がっている。
そこでフィガロはもしかして、とトバリの手を這って移動し顔を出す。するとずっと下の方に、地上の景色が広がっているのが見えた。
どうやらトバリは空を飛んでいるらしい。フィガロも妖精として転生して飛行が可能になったが、この高さはまだ無理だ。
あまりに高くて思わず「ひえ」と軽く悲鳴が出る。それからフィガロはトバリを見上げた。
「ど、どちらへ向かわれている最中ですか?」
「アーネンコールだ」
トバリに尋ねたら、別の声が頭上から降って来た。
あれっと思って声の方へ顔を向けると、そこには魔王オボロがいた。ただいつもと姿が違っていて、背中にカラスのような黒い翼が生えてバッサバッサと動いていた。ついでにオボロは何故か片腕に子犬らしきものも掴んでいる。
状況がイマイチ理解出来ないながらも、とりあえずフィガロは挨拶する事にした。
「あ、こんばんはオボロ様。翼があったんですね」
「こんばんは。 ……ん? ああ、これか。これは魔法で使い魔を変化させているんだ」
「へ~、使い魔ってそんな事も出来るんですねぇ」
「うーん、ま、特殊な使い方だと思うよ」
フィガロが驚いているとトバリから補足が入った。どうやらオボロのやっている事は普通の事ではないらしい。何となくこの人も、マッドに足を踏み入れている気がすると思っていると、
「おう、お前! さっきはよくも妖精攫いなんて言ってくれやがったな!」
オボロが掴んでいる子犬がキャンキャンとそう吼えた。何となく聞き覚えのある声のような気がするが誰だっけ、と考えながらフィガロは質問する。
「どちら様で?」
「グレイだ!」
「グレイ……誰だっけ……」
名前も聞いた事がある気がするが、どうにも思い出せない。フィガロが「うーん?」と首を傾げていると、
「獣人のグレイだ! 今朝会っただろう!」
子犬はそう怒鳴った。そこまで言われて、ようやくフィガロの頭の中に該当の人物が浮かんで来た。突然現れてフィガロを掴んで振り回した獣人だ。ああ、とフィガロは合点がいってポンと両手を合わせる。
「思い出しました、思い出しました。……でも、何か小さくなっていませんか?」
「ああ、一時的に魔法で小さくしたんだ。運び辛いからな」
「小さくした……?」
少々理解が追い付かないが、フィガロは魔法の知識には明るくない。だからそういう魔法があってもおかしくはないのだろう。魔法ってすごいなぁとフィガロが思っていると、
「ま、普通は出来ないよねぇ」
トバリがぼそりとそう呟いた。やはりこの魔王はマッドなんだなとフィガロは確信した。
「って、違う! そうじゃなくてだな、おい、妖精!」
「フィガロです」
「そうだ、フィガロ! あー、えっと、その……だな。……ぶ、ぶん回して悪かった」
「…………」
「何で目を丸くしているんだよ?」
「いや、あまりに意外だったので……。……ふふ、あはは。はい。こちらこそ妖精攫いなんて叫んですみません。食されると思ったので、つい」
「ああ。妖精はまずいらしいから、俺達は喰わねぇんだ」
「……美味しいと感じる種族もいるので?」
「…………」
恐る恐るフィガロが聞くと、三名から無言の肯定が返って来た。
世の中は常に弱肉強食。自分だって肉を食べる分、いつそうなってもおかしくはない。それはフィガロだけではなく、オボロやグレイにも言える事だろう。
とは言えその事実はフィガロには刺激が強過ぎたので、ひい、と青褪めながらトバリの手に縋りついた。
「と、ところで、アーネンコールへ向かっているんでしたっけ?」
「そうだ。例の計画を少し早める事になってな」
「あー、マーヴェルさんに会うと言う?」
「そうそう。グレイがそいつの知り合いに会ったらしくてさ。その匂いを覚えているって言うから、そいつを捕まえて案内してもらおうと思って」
「めちゃめちゃ物騒な方法ですね」
「潜入する時点で平和的な方法じゃあないからな。仕方ないよな」
軽い調子で話すオボロに、グレイも大きく頷いている。
