16 解釈違い
「フィガロはピアノで何がしたい?」
小さい頃にフィガロは両親からそう問いかけられた事がある。
その時はピアノを弾く事がただただ楽しくて、その先の事なんてまったく頭になかった。
だからそう聞かれて初めてフィガロは考えた。
ピアノで何がしたいか。その事をフィガロは一生懸命考えて、
「私、ピアノで皆を笑顔にしたい」
そう答えた。
自分がピアノを弾いて家族が笑ってくれたように、音楽で人を笑顔にしたい。幸せにしたい。
(……ああ、そうだ)
そうだった、とフィガロは独り言ちる。
忘れていたわけじゃない。けれど生きる事に必死で、その合間にピアノを弾く事が楽しくて。
心の余裕が、なかったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
フィガロが魔王城で働き始めてからそこそこ経った頃。
魔王オボロが何やら四角形の重そうな箱を両手で抱えて、フィガロの仕事部屋までやって来た。
箱は見たところ金属製で、一つの面に黒いガラスのようなものがはめ込まれている。他の面にはシュテルンビルトの建物にあるような歯車等がついているので、恐らくアレらと似たような物なのだろうという事はだけは分かった。
「こんにちは、オボロ様。何か重そうですね、それ」
「こんにちは。ああ、だいぶ重いぞ。よっこらせっと」
そう言いながらオボロは床にその箱を置いた。どすん、と重量を感じる音と振動が響く。
箱を手から離したオボロは、ハァ、と息を吐いて、近くのソファに腰を下ろした。
「オボロ様、これ何ですか?」
「魔導受像機」
何だか難しい名称が返って来たなとフィガロは思った。
しかし名前を聞いてもよく分からないのでフィガロが首を傾げていると、
「へー! これがそうか~。僕、初めて見たよ」
トバリがソファから立ち上がり、魔導受像機に近付いてしげしげと眺め始めた。口の端が上向きになっている。
彼は色んな角度からそれを見ては「へぇ~こうなっているのか」と呟いていた。
「あ、トバリ様もご存じなんですね」
「うん。シュテルンビルトが発明した魔導具の中で、一番気になっていた奴なんだ」
トバリはそう答えてくれた。
魔導具というのは、魔力で動く道具の事だ。魔王城やシュテルンビルトの建物や、街灯などがこれに当たる。フィガロに宛がわれた部屋の、ボタン一つで点く照明もそうだ。
どれも魔力を多く消費するので、体内に魔力を豊富に持っている魔族でないと使えない代物である。
へぇ~と思いながら、フィガロも翅をパタパタ動かして宙を飛び、魔導受像機に近付いた。
「これ、使い魔の目で見たものを、ここに映す奴だよね」
「ええ、そうです。よくご存じですね、さすがトバリ様」
「あはは。こっちはただの趣味なんだけどね」
「へぇ~……。オボロ様の使い魔って言うと、あのカラスですか?」
「そうそう。今ちょうど、アーネンコールへ行ってもらっているんだよ」
そう言いながらオボロは魔導受像機に人差し指を向けた。
すると、パチン、と何かが小さく弾ける音と共に、魔導受像機のガラス面に光が灯る。ジジッとノイズが走る音がしたかと思うと、程なくしてぼんやりと映像が映り始めた。
そこには高い位置からアーネンコールの街を見下ろしているような映像が流れている。
「うわ、すごい!」
「だろ~?」
フィガロが目を丸くしながらそう言うと、オボロはニヤッと自慢げに笑った。こくこく頷きながら魔導受像機に釘付けになっていると、そこにざわざわと人の声まで混ざって聞こえ始めた。
「おや、音まで入るのかい?」
「まだ試作段階なんですけどね。倍の魔力を使うので、標準機能にするかどうかは迷っている最中です」
「なるほどねぇ」
二人のやり取りを聞く限り、本来であれば映像のみが見えるものらしい。
フィガロには何がどうなってこうなっているのか皆目見当もつかないが、とにかくすごい事なんだなという事だけは理解出来る。
アーネンコールにも遠くへ音を届ける『ラジオ』という道具はあったが、映像を見られるのは初めてだ。
フィガロとトバリが魔導受像機の前に張り付いて興味津々に覗いていると、それを見ていたオボロが軽く噴き出した。
