13 魔法というものは匙加減で
その日フィガロは魔王城の城内をトバリに見守られながら、背中の翅を動かしてえっちらおっちら飛んでいた。
今世のフィガロは妖精である。種族の身体能力的には空が飛べるのだ。
自分の力で空を飛ぶ。それは前世で魔法の使えなかったフィガロにとっては、一種の憧れのようなものだった――のだが。
「ひぃ、はぁ……」
これが意外と疲れる。
正直、空を飛ぶという行為を、フィガロは舐めていた。背中の翅を動かして、自分の身体を支えて空中を飛ぶ。見ている分には良かったが、自分でやってみれば結構体力を使うのだ。
これなら歩いた方がマシのような気がする。
しかし魔王城は広いし、しかもフィガロは妖精だ。自分の足で歩こうものなら、仕事部屋まで辿り着くのに半日以上かかってしまいそうである。
なので飛ぶ必要はあるのだ。
あるのだが……。
「お嬢さん、手の上に乗りな?」
「だ、大丈夫、です……。ぜぇ、はぁ……ま、まだ、行けます……」
見かねてトバリがそう声をかけてくれるが、フィガロはお断りした。
確かにトバリに運んでもらった方が早いし疲れない。けれどもトバリはフィガロが生きている間ずっと、そばでついていてくれるわけではないのだ。
ここで甘えてしまえば、今後もそうしたくなる。だから自分で何とかしなければいけないのだ。
そして何とかするならば、トバリがついていてくれる今が一番自分を鍛えるチャンスなのである。
なのでフィガロは魔王城で自分に宛がわれた部屋から、仕事部屋までこうして飛んで移動しているというわけだ。
ふらふら、ふらふらと空中を飛ぶフィガロ。その後ろをトバリはついて歩きながら、
「お嬢さん、思ったよりも根性があるよね」
なんて感心したように言っていた。
そんな話をしながら、長い時間をかけてフィガロは仕事部屋へと到着する。疲労困憊のまま、フィガロがふらふらとドアノブへ近づくと、
「あ、今日は僕がやるよ」
さすがに今のフィガロの状態では、これは無理だと判断したのだろう。そう言ってトバリがドアを開けてくれた。
すると部屋の中から花の良い香りが漂って来た。
部屋には座り心地の良さそうなソファが並んでおり、あちこちに綺麗な花も活けられていた。中央には丸テーブルが置かれており、その上に妖精が座れるサイズの小さな椅子が乗っている。
フィガロが見慣れたピアノの椅子だ。フィガロは「おお……!」と少し元気を取り戻しながら、そこへ飛んでいく。そして椅子に座ってみると、これまた座り心地が良かった。
「ああ、懐かしいこの感触……」
「アハハ。嬉しそうだね~」
ジーン、と感動するフィガロを見ながら、トバリも近くのソファーに腰を下ろした。
「とりあえず誰か来るまでは、ここで待ってるって感じでいいんだっけ?」
「そうみたいですねぇ。誰か来るといいなぁ」
トバリの言葉にフィガロは頷く。
ここの城主でありフィガロの雇い主のオボロが言うには、勤務時間はこの部屋で待機して、誰か客が来たら音楽の魔法を使ってくれとの事だった。
ちなみにお昼の時間等の休憩時間も、しっかり契約書に書いて見せてくれている辺り、オボロは真面目な性格なのだと思う。
「ところでトバリ様は大丈夫ですか?」
「僕?」
「その、暇だったりしませんか?」
「ん、平気平気。暇なのはそこそこ慣れているし。それに今は意外と刺激があって楽しいよ」
「刺激ですか?」
「そうそう。僕みたいな神って、ここまでしっかり人と関わる事ってあまりないから。皆の驚きが新鮮で面白い」
トバリはにこっと笑ってそう言った。
そう言えば確かに神が人の前に長い時間姿を見せたという事は、あまり聞かないなとフィガロは思った。
神と人の間のやり取りは、オルトノス教の神官を通して「神託」という形で行われる。簡単に説明すると、急に神の声が聞こえるのだ。
多少の会話はあるらしいけれど本当に声だけで、顔を合わせる事は今では滅多にないらしい。
