18 妖精攫い(仮)
翌朝、フィガロが目を覚ますと、そこにトバリの姿は無かった。
その代わりに『少し出かけて来ます』との書置きが残されている。律儀な神様だなぁと思いながらフィガロは起き上がると、身支度を整えて部屋を出た。
向かう先は食堂だ。魔王城に住んでいる者達は、大体そこで食事をするのである。
食堂に近付くにつれて、コンソメスープの美味しそうな香りが漂ってきて、フィガロの鼻腔をくすぐった。
コンソメスープはフィガロの好きな料理の一つだ。
特にこの魔王城のコンソメスープは、野菜もソーセージもたっぷり入っている上に味も美味しい。
……まぁ、妖精の身体からすれば、大体の料理は具沢山に見えるのだけれども。
正直、フィガロはこの身体になって一番良かったと感じたのは、食事の時だった。人間であった頃は生活がなかなか大変で、お腹いっぱい食事をするなんて事はそれほど多くはなかった。
お腹が空くというのは、とても悲しい気持ちになる。やる気や活力も、日中を走り回る元気も、空腹には勝てずに萎んで行く。だからお腹いっぱい食べられる今がとても幸せだ。
「コンソメ~コンソメス~プ~おいし~いス~プ♪」
ふんふんと鼻歌を歌いながら翅をパタパタ動かし飛んでいると、
「あっ、いた!」
不意にそんな声が聞こえて、
「ん?」
がしっと、コップを持つように身体を掴まれた。
「何事っ!?」
突然の事態にぎょっと目を剥くフィガロ。
顔を上げるとそこには狼のような姿の男がいた。大きな口の隙間からは鋭い牙が見える。
恐らく獣人だろう。さすがにここまで特徴がはっきりしていれば、魔族の種に疎いフィガロにだって分かった。
「よう、妖精! 悪ィな! ちょいと用事があるんだぜ!」
獣人は元気にそう言うと、フィガロを掴んだままどこかへ向かって、大きな歩幅でずんずんと進んで行く。
遠ざかる食堂。初対面の獣人。呆気に取られていたフィガロだが、慌てて彼に問いかける。
「どちら様!?」
「獣人のグレイだ、よろしくな!」
「あっ、これはどうも。フィガロです……って、いやいやいや、あの、一体何ですか!?」
「用事だ!」
「簡潔な答えしか返ってこない……ッ!」
「安心しろ、大人しくしていれば悪い様にはしねぇよ」
「悪人の台詞だ……」
思わずフィガロは頭を抱えた。質問に対して返答があるだけマシだろうか。
どちらにせよ、この人攫いもとい妖精攫いの用事が何なのか、まったく見当がつかない。いつもであればトバリが傍にいてくれるので助けを求められるのだが、如何せん今は一人だ。
フィガロはだらだらと冷や汗を流しながら、必死で頭を回転させる。
(魔法を……ああっだめだ、あれは癒す方だから、止める手段にはならない! となるとどうすれば、動かせるのは頭と手だけ……ハッ!)
そこでフィガロは気が付いた。
一番、手っ取り早い方法は、魔法でも何でもなくて自分がすでに持っていた事に。
それに気づいたフィガロの行動は早かった。
まずは大きく息を吸い込む。
そして、一拍の間を開けて、
「妖精攫いだぁーー!!」
腹の底から声を出し、フィガロは叫んだ!
例え妖精と言う小さな身体だとしても、音というモノにずっと触れて来た音楽家の、渾身の叫びである。その声は魔王城の廊下をスッと通って響き渡った。
「はっ!? えっ!? お前何を言って」
グレイが焦った声を上げる。しかしフィガロは止まらない。
もう一度息を吸って、再び、
「たぁすけぇてぇーーーーっ!!」
叫ぶ!
