第30話 意地 1455年12月、武蔵私市(騎西)
1455年、秋。
常陸また下野で粘り続けた長尾景仲の勢力を完全に駆逐した足利成氏は、本格的に上武の攻略を開始した。
庁鼻和城外の緒戦に一敗を喫した上杉方は――上杉藤朝・上杉憲信・上杉憲明・長尾景仲らの諸将であるが――南東のかた騎西(私市)城へと退却した。
「私市は丘を望む庁鼻和と異なり、足場が悪しうござる」
誰やらの具申に足利成氏が唇を歪める。
「またしても景仲の図か」
成氏の行くところ、要地要地に現れては忌々しきまでに立ち働くのであった。
上野の攻略口ではハサミに構えていた。本貫足利にはアテツケに来た。
敗れては野に出で逃げては籠り、主家から敵を引剝すべく戦い続ける長尾景仲。
その生き汚さこそ武士の鑑と、義実も心中賞賛せずにはいられなかった。
……賞賛できるだけの心のゆとりを、義実もようやく手にした頃合いであった。
「足ならば揃えてござる、我ら一揆にお任せを」
評定の諸将が含み笑いに俯いた。肩を震わせている。
武勇の腕は確かだが、戦略上手とはとても思えぬ里見義実。これがたまさか気の利いた真似を見せるのだからたまらない。
言うだけあって里見義実、地元の船手は懐柔済みであった。舅の武田信長、相婿の簗田持助、親族の鳥山等々、身内への根回しも済ませていた。
しかし義実、こうした動きがどうにも苦手であった。金碗坊主の陰険を思い出さずにいられない。
「何やら仕込んでおるらしいな。一口嚙ませてはもらえまいか、の」
気苦労に拳で叩く左肩、その後ろから寂びた声。
一色宮内大輔直清であった。万寿王と義実が逃げ回っていた時分から、上杉勢との戦には欠かさず参陣し続けた闘将である。
その老練がにんまりと、なんとも言えぬ良い笑顔を浮かべている。
「船手の支度、私市か。なるほど落さば古河は安泰……いや、あくまで武蔵を目論むと」
義実も初めはそのつもりで動いていた。
ついでのこと、近ごろこちらを軽んじている連中の鼻でも明かしてやろうずと。
だが支度に立ち働くうち心持ちが変わりつつあった。
「ならば宮内大輔どの、手柄はすべて譲るゆえ我に加勢を頼みたい。何せ手勢が足りぬによって」
奇矯な頼みと理解していればこそ義実、さらに一言を加えた。
「二十年からの因縁にてあれば」
義実がその言を聞きその目を見るや一色直清、大笑い。
「さようよな、我もお主も。善し、その意地買った」
戦端が開かれたのは12月3日のこと。
上杉勢は城外北西、武蔵は須賀(行田市)に馬を出し待ち構えていた。
騎西城にいきなり立て籠もるということをしなかったのは、それが戦の作法にして武士の意地というところもあるのだろう。
だが結果は分倍河原と同じであった。
足利成氏なる上御一人・絶対的総大将が自ら指揮を取る限り――上杉の本拠にして最終防衛線にあたる上野での戦を除き――寄せ集めたらざるを得ない上杉方に後れを取る道理が無い。
毎度おなじみ遮二無二の突貫を支えかねて上杉勢、騎西の城に逃げ帰る。
しかし追撃は毎度おなじみの勢いを超えていた。
「みな参れ、当家の勢によれ、船に乗れ板を敷け」
ありうるはずもなき話に成氏直下の三百騎が思わず顔を見合わせる。
船手を独占しているならば、攻略も手柄も独り占めして然るべき……それが室町の戦であるところ、細流泥濘に舟やら板橇並べ立てさあ乗れやれ行けと、兵どもの尻を蹴っては背をどやしつける義実と来た日には、さらに大鎧まで身から去っていた。
「掛かれ掛かれ掛かれ掛かれ」
