地獄の拾い身子
地獄の拾い身子
花籠上
空気のもな。
「歩き疲れたたずむと浮かんで来る故郷の街」
朧さびはワイヤレスイヤホンを線路に落とした。
「すいません」
「耳栓?」
電車のレールに落ちた物を拾うあれ、安全拾得器で拾ってもらった。
「こんばんは、ニュースカオルです。今夜も時間を拡大して安藤一三についてお伝えします。スタジオには安藤一三の元夫人でテレビタレントの御手洗意味子さんにお越しいただきました。御手洗さん、こんばんは」
意味子は頭を少し下げただけだった。
「後半ではドラッグラグについてもリポートでお伝えします。御手洗さん、前回では一三のことを羊の皮を着た狼と仰いましたが、認識のズレというものはありましたか?」
「ええ。あの人は人の子ですから」
さびは高校生になって親元を離れて、寮生活をしている。阪神タイガースが優勝した年に生まれた。
寮ではまず、朝起きた時から独古を削くことから始まる。
昔かたぎの寮母さんは全てそれで出汁をとって味付けはほとんどしない。
「大事な預かり物だから、しっかり返さねえと」
盛岡弁にはまだ慣れない。
さびの故郷は石狩だ。今時分はニシンが穫れる。
食堂ではいつもテレビがつけっ放しになっている。
地元のローカル局が取り上げるニュースはいつも同じだ。
時節の事柄が多い。
もう古くて赤っぽく映るテレビにはまだ友達がいない時には余計に寂しく見えた。
「私たちはひとり子ですよね? 乳母がいないということでよろしいんですか?」
御手洗は我が意を得たりと肯いた。「あの人には痣があります」
「以上、安藤一三の買春についてお伝えしました」
三虫図書館という物がある。
三巻からしか集まってない不思議な図書館で、いつも人がいない。
木に覆われた杜のような図書館で目立ちにくいからかも知れない。
さびはそこに足しげく通っていた。新書からコミックまで集まっている。
親に負担をかけさせたくない。さびは生活費をギリギリまで切り詰めていた。
誰も人がいないせいか、古書も古ぼけていなかった。
風が気持ちいい季節になると窓が開けられている。
今は木の芽時だ。
群ようこの「婚約迷走中」と「散歩するネコ」を脇に置いて、そよぎを見ていると、隣に誰か跪いているのに気づいた。
赤ちゃんだ。
顔を上げると、人間じゃなかった。
「ソムドノニオと申します」
「君は盛岡弁じゃないね?」
「キューピットですから」
「3分クッキングの?」
ソムドノニオは立ち上がった。
貞操帯を付けられたキューピットだった。
「3分も待てないな」
急にスれた感じになって、唇を歪ませた。
靴を脱いでいたので、さびは立て肘を突いた。
「生きてんのが嫌だ」道人は寄せ集めなのでほとんど標準語だ。
「そんな気持ちになるのは・・、身から出たさび」
「世界は不機嫌だよ」
「安藤一三を探しています。あなた天使になりたくないですか?」
「安藤一三? 知らないな」
「地に塩、死は光」
「塩は良いよ。ニシンには塩は欠かせない・・」
ソムドノニオは羊角になって消えた。
さびは「塩は良いもの。」と自分の右腕にメモした。
「お母さん」と口の中で呟いた。
「喜んでいただくためにお届けしています」スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスが流れる。ニュースカオルのエンディング曲だ。
御手洗意味子に対する世間の評価は賛否両論だった。「売名」とか「どっちのせい?」とかだ。
「私は夫のものさしだった」という発言が波紋を呼んでいた。それが軛となって意味子は悩まされていた。
「独占取材、お願いしますよ」ますます過熱する報道に追い詰められていった。
片や、佐伯フエキと二宮あさせの「メソポタミア」も買春で一三を追っていた。
メソポタミアはモルモン教で避妊は罪だ。
そんな時、意味子は三虫図書館に行く。一人静かにしたいからだ。
三巻からの「金田一少年の事件簿」を手に取ると、巻数が欠けていた。誰かいる事を意味する。
この図書館では貸し出しはやっていないからだ。
「一三?」
