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第23話 八房 1450年頃


 足利成氏が鎌倉公方に就任してのち享徳の乱が起こるまでの房州事情にも多少は触れておこうと思う。

 というわけで房州は南方山中に割拠する神余氏だが、その北の方となった玉梓は少々困惑気味の日々を送っていた。


 この玉梓、接遇を生業に一流の業績を挙げてきただけあって、世間の狭い――と言っては武家社会の女性に対して公平を欠くかも知れぬが――侍女たちをあしらい手馴けるなどお手の物。

 それでもいろいろ苦労はあった。まず朝が早いところに始まり、言い出したらきりも無いが何から何まで勝手違いの武家である。その中でじっと動きもせずと囲まれかしづかれては気が詰まるというわけで玉梓のお方さま、昼はなるたけ遊行に努めていた。

 と言ってぶらぶらしていたわけでもなく、「外から来た身、土地のことを何も存じませぬゆえ」との綺麗な言い訳そのままに、じっさい天文に地理また民情を学ぶぐらいの向上心とどぶ板行脚のその姿を周囲に示しておくぐらいの知恵は元より持ち合わせてもいた。


 ともあれそうして房州弁の癖の強さに悩みつつ領内を経めぐるうち、犬も歩けば棒に当たるの謂いではないが玉梓のお方さまいきなり犬にでくわした。

 これが仔犬ながらに立派な面相、太い脚。なかなか見かけぬ真っ白な毛並みと言い、どうも野良とも思えぬ節がある。

 お付きの侍女や随身が務めとばかりに追い払えば素直に尾を見せるのだが、石やらの射程を超えたところで立ち止まる。悠々と振り返る。賢い犬よと見やりつつ玉梓の方ご一行が道を変えたところ、悲しげに遠吠えする。石を恐れず寄ってくる。

「何ごとか訴えているような。ここには皆々頼りになる人もあること、深入りせぬほどに追うてみようぞ。殿よりのお叱りは妾が受けようゆえ」

 気遣いを付け足せば「さすがは殿が北の方さま」と呟く(がなる)随身を眺めて、はんなりと微笑を返せるぐらいには玉梓も武家に――「さすがは北の方さまよ」などとは世辞にも言わぬ、武家一流のあくの強さに――慣れた時分ではあった。


 そうして予定の道を変え三度ほど辻を曲がり山に入ることしばし、そろそろこれ以上はと主従が躊躇を覚えた頃合いで白犬が走り出した。少し先の藪で吠え声を上げる。

 ひとりの近習が分け入るや大慌てで降りてきた、その背に童女を負いながら。


 汚れやつれてはいるものの多少あか抜けした姿はどうも事情があるようで、じっさい介抱してみれば「このたびは命を助けていただきましたこと、かたじけなく存じます」との第一声。

 情義やら言葉やら躾の跡をそこは玉梓敏感に感じ取り、当座は難もあるまいと夫に話を通して事情を問えば、たえという名のその童女、在所は犬掛いぬかけとのこと。


 神余からは道程みちゆき四里ほど離れたその犬掛だが、地味ながら要地と言えぬこともない。

 何せ海岸の観光渋滞と信号地獄を避けつつ安房地域医療センターと亀田総合病院を往復するなら通らざるを得ぬ、つまり高齢化房州の心臓部と称すべき立地であり……などと言ってしまえば電波であるが、いっそ怪文ついでに申し上げるならばアクアライン・館山道はさておき海岸の国道127号128号ならびにJR 内房外房両線を利用すれば隧道トンネルの多さに驚くことは必定、そしてこの隧道とは発展した経済と進歩した科学の賜物であること言を俟たない。

 これを要するに、八犬伝の舞台十五世紀にあって房総の沿岸交通は海路による他なかったのである。唯一の陸路といえば中央を縦断する現在の県道88号だが、これを古くは「犬掛道」と称したもので、つまり犬掛とは房州における交通の要衝なのであります。


 ともあれその犬掛で、富農――周囲との比較にすぎぬが――の家に生まれたたえであったが、流行り病でふた親を失い叔父夫妻に地所を奪われあげく売り飛ばされそうになるところを飼い犬の奮闘に助けられ逃げてきたのだとか。


 神余の殿が義弟にあたる重臣山下柵左衛門、どこかで聞いたげな話に怒り心頭。さっそくに殴り込まんと立ち上がったが、犬掛とは房州中央やや北部、つまり安西党の縄張り外縁にあたる。神余党が遠路はるばる口を挟めば大事面倒ひと悶着である。

「無茶でござる山下どの」

「だっけんが、こったら不義を許してはおいねぇ。止めるで、お前方めほら郎党が義兄者あにじゃの名を落とすような真似……」

「今すぐというわけには参らぬ、了見するだよ兄弟」

 男どもがおめき騒ぐなか玉梓も「まずは娘の身の上を。助けておいて放ることこそ殿の御名に関わりましょう」だのと執り成すも、地声の大きさで武士どもに勝てるはずもなく助けを求めて左右を眺めたところで地下の仔犬と目が合った。

 すると白の仔犬がわんとひと声、そのまま口論に負けじと長吠え遠吠え、はては柵左衛門の裾に取り縋るさまに豪勇もついほだされた。

「こいつぁ賢い犬だっぺ。名はなんて言うだ」

 ぐにぐにとほほをつままれ微妙に嫌そうであったが辛抱するあたり、やはり賢い犬であるらしい。

「ふさと申します……へ? 由来? 毛がふさふさしとるだわで、でございます」

 たえも賢い童女であるがそこは房州者、思わず釣られて訛るさまに場が和めばその隙を逃す玉梓でもない。

「有り難きこと。房総とは訓ずればすなわち『ふさふさ』。これが殿を慕って懐に入るとは正しく大慶、やはり凶事は慎むところかと。お願いいたします山下どの、あるじを守り抜いた忠犬ふさの顔にも免じて」

「もう分かっただよ義姉上。無理な戦を仕掛けたりはしねぇから、その、なんだ、どうかお顔を上げていただきたい……いくらおらが馬鹿だっても、犬に負けたくは無ぇ」

 気鬱とは言わぬが近頃調子の出なかった愛妻玉梓が久々見せた冴えに神余の殿も満悦しごく、「なるほど犬ながらに見上げた忠義。ならば褒美として、さよう。いにしえの縁起を探るに、そも房総両州は八郡より起こる。よりてここに八房やつふさの名を授け……」

 おごそかに申し述べたところで神余長狭介、ぽかんと見上げる仔犬と童女に笑顔を見せる。掌をそれぞれの肩に乗せた。

「主たえ共々、北の方さまにお仕えいたせ」

 わうんと応じ尾を振りたてる八房に柵左衛門「やっぱし賢い犬だっぺ」と感嘆しきりなのであった。

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