第1話 英雄のママに選ばれました
「はぁ……はぁ……はぁ……」
痛い、熱い。
体中の刺し傷がズキズキと痛む。焼けただれた手と腕がジュクジュクと熱い。
今すぐ意識を手放したい。
ガァッ!!グッルルルルゥ……
しかし目の前の怪物がそれを許さない。
家と同じ大きさの身体でちっぽけな私を見下ろす。
巨大な身体から伸びる顔には凶刃な歯が無数に並び、私の肉の味を品定めしようとしている。
「……ふぅ……はぁ……ふぅ」
だが、何もせずに喰われるわけにはいかない。
私は目を閉じ深呼吸をする。
「ぉ、ね……おねえちゃん……」
逃げるわけにはいかない。
私のうしろには守るべき妹がいるのだから。
「はぁぁ……ふぅぅ……!」
私は目を開け、拳を前に突き出し、構えを取る。
(……身体中の魔力を右腕に集めて、集めた魔力を燃やすように巡らせる)
「ガァァァッ!!」
怪物は右前足を大きくふりかぶる。
("彼女"に教えてもらったように……自分より強い敵には逃げず……)
私は右足を前に出す。
(敵の間合いを越えて……)
大きく前に踏み込む。
(懐に踏み込む!)
化け物のふところに入り込む。
(そして一気に……爆発させるっ!!)
私は右拳を全身全霊で振り抜いた。
◆◇◆◇
私の夢は英雄になることよ!
強敵を打ち倒し、万敵を薙ぎ払い、神のような化け物さえも討ち滅ぼす。
そんな歴史に名を残すような英雄になること。
それが私の偉大な夢よ!
だから……
『パンパカパーンッ!あなたは英雄のママに選ばれましたぁ!わーぱちぱちぱちっ!』
こんなわけのわからない状況を説明してほしいわ。
素っとん狂なラッパが鳴る。
ラッパの音に合わせて拍手をする女性。彼女は、眉目秀麗、床に届きそうなほど長い髪、裸の上に白ローブを一枚だけまとっている。
私は一面真っ白な空間に立っていた。
「なんなんのよ、これ?あなたは……」
『あなたは英雄のママ、お母さん、母、母上、お母様になります!』
彼女は私の問いかけをさえぎって喋る。
『あなたが産んだ子は生まれながらにして強大な力を持つの!』
「ち、ちょっと……」
『その力であなたの子供には世界の闇を払う英雄になってもらいます!』
「ちょっ、まっ」
彼女は私の声を一切聞かず喋り続ける。
『でも、あなたが弱いと産まれてくる子も弱くなっちゃうの!なので!あなたにはこれから強くなってもらいます!分かりましたか?』
「は?えっ、その……」
『うん!うん!分かったみたいですね!』
……全く話が通じない。
「いや、いきなり過ぎて何が何だか……」
『でもでも、あなたが普通に鍛錬しただけだと大して強くなれないでしょう!』
『なので、私から"祝福"を与えましょう!』
「うわっ!」
急に彼女の体が目も開けられないほど強く輝きだした。
光はすぐに収まったが、目がチカチカする。
『天醒「天鐘楼」。私からあなたに与える"祝福"と"試練"です!』
「祝福?試練?……というより、今『天醒』って言った!?」
『おっほん、それでは強くなって強い英雄を産めるように頑張ってください!それではっ!』
「あっ!ちょっと!?」
彼女は背を向けて歩き去る。
「待って!待ちなさいよ!!」
「英雄のママ?英雄を産む?私が英雄になれるとかじゃなくて!?」
「強くなれってどういうことよ!あなたのくれた天醒はなんなのよ!なにができるのよ!」
私はここまでに溜まった疑問を一気に吐き出した。
「あなたは誰なのよ!」
『…………』
彼女は足を止めた。
『……ルオンノタル。君たちの女神だよ』
視界が暗転する。
『……あっ。それと、あなただけじゃなくてあなたの相手も強ければ、子供もより強くなるから、強い相手と子供を作ってね!』