フィガロの声がビリビリと空気を震わせる。
尋常じゃない様子の二度の叫び声に、魔王城の魔族達はぎょっとした顔で集まって来た。その中には目の下にクマを作ったオボロと、眼鏡が少しズレたカグヤの姿がある。
「おい何の騒ぎだ! ってか、グレイ? お前、何をやっているんだ?」
「グレイ……? 私のフィガロさんを、何、無遠慮に引っ掴んでいるんです……?」
「何だ何だ、どうしたんだ?」
「朝から元気ねぇ。喧嘩でも始めるの? 混ざりたい混ざりたい」
半分くらい変な声が聞こえて来たが、人さえ集まってくればこちらのモノである。フィガロは両手を大きく振りながらオボロ達に助けを求める。
「オボロ様! カグヤさん! 助けてください、妖精攫いです!」
「違っ!? 違うぞ!? 俺は単に用事があるってだけで……」
「理由の説明もなく引っ掴まれて、大人しくしていたら悪い様にはしないって言われました!」
「確かにそれは言ったけど!」
グレイがあたふたしながら首を横に振る。
そうしていると、ひやりとした冷たい魔力を纏ったカグヤが、一歩、また一歩とこちらへ近づいて来た。その魔力のせいで彼女の眼鏡が曇って見えて、その向こうの瞳が見えなくなっている。
それを見てグレイがヒッと短い悲鳴を上げる。
「か、カグヤの……姐御……」
「グ・レ・イ・さ・ん……?」
血の底から響いてくるような声がカグヤの口から出た。
こちらへ近づいて来るカグヤ。後ずさるグレイ。
「あーあ」
肩をすくめたオボロの、ため息混じりの声が聞こえた時、
「躾て差し上げますわっ!」
カグヤはそう怒鳴り、グレイに飛び掛かった。
「ちょっ、やめて! おい! 姐御! マジで待って!」
「おだまりなさい! フィガロさんに! 不埒な真似を!」
「してないしてないしてない!」
グレイが大慌てで否定するも、カグヤは聞く耳を持たない。
胸倉を掴み、投げ飛ばし。グレイは器用に受け身を取って着地し。そこへ一気に距離を詰めたカグヤの拳が飛んで、グレイはそれを避け。
「ひえええええ」
そんなものを至近距離で見せられているフィガロは、今度は別の意味で悲鳴を上げていた。
死ぬかも。
トバリ様早く帰って来て。
グレイに掴まれたままのフィガロは白目を剥きながら、今ここにいない神に向かって必死で祈った。
◇ ◇ ◇
「やり過ぎなんだよ、お前達は」
それからしばらく経った頃、魔王オボロは自身の執務室に騒動の原因の三人を引き連れて戻って来ていた。
とは言え今回の説教の対象はカグヤとグレイの二人だけである。
オボロは二人を目の前に座らせると、
「城を、壊すな」
と言った。
実は先ほどの大騒ぎで、魔王城の壁の一部が損壊してしまったのだ。
カグヤとグレイはそれぞれのタイプこそ違うが、普段はそれなりに冷静に物事を見られる魔族だ。だが一度火が点くと手が付けられなくなるという欠点を持っている。
その事を知っているオボロは、周囲に被害が出ないようにと集まって来た者達を避難させていたのだが、その時に目を離した一瞬で魔王城の壁に穴が開いた。
ちなみに穴を開けたのはカグヤだ。殴り掛かられたグレイがそれをサッと避けた所、目標を見失ったカグヤの拳が勢いそのままに壁にぶつかったのである。
綺麗に開いた穴。ヒビの入った壁。パラパラと落ちて行く残骸……。
それでも二人が戦いを続けようとしたので、いよいよオボロが止めに入ったというわけだ。
(私がもっと早く止めるべきだったな、失敗した……)
寝不足で、ちょっとぼうっとしていたのが良くなかった。
朝食を食べたらフィガロに演奏を頼みに行くか……と思っていたところで、これが起こったのである。
ハァ、とため息を吐きながら、オボロは視線を横に動かした。
視線の先にはソファがあり、その上でフィガロが目の上に蒸しタオルを乗せて横になっていた。
二人が大暴れしている最中ずっと、フィガロはグレイに掴まれたままだった。なので全力で振り回されっぱなしだったせいで、一時的に体調を崩してしまったのだ。
(人間だった頃も、荒事なんて縁がなさそうだもんなぁ)
グレイの手から解放された後、ぴくりとも動かないフィガロを見て一同は青褪めたものだ。
悪い事をしたなと少々反省しながら、オボロはカグヤ達へ視線を戻す。
二人はバツが悪そうな顔のまま、
「も、申し訳ありません……」
「すんません……」
と項垂れていた。
城を壊した事への罪悪感というよりは、自分達の行動でフィガロが死にそうになっていたのを目の当たりにした方への衝撃が強いように見える。
前世の記憶を持っていて、普通に受け答えが出来るのでオボロもうっかり忘れがちだが、フィガロは妖精として生まれてそんなに時間が立っていない。言わば魔族の幼体だ。まぁ幼体というには身体が育ち過ぎているが、それでもその身体が世界に馴染むには、もう少し時間が掛る。
つまり魔族としてはまだ打たれ弱いという事だ。
そもそも妖精自体も素早さに特化しているため、防御の魔法を覚えていなければ、そこまで頑丈な種族というわけではない。
