第2話 おなかペコペコな彼女
……コーココッ コーココッ コーココッ
「はぁ……はぁ……はぁ……」
横顔に夕日の光が刺さる。町の外から夕暮れを知らせる鳥の声が聞こえる。
私は地面によこたわり、荒れた息を整えていた。
「アッハッハ!今日もまた一撃も当てられない見事な負けっぷりだったな!ユメ!」
地面に倒れた私の顔を、ランは立ったまま上から覗き込む。
「いい加減"身のほどをわきまえる"ということをしてみたらどうだ?ユメ?」
「……うるさい」
「いくらやったってあたしには勝てないぞ?」
「うるさいわねぇ!」
「アッハハハ!まあ、お前がかかってくるんならいつでも相手になってやるぜ」
「…………」
「それじゃあ!またここで待ってるぜ!アッハッハ!」
ランは言いたいことを言うと、帰っていった。
彼女はラン。
私の幼馴染で、この町の幼い頃からのガキ大将。
そして、私の喧嘩相手だ。
「……ふぅ。よいしょ」
私は寝ころんだ状態から一気に立ち上がった。
「あ痛っ!!」
しかし急に起きた反動で、ランに負わされたケガが痛む。
「いたたた……ランの奴、このくらいなら"すぐ治る"からって、少しやり過ぎなのよね……よし、ふぅぅ」
私は静かに目を閉じる。
「…………ふぅぅぅ……はぁぁぁ」
大袈裟なくらい大きく深呼吸をして、息と脈を整える。
すると……
シュゥゥゥゥゥ……
私の顔や腕にできた擦り傷が閉じ、あざが薄くなっていく。
そして、ケガが全て消えた。
「よし。ふんふん!ふんっ!おっけー。"回復"終了~」
私は腕をブンブンと振ったが、痛みも全て無くなっていた。
「ふぅ……くそぉ、ランのやつめ。好き放題言ってくれたわね……フンッ!」
私は右拳を地平線の夕日に突き出し……
「次こそは!勝ーつ!ハーハッハッハッ!!」
夕日に向かって笑ってやった。
◆◇◆◇
「……うーん。何も無かったわね」
私は帰り道を歩きながら、視界端の鐘のマークに目を向ける。
「(これが女神様のくれた天醒の効果?鐘の絵が見えるだけなの?今日もランと戦ってみたけど、いつもと変わらなかったし)」
「天醒があるとすごく強くなれるんじゃないの?」
天醒。それは女神から与えられる特別な力。歴史上の多くの英雄はその力で人智を超越し、覇業を成し、世界を救ったという。
「女神様から天醒が与えられたのなら、私にもなにかすごいことができるんじゃないの?」
私はうんともすんとも言わない鐘をみつめた。
「ん?」
すると不意に違和感を覚える。
「この鐘、なにか変ね……。なんというか、"傾いてる"?……あたっ」
しかし考えの途中で、何かに足をぶつけてしまう。
鐘をじっと見つめていたせいで、足元が不注意になっていたようだ。
すると……
「ぅ……う゛ぅぅぅ」
足元から何かからうめき声が聞こえてきた。
「な、なに?……人?」
うめき声のした方を見ると、そこには体育座りでうずくまる女性がいた。
「(え?なんでこんな時間に路上でうずくまってるの?見たこと無い顔だし浮浪者?いや、こんな小さな町に外から浮浪者が来るわけないわ。よく見ると身なりは良いわね)」
白茶色のレザーコートにダークブラウンのミディアムロングの髪。コートも髪も丁寧に手入れされていることが分かる。
「あの、大丈夫?」
彼女に声をかける。
「…………った」
「はい?」
彼女は返答するが、声が小さかったので聞き返す。
「へった……腹へった」
「え?」
彼女は声を絞り出して、空腹を訴えた。
「お腹がへった?」
「(コクッ)」
彼女はうなずく。
「そ、そう……なら、どこか食事できる場所にいったら?定食屋とかレストランとか。もしかしてお金が無い?(お金に困っているような感じでは無いけど)」
「…………ない」
「それとも、あるけど財布を落としちゃったとか?」
「……いてない」
「え?なに?」
「あいてないっ!!」