とは言えフィガロは神官ではないし、熱心なオルトノス教の信者でもない。なのではっきりと断言は出来ないのだが、少なくともフィガロが知っている範囲で、そういう話を聞いた事がなかった。
「失礼する」
そんな事を考えていると、オボロの声が聞こえてドアが開いた。
「あ、オボロ様、おはようございま……すぅえっ!?」
記念すべき一人目のお客様だとウキウキしながらオボロの方を向いた時、フィガロは素っ頓狂な声を上げた。
オボロの顔色があまりに悪かったためである。あまり睡眠を取っていないのか目は血走っていて、さらにその下にはクマが出来ており、げっそりとやつれている。
「わあ、アンデッドみたいな顔色しているね」
「だ、大丈夫です……?」
「ああ、大丈夫大丈夫……ハハハ、いつもの事だから……。ちょっと仮眠しに来た……」
オボロはふらふらと歩きながら、一番近い位置にあるソファーに腰を下ろす。そのままクッションを枕代わりにして、ごろんと横になった。絶対に大丈夫ではないとフィガロは思った。
「お仕事、大変ですね……」
「この国の王様だからね……。すまないが、さっそく頼める?」
「はい、もちろん」
フィガロはしっかり頷いた。そして、よし、と気合を入れ魔法を使い、自分の周りに光の鍵盤を出現させる。
良いなぁ、なんて思いながらフィガロは鍵盤に指を乗せた。そのまま指を押し、弾き始める。
曲は昨日と同じ、両親が歌ってくれた子守歌だ。トバリが調べてくれたところ、あの曲を音楽の魔法として弾くと、疲労回復や身体の凝りを解す効果があるらしい。
その他にも幾つか曲を弾いて調べてもらっているが、今回の場合はオボロが大分疲れている雰囲気なので、子守歌が良いだろうと考えたのだ。
弾き始めると、周囲に光の音符が現れる。それはふわふわと空中を揺れ、オボロに吸い込まれて行った。
するとオボロの口から、ふう、と息が零れ、その瞼がゆっくりと閉じていく。程なくしてすやすやと寝息も聞こえて来た。
オボロの眠りの邪魔にならないような音量で、フィガロはピアノを弾き続けた。
◇ ◇ ◇
フィガロの演奏を、トバリはソファの背もたれに寄り掛かりながらのんびりと聞いていた。
彼女の演奏と共に光の音符が現れる。これも音楽の魔法だ。
春の陽だまりのような優しい温もりを持った音符は、一つ、また一つと、疲れ切って眠るオボロの身体に吸い込まれて行く。それに合わせてオボロの顔色も少し良くなっていった。
先ほどまで魔王はまさに死人のような顔色をしていた。それがフィガロの音楽の魔法を少し受けただけで、この様子だ。
(ルクスフェン様の加護が、思ったよりも効いているな)
トバリはそう考えながら、音符に向かって指を伸ばした。指先が音符に触れると、トバリの身体の中にも音楽の魔法が染み込んで来る。
(……いや、それだけじゃない)
身体の中に入った魔法をトバリは静かに分析する。
ルクスフェンの加護で、魔法の効果が出やすくなっているのは確かだ。
だが魔法とここまで相性が良いのは、本人の性質と曲そのものが理由だろう。
魔法というものはイメージだとトバリはフィガロに教えた。
けれどもイメージというものは、実のところ統一する事は出来ない。同じものを思い浮かべても、そのものに対して抱いた感情によって違いが現れる。
例えば炎の魔法を使おうとした時に、松明をイメージしたとする。その松明の炎が大きいのか、小さいのか。眩いのか、暗めなのか。どんな色をしているのか、熱さはどのくらいか。明確にイメージが出来るほど魔法の精度は増すが、思い浮かべるものは人によってまず違う。
マニュアルがあって、事細かにこういう炎をイメージしなさい、と指定されれば近いものが出来るだろう。けれどもまったく同じものは出来ない。
なぜならそこに、さらに「感情」というものが入るからだ。
感情の差し加減一つで魔法は変化する。そのくらい魔法は不安定なものなのだ。