◆◇◆◇
「な……なにを言ってんのよぉぉ!!!」
私は盛大にツッコミを入れた。
「あ……あれ?」
周りを見渡すと、真っ白な空間ではなく自分のベッドの上だった。
私はベッドから飛び起きていた。
「ぅ、うぅぅ……おねえちゃん、うるさい……」
「あっ。ご、ごめん。アイ」
隣のベッドで寝ていた妹に注意されてしまった。
私は自分の手のひらを見つめる。
「(夢?いや、でも……)」
「女神……女神ルオンノタル」
◆◇◆◇
私の名前は「ユメ」。
年齢は13歳。
好きな食べ物は母さんの作るビーフシチュー……と言いつつ、実は町の中央にあるちょっとお高いレストランのビーフシチューが一番好き。
将来の夢は歴史に名を残すような英雄になることよ。
そして……
「こ~らっ、ユメ。ごはんを食べる手が止まってるわよ?」
「あっ、ごめんなさい」
昨日の夜に変な夢を見てしまった少女よ。
「どうしたの?ぼ~っとして」
「いや、ちょっと変な夢を見ちゃって、考えごとしてただけ。いつもの母さんよりはぼーっとしてないから大丈夫」
「あらっ。わたしはぼーっとなんかしてないわよ」
「えぇ?母さんいつも動きがトロトロしてるのに?」
「わたしはぼーっとしてるんじゃなくて、ぽけーっとしてるのよ」
「それ、あんまり変わらないんじゃ?」
なぞの訂正をする母さん。
私の母さん。
名前は「エリ」。
柔和でマイペース、とろんとした垂れ目が特徴。
女手一つで二人の娘を育てている。
「……お姉ちゃんよりお母さんの方がぼーっとしてる」
「あらっ!アイもそんなこと言うのね!というかお母さんはぼーっとしているんじゃなくて、ぽけ」
「そんなことよりも、お姉ちゃん大丈夫?いつもより元気無いように見えるよ」
私の服の袖を掴んで心配そうにする妹。
私の二つ下の妹。
名前は「アイ」。
年齢は11歳。
オドオドとして、消え入りそうな声が目立つ。
「大丈夫よ、アイ。さっきも言ったけど少し考えごとをしていただけだから」
「ほ、ほんとうに?昨日の夜中、飛び起きながら叫んでたけど……」
「あっ、あー……関係ないわけでは無いけど、全然問題ないから!変な夢を見てしまっただけだから!」
「変な夢って?」
「んっ、う~ん……なんて言えばいいんだろ?まっ、まあとにかく大丈夫よ!大丈夫!」
「お姉ちゃん……」
アイは余計に心配そうな"目"を向けてくる。
「(あぁ、やっぱり綺麗だなぁ)」
私はアイの心配をよそに、彼女の目を見つめ返して、思わず覗き込んでしまう。
アイはこの世のものとは思えないほど美しい瞳を持っている。
その瞳には夜に咲く満点の星空を映したような色と輝きがある。
「……お姉ちゃん。またアイの目に見惚れたでしょ?」
「えっ。いや、そんなこと……」
「もうっ、アイはお姉ちゃんのこと心配してるのに」
「ごめんごめん。でも何も問題ないから。心配させてごめんね。ありがとう」
「お、お姉ちゃん……」
アイの頭をやさしくなでてあげる。
「こ~らっ。また二人だけの世界に入って……わたしのことは無視するのね。お母さん妬けちゃうわ」
「そんな世界には入ってないから」
「アイとお姉ちゃんだけの世界……」
「いやいや、惚けてないでアイも否定して!」
……とまあ、こういう感じで家族三人仲良く朝の食卓を囲んでいる。
「それじゃあ、わたしギルドに行くわ。ふたりとも良い子で居てね」
「「いってらっしゃい」」
「行ってきま~す」
母さんは朝ごはんを食べ終わると仕事へと向かった。
◆◇◆◇
「なんだったのよ。昨日の夢は?」
私が英雄の母になって英雄を産む?