「うわぁっ!」
声が聞こえにくいので、彼女の顔を覗き込むようにして喋っていたら、急に大声を出された。
びっくりしてのけ反ってしまったが、もう一度彼女の顔を見る。すると、彼女は大粒の涙をボタボタと流していた。
「開いてねぇんだよ!」
「え?開いてない?」
「そうだ!どこの店もやってねぇんだよ!閉まってんだよ!」
「そ、そう。でもまだ夕暮れよ。どの店も閉まってるなんて……。あれ?そういえば……ねえ」
「なんだよ?」
「どこの店に行ったの?」
「……町に入ってすぐの串焼き屋と、集会所と教会近くのレストラン。あとはハンターギルドの向かいの定食屋」
「その三つ?」
「……そうだ」
「あ~、運が悪かったわね」
「あ?どういうことだ?」
「あなたが行ったところ最近訳ありで休んでるのよ」
「え?」
「定食屋は女将のユカリさんが三日前に腰をやっちゃって臨時休業、レストランはコックのユキコさんが娘さんの結婚式の準備で一週間前から休み、串焼き屋は店主のサエミさんが最近体調崩し気味で昼までしかやってないのよ」
「……え?」
私の住む町「ハイノラ」は街道沿いにある宿場町である。
だが、街道沿いといっても主要街道ではないため、そこまで大きな町ではない。
なので、町の料理屋の数も、町の規模に合わせて片手で数えるほどしかない。
「ぜ、全部、休み……?」
「ひとつふたつが重なることは結構あるけど、三店舗も休みっていうのはかなり珍しいわね。というか、私も初めて見たかも」
「……う、うぅぅ」
食事運に恵まれなかった彼女は、頭とひざを深く抱え込んで、泣き始めてしまった。
「いやいや、ここまでのことは相当に運が悪いだけだから。そんなに落ち込まなくても……」
「うぅぅ、うぅぅ……このままじゃ飢え死ぬぅ」
「えぇ!?そこまで!?」
大袈裟なのか本当なのか分からない彼女の言葉に戸惑いつつ、どうしたものかと思う。
「あっ。そういえばヨシコさんのところがあったわ」
「(ピクッ)」
彼女の耳が反応し、顔を上げる。
「まだ、飯屋があんのか?」
「え、ええ。ヨシコさんのところは家で作ったものの余りを、持ち帰りという形で売ってるから、町の外から来た人向けでは無いんだけど、料理屋ではあるわ」
「ほ、ほんとうか!……よかった、よかった」
私の思い出した情報に彼女は心底安堵しているようだ。
「……よかったら、案内するわよ?」
「(ガシッ!)」
「(!?!?)」
「ぜひ頼む!」
彼女は、目にも止まらないどころか、いつの間にか私の手を握っていた。
「ぇ、えぇ……まか、せなさぃ」
「おう!ありがとな!」
突然の衝撃で声が途切れ途切れになってしまう私。
私の手を掴んで上下にブンブンと振る彼女。
「(な……なんだったのよ、今の)」
◆◇◆◇
『娘が風邪をひいたので本日はお休みします』
…………バタッ
案内した店の前には絶望の看板が立てられていた。
飢餓の彼女は崩れ落ちた。
「す、すごいわね……。まさか町の全ての料理屋が閉まってるなんて。奇跡ね、悪い方の」
「ど、ど……どう、して……」
「(ここまでくると、同情というか哀れというか……ある意味すごいと思ってしまうわ)」
「も、もうおわりだぁ……アハハ……」
地面に向かって嘆きを吐く彼女をなんとも言えない気持ちで見下ろした。
「ハハハハ……」
「(さすがに、これを置いてくわけにはいかないわね……どうしたものか)」
ここまでの仕打ちを受けた彼女をどうにかしてあげたい。
「……まあ、あれしかなさそうね。ちょっとここで待っててくれる?すぐに戻ってくるわ」
私は彼女にそう告げて、その場を後にした。
ーー数分後ーー
「(トントン)」
崩れたままの彼女のもとに戻ってきた私は彼女の肩を叩く。
「これ、良かったら」
私はお椀をひとつ差し出した。
「(ヒクヒク、クンクンッ……ガバッ!)」