友軍の疑念と困惑には目もくれず、叫びつ義実真っ先駆けて取りついた。
手配りが功を奏して瞬く間に城門を打ち破るや長尾景仲が姿を求める……も、悲しきは武士のサガ。派手な兜を目に止めて思わず薙刀振りかざす。
だがそこは敵もさるもの大将株、そう易々と討って取られるはずもなく五合十合二十合、貴重な時が過ぎてゆく。
「御一門の手を煩わすまでもない、お譲りあれ」
「これは金田の、先手の誉を全うせい」
渡りに船と、地元は須賀の金田友綱に任せて脇を駆け抜ける。
「城主小田どのとお見受けする。いざ」
背後に聞いた呼び声にはさすがに後ろ髪を引かれた義実だが、それは未練と言うもので。煩悩執着を払い自らを励ますべくひときわ声を張り上げた。
「長尾景仲、ここで殺る」
一連の戦は成氏と景仲の喧嘩なのだ。景仲さえ殺れば終わる。
いや、そも景仲さえこの世になければ。鎌倉殿と関東管領の体制が崩れることすら……戦が重なり怨恨も積もった今となっては難しいかもしれないが、それでも。
長尾景仲さえ殺れば、何かが変わるかもしれない。
一門が二十年、かねて夢見た鎌倉府の栄光も。
「返せ左衛門尉、見苦しき限り」
それらしき姿をようやく捉えて義実、大音声に呼びかけた。
「鎌倉で主を見捨てた老耄がいつまで生を貪るか」
必死に考えてきた決め台詞であった。
古希を迎えた長尾景仲がなぜここまで執拗に戦うものか、戦えるのか。
大怪我と敗戦の失意に心折れかかった義実には、いやこの時代の武士であるならば、ほかに思い当たりも浮かばないのだ。
「これなるは里見左馬、弟の仇ぞ。音に聞いてなお背を見せるか」
ついにこちらを振り向くは秀でた額に小さき眼、過つことなく長尾景仲……などと検めもせず義実、番えていた矢を解き放つ。
馬を射て取れば。
泥中に、水に引き込めば。
そのために大鎧を脱いできた、浅ましき姿と侮られても。
手柄をすべて投げ渡してでも兵を借りた、阿呆たわけと嘲られようが。
それが誤算であった。いや、景仲とても上杉が柱石たるの意地がある。
老いぼれと嘲られても武士一流の合理主義、ごくごく薄手の痩せ具足。泥中に落ちた傍から跳ね起きる。
だがそれしきの計算違いで諦めるわけにもいかぬ義実、己一個の武勇に賭けて叫喚一声跳び込んだ。
追い縋るにつれ厚みを増す人の群れ、禦ぎに当たる兵どもも主に同じく軽き足。
雑兵ばらかとひと薙ぎに取るつもりがしかし、いかんとも思うに任せぬ。近習としか思えぬ腕だが、ならばなぜまたかように見すぼらしき……咄嗟の天啓に義実が舌打ち一つ。
「これが長尾の軍法か。忌々しい」
常毛上武いずれにも涌き出でいずかたへも逃げおおせる、そのわけであった。軽装兵を中心に機動力全振りの構えであったとは。
「逃げるな。掛かって参れ左衛門尉」
替え馬に身を預けた怨敵目掛け振り下ろす薙刀、その刃先が頸を掠めて皮を裂く。いま一度と振り上げたところにしかし、再び割って入る兵が人垣をなす。
「里見ごときが推参な」
押し戻されて包まれた白刃の輪を加勢に頼んだ一色がさらに包んで討ち平らげたところが、目指す長尾景仲の姿はすでに遠く。
「近習かと思えばこやつら、太田の被官衆ではないか。長尾と太田は一心同体と聞いてはいたが」
島河原で太田とやりあった一色直清が呑気な声を上げるその脇で義実は落胆していた。
手柄も褒美も、恥も外聞もかなぐり捨てて長尾景仲ひとりを目掛け、果たせず。
ただただ天を仰いでいた義実であったが、興奮と体が冷えるにつれ槍傷から血も失われては意地も張れず、馬の背からずり落ちるようにして倒れ込んでいた。