だから出来るだけそれを安定させるために「呪文」というものが編み出された。
特にこの呪文というものは人間がよく使っている。自分の中にある限られた魔力をいかに有効活用するかを、彼らはよく考えている。
逆に魔族は豊潤な魔力があるため、力技で何とかなってしまうので、その辺りは疎かだ。その代わり多すぎる魔力によって、苦しむ面もあるのだが。
(お嬢さんの場合は元人間って事もあるけれど、それ以上に、他者に対して危害を加えようとする考えが薄い)
この部分が音楽の魔法と相性が良い理由の一つだ。
音楽の魔法は基本的に、音が聞こえる範囲の者を癒したり、身体能力を向上させたりと、そういう明るい方向に効果が働くものばかりだ。
だからそこに込めた感情も、明るい感情の方が効果の出方が良い方へ作用する。
不運な目に合い続けても、弟子に刺されて死んでも、フィガロの中の感情に憎しみや憤りが薄いのだ。
とは言えトバリには少々不自然にも思えたのだが。
境遇を考えればもっと怒って良いと思うし、恨んだって良いはずだ。しかしフィガロにはそれがない。我慢しているのかと思えば愚痴自体は言うし、気落ちはしてているようだ。けれど、だからと言って、復讐したいと望むほど恨んでいる様子はない。
この世の生き物にしてはなかなか不思議で興味深いものだ。
もっとも彼女の生きた二十五年という時間に、悪い事ばかりが起き続けたせいで、色々と達観しているからかもしれないが。
(それと、あの曲。あれ自体はお嬢さんが作ったものじゃないらしいが、ルクスフェン様が好きそうな家族を慈しむ気持ちが感じられる)
音楽の神ルクスフェン。あの女神はトバリから見ても自由奔放で、なかなかのトラブルメーカーではあるが基本的には優しい。そしてこの世の生き物が家族を大事に想う気持ちを好む傾向がある。
以前トバリはルクスフェンから、たまたま近くにいたからという理由だけで、人間の赤ん坊を見に連れて行かれた事があったのだが、
「可愛いわ、可愛いわ。見て、トバリ。人間の赤ちゃんよ、ちっちゃいわ、ちっちゃいわ。ふにふにしているわ、触っちゃだめかしら?」
「だめですよ。ルクスフェン様、さすがに近いです。姿を消しているからって赤ん坊は聡いんですから、気付かれて泣かれちゃいますよ」
「大丈夫よ、トバリ。だって私、怖くないもの。ね、そうでしょう? 赤ちゃ……泣いちゃったわ! どうしましょう、どうしましょう!」
「ほらぁ」
なんて調子だった。あの女神は本当にどうしようもない。
ただ、彼女が赤ん坊と、その親を見つめる目は慈愛に満ち溢れていた。
赤ん坊とその家族を見ながら、ルクスフェンが「いいなぁ」と呟いていたのを、ふとトバリは思い出した。
神は家族を持たない。また子を成す事も出来ない。魔族や人間の快楽を得る手段を真似して、暇つぶしにそれを行う事はあるが、子が出来る事はない。
神というものはすべて主神オルトノスによって創られるものだからだ。
そう考えると主神が親のようなものになるかもしれないが、生憎と、主神は子育てを励む性質はない。むしろ自由に育てと放任主義だ。
それで苦労しているのがモントシュテルなのだが……。
(ルクスフェン様は、どちらかと言えば感じ方が人寄りの神だからな)
きっと彼女は家族というものに憧れがあるのだとトバリは思っている。だからルクスフェンは音楽の中で、特に家族を想う曲に惹かれるのだろう。だからこそフィガロの音楽を気に入った。
フィガロ本人の性質と曲の傾向。そこへルクスフェンの加護が加わった事で、こうして音楽の魔法にがより高い効果を出している。そう結論付けると、トバリはくつろぐように頭の後ろで手を組む。
フィガロの演奏はまだ続いている。楽しそうにピアノを奏でる新米妖精の姿に、トバリは口の端を上げると、
(僕も少しだけ寝るかな)
なんて心の中で呟きながらトバリはフィガロの子守歌に包まれて、意識をふっと落としたのだった。