もしかして魔族としてはこれが普通の考え方なのだろうか。人間の時と記憶が地続きとは言え、今のフィガロは魔族である。ならば郷に入ったら郷に従えだ。これに慣れて行かなければいけないんだなぁとしみじみ思った。
「私が一緒に来た理由って……」
「依頼人の前で例の曲を演奏してもらおうと思ってな。弾けるだろ?」
「あ、はい。もちろん弾けます」
「よし。急に現れた妖精が楽譜無しで完璧に弾けたら、あちらさんとしては『これはどう言う事だ』ってなるだろうからな。グレイが事前情報を入れているし」
「そうなんですか?」
「ああ~、ちょ、ちょっとな!」
フィガロが目を丸くしていると、グレイが少々気恥しそうな様子でパッと顔を逸らした。
グレイが気になる子にアピールするための話題として使った――という事を知らないフィガロからすると、彼の反応がよく分からない。
事実を知るオボロは生暖かい目を向けて、何となく察したらしいトバリはくつくつ笑っていたが。
「まぁそんなわけで、アーネンコールに向かっている。勝手に連れて来て悪いな」
「いえいえ。里帰りみたいなもんでしょうし」
「お嬢さんが新しく生まれたのはシュテルンビルトだけどねぇ」
「そうでした。……何か不思議な感じになりますね、これ。故郷が二つあるみたいな感じになりますよ」
「それはいいね」
フィガロの言葉にトバリは楽しそうに口の端を上げた。
そんなやり取りをしながら四人は夜空を飛ぶ。
アーネンコールの建物の光が見え始めたのは、それからしばらくしてからの事だった。
◇ ◇ ◇
一方その頃、月が綺麗に見えるアーネンコールの時計塔の最上階に、オルトノス教の神官リヒトはいた。友人のマーヴェルに呼び出されたのだ。
理由はリヒトがシュテルンビルトへ出立する前に、どうしても一緒に酒が飲みたいと誘われたからだ。
マーヴェルに酒に誘われるのはよくある事だ。
神官だからとお堅く見られがちなリヒトだが、お酒は好きだし、何なら結構な酒豪である。
なので酒を飲もうと呼ばれる事は好きな方だが――今日の場合は少しだけいつもと違う意味があった。
リヒトは明日、勇者達と共にシュテルンビルトへ出立する。
と言っても目的は魔王討伐ではない。アーネンコールとシュテルンビルトの長い争いに終止符を打つため、話合いの場を設けたいと提案しに行くのだ。
(勇者か……)
ふと、リヒトの頭に今回の勇者達の顔が浮かぶ。
先日のパーティーの際に彼らは皆、それぞれに不安そうな気持ちを隠して、必死で笑顔を取り繕っていた。
それはそうだろう。だって彼らは別に、自らが望んでそうなったわけでもないのだから。
勇者がどのようにして選ばれるかと言うと「この国で一番伸びしろがありそうな若者は誰か」を神に問い、その返答を聞いて勇者に就くよう国が依頼する、という流れだった。
これは神託ではなく、王家に伝わる魔法の一種である。
しかし本来の使い方ではない。
何冊も書物を読み調べたところ、本人が持つまだ知らない特性を見つけるために考えられた魔法だ。いわば可能性を見つけるためのーー未来のための魔法だった。
それが長い時間の間に変化し、政治的な利用をされたがために、こんな状態となっているのである。
(……権力を持つ人間とは本当に、都合よく人の命を使う)
そんな事を思い出してリヒトが若干苦い顔になっていると、
「あっはははは! どうしたんだい、手が止まっているじゃないか。もっと飲みたまえよ、リヒト!」
隣に座ったマーヴェルが、リヒトの背中をバンバン叩いて、笑いながらそう言った。
意外と強い力で叩かれたものだから、リヒトが思わず咽ながら、じろりとマーヴェルを軽く睨む。
「飲んでいます。と言うかあなたね、倍のペースで飲むんじゃありませんよ」
「酔わなきゃやってられるかーい! あっははは!」
「この酔っ払いは……」
隣で酔っぱらって、けらけら笑うマーヴェルを見てリヒトは深くため息を吐く。
つい先ほど飲み始めたばかりなのに、もうこんな調子である。
マーヴェルも酒には強い方なのだが、今日は飲むスピードが速いのであっと言う間に酔っぱらった。
