第7話 柵左衛門と長狭介 1445年
神余長狭介光弘
熱情と知性の人(改変)。原作では桀紂をモデルとした昏君。神余氏が房州の豪族であったことは史実。
この時点で二十代前半、山下柵左衛門は十代後半。
名槍逆黒十字:名槍と言えば厨二
目を覚ました柵左衛門は槍を構えた武者どもに囲まれていた。
もうどうにでもせよと顔を上げたところがしかしそこには叔父と異なる若い顔。
「これは隣の山下どのではないか。いかがされた」
「殿、こやつは断りもなく境を越えた慮外者。槍馬鹿なれどその武勇は侮れぬものがあるゆえ、この機に殺しておくべきかと」
慮外者だ馬鹿だうつけだと罵られれば倍に返すが武士の常ながら、この日の柵左衛門には気力が残っていなかった。
「まさしく馬鹿だ愚かだ。槍にかまけて地所を失い年来の近習にも裏切られた、生きる甲斐もねえ男だ。さあひと思いに」
そのさまに隣の領主、これぞ神余長狭介光弘であるが、まあ待て山下どのが境を侵した例などついぞ無しと左右をたしなめ「理由など聞かせてもらえまいか」と呼びかける。
顛末に長狭介、初めは笑っていたもののやがて天を仰ぎ、そして嘆息した。
この神余長狭介、武勇の腕はさほどもないが幼時より学を好み書に親しむ月日を送ってきた。なろうことなら足利学校の門など叩いてみたきものと、武家の当主となっては果たせるはずもなき夢を胸にくすぶらせていた身とあって、天下の武辺に憧れる愚者の悲しみが痛いほど分かるのだった。
それが「さようなる仕儀ならば……」と言いさしたところで柵左と目を合わせたのだからもういけない。「何如にもしかたあんめえが」と吼えるや近習に持たせた槍をひったくる。これぞ父より受けた形見の名槍、号して逆黒十字。
「いざこの槍を、足らねば人数も出そう」
受けて山下柵左衛門、知己を得た喜びに萎えた気力を取り戻し「ありがてぇがこいつはおらが不始末。弱腰の叔父などひとりで十分」と言い捨て駆け出した。
館へ向かう道筋に角を曲がれば乳兄弟が今にも首を掻き切られんとするところ。恨みはあれど年来の誼はもだし難く敵を討ち取り助ければ、絶え絶えの息に詫び言ばかりを口にする。「詫びるのならばなぜ裏切った」と問い詰めれば「地所と家督を差し出せば、代わりに鹿島また諸国へ渡る武者修行の費用を出すと誘われて」約束の銭を受け柵左衛門のもとへ駆けたところが騙し討ちに遭ったのだった。あわれ乳兄弟「相済みませぬ」と繰り返し、悔恨のうちにあい果てる。
空しく亡骸を揺することしばし、おもむろに立ち上がるや柵左衛門「それでも叔父御と容赦してきたものを」と泣きつ叫びつ馳せ向かうや気合一声塁を飛び越え塀を打ち破り当る者みな薙ぎ払う。名槍逆黒十字また豪勇によく応え紙のごとくに人を裂く。
憎き仇をただひと振りに両断し血の海の中さんざんに泣き、最早二度と過たぬと胸を叩いたところで柵左衛門「いやいや死者に誓わねばおんねっぺが」と思い返し神余の境まで駆け戻れば、後詰を率いた長狭介が立っていた。
「仏は清めておいたわで」
「ありがてぇよお。そったらことにも思い至らぬおらはやっぱり馬鹿だっぺ。それとこん槍、ありがたく使わせてもらったわで返すだよ」
殿からの拝領品を、それも先君よりの形見を返すなどなんたる非礼と神余の郎党たちは色めき立ったが当の長狭介、我と彼とは父子にも君臣にてもあらずと宥めつつ、「差し上げたもんを取り上げたんではおらの男が下がるでねぇか山下どの」と困る姿に、さすがの柵左衛門も小さくなって恐縮しきり。
だがこの猛勇柵左衛門、粗忽であるが物の道理は知る男。いかにも武勇の人らしく一瞬の天啓に再び馳せ去り駆け戻って桐箱を持ち出した。開けば現れたるは唐渡りの名硯、「親父の形見だっぺがよ、おらの柄でもねぇがん槍の代わりに差し上げるだ」と照れ笑い。
改めて両者贈答の礼を交わし武の逸品と文の逸品がそれぞれに所を得て、ここに長狭介と柵左衛門のふたりは義兄弟の契りを結んだのであった。
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