彼女は鼻をひくつかせると、顔を上げて、お椀の中を覗き込んだ。
「うちの昨日の残り物なんだけど、パン粥よ」
お椀にはクリーム系のスープと、そのスープでひたひたになった細切れのパンが入っていた。うちの昨日の晩御飯、パン粥だ。一度家に戻ってから持ってきた。
「……………………」
「あれ?いらない?嫌いだった?」
彼女はお椀の中のパン粥を見つめたまま動かない。
「どうしよう、これ以外に出せるものが無いんだけど……」
「(ガッ!)……ハグハグハグッ!!」
しかし、急に彼女は動き出して、私からお椀をがっつくように受け取った。そして、勢いよくパン粥を口にかきこんだ。
「ハグハグッ、ハグハグハグ!ハグッ!」
「い、いい食べっぷりね……」
素晴らしい食べっぷりである。なにせもうお椀からパン粥が消えているのだから。
お椀を渡してから数秒で、彼女はパン粥を平らげた。
「(ゴックン!)ふはぁぁぁ……」
「お腹いっぱい、とはいかなかったと思うけど、昨日の残りはそれしか無かったの。おかわりは勘弁ね」
「はぁぁ…………」
「どう?これで大丈夫そう?明日までもつ?」
「あぁぁ…………」
「……って聞こえてる?」
何度も呼びかけるが、彼女は遠い目をして動かなくなった。
「ちょ、ちょっと?」
「はぁぁ…………」
「えぇ……(まあ、さっきとは違って陰鬱な感じはしないし)大丈夫……。よね?」
私は彼女の手からお椀を回収する。
「じゃあ、元気?になったみたいだし、私はそろそろ帰らないといけないから……それじゃ!」
私は彼女に別れを告げて、今度こそ家へと帰る。
「うーん……あの人、大丈夫なのかしら?」
運悪く食事をとれなかったとはいえ、あのような姿を見てしまい、色々と心配になってしまう。
「(でも彼女、お金には困って無さそうね。なんせ身なりはけっこう良かったし。商人?いやでも商人って雰囲気ではなかったような……。旅人?ハンター?いや、この町に良い恰好ができるほどのハンターなんて来ないわよね)……あっ」
私は周囲が暗闇に包まれていることに気付く。
「もう真っ暗じゃない。早く帰らないと母さん……いや、アイの方が心配するわね」
私は考えごとをやめて、家路を急いだ。
◆◇◆◇
「(シュッ、シュッ、シュッ)うりゃあッ!」
私は目の前の木人形に拳を打ち込む。
「はぁはぁはぁ……。次こそ、ランに勝つ。うりゃうりゃうりゃッ!はぁはぁ……。(チラッ)」
私は視界端に映る鐘を見る。
女神様からもらった天醒。結局、何の効果も発揮していないようだ。
ランと喧嘩した翌日、私はいつものように特訓をする。不格好でずんぐりむっくりな自作の木人形に、連続で拳を打ち込む。
「女神様の天醒が役に立たないのなら、自分の力で戦うだけよ。そのために、いつものように特訓をするだけねっ!(カンッ!)」
私の右ストレートを受けて、木人形が軽く揺すられる。
(でも……少しは、期待しちゃうじゃない)
私は拳を木人形の胸に突き立てたまま、うつむいた。
「いい拳だ」
すると、突然後ろから声を掛けられた。
「(っ!?)」
私は声のした方へ振り向く。
私の特訓場に使っている家の物置小屋。その開け放たれた入り口に、ニカッと笑いながら仁王立ちをする女性がいた。彼女は後ろから差し込む日の光を、そのダークブラウンの髪で吸収し、存在感を放っていた。
こいつ、誰なのよ?
「お前の拳、力や形はともかく、そこに籠った心がいい」
「…………心、なんて分かるの?」
私は彼女の正体を横において、彼女の言葉を聞き返す。
「ああ、分かるぞ。その手と木人形に共に刻まれた、無数の傷跡を見ればな」
彼女は小屋の中へと入ってくる。すると入り口からの逆光が弱まり、彼女の顔が徐々に見えるようになる。
(この人、どこかで……)
「(ビシッ!)」
彼女は親指で自分を指さす。
「オレはカナデ!お前にパン粥の恩を返しに来た!」