消えたドングリの森 切り開かれた自然林キャンプ地について思うこと
数え切れぬほど訪れてきた思い出のキャンプ地は、山麓に広がる豊かな森林の中にあり、貴重な史跡と共に大切に保全されていた。
冷えた溶岩流と火山灰、その上に長い長い年月をかけて形成されて来た自然林。
あちらこちらに火山ガスが通り抜けた溶岩洞窟があったりする。
ひとが優にとおれるほどのもの、どこまで伸びているか今もって未知のモノ。まだ発見すらされていないモノ。大小さまざま、無数にある。
そこに根付いた植物や樹木の落ち葉などが堆積し腐葉土となって出来た地面は、緑のコケが一年中青々として踏み込めば足が沈むほどにフワフワだ。
樹木は背高くがっしりと逞しい幹、空を覆い尽くすほど済々と緑の葉をつけた枝を四方に広げている。
様々な広葉樹たちの枝葉が 生き生きと幾重にも重なり合う。
空気を水を清浄に濾し、地を肥やし様々な草花が育ち、その花や実に集まる虫、小動物を育み、捕食者たる動物たちも含めて循環を保つ。
それは天然のエアーフィルターであり、濾過装置であり、豊かな命の大地であり、大きな大きな傘だ。
雨風雪は勿論のこと、夏の強烈な日差しからも真冬に吹き荒れる極寒の風からも沢山の生き物たちを守る。足下に深く張った根っこと土は保水力も高いから、土砂の流出も防ぐ。
森は、そうやって動植物の生態系=生の営み、命の循環を、守り続けてくれていた。
その森では、秋が深まると多くの樹木が枝がたわむほど鈴なりに実をつける。
イチョウ、クリ、ブナ、ナラ、クヌギ、シイ、カシ、カシワ・・・
なかでも数多くあったドングリが成る木々。
大小さまざまなドングリたちは自身の重さや雨風に押され、帽子を被ったままの可愛らしい姿で枝を離れて、これでもかというほど柔い地面に降り注ぐ。
コケや落ち葉の上だからドングリはどれも綺麗な姿で、ついつい集めてみたくなる。すると、ほんの数分で両掌に乗りきらずポケットもぱんぱんになっちゃうほどだった。
この地にハイキングやキャンプにやってくる人間は、森の懐にお邪魔させてもらい豊かな自然の恩恵に預からせて頂く、ほんのひとときだけの来訪者だ。
森の住人はというと、リス、サル、キツネ、タヌキ、しか、野ウサギ…(熊も、いるらしい)
フクロウ、キツツキ、カッコウ、コゲラ、ジョウビタキ、シジュウカラ、セキレイ、ホオジロ・・・
爬虫類、両生類…希少な モリアオガエルもいたなあ。昆虫達は・・・もうきりがないな。
朝は小鳥たちのにぎやかな声が目覚ましの代わりをしてくれる。明け方トイレに起きだして、森の主 キツネやシカとばったり出くわす事も珍しくない。
散策すれば足元には四季折々の草花、時には木にリスたちの姿も。幹から枝へ、枝から枝へ、そしてまた幹へ地上へ。ちょろちょろと、行ったり来たり。木の実集めに勤しむ。
鳥たちの絶え間ないさえずりに混じって、キツツキが忙しく幹をつつく「かかかかか-ん」という音が、遠く近く木霊する。
炊事に使うのは地下から引く雪解けの湧水。一年中13度前後、とても清冽だ。
木々の間を抜けてくる風も光も、枝葉や幹のフィルターを通しているから剥き出しの森の外と違って幾段も柔らぎ、とても優しい。
夜になれば、真っ暗闇の森の中で梢の隙間から星が煌めく。フクロウの鳴き声が時折響き、季節の虫の声は夜半まで静かに合唱していた。
標高が高く水が凍るので冬場は閉場するが、春から晩秋迄、自然に学びつつ沢山の野外活動をそこで行ってきた。
その地を久しぶりに訪れることになった。遠方の仲間たちがキャンプに来るというから、陣中見舞だ。
いつものように受付を済ませ、場内へと進む。鬱蒼とした林の中の細い自動車道はでこぼこした土の道。
傾斜が急だけど、道を荒らさないように、植物を傷つけたり動物を驚かしたりしないように…ゆっくり、ゆっくり、慎重に進む。
道の先が、明るい。
明るい?…妙に、先が明るい。・・・明るすぎる。 えっ、いつもと違う。
沢山の樹木で空が覆われているからいつも、昼間でも薄暗い程の場内だったはず。・・・どうして?
不思議に思ったそのとたん、目に飛び込んできたのは驚きの光景だった。
樹木が、ない!