「お気に召したようで何より」
「すごいですね、シュテルンビルトも努力の天才です」
「ほほう、嬉しい評価をしてくれるじゃないか。頭に努力とついているところが特に気に入ったね」
オボロは機嫌良さそうに笑ってそう言った。
「ところで、どうしてアーネンコールに?」
「ん~、偵察って言えば偵察なんだが。ちょっと気になった事があってな」
「気になった事?」
「ああ。カグヤから話を聞いたんだが、フィガロはアーネンコールのお偉いさんから作曲の依頼を受けたんだろ?」
「あ、はい、受けました」
「ん。その人間と上手くコンタクトが取りたくてな。だから使い魔に飛んでもらったんだ」
そう言ってオボロは魔導受像機を指さす。
フィガロに作曲依頼をして来たのはアーネンコールの役人で、マーヴェルと言う名前の女性だ。カグヤとツキミの会話で、確か「話が出来そうな相手」と言っていた気がする。
(マーヴェルさんは役人らしい傲慢さがなくて、感じが良かったなぁ)
言葉に温かみがあったと言うか、何と言うか。アーネンコールで立場のある人間は、フィガロが会った限りだと大体が横柄だし言葉が冷たい。だから珍しく良い感じの人だなとフィガロも思ったものだ。
(そう言えば、その時一緒にオルトノス教の神官さんがいたっけ)
名前はリヒトと言っていた。オルトノス教の教会へはフィガロもたまに行くので、顔は遠くから見た事がある人だ。実際に言葉を交わしたのは依頼を受けた時が初めてだが、リヒトからは真面目そうな印象を受けた。
そんな事を考えていると、魔導受像機の映像は教会の上を通過し、王城へと向かって行く。
「あら、王城に近付いて大丈夫ですか?」
「ま、少しの間であればな。隠密に特化させてあるから」
「使い魔ってそういう事も出来るんですねぇ」
「最初に見た時はそうでもなかったから、まぁ、いじったんじゃないかな。普通はしないけどねぇ」
フィガロが感心していると、トバリが苦笑交じりにそう言った。えっと思ってオボロを見上げると、スッと目を逸らされてしまった。
……もしかして、オボロもオボロで少々マッドな部分があるのかもしれない。
とりあえず聞かなかった事にしようと思いながら、フィガロは魔導受像機の方へ顔を戻した。
見ていると映像は王城の中へと入って行く。意外と警備がザルなんだろうか、なんて口の悪い事を心の中で呟きながら見ていると、やがてホールへと辿り着いた。華やかに飾り付けられたホールの中は、着飾った大勢の人間達で賑わっている。
「おや、何かパーティーでもやっているのかな?」
「パーティー……あ、たぶんあれですよ。勇者の出立を祝うパーティーじゃないですかね」
妖精として生まれたフィガロだが、日付を確認したら死んでからそう時間は経っていなかった。なのでそろそろだったなぁと思って答えるとオボロも「ああ、そうだ」と頷く。
「これが今回の目的でもあるよ」
「目的?」
「そうそう。……ああ、いた、あそこだ」
オボロはそう言うと、映像の端の方を指さした。そこには様々な楽器を持った演奏者達の姿がある。王城お抱えの楽団だろう、酒場に置かれていた音楽系の雑誌で見た顔が幾つもあった。
「あ」
顔を見て名前を思い出していたら、その中に見覚えのある顔を見つけた。
弟子のニコロ・ヴァイツだ。タキシードを着た彼はピアノの前に座っている。
(そうか、ニコロが弾く事になったんだ、あの曲)
死ぬ間際に聞いた言葉から、こうなっているんじゃないかとは思っていた。
けれども実際に目の当たりにすると、何とも複雑な気持ちになる。
自分の作った曲を、自分の弟子が弾く。違う流れであったなら、どれほど心が躍っただろうか。
「お嬢さん」
ぼんやりと映像を見ていたら、トバリに声を掛けられた。次いで、コトン、と後ろに何か置かれる音がする。振り返るとそこにはフィガロ用の椅子が移動していた。トバリが置いてくれたようだ。
「座った方が身体が楽でしょ」
「ありがとうございます、トバリ様」
「うん」
口元でニコッと笑うと、トバリは再び魔導受像機へ目を向けた。気を遣ってもらった気がする。何となく、むずむずしながらフィガロは椅子に腰かけた。