まったく……と事を思っていると、またグラスが空になる。
リヒトは思わず呆れ顔になったが今日ばかりは、いつものように注意する気にはなれなかった。
彼女がこんなに飲んでいる原因が、自分にあるという事を察しているからだ。
リヒトは勇者達と一緒に向かう先は、長い間争いを続けている隣国シュテルンビルトだ。
けれども目的は争いを止める事。だから本来そうしろと与えられた役割である魔王討伐については、やる気がない。これは仲間の勇者達も了承している事だ。
リヒト達は戦わない。けれどもシュテルンビルトはそれを知らない。
あちらからすればリヒト達は、魔王を殺しに来た暗殺者である。生易しい対応をされる事はないだろう。
何せ今までシュテルンビルトへ向かって、帰って来た勇者は一人もいないのだから。
生きて帰れるかどうかは分からない。リヒト達が置かれた環境はそう言うものだ。マーヴェルもそれを十分に理解している。
その上で彼女はリヒトに使者としての役割を依頼し、リヒトもそれを快諾した。
――しかし。
けれども、そうだとしても、友人を死地へ追いやると言う事は、彼女の中では相当なストレスになっているのだろう。
マーヴェルが精神的に強い人間なのは、付き合いが長いリヒトは知っている。しかし彼女が非情になり切れない事も、また良く知っているのだ。
(まぁ、帰る前に酔い覚ましの魔法でも使えば良いか……あれを使うと二日酔いが酷くはなるんだが)
明日は寝不足になりそうだが、こうなったらとことん付き合うか。
そんな事を思いながらリヒトも酒を飲んだ――その時。
『リヒト、リヒト。聞こえるかしら?』
リヒトの頭の中に、敬愛する音楽の神ルクスフェンの声が響いた。ハッとしてリヒトは空を見上げる。
「どうしたんだい?」
「ルクスフェン様からの神託が」
「!」
すると今までだらしない様相だったマーヴェルも顔を引き締める。
シュテルンビルトへ向かう前日に女神からの神託である。これは何かあると考えて良いだろう。
さらに先日亡くなったフィガロ・ヴァイツの件もある。マーヴェルの部下が持って来た情報から考えると、アーネンコールに生まれたルクスフェンの加護持ちは彼女の可能性があるのだ。
それらを踏まえると、この神託に対して悪い内容なのではないかと危惧するのは無理もない。
リヒトだって呼びかけられた時はそう思った。
――しかし、その直後に聞こえた言葉は意外なものだった。
『これからね、あなた達に会って欲しい子達がそちらへ行くの。だからね、だからね、そこでちょっと待っていてね』
「……はい?」
リヒトの予想に反して楽しそうな女神の声に、思わずそう聞き返してしまった。
それを見てマーヴェルが少し首を傾げる。
「ルクスフェン様は何と?」
「いや、私とマーヴェルに会って欲しい人達がいるから、ここで待っていてくれと」
リヒトが答えるとマーヴェルも同じように「はい?」と言った。
ルクスフェンからの信託はリヒトも何度か受けた事があるが、こういう形は珍しい。
一体、リヒト達と誰を会わせようとしているのか――。
「……ちなみにいつまで待てと?」
「ちょっとだそうです」
「神々のちょっとか……」
マーヴェルが困った顔になる。
神々は自分達とは時間の流れが違う。なので、そのちょっとが今日になるか明日になるか、はたまた数か月先になるか分からないのだ。
しかし女神からのお願いを聞かないわけにはいかない。この世界は神によって守られている。だからこそ、神からのお願いは何よりも優先するべき事なのだ。
「……まぁ、待つしかないか」
なるべく早く来て欲しいのは確かだが、ルクスフェンが会って欲しいと頼むくらいには気にかけている者達だ。
こうなったら明日の出立をずらすか、自分だけ後から追いかけるという事になるだろうが、こればっかりは仕方がない。
リヒトは覚悟を決めて待つ事にした。
「まぁ、飲むか」
「ほどほどにしてくださいよ」
「今のでちょっと酔いが覚めたよ」
そんな話をしながら、先ほどよりも飲むペースを落として。




