第12話 犬と猫 1450年
馬加康胤:下総千葉氏の連枝、重臣。本家の当主を説得して鎌倉府に出仕させた。やがて内紛を起こし本家を滅ぼすが、室町幕府の追討を受け滅ぶ。後、庶子を自称する岩橋輔胤の系統が千葉氏当主となる(史実)
粟飯原胤度:八犬士・犬坂毛野 胤智の父(原作準拠)。ここで登場させたのは改変。粟飯原氏が千葉氏の一門衆であったことは史実
戦とあらば兵の数だが、と武田右馬助信長は口早に吐き捨てていた。
「関東八屋形のうち、お家騒動に忙しき那須と上杉がたの佐竹を除く六家の当主が鎌倉府に出仕しておるが、これは頼りにならぬ」
関東八屋形あるいは大名、東関東の有力武家である。宇都宮、小田、小山、佐竹、千葉、長沼、那須、結城。石高兵力ともに備わる大立者だ。それが鎌倉に参集しているならば心強い……かと思えばなかなかそうとも言い難いらしいのだ。
やはり名門武田氏の信長に言わせれば、大族は連枝の都合に振り回される。縁ある室町また他国の情勢にも左右されやすい。現に永享の乱では室町幕府の命により大部分が管領に味方したではないかと。
彼ら八屋形が新生鎌倉府また鎌倉公方足利成氏に従う理由も、「室町幕府がさよう定めたからに過ぎぬ」と信長は言い放つ。「犬は人につき猫は家につく」と、恐れげもなくそこまで言い出す始末であった。「我ら奉公衆は犬よ。主人が無ければ生きられぬ」だが「八屋形は猫よ。鎌倉府なる制度・体制に従うのみ」と。
このあたりは以前酒席の愚痴に聞かされたところでもあった。曰く、武田は名ばかり、我は八屋形と異なり自前の力を持っておらぬ。鎌倉殿を担ぐことでようやく力を振るえるのだ。裏切れば匹夫、野垂れ死によ。里見簗田のご両所と変わるところなし……と。
そうして奉公衆でも信任厚き二人を目掛け縁談を持ち込んだ。つとに知られた剛腕と長年の経歴に信用が加わり、武田信長は今や鎌倉府の、足利成氏政権の最高幹部である。
その信長だが、実はかつて「敵方」であった。甲斐守護に就く夢破れてのち、室町幕府また関東管領の下知に従い懸命に励んでいた。
だが骨折りの褒美に望んだ相模守護の地位は阻まれた。甲斐より外へと武田が進出することに関東管領上杉氏が危惧を覚えたからだ。
「すべて鎌倉殿には申し上げてある。室町殿に従いお父君を討った身なれど、今や悟った。関東管領が、両上杉氏がはびこる限り我には『目がない』。ゆえに鎌倉殿に従うと」
室町と鎌倉そして管領に半生を振り回されたその経験に基づき、武田信長はことあるごと足利成氏に献言を重ねた。
「室町の幕府は関東管領の味方いや、黒子よ。管領を通じて鎌倉殿の、坂東の力を削ぎにかかる」
「室町殿に介入されれば鎌倉殿は正統性で勝てぬ。坂東武者も靡くゆえ兵力で勝てぬ。お父君の二の舞にござるぞ」
「肝要は室町殿と関東管領をいかに切り離すか、よりて関東管領の力をいかに削ぐか」
「ゆえに我ら鎌倉府は『室町には逆らわぬ、忠義を誓う』。『全ての紛争は足利と上杉の私闘にすぎぬ体を取る』。この二つを大事と心得られたい。みやこの介入を防ぐために」
さすがに視野が広い、知命を越えた男は違うものだと義実も思ったものだが、そこは八屋形もさすがの底力、襲撃の情報を独自に掴み鎌倉殿の元へと参ずる者が現れた。
ひとりは馬加康胤。八屋形は下総千葉氏の一族……と言うもおろか、千葉氏を名乗っても良いぐらいの連枝にして中枢である。
その康胤が忙しき折りから挨拶も怱々、家の大事を切り出した。
「我ら千葉の関心はただ一事。白浜を押さえる里見どのはご存じのはず」
「香取海、にござりましょうや」
下総から常陸にまたがる水運の一大商圏である。白浜を経由して外房へと回る船の多くが鹿島香取を目指しているという事実から義実にも想像がついた。
「さよう。我ら千葉、このまま管領についたところで利が見込めぬどころか、そのうち香取を召し上げられかねぬ。現に下総の内海側、利根の水運はすでに……市川にもほど近き東岸の葛西を山内上杉に押さえられた」
古き家柄、貴顕と呼ばれる人々はおよそ遠慮を知らぬらしいと、奉公衆を務めるうちにそのこと義実も身に覚えてはいたが、さすがにこれは大概であった。
「鎌倉殿において両上杉は不倶戴天の仇。我ら千葉にも両上杉は敵。敵の敵は味方にござる」
止まることを知らぬ明け透けな物言いに義実と簗田持助は目を丸くしたが、武田信長は眠そうな目つきを変えようとしなかった。
「老練と言えば聞こえは良いが、響きが鈍くなるのは考え物にござるな」
相模守、と呟くや顔色変える武田信長に馬加康胤は吐き捨てた。
「同じことよ武田どの。骨身に覚えた古傷を抉らせるでない、こちらが恥じ入るわ」
両上杉は利に汚い。相模を、香取海を、他人の地所を己が持ち物にしようとする。翻って鎌倉府のあり方は伝統的に拱手南面。自らは統治せず香取海を千葉に与え、その収益を用立てさせる。我らにおいてどちらが得か、理屈で分かろうと。それが馬加康胤の主張であった。
「人は義により情により、あるいは不義不倫によっていくらでも揺らぎ裏返る。しかし利害と理屈は裏切りませぬ。『千葉は香取海より利を得る。奪われぬ限り敵視する理屈がない』。しかして『鎌倉殿には香取海を召し上げる理屈がない』。ゆえに我ら千葉は鎌倉殿のお味方にござる」
なれど我が出張れば目立ちすぎる、八屋形との足並みの問題があると……馬加康胤なかなかに面倒な男であった。
「粟飯原胤度に兵五十をつけ遣わしまする。心利きたる者ゆえ存分にお引き回しあれ里見どの」
五百では寝返りを疑われましょうゆえ、と皮肉な目を向けられた武田信長さすがに詫びを入れていた。
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