(そもそもあの二人に巻き込まれて、普通にしていられる奴の方が珍しいけどな……)
オボロがため息を吐くと、
「だ、だけど魔王様、俺は別に妖精攫いなんて、するつもりはなかったんすよ!」
とグレイが言い訳を始めた。
それは確かにとオボロも思う。フィガロを掴んでいた理由は不明だが、グレイは何事にも正々堂々と真正面からぶつかりたいと考えるタイプなのだ。
「そこは信用しているが、理由を聞かれたのにちゃんと説明をしなかったんだろう? 一体何の用事でフィガロを捕まえたんだ」
「い、いや、それは……」
オボロが聞くが、グレイは気まずそうに視線を彷徨わせるだけで、答えは返って来ない。
煮え切らない態度を見せるグレイに、オボロは片方の眉を上げて軽く睨む。
「答えられないような事をしようとしていたと、解釈して良いか?」
「グ・レ・イ……?」
「ヒッ! ち、違う! そうじゃなくて! 他人に聞かれたくない話で、あ~……」
オボロの言葉にピクリと反応したカグヤもグレイを睨むと、彼はようやく観念したようで耳を垂らして、
「に……人間の女の子は、どんな事をしたら喜ぶかを聞きたかっただけ……です……」
と、蚊の鳴くような声で白状した。
一瞬オボロは思考が停止した。頭の中で今のグレイの言葉を繰り返す。
――が、今一つグレイと結びつかなかったので、オボロは首を傾げた。
「……いや、待て。どういう事だ?」
「だ、だから言葉のままですよっ! 人間の女の子の気を惹く方法を知りたかっただけっす!」
「…………」
オボロは一度目を閉じて、グレイの言葉について、再度、頭の中でしっかりと考える。
先ほどよりは理解出来るようになってきた。
人間の女の子の気を惹く方法とグレイは言った。つまり色恋沙汰の話である。
(強い奴と戦う事だけが生きがいのような、この戦闘狂が……!?)
オボロは愕然としてポカンと口を開けた。
(だが待て、こいつ、人間の女性と出会う機会ってあったか? ……あ、いや、待て、あったな、そういう機会)
少し考えて、先日の『使者』の件が浮かんで来た。
輝石人のツキミと共に、アーネンコールへ向かった三人の使者の内一人が、このグレイだ。
魔族である事は容姿ですぐにバレてしまうだろうから、該当する女性は恐らくグレイが戦った相手だろうか。
(ああ、それならば何となく納得した)
グレイは自他共に認める戦闘狂だ。だから相手が強かったとか、自分と似た所があったとか、その辺りで惚れたのだろう。
「えっ、どんな方なんですか?」
すると話を聞いていたカグヤが、先ほどまでの態度とは打って変わって、目を輝かせて質問していた。
そう言えばカグヤはこういう話は大好きだった気がする。彼女の愛読書にも恋愛小説が多かったなとオボロが思っていると、
「俺と対等にやり合えるくらい強くて、戦っている時の笑顔が可愛くて……」
グレイは恥ずかしそうに頬を指でかいて、ポッと照れながらそんな事を言った。
ああ、やっぱりそういう事かとオボロは思いながら、一気に脱力した。
そして深く息を吐いた後、
「そうか分かった。分かったが……それなら理由を聞かれた時にちゃんと答えろぉぉぉ!」
と吼えた。
「余計な仕事が増えるだろうがっ! 城の修繕費、お前達の給料から差し引くからな、覚悟しておけ!」
「壊したのは姐御っすよっ!?」
「連帯責任ですわ!」
ぎゃあぎゃあ喚く二人を前に、オボロは何だかどっと疲れたと肩をすくめる。
「余計と言えば……グレイ。いくら惚れた相手だからって、余計な事は話していないよな?」
「え? ああ、特に……うちにルクスフェン様の加護を持った奴が、転生したって事くらいっすかね」
「お前、何でそれを話したっ!?」
ぎょっと目を剥いてオボロは言う。
グレイはきょとんとした顔で、
「共通の話題を考えたら、それしかなくて……」
なんて言ったものだからオボロは頭を抱えて蹲った。
多少はアーネンコール側にその情報を入れておこうと思ってはいたが、想定外のところでやられてしまった。
この野郎、なんて思いながらオボロが頭の中で計画を修正していると、
「それで話したら、マーヴェルって人間に良いお土産話が出来たって、喜んでくれたから嬉しくて……」
ともグレイは言った。
「ん? マーヴェル?」
ふとグレイは目を丸くした。
その名前は確か、フィガロに作曲を依頼したと言う、アーネンコールの役人の名前ではなかっただろうか。
オボロはツカツカとグレイの前まで歩くと、がしっと彼の肩を手で掴む。
「お前、その子の匂いは覚えているか?」
「え、あ、はい」
「でかした!」
「えっ」
今までの様子とは一転して、突然オボロが褒めたものだから、グレイは目を丸くしている。
だがオボロにとっては些細な事だ。予想外の事があったが、これなら『マーヴェルとコンタクトを取る』事が出来そうだ。
鼻の利く獣人に、その子の匂いを追ってもらえば、マーヴェルに辿り着く事が出来る。
オボロは立ち上がると、
「カグヤ、計画を早めるぞ」
ニッと笑ってそう言ったのだった。




