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第26話 大角と一角 1455年春 下野


 鎌倉の紛乱を避け下野に逃げた犬村大角は失望していた。

 勝寿門院から二荒山へと動座した成潤門主が権道に色気を出していたもので。


 「鎌倉殿おとうとが勝つならば良い、だが負ければ今度こそ瑞泉寺(足利基氏)さまの流れが絶えてしまう。そも鎌倉公方は関東管領に担がれてこそ、これは室町殿がお望みでもある」


 何もかもが言い訳にしか聞こえず二荒山に背を向けた大角、故郷に帰れる身でもなしと再び山に入ったところでにわかに藪がうごめいた。


 「大角、覚悟」


 錫杖一閃あばらを砕かれ吹き飛ぶ男に慈悲とどめを施さんとして、いま一度眺めれば顔見知りであった。絶え絶えの息に信書を掴み大角に叩きつける。


 「お館よりお達しである。心して読みませい……申し訳も無い、力及ばず」

 

 披けば勝寿門院が副門主の身柄を預かっているとのこと、しかしなお驚くべきはその差出人にして絶命した若党の主君であった。

 赤岩一角、すなわち大角の義父である。


 そも犬村大角、下野の人。

 俗名を犬村礼儀(まさのり)と称する。

 名はよく体をあらわして、この乱世に珍しく礼を重んずる少年として近郷に名を馳せていた。


 評判を耳にしたのが地元の名士・赤岩一角である。

 身寄り無き礼儀まさのりに同情しまたその人柄に共感を覚え、ひとり娘雛衣(ひなきぬ)の婿に迎えたのが三年前のこと。

 ならば赤岩家の跡取りであるべき礼儀が大角となり世を捨てた理由だが。


 犬村あらため赤岩礼儀、齢十五にして長六尺。

 ひきかえ妻の雛衣ずいぶんと華奢で、婿養子の礼儀さまざまに遠慮があった。

 夫婦のことをいたすにおいても。


 が、ある夜のこと。

 何が起きたか雛衣が獣のごとき声を上げる。白目を剥いて失神した。

 夫の礼儀、何か間違いでもあったかと大あわて。幼き折より体格に優り、小突いただけで大人すら怪我させてきた経験に照らしたものでもあればやむを得ない。


 ともあれ介抱するまでもなく気を取り戻した雛衣の笑顔に胸を撫で下ろしてより以来、夫婦のことはごく控えめを心掛けた。何が起きたか存ぜぬものの、妻にとって「良いこと」ではなかろうと。それが礼儀少年の判断であった。

 

 その数か月後のこと。

 赤岩家の用向きによる長旅に出で、帰り来たれば……多くを語るに値せぬところだが……要するに雛衣が浮気をしていた。

 現場に鉢合わせた礼儀、混乱のあまりかえって冷静を取り戻す。間男を斬るでも妻を責めるでもなく座り込む。


 いっぽうの雛衣は求められもせぬ口説き(いいわけ)をまくし立てて止まなかった。

 「さびしかったの」「なんでずっとほっておいたの」

 いや、さびしかったのは礼儀も同じことである。それでも浮気もせずとまっすぐに、旅程をつづめ足を速めて帰って来たのだ……そのせいで現場に鉢合わせしたわけでもあるが……そもそもほっておいたつもりもないし、さびしければそう言えば良かったではないか。


 そうしたわけで、雛衣口説きが礼儀にはまったく理解できなかった。

 理解できぬなりに、いつまでもこちらを責め続けるからにはつまり妻から愛想を尽かされたものと十六歳は解釈した。

 妻から愛想を尽かされたのであれば、入婿の己に居場所はない。家を出るのが筋であると考えた赤岩礼儀、頭を丸めて出家した。これが犬村大角である。


 礼儀改め大角坊主、峰々を経めぐるうち山伏仲間に出家の理由を問われ答えたこともある。

 やけに下卑た顔を返された。嫌がらせを受けるようになった。出家にあるまじき嫌な先輩だと思っていたところが、案の定。岩を登る荒行のさなか蹴り落とされんとするところ、その足首を掴み返し放り投げ叩き殺した。時は室町世は乱麻、きはんにおいて非難される筋合いは無い。

 以来、大角は口を濁すこととした。「男女の道に踏み惑い」ぐらいにしておけば、ほどほどの関心と同情、適切な距離を保ちうると悟った。

 貧しい中から雛衣に仕送りもした。赤岩家では雛衣を責めているらしいが離縁を申し出たのは己であるからと、詫び金にもならぬがせめて生活の足しぐらいにはと、それが筋であろうと考えて。


