第22話 若き人々 1455年1月下旬
「それではお悔やみに行って参ろうゆえ」
みずから足を運ぶべきところせめてと見送る間もなく八郎の姿が消えた。緩慢に腰を下ろした義実の顔が苦痛に歪む。
分倍河原の戦傷は深かった。とうてい葬礼に参加できる身でもない。
八郎が使い先の里見民部少輔に至っては、首をみやこへ持ち去られていた。
じっさい里見の首にはそれだけの――みやこに送り実検に及ぶだけの――価値がある。
義実一個の自意識は鎌倉殿の奉公衆でも、世間的に見て里見氏は鎌倉公方足利家の堂々たる御一家衆、敵からすれば手柄首なのだ。民部と左馬――刑部少輔家と言うべきか――と、二人の二つ引両は多数の目がけるところとなった。
「若君がご存命とあらば、これは不幸中の幸い」
応接の若党に対して述べた、これは八郎の真情であった。
彼の友人左馬助義実には今のところ男子がない。危うい綱渡りをもう二十年と続けている。
「初陣にしてかの激戦を生き抜く、若くして弓馬に優れておいでのご様子」
「神仏また里見がお家の、祖霊の加護あったればこそと存じます」
無用のあるじ誇りをしない。僧形とその主家に花を持たせる。若党にしてこれはなかなか、使いの任も楽ではないかと金碗八郎目を細めざるを得なかった。
「しかしさて、惜しむらくは亡き民部どのの手柄が聞こえておらぬこと。ご後嗣の存在も併せて、鎌倉殿へは左馬助より上申いたしましょうほどに」
ごくごく当然の挨拶にして親戚の好誼ではある……「取り込み」であることもとうてい否定はできないが。
「ご厚意痛み入りまする。が、そのことは」
当然のごとく切り返してくる思慮深げな顔に、金碗八郎にわかに思い当たりの節があった。
「青井どのと申したか、お手前たしか海野尽右衛門どのの」
勝寿門院にて小耳に挟んだその名の主がこれかと、舌打ちをかろうじて堪えたものであった。
「まさにその海野尽右衛門、もとは俗世にあった雪ノ下殿にお仕えしていた身ゆえ、そちらより話を進めておるところにて」
雪ノ下殿こと定尊法師、すなわち鎌倉殿・足利成氏の実弟である。兄君の出世に伴い、いまや鶴岡八幡宮の若宮別当に任ぜられていた。
それはなるほど里見氏ともなれば君臣一洞ありとあらゆる伝手を持っておろうが、しかしあの大莫迦者が……いや、入れ知恵したのはこの若者に間違いあるまいとひとり合点した金碗八郎、屋敷の内に足踏み入れるやますますもって苦笑せざるを得なかった。
「おおこれは海野どの、勝寿門院以来でござるな。いつご挨拶があるかとびくびくもので」
かような折こそ僧形は都合が良い。世俗のしがらみなどどこ吹く風で言いたい放題できるのだから。
受けて尽右衛門、頬ふくらませ唸り声を上げるばかり。言い返せるほど洒脱な性でもないところへ、何よりこちらも分倍河原にて奮闘あげくの大怪我でまともに口がきけぬのであった。
それでも立ち上がるあたり当主への案内を引き継ぐぐらいの意地は残っていたらしい。じっさい誇るに値する、誰に引き合わせても恥ずかしくない若君であった。
「里見民部少輔実能と申します。若輩がこちらから挨拶に伺うべきところ、多忙に取り紛れ」
礼儀正しい、言葉を遣える――己が得物と用いる術を知っている――、それでいて涼しき顔。まるで嫌味を感じさせない。鎌倉殿の近習がすぐにも務まる利け者かと、金碗八郎にしてぐうの音も出なかった。
「亡き父のがわで意地を張り、刑部少輔家に疎遠となりましたことも併せてお許し願いたく」
剣突食らわす気はないが民部と刑部は別の家と来たものであった。
これは義実どのも頼り甲斐あるご親戚をお持ちであることと金碗八郎破顔一笑、臍下丹田に気合を込める。久闊の慶びに亡き人のお悔やみに、両里見家への寿ぎなど礼儀正しく言上のうえ民部屋敷を後にした。
里見民部少輔成能――あのすぐ後に鎌倉殿から偏諱を賜ったとのこと――二十歳には満たぬはず。取次に出た青井なる青侍も見るからに緻密な頭脳の持ち主であった。思えば鎌倉殿もお若いながら優れた弓取りと、そうしたわけで金碗八郎感嘆しきり。
「後生畏るべしとは申すが、なかなか。我らもうかうかしてはおれぬわな」
意地にも身を起こしにかかる心身の壮健、聞き入る目の輝き、八郎の見るところ義実もやはり一方の英雄ではあった。
だがそろそろ最前線を張るには厳しくなってきたかもしれぬと――思えば手負いの猛獣海野と言い討死した上杉の各将も良い年であったと――金碗八郎シミの出初めた己が腕など眺めつ伸ばしつ怪我人を抑え込む。
「ともあれ里見どの。すべてはお主が本復の上、それからの話よ」
無理矢理に寝かしつけて庭に出た八郎、神余に残したせがれはどうしておるかと出家にそぐわぬ未練を胸に浮かべていた。
いっぽう八郎の去った民部屋敷であったが、こちらも何やらぽっかりと穴の開いたような気色を帯びずにはいられなかった。
これが人間の大きさかと感じ入った若き里見民部、海野尽右衛門に向き直る。
「戦を生き残ったのも、雪ノ下殿より鶴岡八幡宮ご料地の代官職を賜ったのも、すべて海野どののお力添えあってこそ。向後も助けてはもらえまいか」
民部少輔家は義実の刑部少輔家以上に勢いがなかった。譜代の郎党も家の子も刈りつくされ新規立ち上げしたばかりのところで当主が討死、まさしく目も当てられぬ惨状である。したがって大馬鹿などと言われはしても尽右衛門、間違いなく貴重な戦力なのであった。
だがどうも、若者に眩しさを覚えたのは金碗八郎だけではなかったらしい。
「かように大怪我しておってはお役にも立てぬ。いったん信州に帰り湯治に身を整えてのち、改めてのことと」
深謝のうえ退出した海野尽右衛門、しかし盟友青井飄淡齋には仕官を勧めたものであった。
「青井どの、そなたは民部どのと行を共にするが良かろう。雄才を活かす好機ぞ」
ゆるやかにしかし決然と首を振られて尽右衛門、だがやはり惜しいと呟いて、今ひとたび申し出ずにはいられなかった。
「ならばせめて、得意の占いに問うてみてはもらえまいか」
「心中に迷い無くして占に問う、これ易を瀆すもの」
繊弱の飄淡齋にして見せたこともないほど厳しき顔を返されて鼻白んだ尽右衛門、それでも「何を申しておるかわからぬ」と正直に困惑を伝えたところが、今度は微笑が返って来た。
「占うまでもないことは占ってはならぬ、いや、まさしく占うまでもない。そういうことにござるよ」
――何がどうあろうが付き合うと決めた、そういうことにござる――
怪我の海野に肩を貸しかえって足元をふらつかせる始末、どちらが怪我人か分かったものではない。それでもふたり連れ立ち信濃を目指したのであった。
里見民部少輔実能について
足利成氏より偏諱を受けて成能、のち成義に改名する(創作)。
不在説、存在説、存在するけど義成説のうち、存在説に近い流れで話を組み立てております。
鶴岡八幡宮ご料地:所在は千葉県館山市(?)