私の夢は、私自身が英雄になることだ。
だから、あんなのは夢に違いない。
「と、言いたいんだけど……」
私は視界の右下に目を向ける。
「なんなのよこれ?」
私の視界端に鐘のマークが見える。
顔を動かしても体を動かしても、常に視界の右下にデフォルメされた鐘のマークが見える。
『天醒「天鐘楼」。私からあなたに与える"祝福"と"試練"です!』
私は夢の中の女性……女神様の言葉を思い出す。
昨日まで私の視界にこんな鐘のマークなんて無かった。ということは、あれは夢じゃなくて女神様からのお告げだったのか。
「まさか、こんな形で"女神の宣託"を受けるとは……」
でも、もし本当に女神の宣託だったとしたら、私も英雄になれるってことなのでは?
歴史に名を残すような勇者、覇王、賢者、そして英雄、彼らの多くは女神の宣託を受けたらしい。そして、彼らは女神様から特別な"力"を与えられる。
「『天醒』……私にも英雄と同じ力が?」
私は視界端の鐘を見つめた。
すると……
「来たな!ユメ!」
突然、目の前から声を掛けられた。
私は視線を鐘から声の方へ向ける。
立派にそびえ立つ大木。その木の下に一人の少女が仁王立ちしている。赤い髪に赤い服。張り付く笑顔からは威圧感が放たれる。
「今日もまた懲りずにのこのことやって来たな!ユメ!」
(考えごとをしている間に、もうここまで歩いてきたのね)
「その諦めの悪さには感心感心……おい、どうした?なにボケーっとしてんだ」
「……なんでもないわよ」
「なんだ?考えごとか?」
「まあ……そんなとこ」
「ア……アッハッハッハ!!どうせ考えたところであたしには敵わないのに考えごとかよ!これは面白いな!アッハッハッハ!!」
「は?別にあんたのことなんか考えてないわよ!ラン!」
大口を開けて笑う少女……ランに、私は食って掛かる。
「じゃあ、あたしにどうやれば勝てるか考えなくても勝てる、ということか?」
「ええ!もちろんよ!!」
「そうか……なら、とっとと始めるぞ!!」
ランがこちらに向かって駆けだす。
彼女は右腕を引き絞り……
「オラッ!!」
「っ!!」
右ストレートを放った。
私は彼女の拳をギリギリで避けるが……
「そらッ!!」
「うぐっ!」
切り返しで即座に放たれた左アッパーをくらってしまう。
私はよろけてしまった姿勢を戻そうとする。
「オラッ!オラオラオラッ!!」
「くっ!うぅ……」
だが、連続で放たれるランの攻撃に防戦一方になってしまう。
「オラッ!おいおい、いつも通り全然ダメじゃねえか。やっぱり作戦くらいは立ててきた方が良かったんじゃねえか?オラッ!」
「うっ!くっ!」
「まあ、作戦を立てたところで私には勝てないけど……なッ!!」
「うがッッ!!」
ランの大ぶりな右ストレートで後方に吹き飛ばされてしまう。
「く、くぅぅ……うりゃああああ!!!」
「おっ、と」
私はタックルをしてランにしがみつく。
「ふん。全然力が入ってないぞ!……ソレッ!!」
「っ!!……アダッッ!!」
だが直ぐに投げ飛ばされて地面に叩きつけられた。
「うっ、うぅぅ……クソっ」
「アッハッハッハ!!やっぱりダメダメだな、ユメ!」
「……ぅ、うるさいわよ!」
「そんなじゃいつになっても英雄にも、それどころか"ハンター"にすらなれないな!アッハッハッハ!!」
「こ、このぉ……笑ってんじゃないわよ!!おりゃあああ!!」
「ほいっ……オラッ!!」
「あがっ!?」
大笑いするランの顔面めがけて思い切り放った私の右ストレートは軽くいなされ、ランはがら空きになったわたしの顔面に右フックを直撃させた。
「おらっ!ユメッ!まだまだ行くぞ!どうした今日はもう終わりか!?それも良いなぁ!!これ以上やってもなんも変わんねえからなぁ!あたしは弱いやつをいじめんのは好きじゃねえし、帰った帰った!アッハッハッハ!」
右フックの衝撃で膝をついてしまった私に、ランは挑発する。
「へ、ら……てないで…………なさい」
「あん?どうした?」
「ペラペラしゃべってないでかかってきなさいよ!!!」
「アッハハハハッ!!!いいねえ!ならいくぞ!!オラッ!」
「うりゃああああ!!!」