17 神々の『やらかし』
その日の夜、眠りの神トバリはフィガロが眠ったのを確認すると、ひょいと空へと跳んだ。
向かったのは空の上にあると言われている神々の住まう空間だ。
トバリは音楽の神ルクスフェンと会うために、ここへ一時的に戻って来たのである。
理由としては、オボロがやろうとしている「ルクスフェンがフィガロを転生させた理由についてでっち上げる」という事に対して保険を掛けるためである。
基本的に神はその程度では怒ったりはしない。
トバリが述べた感想のように「生き物が面白い事を始めたな~」くらいにしか思わないのだ。
そういう事を毛嫌いする厳格な神もいるにはいるが、その場合はそもそも主神オルトノスから生き物が住まう土地の守護は任されない。
オボロがそれを知っているかどうかはトバリには分からないが、彼らの取ろうとしている行動自体は問題はないと認識している。
しかし、そうは思ったが、トバリはどちらかと言えば心配性な性格だ。
夜の神モントシュテルが雑用を押し付けられて、連日走り回っている姿を見ていたからかもしれないが、念には念を入れたくなる。
なのでルクスフェンに、今回の件の許可を事前に得ておこうと思ったのだ。
(……まぁ別に、僕がやる事でもないんだけど)
トバリがモントシュテルから頼まれたのはフィガロの御守兼監視だ。
それ以外に何か手を貸せば過干渉になりかねない――のだが。
人と長く居るのが久しぶり過ぎて、彼女達が行動した結果どうなるかを心配する程度には、情が移ってしまったのである。
シュテルンビルトの魔族達は、トバリの事を神様として敬ってくれるが、畏怖するような事はない。
普通に話しかけてくれるし、食べ物だってご馳走してくれる。お酒に付き合えば酔っぱらって愚痴のようなものも零すから、適当な相槌を打ちつつそれを聞く。
そんな魔族達の『普通』がトバリには妙に心地良く感じた。
ただ、それだけだ。
(この程度ならモントシュテル様も渋い顔はしないでしょ)
逆にモントシュテルにとっては、神が怒って暴れ出す方がまずいはずだ。
そんな事を考えながらトバリは歩く。
そうしていると、ハープのような優しい歌声が聞こえて来た。
――ルクスフェンの歌だ。
耳の奥が溶けそうな甘やかな響きを持ったそれは、トバリにもそこそこ効く。
神達の間でもルクスフェンの歌声に惚れ込んで、彼女の歌が聞こえたら仕事を放り投げて駆けつける奴がいるくらいだ。
普段はおっとりとして『うっかり』が多い女神だが、さすが音楽の神である。
(音楽は使い方次第では、思考も支配できるからな)
ルクスフェンが善性の強い神であるためそう言う使い方をしないだけで、もしそれをやろうとしたらとんでもない事になる。
だからモントシュテルもルクスフェンの動向については少し気にしているのだ。
その流れでフィガロの事を知ったわけだが……。
「あら、トバリ。今日はどうしたの?」
ルクスフェンの姿が見えたので近づいて行くと、声を掛けるより先に彼女はトバリに気付いて顔を向けた。にこりと微笑む顔は相変わらず美しい。
トバリも笑い返すと、
「こんにちは、ルクスフェン様。少し、ご相談があって来ました」
「あら。トバリが相談なんて珍しいわ、珍しいわ。うふふ、何かしら?」
「実は……」
機嫌よく笑う女神に、トバリはオボロがやろうとしている事を話す。
幸いにも目の前の女神は気分を害した風もなく「ふんふん」と相槌を打ちながら、トバリの話を聞いてくれた。
「……ってわけなんで、怒らないでやっていただけるとありがたいです」
「うふふ、面白い事を考えるのね。ええ、良いわ。二つの国がもし仲良くなったら、新しい音楽もたくさん生まれそうだもの。そうなったら嬉しいわ、嬉しいわ」
一通り話し終えると、ルクスフェンはにこにこ笑って頷いてくれた。
トバリはホッと胸を撫でおろす。
「ありがとうございます」
「いいえ、いいのよ。それに……フィガロちゃんが私のために曲を考えてくれるんでしょう? とっても楽しみだわ」
「ルクスフェン様、ずいぶんお嬢さんの事を気に入っているんですねぇ」
「ええ、あの子の音楽が大好きなの! あの子のお父さんとお母さんの音楽も素敵だったけれど」
ルクスフェンはその音色を思い出すように、両手を頬に当ててうっとりと微笑む。
どうやらフィガロの両親にも目をつけていたようだ。
「家族を想って奏でられた音楽……とても優しくて温かかったの」
「……良い親御さん達だったんですねぇ」
「とっても!」
