第21話 不双の案者 1455年1月20日夜 相模
帰って来た使者の報告を聞いた若者が大慌てで書信を認めかけ、そして取りやめた。言付のみを命じてため息をつく。
不双の案者などと称されている祖父・長尾景仲の顔を、ずっしりと秀でた額をがっちりと鰓の張った顎を思い出しつつ首をかしげた。
……………………身内びいきを抜きにして、仕事のできる男であることは間違いない。何より責任感が強い。だが「案者」の評は違うであろうと。思案なり知恵なりといったものはもう少し軽妙であるはずで、あの祖父にはどうしたって似合わぬ。
なにせ娘婿に対して「太田どの」だの「扇谷が家宰どの」だの、それどころか孫の自分にまで「太田の若君」と来る。むろん公の場に限った話だが。
なにも身内を甘やかしているわけでもないのがややこしいところなのだ、私的に所見を求められたときのことなど思うにつけ。
「良い思案じゃ鶴千代」との笑顔に許しを見て、じっさい評定の場で開陳したところが大いに反論されへこまされたものであった。それも何やら、どう見ても知恵の足らぬ猪武者に。己が何を言っているかも分かっていない顔をしていた。
我意に固執する気はないが、猪の策が上杉の方針になってもみっともないと再反論を試みたところが祖父め、「揚げ足を取るものではない」などと小さな眼を怒らせる始末。
つまりは同僚の歓心を買うため出汁にとったのであろう。後から小遣いなど送って寄越すあたり間違いないのだが、要はそういうところである。あちらに気を使いこちらに目を配り、細やかには違いないが暑苦しくて泥臭い。
いや、あるいはそうしたところを「思案が深い」と言うのかもしれぬ。
じっさい、祖父の仕事は手厚い。どこまでも分厚い。その傾向は「仕込み」においてことさら顕著で、遺漏などあったためしがない。
今回も上武の一揆に布令まわりがてら、関東管領暗殺の件を早速みやこに報告している。「鎌倉公方の室町殿に対する叛意が明らかであること、朝敵と認定すべきこと、旗印ならびに援軍を下さるるべきこと」ほか諸々、理を極め辞を尽くしつつしかも迅速に書面化していた。
そこまでせずとも勝てるはずなのだ、上杉氏と鎌倉公方その力関係を鑑みるに。
なるほど事後の処理を思えば正当性を訴えておく要もあろう、足を掬われぬためにも。
だが何か、危うい。どこかおかしい。今度ばかりは常と異なる。
現に鎌倉に攻め入らんとして我ら扇谷上杉、島河原で公方がたに敗れた。相手が老巧武田信長に闘将一色直清であったとはいえ完敗であった。
聞かされていたここ二十年の軟弱ぶりとは違う。どうも待ち構えられていた気配がある。
何か、そう、先手先手を取られている……………………
「祖父の手厚さを巧遅にされたか」
呟いて背にうそ寒さを覚えた若者が、ならば正しき言付であったと胸を撫でおろす。いやむしろ「山内上杉が家宰どののお身を守り参らせるよう厳に伝えよ」など杞憂であったかと。だいたいあの祖父が、長尾景仲がくたばるところなど想像もつかぬと息を吐く。
とはいえなるほど「祖父上」では締まりが悪い。「家宰どの」になるわけだと含み笑いを漏らして太田道灌、ついでのこと「長尾どの」と口にしてみた。
「さすがに生意気が過ぎる。首をねじ切られるわな」
再び呟き灯を消していた、果報を待つべく。
太田道灌:このころは太田資長ですが(ついでに言えば長尾景仲は長尾昌賢ですが)、太田道灌で通します。何せ太田道灌は太田道灌であって太田道灌ですので。




