第19話 事情アリ
勝寿門院騒動に勝利した、と言って良いものか、ともかく退却側には回らなかった海野尽右衛門幸漏は興奮気味であった。
「公方がた管領がたで成潤門主の奪い合いが起こる、またも青井どのの申した通りぞ」
一再ならずとあればよほどの知恵者と思いきや、これが二十歳そこそこの若者であった。
まさに書生といった風貌のその青年といかにも武者武者した尽右衛門と、まるで趣の異なるふたりが出会った経緯だが、これにも里見が噛んでいた。
佐久平で里見義実を取り逃がし、溺れかけながらも(第一話)どうにか岸にたどりついた尽右衛門、虚仮の一念と水を吐きつつ叫びあげ追跡を再開したは良いものの、どこへ行くべきか見当がつかぬ。そのままひと月を歩き通しに過ごしていた。
「先行きが見えぬとは言うが、これはまた」
出くわす急な上り坂、その先を見ようと顔を上げたところが道端に「易占」の旗。正面には富士の山、右に地蔵尊。何やら縁起の良いような気もして腰掛けたところが大当たり。占う前に事情を聞くのが決まり事と言い出す易者の若さにも面食らったがご託宣にも驚いた。
「占うまでも無い。辰巳のかた南総を目指すべし」
なぜかと問うに「小さく眺めるに、落武者は山へ向かうもの。それが信州に小舟を待たせ、しかも巧みな操船とあらば、よほど河か海に縁ある者の手引きかと。大きく眺めるならば、公方がたの武士が逃げるならば目指すは利根の東、南総あるいは常陸のはず。いずれそちらを目指すうちに消息を得ることもかないましょう」
瞠目する尽右衛門に返って来たのがまた小憎らしいほど冷えた目であった。
「すべて、貴殿の言に嘘無きことが前提となりますが」
素直な感動に水を差されて尽右衛門、「虚言と申すか」などと怒鳴り返したものであったが易者の側も負けていない。
「失せ物探しと仰せであったが、お求めは指針のはず」
細かい話だが確かに求めていたのは指針、文字通り足を向けるべき方角の問題であった。
だがそれを子供に言われて尽右衛門、思えば良い年して己は何をしているものかと人生の指針を失ったような気分に陥り首を垂れれば、そこは相応に素直な言葉も返ってきた。
「言が過ぎました。嘘とは思っておりませぬ」
分かってくれれば良いのよと手を振りかけて続く一句にあきれ果てた。
「武士が己の失敗を吐露するなど、よほどのことゆえ」
よほどのこととはこの少年であろうと、暇を良いことに尽右衛門あれやこれやと聞き出せば、語り口の端々にまで才気が漲っている。足利学校で易を学んだとの言も信じてみたくなるのだが、ならばなぜまたかような道端にとぐろを巻いているものか。仕官なり寄食なりどこの家でも引っ張りだこであろうに。
ともあれ興を惹かれた尽右衛門「教えを請いたい、とりあえずひと月でも」と大枚はたいて同道するうち理解した。
青井飄淡齋惟吉と名乗る少年、いかつい名前に負けでもしたかとにもかくにも精力不足。一町すらも走れなければ水桶を上げるにもふらついている。何か病でも得ているものかと思いきや健康体だと言うのだからこれかえって深刻である。
「だがおよそ人などさようなるものやも知れぬな、青井どの。ひとつふたつはどうにもならぬ事情がある」
虚弱少年に歩調を合わせて旅をしながら尽右衛門、どうにもこうにも実りのなかった半生を語ったものであった。
「運無き我に易者が付いて、力無き青井どのに武者が付く。これで多少は回りが良くなれば」
話に落ちなどつけたところで隣を見やれば青い顔。午過ぎて間もないうちから宿を取らねば続かない。
