第2話 かなまり 1444年夏
海野尽右衛門幸守:オリジナルキャラクター。原作のネーミングセンスをリスペクトしてみました。江戸子捨八って……
待たせてあったとしか思われぬ小舟に身を預けるやすぐと怒声が飛んできた。
「やあ待て、我が名は海野尽右衛門幸守。お側仕えにありながら万寿王さまを弑せんとする大逆の徒里見義実、せめて末期は潔くせよ。返せ返せ」
濡れ衣に怒る心が半ば、やはり万寿王を目がけたものではなかったとの安堵が半ば……以上に、討手が呼ばわる言辞の古さに驚く心がまず七分。
なれどその言まことであれば信州の名族、常陸生まれの義実にも馴染みの響きとあって思わず首を擡げてしまう。目がけて征矢が風を切るもそこは内陸育ちの尽右衛門、水になずまぬ身の悲しさ。舟のゆらぎを読み誤った一矢は義実が頭の上を空しく過ぎてゆくばかり。
「船手を射るとは卑怯千万、それが海野の軍法か」
義実すかさず舟に備えの弓を取り、返しの一矢を番えたところが尽右衛門、怯む気配もついぞなく。
「これは我が過ち。だが故意にもあらぬ少過をあげつらうとは口汚し。万寿王さまが近習にも似合わぬ下種の成しざまではないか」
謝罪の証とばかりあえて躱さず矢を鍬形に受け尽右衛門、ふらつく頭を振り立てながらなお馬を煽って水に乗り出し船縁まで三尺の間に迫る。
「ならばいざ、組み討ちにて」
義実の誘いに応じ飛び上り艫に腕を伸ばしたところで小舟がくるりと横を向く。
哀れ海野尽右衛門、澗谷の急流に飲まれ浮きつ沈みつ遠ざかりゆくのであった。
……ともあれ。
武士の機略と艪を捻った当の男は白い歯を見せていた。
「船手を庇いたいならば騒ぎは無用に願います。先はまだ長い」
気恥ずかしさに浮かせた腰を落ち着けた義実だったが、これも切り替えは早い。
「帰るわけにはゆかぬ、万寿王さま御身に危険が及ぶ……と言うていずれに落ちれば? いや、まずは敵を見定めぬことには逃げようも」
抜く手も見せず飛び来たる霰があった。
「拙僧とて敵やも知れませぬぞ」
掌中に握り止めて即、応ずる声があった。
「無いな」
義実には確信があった。
五年に及ぶ逃亡生活を経てきた。佐久に腰を落ち着けるまで、幼君を守りつつ。その経験が告げているのだから、無いのだ。
「僧ならば水夫の手当てを頼む」
都合よく坊主扱いされた男が含み笑いを漏らす。
煎り豆のヘタを吐き出し手枕決め込む背を眺めつつ。
小舟を乗り捨て山路に上信の堺を越え、再び水上の客となる間に義実の頭も冷えてきた。
「御坊の言、いちいちが腑に落ちる。足利義教公の薨じてより風向きは変わった。再び鎌倉府の開かれる日も近い」
「さよう。永享の乱に結城の敗戦を経てなお鎌倉殿の、足利基氏公・持氏公お血筋の権威はいまだ衰えておらぬ」
里見義実の父である刑部少輔家基はその永享の乱に敗れ戦死していた。
その前後から里見家を主導した族叔の里見修理亮に命ぜられる形で、義実は逃亡する万寿王の側近へと「厄介払い」……好意的に言うなら「亡命」させられたわけだが、その修理亮も結城合戦に敗れ三年前に戦死している。
「持氏公の忘れ形見はお二方。みやこでは弟君を鎌倉殿に立てるつもりだとか。一方で坂東の諸将は兄君の万寿王さまを推している」
そうしたわけで万寿王には近侍の数が増えている。暮らし向きにもゆとりが出てきた。坂東武者の現金かくのごとし、その一角にあたる里見家の義実もこれはよくよく知るところ。
「憚りながら、その万寿王さまのお心を推し量るならば……命懸けで鎌倉殿に尽くしてくれた里見、結城、岩松など取り立てたくなるのが人情の自然。しかしそれをされては困る者もある」
義実にもようやく見えてきたように思えた。
「管領方の武将たちか? よけいな讒言を吹き込む気など我にはないぞ」
鎌倉殿こと鎌倉公方と関東管領とは協力するに限る……いや、無益にも程がある妄想であった……互いに礼譲を以て諍うに限るのである。永享の乱など二度あって良いものではない。
沈思する義実を我に返したのは艪の立てる水音だった。
どぷん、と重い。利根の流れが広さと深さを増している。
「もはやどうでも良うございましょう、帰らぬと決めたものであれば」
「なるほど身のほどに余る話をしても詮が無い、今は逃げの一択。となれば利根の東だが」
利根の西側、武蔵国はみな管領がたであるゆえに。だが常陸また下総も、公方がたの本拠であっただけに追及が厳しい。
「元来両勢入り乱れ、二度の騒動を経てなお状況の変わらぬ国もござる」
謎かけにもなっていない。関八州に残った国などひとつだけ。
「南総に縁をお持ちであったか、御坊」
「房州は神余郷に神人以来の一族あり……南の最果てにござるよ」
かなまり、という名に首を傾げるやひと言を付け加えられた。非礼に出たきまり悪さに贅言を重ねてしまう。
「それにしても御坊、それほどの物識りがなぜ我などに関わる。大族の客人にでもなれば良かろう」
「かなまりなどと、どこの馬の骨とも分からぬ下郎が何を言ったところで。里見どのがごとき大族には聞き入れてもらえませぬでなあ。見聞も広めたところで房州に帰らんと思い立ったまで」
「零落の身をそう擦ってくれるな御坊。しかし房総に渡りたくばなおのこと、警固厳しき相模に出でねばなるまいが」
西国からは無論のこと、坂東からでも安房上総に渡りたければ相模は三浦……六浦、榎戸、浦河あたりから船によるほか道は無い。
だがその相模国守護を兼任している管領上杉清方がこれいわゆる「実務型」。為すべきを淡々と履践する実直な人柄ゆえ、沿岸の警備に抜かりなど見込みようもないのであった。
「八州を巡り終えた拙僧も、さて信州より甲州を経て伊豆に出るほかあるまいかなどと思案いたしたところに」
弓を取り上げていた、その手に数珠を纏わせたまま。
「良き道連れを見つけた次第」
なるほど武士たる者の本領ではある。
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