ルクスフェンは大きく頷いた。
にこにこ笑う彼女を見て、トバリもつられて微笑んだ。
裏表のない素直なところがルクスフェンの良い所だ。……多少うっかりが多いとしても。
「そう言えばルクスフェン様はここで何をしているんです?」
「リュッ君と待ち合わせをしているのよ」
「リュセイノスと?」
リュッ君こと知識の神リュセイノス。
物静かで引っ込み思案で、だいぶ人付き合いが下手な神の名前である。
トバリは彼とは付き合いがそこそこ長いが、性格的な面で少々相性が悪い。
そんなリュセイノスはルクスフェンの歌のファンである。
(これは早めに退散した方が良さそうだな)
リュセイノスと顔を合わせたところで喧嘩になったりはしないが、慕う女神との待ち合わせに浮かれてやって来たところ、別の神の姿が見えたらそれは面白くないだろう。
(こと嫌がらせに関しては、とんでもなく陰険なんだよなぁ、あいつ……)
自分の知識をすべて使って、こちらが痛いところを的確に突いてくるのだ。出来るだけ相手にしたくない。
トバリも人付き合いは上手い方なのだが、どうにもリュセイノスとだけは合わない。
これまでにも何度か一触即発になりかけた事はあったので、用事が済んだ今は長居をしない方が良さそうだ。
そう思い、トバリが「それじゃあ、僕はこれで……」と帰ろうとした時、
「どうも人間だった頃のフィガロちゃんの運が悪いの、リュッ君に理由があるみたいなのよねぇ。その話を聞きたくて」
とルクスフェンが聞き逃せない事を言った。
方向転換をしかけたトバリは思わず動きを止めて、彼女の方へ顔を向ける。
「何ですって? どういう事です?」
「前にモントシュテルと話していて、彼女の運の悪さが私も気になって調べてみたんだけど……」
そう前置きしてルクスフェンは話を始めた。
ルクスフェンはフィガロがどうにも運が悪すぎる事が気になって、前の生で何かあったのではないかと、命の神レテに話を聞きに行ったのだそうだ。
命の神レテ。
主神オルトノスが五番目に作った神で、この世界の生き物の魂を見守る仕事をしている。
気性は穏やかで怠惰――なのだが、この辺りは仕事量の多さのせいという事もある。
神と違い寿命と言う肉体的な限界のある生き物は、長かれ短かれ必ず死ぬ。その時に肉体から離れた魂を掬い上げ、悪いモノを魔力でろ過し、新たな生へ導くのがレテの役目だ。
その量は膨大で、モントシュテルと同じくらい彼女は多忙だ。
だからこそ仕事はするが、出来る限り身体を動かしたくない、怠けたい、ずっと寝ていたい。レテがそう考えるようになったのは仕方のない事だとトバリは思う。
さて、そんなレテだが、ルクスフェンのように特定の命を転生させたいと望む神は、まず彼女に話を通さないとならないという決まりがあった。
だからこそルクスフェンはフィガロを転生させたいと思った時、彼女に許可を取りに行ったのだ。何だかんだでそう言うところはしっかりした女神である。
「その時は何も言われなかったのだけど……思い出してみると、そう言えば少し変な反応があったわ」
「変?」
「『あっ』て言っていたの」
「それ、やらかした奴の言葉じゃないですか……」
ルクスフェンもそう思ったようで、フィガロを転生させた後、再びレテに話を聞きに行ったのだそうだ。
レテはしばらくすっとぼけていたらしいが、ルクスフェンが「延々とここで歌い続けるわよ」と脅し、実際にそれをしたところ音を上げ、フィガロの事を白状したらしい。やり方が実に音楽の女神らしいと思いながら、トバリは話の続きを聞く。
「どうやらフィガロちゃんは人間より前の生で、リュッ君の加護持ちの子から影響を受けているみたいなの」
「影響? ……もしかして加護を与えすぎた子の事ですか?」
以前にモントシュテルが頭を抱えていた事件を思い出してトバリが聞くと、ルクスフェンは「ええ」と頷いた。
あれはなかなか厄介な話だったとトバリは苦い気持ちになる。
リュセイノスが気に入った人間を転生さた際に、加護を与えすぎて肉体が耐えきれず、爆ぜて死んでしまった事があったのだ。
それだけならば同情する程度で済ませるが、問題はその後だ。その者が死んだ後も、リュセイノスの加護だけがその場に残り続けてしまったのである。しかも悪い方へ影響力を残して、だ。
リュセイノスは知識の神。与えた加護もそれに準ずるものだった。
加護の残滓に触れた者達が、頭に叩き込まれる知識の量に耐えきれず、軒並みの人間が狂ってしまう事態となってしまったのだ。
「お嬢さんもそうだと?」