そうしてゆるゆると旅した結果が、相模の久里浜で義実を取り逃した(第三話)のだから、やはりどこまでいっても運が無いのである。
「そこで我を責めぬのが海野どのの奇特」
何を申すか、青井どのに言われなければ今も信濃路をさまよっておるわと正面切って感謝の言葉を述べてくる。一人前どころか対等の友人扱いしてくれるのだからやはり奇特な男ではある。
「さてしかし、里見どのを追い始めたのはそも何ゆえにござるか。里見左馬助と言えば何より鎌倉殿への忠義ぶりで知れ渡っておりまするに」
「そも我は美濃にて鎌倉殿の弟君に仕えていたのだが」
海野の名を持つ尽右衛門、信濃生まれということで兄弟の連絡係に任じていたとのこと。
その弟君だが兄君(成氏)の鎌倉公方就任が内々に決まったことをきっかけに、改めて俗世を捨て去り仏道に邁進すると決めたそうな。つまり尽右衛門、鎌倉に至って早々勤め先を失ったわけだがそれは良い、ツキが無いのは毎度ゆえ。
「行き違いがあったのやもしれぬなあ。それもどうやら解けたようだが」
誤解の種を植え付けた者があったのだ。
その人物こそ、享徳の乱が間近に迫るこの時にあって尽右衛門の再就職先――郎党ではなく寄騎(外部協力)と言うべき関係であったが――となった里見民部、里見家もう一人の生き残りであった。
元を正せば幼き日の足利万寿王、里見を名乗る郎党二人と逃げていたのである。
そうして甲斐から信濃へ渡る際、北巨摩あたりで刺客に襲われたのだとか。
「義実は万寿王さまを我に押し付け危ない橋を渡らせたのだ、自らは少ない敵を相手取り後から悠々……そのうえ万寿王さまの盾となり大怪我した我を捨て去り、忠義づらして信濃へと」
同行の僧の計らいでどうにかこの温泉に隠れ命を繋いだのだと、民部のほうの里見に言われたのがおよそ八年前のこと。義憤に駆られた海野尽右衛門と里見義実が因縁の始まりというわけだが、青井飄淡齋の見立ては少々違っていた。
「讒言としか思えませぬ。追われる身があえて二手に分かれる、あるいは多数に包まれ散り散りになる等、間々あることでは」
「青井どのにそう言われてみれば……何より大事はあるじの命。身動きもままならぬ郎党など、たとえ親兄弟の間柄でも」
我を捨てて先に行け、万寿王さまを頼む。
里見民部にせよその時はそう言ったに違いない。
「優れた行いがあっても、後に腐っては……『狐その尾を濡らす』、吉にあらず。成しざまは貫き遂げてこそ。友は選ぶべきかと」
「選んでおるとも。主君を逃がすべく一人で敵を相手取り大怪我を負った男、悪人であろうはずがない」
万寿王の近習だっただけあって腕前もなかなか、尽右衛門や義実にも劣らぬとのこと。その意味ではまさに類友、同気あい求むべくしてめぐり会った三人であったものか。
「時を得ぬ男は、その、難しきものなのよ。多少のひがみはどうしても。人の世は相身互い、小瑕には目をつぶらねば」
体力皆無で何の用にも立てずにいた己を友と見込んだ男に言われては、飄淡齋としても難しかったものか。
「そうした折の過ごし様ならば、易に問うていただければ」
何とも言えぬ苦き顔、感情を整理できぬままどうにか会話を紡ごうとした結果がそれかと。賢い男だがさすがにそこは若いなあと、尽右衛門も少しばかり若やいだ心持ちになっていた。
「ようやく傷も癒え、こたび両上杉との戦に馳せ参ずるを得たのだ。鎌倉殿と涙の対面があったそうな。これからよ、里見民部が真価は」
「そうした折の過ごし方こそ易学に。危うい、用心なされ海野どの」
飄淡齋に真顔で言われて尽右衛門、さていかにと首を捻ったものだった。
青井飄淡齋惟吉:ふたりめのオリジナルキャラクター。




