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第25話 開宴 1455年上半期 坂東全域


 再び武州に話を戻す。


 分倍河原の戦いに勝利した足利成氏は、上杉一門の勢力圏を中央突破しつつ北上を遂げた。

 元荒川の西岸域(現代の荒川流域)を北西へ進むルートであり、山内上杉家の本拠である上州への最短距離を踏破したものである。

 戦勝からひと月を経た2月半ばには村岡(埼玉県熊谷市)に到達、ここから先は荒川また利根川を越えての進軍となる。

 

 それを聞いて安堵の笑いを漏らしたのが敗軍の将、長尾景仲であった。


「やはり鎌倉殿はお若い。坂東の懐深さをご存じ無いわ」

 

 不双の案者(無双の知恵者)と讃えられた長尾景仲はその点よくよく理解していた。

 大河――世界的規模はともあれ、15世紀坂東の武士団においては大河で間違いない――利根川を越えての軍事作戦を成功させるには多大の資力が要求される。山内上杉家を滅ぼすところまで視野に入れるのであれば、後背地を完全に掌握しその全力を以て圧を加えぬことには「埒が明かない」。 


「上武の一揆を手馴け平らげぬことには、とてもとても。戦の前に工作しこみもせずと、泥縄で勝てるものかよ」

 

 分倍河原の大敗にもめげず付き従ってくれる味方を前に激励を述べたところで、しかし心中に反論が浮かぶ。


「だが公方の勢を思えば、楽観もしてはおれぬか」


 対岸に敵が待ち構えるなか大河を押し渡るには、後背の安全と資力を確保しその全力を以てしなくてはならない……のであれば、最初から安全圏で渡河しておけば良いわけで。

 武蔵(埼玉)から北のかた上野(群馬)へと直線的に迫るのではなく、いったん東のかた下総(千葉県北部)あたりへ渡っておけば……あら不思議、そこは鎌倉公方の御料地にして奉公衆の本貫地。資力を確保できるではないか。そのまま利根川左岸(北岸)に沿って、勢力を雪だるま式に糾合しつつ西へ向かうようなことがあれば……あれだけ手ごわかった成氏一党だ、この進路にまさか気づかぬはずもない。

 と、不双の案者と言われるだけあって長尾景仲、アタマ良すぎる人にありがちな理路を辿っていたのであった。


「敵の掛かりは上州の東口、下野・常陸の線だいね。ならばハサミの一石を」


 少し後のこと、足利成氏は下総古河を本拠に定めた。

 これが意図的・戦略的な判断によるものかについては争いがあるようだ。

 だがいずれにせよ、確かな事実が存在している。

 

「鎌倉殿にご注進! 長尾景仲、常陸小栗(茨城県筑西市)に走った由!」

 

 その事実によって。

 言い換えるならば、「長尾景仲の優れた戦略的判断が存在してしまえば」。

 成氏方にせよ「正しい判断」へと導かれてしまうのである。


「景仲討つべし(武士一流の脊髄反射)」

「されば利根を東へ渡り下総にて御味方を合わせ、しかる後に小栗へ押し出そうず(坂東武士の実践知)」 


 3月3日、足利成氏が古河に進出。

 3月19日、小田持家・小山持政・簗田持助ほか成氏方の有力部将が小栗城攻略に出発。足利成氏も結城に出張り自ら攻略する姿勢を見せた。


 以後しばらく、成氏方と上杉方とは利根川左岸(北岸)域の上野・下野・常陸あたりで一進一退の攻防を繰り広げる。

 その中で長尾景仲、5月まで小栗で粘った。なお下野に落ち延び、立て籠もる。

 

「身命を惜しむものではない、御家のためぞ。公方方が目の色変えて我を追う、その間に扇谷も建て直せれば、越後上杉の来援もある。室町殿の旗印も来る。時は上杉の味方よ」


 戦術の勝利は戦略の勝利に如かず、戦略の勝利は政略の勝利に及ばぬと聞く。真理ではあるかもしれない。だが年のせいか長尾景仲、少々気が長かった。


 武士は一勝一敗に生きている。ことに中小武士団は目先の勝ち馬に乗らぬことには生き残れぬ。

 八屋形のごとき大物にせよ興廃かけて最終レースの本命馬に張ろうと思えば資本もとでが気になるところであって、ならば目先の勝ち馬で小銭を稼いでみたくもなる。


 このあたりを切実に理解していたのが足利成氏の与党であった。

 永享の乱に結城合戦、負け戦に次ぐ負け戦で存亡の危機にさらされ続けていたのだから。


「(一揆の衆について)当座の御調法候の間、然るべき様御計略尤もに候」

(とりあえず、一揆の人々を調略するのがよろしいかと存じます)


 分倍河原の大勝利(大敗北)により、また成氏方の矢継ぎ早なる工作により、坂東各所で火の手が上がる。

 3月には下総の内海沿いで千葉氏が、上野の南東部においては岩松氏が、それぞれ家を割っての内紛に突入。


 享徳の乱、ここに華々しく開幕である。

 



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