それから少ししてニコロの演奏が始まった。彼の弾くピアノに置かれた楽譜は、その一部が、何かの液体が掛ったように変色している。
(私の血だ)
どうやらニコロはあの時の楽譜を、書き直す事なくそのまま使っているようだ。血が掛かって読み辛いだろうなぁと思いながら、フィガロはニコロの演奏に耳を傾ける。
演奏の癖、楽曲の解釈の仕方、そのどれもがフィガロがよく知るニコロの音楽そのものだ。映像に写っている人々は、皆、うっとりとした顔でニコロの演奏を聴いている。
あれがフィガロの作った曲だって、きっと誰も思わないだろう。何となく寂しいなと思っていたら、
「この曲、お嬢さんが作った曲でしょ」
とトバリが言った。
「メロディーの癖がよく出ているよ」
「癖?」
「弾いていた子守歌とよく似てる。あれを聴いて育ったから、影響を受けているんだろうね」
「――――」
その言葉にフィガロは思わず目を見開いた。あの子守歌はフィガロの両親が作った曲だ。フィガロが生まれた時から聞いていた曲だ。
(影響……)
奪われた曲は自分の頭の中にだけ残っていると思っていた。
だけどそうではなくフィガロ自身に、自分が思っていた以上に家族の音楽が染み込んでいる。その事が嬉しくて、フィガロは目の奥が熱くなるのを感じた。手の甲で、ぐい、と目をこすると、フィガロはそれを隠すように魔導受像機へ顔を向ける。
演奏は続く。
フィガロがこの曲に込めたのは、勇者達への感謝と、旅の安全、そして彼らが無事に帰還出来ますようにという祈りだ。
けれども、どうやらニコロの解釈は少し違うようだった。ゆったりとした曲調がだんだんと激しいものへ変わっていく。フィガロは顎に指を当てて目を閉じて、じっとその解釈を探った。
(この弾き方は……)
勇者達を鼓舞し、勝利を願い、そして――敗北したとしても、爪痕を残せますように。
フィガロはニコロの演奏からそんなイメージを受けた。
(いや、原型がほとんど残っていないな……!? と言うかそこの部分にアレグロなんて、私、書いていないよねぇ!?)
聞いていてフィガロは思い切りショックを受けた。どうせ弾くなら楽譜通りに弾いて欲しかった。
確かに解釈の仕方は自由だ。こうした方が良いとアレンジして演奏する事もあるのはフィガロも知っている。
勇者を壮行するという場では、こういうメロディーの方が『受け』が良いのはフィガロも分かる。だからニコロもそうしたのだろう。
けれど。
だとしても。
あの曲は勇者達の無事を願って作った曲なのだ。
(殺された事も、奪われた事も、この際良い)
本当は何一つ良くないけれど、そんな事はフィガロにとって二の次だ。
ずっと音楽に向き合って来た一人として、フィガロはこのニコロの所業だけは許せない。
「……ない」
「ん?」
「そうじゃなーいっ!」
思わずフィガロは叫んだ。するとオボロがぎょっと目を剥く。
「お、おい、どうした?」
「音楽は自由! どんな風に弾いたって良い! だけどさぁ、一番最初は普通に弾かないっ!? 楽譜通りに!? ねぇ!?」
「ふぃ、フィガロ……さん……?」
急に激昂し始めたフィガロに、オボロが若干おろおろとした様子で声を掛けて来る。けれども頭に血が上ってしまったフィガロに、その声は届かない。
フィガロは徐に音楽の魔法で光の鍵盤を出現させると、
「この曲は、こう」
ニコロとまったく同じ演奏を、違う解釈で弾き始めた。
始まりの音は一緒。けれども思い浮かべたイメージで曲の印象はガラリと変わる。
ニコロの演奏にあった快活さは鳴りを潜め、穏やかでゆったりとした陽だまりのように温かなメロディーが、フィガロの指から紡がれる。
それと同時に音符の形をした光が生まれキラキラと辺りを舞う。光の音符は今までと同じように、トバリとオボロの身体に吸い込まれて行く。
「…………」
トバリの口から、ほう、と感嘆の声が漏れた。
そうしてフィガロはキリが良いところまで弾き切ると手を止めた。すると、パチパチ、と二人分の拍手が聞こえて来る。
「なるほど、全然印象が違って聞こえるな」
「こちらが本来の解釈ですよ。……私が作った曲なので」
「うん、僕もこっちの方が好きだな。幸運をもたらす効果がある」