「いいえ、あの子は違うわ。ただ……加護の残滓に触れた人間の中の一人が異様に執着していたのが、前の生のフィガロちゃんだったの」
ルクスフェン曰く、前の人生のフィガロはその時も音楽に携わっていたらしい。
リュセイノスの加護の残滓で狂ったその男は、彼女のファンだったそうだ。
彼女の音楽が愛しい。彼女のすべてを自分のモノにしたい。
もしかしたらこの知識を使えばそれが出来るのではないかと、理性という歯止めを失くしたその人間は、加護から得た知識で禁じられた魔法を用い彼女の人生を縛ろうとした。
しかし失敗し、両者は死んだ。
それは当然だ。神の魔法を、努力も覚悟も魔力も何一つ足りていない者が、使いこなせるはずがないのだ。
けれど問題はまだ続く。魔法を使うに当たって全ての魔力に込めたせいで、加護の残滓までそこに混ざってしまったのだ。
魔法は確かに失敗したが、その失敗した魔法の魔力から、二人の魂に加護の残滓が移ってしまったらしい。
「レテちゃんがその魂を見た時に『これはまずい』と思ったくらいなの」
「とんでもないですね、そりゃ。もちろんレテ様は、ちゃんと、ろ過をしたんでしょう?」
「…………」
確認の意味も込めて、当たり前の事をトバリが聞くとルクスフェンは困ったように笑った。
トバリの頬が引き攣る。
「していなかったんですか……」
「フィガロちゃんじゃない方の魂が、深い場所まで加護の残滓が浸食していて。そちらにかかりきりになっている間に、うっかり通しちゃったって言っていたわ」
「…………」
うっかりが多い女神に言われるなんて相当である。
うわぁ、とトバリは思わず声を漏らした。話を聞けば聞くほどに、フィガロはただただ巻き込まれた被害者だ。ここまで酷い話はトバリも聞いた事がない。
「お嬢さんの運が悪いのは、残滓を取り切れなかったからって事ですか」
「ええ。一度人間として生を受けている内に多少は薄れて、そこへ私が幸運の加護を与えたから今は中和されているはずよ」
「……ま、待ってください、その言い方だと……ろ過は?」
「私がそのまま連れて来ちゃったから……。その、そんな事になっているとは思わなくて……」
てへ、なんて可愛く笑って見せるルクスフェン。
(このうっかり神共がよぉっ!)
神の間の『うっかり』の連鎖にトバリは叫びたくなった。
ちなみにモントシュテルも転生する前の、魂の状態のフィガロは見ているはずだが、単純に疲れていて見落としたのだろう。
フィガロ、本当に可哀想。トバリは心の底からそう思った。
「……そこまで分かっているなら、リュセイノスに話を聞く理由は何ですか?」
「フィガロちゃんに執着していた人間の魂のろ過が、レテちゃんでも出来なかったらしいの。だからリュッ君に頼んで加護が外に出ないように封じてもらって、転生させたらしいのだけど」
「封じる? 転生? その状態で? よくモントシュテル様が許可しましたね」
この世界の魂を見守るのは命の神レテの仕事だ。
けれども何事にも例外がある。その時はモントシュテルに判断を仰ぐのが通常である。
そしてルクスフェンの話に出たそれは、例外に該当するものだ。
レテがろ過しきれない程に浸食された魂を、原因である神に協力してもらって転生させるなんて、本来であれば在り得ない。
魂を保管し長い時間を掛けて残滓が消えるのを待つか、最終手段として消滅させるかのどちらかだ。
ただレテは命の神だ。後者はなるべく避けたいだろうと言うのは分かる。
ならば取れる手段は前者であるが、それを避けて第三の選択肢を選ぶのがトバリには疑問だった。
「それがね」
「はい」
「フィガロちゃんの件がモントシュテルにバレたら困るからって、こっそりやったらしくて」
「…………」
どうやらレテは証拠隠滅をしたかったらしい。
転生させるにせよ、させないにせよ、一度モントシュテルに報告が必要な件である。よほど怒られたくなかったのが伺える。
モントシュテルに全部バラしてやろうとトバリは心に誓った。
「特定されて怒られたくないからって、名前だけはどうしても教えてもらえなかったの。だからリュッ君に聞いちゃおうかなって」
「特定されなくても怒られる事は確定ですけどね。……なるほど、理解しました」
トバリはため息が出そうになるのを堪えながら、軽く頷いてそう返す。
(リュセイノスには会いたくはないが……これは僕もここで話を聞いた方が良さそうだな)
これは過干渉と言っている場合ではない。
そんな事を思いながらトバリは腕を組んだ。