見渡す限りの、緑の丘。遠くに杉林が見えている。その手前まで、全て見通せる。
点在していたトイレや、炭焼き小屋や、薪小屋や、休憩用の東屋や、研修所の建物も、全てが見えている。
ついこの前までは鬱蒼と茂る樹木に隠されて、互いの建物は近くに行かないと見えなかったはずなのに。
夜になれば道をよく知っていても、懐中電灯を持っていても、迷ってしまうほどだったのに。
木が、ない。スカスカだ!!
7‐8割の木が切り倒され、切り株だけが、残っている!
これは一体、どういうこと?
その様子に驚愕した。杉林の手前に置かれていた重機を見て、怒りが込み上げてきた。
どうしてこの貴重な自然林を、切り開いてしまったのか?
所有者の法人は地域に深く根差し環境保全や青少年教育にも非常に熱心な団体だったはずなのに?!
どうしてこんなひどいことを?何のため?何か施設でも作ろうというのか?所有者が変わったのか?公的に計画された「開発行為」なのか?
色んな憶測推測が、頭を駆け巡った。
木立のないキャンプ場。強風に晒され、タープもテントも飛ばされそうに煽られる。
日差しは直接降り注ぎ、日の当たる所は暑くて居られない。
森の遮熱や保温の効果が一切ないため、日が暮れれば急激に冷え込む。
当地に通いなれていた仲間たちも、激変した様子にすっかり戸惑っていた。それでも彼らはキャンプを張り一晩を過ごしたが、やはり朝の冷え込みは堪えがたい程だったという。
小鳥の声もしない。虫の声も聞こえてこない。木立が風にそよぐ音も、聞こえてこない。
なんてことだ。
陣中見舞いに行ったのに、とてつもない淋しさと怒りで一杯になってしまった。
仲間に別れを告げて、帰り際。受付のおばちゃんがまだいてくれたので、尋ねてみた。
「木が、みんな無くなっちゃったんですね・・・様子が全然変わっちゃってて、ビックリしました。
しばらく来てなかったから、全然知らなかったです。どうしてですか?切り開いて、なにか新しく作るんですか?」と。
おばちゃんの返答は、意外なものだった。
「ナラ枯れでね。虫が食ってね、木が倒れたりしたの。あっという間に広がっちゃって。
凄い勢いで広がるから、もう、切るしかないんだよねナラ枯れ起こすと。」
「あっちこっち、山麓の公園とか、市内の公園でも被害が出てるんだって。」
ナラ枯れ!!
そんなことが!確かに聞いたことはあったけど。まさかそんな、この場所で・・・。
驚いて、帰宅してからすぐにネットで調べた。
カシノナガキクイムシが媒介する「ナラ菌」が樹内に繁殖して、水の吸い上げを阻害することが原因。
ドングリをつける種類の木=コナラ、ミズナラ、マテバシイとか、ブナ科の広葉樹に集団発生し大量枯死を引き起こすのだそうだ。
気温上昇で虫の生息圏が拡大したり、里山が手入れされず放置され樹木の高齢化・巨大化が進んで、
虫や菌が生息・繁殖しやすい環境になっていることも原因の一つだとあった。
確かに、山麓一帯に被害が拡大しているとの記事が沢山、出てきた。
感染した木は、被害拡大を防ぐために切り倒すしかなかったのだった。
長い年月をかけて育まれてきた貴重な、豊かな豊かな森が。大勢の子供たち仲間たちと一緒に沢山の時間を過ごし、豊かな経験をもたらし続けてくれた大切な森が。
一瞬にして消えてしまった。樹園の貴重さ、その大切さを熟知している方々は、断腸の思いで伐採したことだろう…。
悔しくて、悲しくて、涙が出そうだった。
温暖化や森林管理の担い手不足、そういったものが及ぼす環境変化の波は、こんなにも身近に忍び寄っていた。そのことを目の前に突き付けられた気がした。
自分にとっては衝撃の出来事だった。
ただ、一つ光明として知ったのは、ナラ枯れによって林の若返りが促進される側面もある、という事だ。
樹勢のある若い樹は、感染しても枯死しないモノが確かにあるという。
キクイムシの大量飛散を防止しつつ、林の若返りを進めていく。樹木の循環利用、里山の適正管理の手法が、各地で試みられているという。
養分たっぷりなフワフワの腐葉土の上に落ちた、沢山のドングリたちの姿を想い出した。
子供たちとそれぞれの袋いっぱいに拾い集めても、到底拾い切れなかった。
地面の下に眠る彼らがまた芽吹き、成長し、虫や花や小鳥や小動物がやってきて森を形作るまでに、
どんなに短くても30年50年という時が必要になるだろう。その間の環境変化がどのようになるのか、いま想像も及ばないけれども。
ドングリたち。どうか生き残っていて。
また芽を出し、豊かな森を再び、この地によみがえらせてくれますように。
専門的なことは何も論じることが出来ない自分であるが、この森で沢山の貴重な経験をさせて貰い、森を愛してきた一人として。
その日がきっときっと、来ますように。どうかきっと、来ますように。
強くこころから、願わずにはいられない。