第11話 義人 1450年
犬川衛二則任:八犬士・犬川荘助義任の父(原作準拠)。ここで登場させたのは改変
伏姫:里見義実の長女。安房で縁を得た女性との間に生まれる(改変)。原作では三浦氏から迎えた妻との間に生まれている。
義実が表の喧騒に飛び出せば、立ち塞がったのは金碗八郎のうんざり顔であった。
「怪しき者を捕らえたまで、里見どのの手を煩わすこともない」
それでも聞くにその男、長尾景仲から伊豆の雲洞庵(上杉憲実)への使いだと言い張っているのだとか。
まことならば絞り上げたいところだが、しかし使者にしてはいかにも気が利かぬ風貌のせいで噓……というよりホラ話の類にしか聞こえぬ。
「それがしはもと伊豆の住人、犬川衛二則任と申す者。調べれば明らかなところだが、今は急ぎなのだ」
いっぽうでその表情にはまるで嘘が感じられぬ。いかにも切羽詰まったその眉間、便意をこらえるさまと変わるところとてなく。
「信じていただきたい、鎌倉殿に寇なすような話ではない。我とて坂東武士ぞ」
信じる信じぬ以前のところで、この男に何ができるでもあるまいと思った義実は犬川を解放してやったのだった。
驚いたのはその犬川衛二が雲洞庵からの書信をもたらしたこと。
だがまこと驚くべきはその内容であった。
「これは兄弟。火急の用だ、鎌倉殿に目通り願いたい」
奏者の簗田持助が義弟で良かったと、舅の武田信長と三人大急ぎで雪崩れ込んだものであった。
「長尾景仲と太田道真の両名が我を害さんと兵を集めた、か」
鎌倉殿こと足利成氏の声に震えはなかった。覚悟ができていたものか、どうか。忠臣里見義実に言わせれば危急にも冷静沈着、鋭気に満ちた理想的な旗頭ということになるが。
「いかにもありそうな話ゆえかえって疑いたくもなるが、雲洞庵からもたらされたとあっては」
「だがなぜ……いや、管領がたでも鎌倉殿に心を寄せる者は多い」
口にしながら義実はいかにも朴訥な犬川を思い出していた。坂東の武者は鎌倉殿を武家の棟梁と仰いでいる、こればかりは源頼朝以来の伝統である。
「なるほどその犬川とやらも、管領に見切りをつけて鎌倉殿に返り忠か。ではさっそく褒美を、頼めるか義兄者」
「管領ではないぞ婿どの。敵は山内扇谷の両上杉、いや家宰の長尾と太田よあくまでも」
武田信長のひと言に鎌倉殿こと足利成氏もその鋭い目を光らせる。さよう計らえと言い放つや即立ち上がる腰の軽さが、義実には何より頼もしく見えた。
そうして始まる長尾あいての戦支度、その忙しさに紛れて言いそびれた事実があった。
雲洞庵からもたらされたもう一通の書信である。そこには「犬川衛二、義人なり。よろしく用うるべし」とのこと。
「義人、なあ」
雲洞庵によれば、犬川衛二は褒美や何かを求めたわけではないらしい。
坂東武者が鎌倉殿を討つなどあってはならぬこと、しかるに我が主は山内上杉。板挟みに困惑し悩み抜いたすえ逐電しようと思い立ったところで、故郷の伊豆には雲洞庵さまがあるではないかと気がついた。無理にでも教えを請わんと駆け出すも金碗坊主に捕まり義実に放たれ、全てを聞いた雲洞庵に折り返しを頼まれたと。
「たしかに義人か」
だが人君としてはそうした仁義は困りものだ。唯々諾々と己が下命に従ってくれなくては困る。現に犬川のせいで長尾景仲、作戦は暴露されるわ雲洞庵には睨まれるわで窮地に追い込まれているではないか。
「雲洞庵も感銘を受けたならば己で世話をなされば良い。そもそも俗塵に心を乱すなど出家入道が聞いて呆れる」
まいど金碗八郎のご高説には肩が落ちる、ではなく頭の下がる思いをする義実だったが、その頭の輝きを見てひらめいた。
「鎌倉殿の奉公衆が務まる家柄でもなし、側近の我に仕えるにせよ旧主のてまえ犬川も気まずかろう」
ゆえに金碗どののところで……と言い出す前に機先を制される、これもまいどのことである。
「安房にある伏姫さまも七つでしたか、そろそろ警固の供回りなど入用では」
隠し子でも何でもないが、武田家から妻を迎えたばかりの義実としてはあまり触れてほしくもないところ。出家入道が聞いて呆れる無慈悲な指摘であったが、なるほど嫁に出すかあるいは庶家なり分家なり、神余家と金碗家のような関係にしてしまえば厄介は小さい。
と、かくは義人のせいで余計な手間を取った義実だが、何より大事はさきほど舅の武田信長が相婿の簗田持助に確認していた大方針なのである。
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