「幸運?」
「そ。ほんのちょっとだけ、周りの人に良い事が起こる奴だ。いいね、実にお嬢さんらしい曲だよ」
トバリからそう褒められて、フィガロは照れくさくなって指で頬をかく。
ずっと昔、両親に音楽について問われた時に、自分が答えた言葉がそこにあって嬉しかったのだ。
先ほどまでフィガロが感じていた怒りが、すうっと薄くなっていく。照れくさくて締まりのない顔で笑っていると、
『この楽譜には僕の師であり恩人の、フィガロの血がついています』
魔導受像機からニコロの声が聞こえて来た。おや、と思って見れば、演奏を終えたニコロが何やらスピーチをしているところだった。
……スピーチとかあったのか。
よくよく思い出してみれば、依頼を受けた際の契約書にそんな事が書いてあった気もする。あとニコロは人前だと『僕』って言うんだなとフィガロはしみじみと思った。
「ああ、やっぱりあの染みは血なんだな」
「ええ。見ているとだいぶ複雑ですよ。自分の血に染まった楽譜」
「あ~、呪われそうだもんな」
「呪う前に転生していますけどねぇ」
「そもそもお嬢さんは呪うの下手そう」
そんな話をしながらニコロのスピーチを聞いていると、
『あの人が楽譜を奪おうと襲い掛かって来た際に、僕は自分の身を守るために、あの人を刺して命を奪ってしまった。それは言い逃れが出来ない、僕の罪です』
悲壮感たっぷりにニコロは話す。ニコロはそのまま、手でそっと目の端を拭う動作をした。すると、そこから光るものが、つう、と頬を伝う。
「お嬢さんの弟子、演技上手いねぇ」
「今の目薬だろ。器用だな~」
トバリとオボロは、まるで演劇を見ている観客のような調子でそう話す。
『この曲を弾き続ける事が僕の贖罪で、そして僕を助けてくれたフィガロセンセイへの……せめてもの手向けになると思っています』
楽譜を片手で抱きしめニコロは言う。
フィガロは頭を殴られたような気持ちになった。
「あの曲を、あれが本来のものであるとして、あのまま弾き続ける……?」
わなわなと手が震える。
耐えがたい。それだけは、とても、耐えがたい。
「アレンジとかっ! そう言う感じで言ってくれたらいい! だけどそのままってのはね!?」
「……フィガロは音楽が絡むとこうなるのか」
「付き合いが浅いから僕も初めて見たねぇ。ルクスフェン様なら知っていたかも」
頭を抱えて唸るフィガロ。
それを見ながらオボロはくつくつ笑って、
「曲を取り戻す方法があるぞ」
と言った。
「方法?」
「そ。さっきも言っただろう? アーネンコールの立場のある奴とコンタクトが取りたいって」
「あ、マーヴェルさんですかね?」
「そう。それで魔導受像機をフィガロに見せたのは、確認したかったんだ。今演奏された曲がお前の曲かどうかをな」
オボロの言葉にフィガロは首を傾げる。
マーヴェルとコンタクトを取る事と、ニコロの弾いた曲がフィガロの作曲したモノだと確認する事が、どう繋がるのか分からなかったからだ。
なのでフィガロはオボロに聞き返す。
「ええと、つまり……?」
「ルクスフェン様に演奏を気に入られた人間が、生まれ変わってシュテルンビルトにいる。つまり両国が仲良くしろと言う神様からの思し召しだ」
「そんな事は何一つ仰っていませんでしたけれど」
「だろうな。だけど連中はそれを知らない。だから」
びしり、とオボロは人差し指を立てる。
「でっちあげるのさ」
ポカンとフィガロは口を開き、トバリは楽しそうにくつくつ笑う。
「さっきの曲を書いたのがフィガロだって証明する事が出来れば、でっち上げに信憑性が増すだろう?」
「魔王君は面白い事を考えるねぇ」
「それは……神様的には大丈夫なんですか……?」
「ま、ルクスフェン様だからね。このくらいで怒る神様じゃないよ。それでも気になるなら、お嬢さんがルクスフェン様へ捧げる曲を作ればご機嫌とれるよ」
「あ、それいいですね。頼んだ、フィガロ。報酬は弾むぞ~」
「報酬は嬉しいですが責任が増しますね!?」
弟子の演奏を聴いていたら、何だか大変な事になってきた。
ひい、と青褪めながらフィガロは――それでも報酬という言葉に釣られて、オボロの頼みを引き受けたのだった。