 そうして回峰修行を重ね鎌倉は勝寿門院に至るも、騒動に巻き込まれ下野へ舞い戻り今に至ったという次第。

 大角が成潤門主に愛想を尽かしても故郷に顔を出せぬ、これが理由であった。


 だが若党の亡骸を、かつて己を婿殿と呼び白い歯を見せていた男の死顔を眺めるうち、大角も胸に小さな痛みを覚えた。

 改めて合掌し文を熟読するにつけ、しかし得心いかず首をかしげる。


 大角の知る赤岩一角は厳にして厲ならぬ人物であった。すくなくとも仏僧を拉致するといった暴挙に出る男ではない。

 我に用なり恨みなりあるならば、その旨伝えればよいものを……「いや、言を構えて逃げたであろうな。さすがは舅御、我をよくご存じだ」と呟き大角、山に背を向け故郷へと足を運ぶ。



 そうして懐かしくも見合わせた岳父の面持ちは、哀しげであった。


「抜け、礼儀。いや大角」


 いきなりの決闘宣言にさすがの大角も戸惑った。

 問わんとするもその機先から制される。


「雛衣が川に身を投げた」


 かろうじて躱した大刀の抜き打ちには二段三段がついてきた。

 何故に、そのひと言を許すつもりもないらしいと大角も悟る。

 

「お主が悪いわけではない。礼に則り正しく接する、お主はそうした男だ。夫は妻にかくあるべし……夫婦においても礼を守る良き夫であろう」


 繰り出される連撃に戒刀を抜く暇とてなく、鞘のままに振りかざしては撃ち込みを牽制するほかなすすべも無い。


「勘違いさせたところはあるやもしれぬ。いまも夫のつもりでいる、己を忘れずいてくれる、復縁を求め帰って来ると。然してなお、処置のいちいち間違いとまでは言えぬ。お主はどこまでも正しかった」


 大角には言葉のいちいちが意想外であった。

 惑乱に起りの間合いを制し損ね、刃が身をかすめた。頬に血がにじむ。


「だが雛衣にはその正しさが通じなかった。お主が顔を見せぬと、帰るつもりがないと知り、顧みられぬ身の上を悲観した。過ちを悔やみながら川に身を投げた」

 

 出家の身であっても、その事実は厳しきに過ぎた。

 落ち着いて話を聞かずにはおかぬ、まずは跳び退かせ間合いを作るほかになしと腹を括った大角、背の錫杖を振りかぶり撃ち下ろす。


「それが哀れでならぬ、我には耐えられぬのよ。愚かな娘を育ててしもうた愚かな父、それでも恨みをぶつけてやれるのは我しかおらぬ。逆縁ながら雛衣の無念を晴らす、仇を討つ」


 一角が振り絞ったその口説が大角の手元を狂わせた。  

 手加減し損ねた撃ち込みを、大上段の錫杖をしたたかに受けて一角、呻きを残し倒れ伏す。


「大角どの、いや礼儀よ。お主は雛衣その人を見ていたか? 雛衣といかにありたかったのだ?」


 取り落とされた大刀を蹴り飛ばし遠ざけて、それでも実父のごとくに慕った岳父を傷つけまいと腕を極めにかかった大角の手が動きを止めた。

 その動揺に答えを見た一角が絶望に跳ね起きた。懐刀を抜き放つ。


「殺せ大角、この期に及んでまだ我を、雛衣を侮るか。見下げるのか」


 身に迫る光芒と激越な言辞に誘われるまま戒刀を頸に差し入れていた。

 噴き出す血潮に身を染めながらなすすべなく大角は空を見上げていた。


 わからなかった。

 なぜ赤岩一角は己を殺そうとしたのか、いや敵わぬと知りつつ挑み死を選んだのか。雛衣は己のどこが気に入らなかったのか、なぜ自ら命を絶ったのか。己の何が悪かったのか、悪くなかったのか。いかに振舞えば良かったのか。

 まるでわからなかった。


「大角よ、今のおぬしが両位の後世を願うべきではない」


 声をかけた禅僧は、一角から丁重に迎えられ雛衣を弔っていたものであった。

 拉致ではないと知って大角、岳父の変わらぬ善性にわずかばかりの慰めを覚えるも、その緩みを名刹の副門主が見とがめぬはずとてなく。


「わからぬかと問答に責めてみたくもある、だが荒法師にそれをやると腹立ち紛れに(ぎゃくギレで)殺されかねぬ。禅とは宗派が違うわえ」


 嘲るかのごとく、憐れむかのごとく吐き捨てた禅僧がなお声を励ます。


「歩め、大角。その問いを抱えて生きよ。差し当たっては勝寿門院、いかが相成っておるものか確かめて参れ。報せは無用」


 それが配慮であったことを、後年には理解した。

 だが二十歳に満たぬ大角坊主は何もわからず、愛した妻と敬した義父と、己のせいで二人が死を選んだその衝撃に耐えかねて、言われるがまま鎌倉めざし蹌踉足を踏み出していた。


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