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第31話 笑顔 1456年春 安房


 舅の武田信長を上総に見送る義実を迎えたのは、潮焼けした笑顔であった。


「会うたび疵が増えるのう、里見どのは」


 言い放つや櫂を操る船頭は安西氏の被官、自称では一門にして相模は三浦氏の裔であるらしい。じっさい房州において「えらそうなやつはだいたい三浦」……とまでは言わぬが、なるほど安西一党を含め三浦系列の有力者は多い。

 問題は小さな天地で諍うてまえ話を盛りがちなところ。どちらが三浦の本家に近いのこちらが先に枝分かれしたのと嘘八百を並べるもので実のところが分からない。官職手繰りで探りたくとも「少よりは大のほうがお、景気良いっぺがよ」というわけで、眼前の正木なにがしなど時に応じて「大膳大夫」を称する始末。なるほど「大がふたつもあればこいつぁえれぇに決まっている」のだから義実としても諦めるほかないのである。


「だっけんが、会うたび人品増しとるのは奇特だっぺ」


 それはまあ、会うのは仕事の都合なわけで。必然銭金関わるわけで。

 つまり正木にすればこれほど「トクが有る」武将もそうは見当たらないのである。

 そうしたわけで内海に乗り出した義実を迎える人々みなみな、満面の笑みを浮かべていた。



 引き比べるに安房へと発つ前、戦傷の見舞いに訪れる男共が見せていたのは曖昧な微笑であった。すぐにでも床を払い奉公に参ずると義実が力むたび、きっぱりと拒否の気配を返された。


「義兄者を疎んでのことではない。公方さまの苦衷も思うてみよ」

「一の忠臣里見左馬に褒美の土地も与えずじまいではご器量を問われようが」


 義弟に舅が相手でも、褒美などどうでも良いとはさすがに言えるはずもない。彼らとしても言わせるつもりはさらにない。 


「偏諱を賜るにせよ、その」

 成氏に重臣として仕える人々はその若き日、先代から「持」の字を受けていた。

 いま「成」の字を受けているのは近習たち、やはり若き人々なのであった。

「さよう、奉公させる子を生さぬことには。わしもいい加減孫の顔が見たい」


 などとさまざま言いつも、身内には贔屓がある。聞く側でも割り引ける。

 効いたのは日取りをずらしてやって来た小山持政の説得であった。


「厄介払いでないとは言わぬ」


 身を乗り出した義実を手で制する……までもなく激痛に腰を下ろすそのさまに苦笑を浮かべて持政、内緒の事情を淡々と語りだした。


「われら八屋形も奉公衆も、地所のありかは常・総・野。鎌倉だのを取ったところで何の実入りがあるものか。根無し草の武田に里見、棚上げするが上策よ」


 さすがに憤慨のあまり床を叩いて立ち上がるつもりで転げた義実に持政、今度は笑いを作らなかった。


「いつまで縋るか里見左馬。もはや公方さまは孤児にあらず、『槍の里見』では用に立たぬ。『里見安房』なればこそ側仕えも許される上御一人なるぞ」


 座り直した義実が見たものは持政の背中であった。

 なるほど互いに見せるような面でもない。


「安房に帰れ。いや、改めて安房に打ち入れ里見どの」


 嵌め込まれた、そう悟ったならば見苦しく足掻きたくはない。


「されば鎌倉、奪って御覧に入れようぞ」

「おうよ。いまひと度、船を揃えて押し渡ってみせえ」


 笑うしかなかった。意地でもその声聞かせておかねば一分が立たなかった。

 義実にせよ分かってはいたのだから。

 武田右馬、小山下野。彼らのごとき大略を持ち合わせてはいないことを。

 結城成朝、簗田持助。彼らのごとく才気に溢れた武者ではないということを。

 独り立ちし羽翼を揃えた成氏の側に、もはや槍一筋の居場所などないことを。



 装束を改め舅の武田信長と並んだ冬の古河館、怪我の義実には板敷の底冷えばかりが気になった。


「右馬助は上総に、左馬助は安房にあれ。おのおの切取り次第」

 成氏の声が、若き近習たちが見せる憧れと羨望の眼差しが、義実には遠かった。

 己もかつて見せていたのか、もはや覚えていなかった。


「我が名代たれ」


 仰いだ成氏の笑顔を、義実はその後二度と見ることがなかった。

 義実自身が同じ笑顔を浮かべるようになった、安房白浜に降り立ったその時も。


 中に見知らぬ若い顔がまじっていた。見覚えのある目鼻であった。

 己の口元が歪むのを義実は自覚していた。


「金碗大輔孝徳と申します」

 告げた若者の笑顔も、見慣れた笑顔に歪んでいった。


自称正木大膳大輔(まさきだいぜんたいふ):のちの正木大膳亮(だいぜんのすけ)の祖。大膳大輔を名乗っているのは創作。

金碗大輔孝徳かなまりだいすけたかのり:金碗八郎の息子。のちの丶大(ちゅだい)法師。

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