第9話 鎌倉と安房と 1447年3月~8月
「鎌倉から書状ですぞ里見どの」
安西景連に勝山まで呼び出されての用件がそれだった。
検めれば足利万寿王が鎌倉公方に就任するとのこと。
義実にすれば喜ばしい話ではあるが、その万寿王との連絡に出した老臣杉倉木曾介からすでに得ていた情報でもあり、ほかに気になるところもあった。
「後見人」に手紙を届けて済ませるあたり、つまり使者は横着したらしい。
引き比べて己が名を以て義実を「招待した」景連の誠実さである。書状にも披いた形跡が無い。
と、あれば。義実としては景連にも一読せしめざるを得ないところ、返ってきたのがこの一言。
「これはめでたい。やはり鎌倉殿あってこその関東、武士たる者すべてにおいての朗報だ」
名宛人とされた義実に嫉妬するようすもない。その大気まこと立派なものであり、義実もさすがに気がとがめて「その暁には、安西どのも共に参りませぬか。お味方へのご厚誼また房州での尽力などお伝えし、鎌倉殿にお目見えいたしましょう」と提案したところ返答がまた振るっていた。
「格別のご厚意いたみいる。だが我のみ誘い丸に東条、神余ほかに声をかけぬのでは。依怙贔屓は里見どのの名を落としかねぬ」
気を呑まれた若い義実に「いやいや、言い訳に事欠いて他人を出汁にするようでは」などと救いの手を差し延べるありさま。
「鎌倉は遠い、留守も気になる。白浜には援助を出すゆえ、里見どのはご挨拶に伺うがよろしかろう」
この調子で会うたび義実の鋭気が、すなわち悪意が挫けるのである。安西景連のおかげで小さくとも所領を得たが、安西景連ある限り何かとなかなか難しくもあった。
「さような些事より、今さら知った鎌倉の近さにござる。神余育ちの拙僧には意想の外であった」
つくづく人徳とは縁遠い仏僧だが、それだけ頭も冷えているのだろう。
相模の久里浜から上総の金谷までは――すなわち鎌倉の入口から安房の入口までは――わずか半日とかからないのだ。その金谷から白浜まではまる一日を要するというのに。なるほど使者も横着を決め込むわけだが、じっさい金碗八郎の指摘は深刻な事実を含んでいる。
なぜと言って、公方に就任した万寿王は必ず鎌倉入りするのだから。
ならば近場の郎党義実としては真っ先駆け付けてこそ。それが武士であり侍というものである。
そこで義実、鎌倉入りは秋八月と探り取るや期を測り勢を揃えて船出した。
などと言えば大軍のようだが、実を明かせば文字通りの三々五々。一隻に三人五人、小者も込みの頭数である。
それでも異なる港を口々名乗り「鎌倉殿にお目見えする里見が郎党にござる」とやれば、義実がよほどの大物に見える。引いては万寿王の威光となる。行きがけの駄賃とばかり一部が暴れてしまえばなおのこと。
じっさいこの工夫は実を結び、房総武相の浜を騒がせ鎌倉士人が目を驚かせた。同時代の史書にも足利成氏(万寿王)が鎌倉入りするや「左馬介義実は房州より打って出、上総半国を押領し鎌倉へ参る」と記されたほど。その勢威あたかも安房一国の守護大名、これぞまさしく武士の機略、のはずだった。
「武士は名を上げてこそ。夜討ち抜け駆け、何を措いても一番槍であるべきが。これが年の劫、潜った修羅場の差ですかな」
「いや、策と見栄えにこだわりすぎた。拙速こそ我ら里見の軍法であるはずが」
相模は南足柄に領地を持つ武田右馬介信長に鎌倉詣での先陣を許していたのである。
溜まりでその信長に笑顔を向けられ義実も頭に血が上ったものだが、そこで威儀を改め「我が家臣堀内貞行が危急を救っていただいたこと、この場を借りて御礼申し上げる」などとやられてはどうしようもない。「こたびも若年ながら勢を率いてのご参集、まこと殊勝。共に鎌倉殿に尽くそうぞ」などと再び満面の笑みを作られては義実も苦笑せざるを得なかった。
それにつけても金碗八郎と言い武田信長と言い、出家入道とは何物かと。抱えてしまった悟る気もない公案は拝謁の喜びに消し飛んだ。
三年ぶりに見る万寿王は変わっていた。子供だったものが少年へと。
そして変わっていなかった。共に逃げ奔るたび見合わせた眼差しの強さは。
「二年の内には元服し、例に拠り左馬頭を拝することとなろう」
その厳しい目が義実を捉えるや、あどけなくほどけた。
いかなる苦境にあっても前を睨み歩みを止めなかった幼子が、陽の当たるところに出ようとする少年となったいまようやく笑顔を見せている。
その事実に思わず口元をほころばせた義実に再び強い、いや力強い視線が突き刺さった。
「累代の忠烈、長年の奉公。死線を越え力を蓄えてなお、今また我が元に来たり侍る誠信。里見よ、左馬介は汝のほかあり得ぬ」
俺の副官は、側近は、お前しかいない。
苦労を共にした若き鎌倉公方のその断言に義実の肩が落ちた。目から涙があふれてゆく。
このとき義実が覚えた心の震えは一族の記憶として語り継がれ、子孫が関東副帥を名乗る遠因となった。後世から眺める限り義理には薄いと言わざるを得ない里見家だが、鎌倉公方の手助けだけは、その地位が後にいかなる変遷を経ようとも、止めようとはしなかった。
「右馬介と共に、まさに左右の腕であれ」
鎌倉に南面する万寿王から見れば、これもまた重い事実である。
以前より右馬介を拝する武田信長だが、領する南足柄は鎌倉の右隣と言える。
そして里見義実が領する(と、虚勢を張った)安房は鎌倉の左隣なのだから。
鎌倉から久里浜が半日、その久里浜から半日。
安房とは実にそうした位置にある。
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