机から少年が顔を上げた。
意味子は笑った。
それから二人は離れて座って、意味もなく目配せをした。
「さっき、天使が来ましたよ」
何かの前兆だろうか、地虫が鳴いている。
「へえ」
二人の会話はそれだけだった。
意味子は赤いクロコ押しのパンプスニーカーを脱いでストッキングの上から足を掻いた。
意味子がここを知っていたのは、ホストが一三だからだ。
人前では便宜上、「安藤」と呼んでいるが、やはり内心では「一三」と呼びたい。
八年前に一三が買春してからは意味子は地獄だった。
地獄は闇だ。
少年が青臭いボディバッグをたすき掛けにして出て行った。
意味子は鞄から赤い糸を出した。あやとりをしたくて仕方なかったのだ。
子供の頃から好きで今は何だって作れる。指を動かしていると気が紛れる。
傍にお母さんがいるような気がする。
鞄の中に赤ちゃんがいた。背中に羽が生えている。
「さっき言ってたあの?」
「ソムドノニオと申します。安藤一三を探しています」
「私も知らないわ」
「もう一人の天使も」
意味子はキューピットの貞操帯を見た。
「その様ね」
「ガギゼウムになってくれませんか?」
「ホッとケーキ」意味子はあやとりを続けた。
ソムドノニオは羊角になって消えた。
子供の頃はみんな、空に浮いた宇宙言葉を使ってた。
フエキとあさせは戒律で決まっているのでカップスープを車の中で飲んでいた。
本丸は意味子だ。
メソポタミアは女性に厳しい。
あさせが紙カップを捨てに行くと、フエキは車の中で一人きりになった。
サイドミラーを覗くと赤ちゃんが覗いている。
「開けて」とウィンドーを叩く。
「何? お母さんどこ?」
その赤ちゃんは貞操帯を付けられていた。盛岡には不思議な人がいるものだ。
「ガギゼウムはいませんか?」
「は?」フエキは子供は嫌いだ。
赤ちゃんはモルモン教のように腹が膨らんでいた。
「じゃあまたね」フエキはウィンドーを閉めた。
バックミラーを覗くとあさせが誰かと喋っていた、宙空と喋っていた。
「誰と喋ってたの?」戻って来たあさせに聞いた。
「ソムドノニオ」フエキの耳に呪詛のように響いた。
あさせは笑っていた。
片手にはハンドル、片手にはジュース。カオルはオープンカーを馳せらせていた。
「意味子にはそう言っておいて。後で叩きのめしてやるから」
スピーカーのスイッチを切った。
ズルズルと音がするまでジュースをすすった。
意味子はニュースカオルに着くまでに数人の記者に囲まれていた。
「根も葉もない」「事実無根です」言い疲れてため息が出た。
「そういうのメディアスクラムって言うのよ」捨て台詞までメモされた。
安藤のように糖衣Aを飲みたかった。
からがら駆け込むとディレクターが「今夜も時間拡大。期待してますよ」と時間の割り振りだけが書かれた打ち合わせ台本を渡された。
「辛口のコメントここで一発!」
自分が何を言うのか分からなかった。
「天使よ」祈りの言葉の最後はこれで間違えてないはずだった。
スタジオに明かりが点いた。
寮に帰るとラタトゥイユが出来上がっていた。
「お腹と背中がくっつくぞ」
「んだば、パリーグとセリーグかけっから」
「おばちゃん、美味しいって何て言うの?」
「トマトで出汁とった」
「変な事するね」
「ソムドノニオに教えてもらった」
「それって盛岡弁?」
「エスペランサよー、明日はラムチョップにすっから」
さびはジンギスカンにして食べようと思った。
ローカル局ではちょうどニュースが始まる時間だった。
意味子は小便を我慢していた。
スタジオでは専門家とカオルが鍔迫り合いをしていた。
「どう思われます? 御手洗さん」
「あのー、」意味子はスタジオの奥を見た。
そこには気象予報士が出張ってて、そこを抜けたらお手洗いがあるはずだった。
「どうかなさいましたか?」カオルは一三のことを期待しているようだ。
「黒ヤギさんからお手紙ついた、白ヤギさんたら読まずに食べた・・」
「安藤一三は猟友会に参加してますよね? 私たち乳飲み子のような半猟半農の・・」
「ローストしますよね」意味子は落ち着きなく目を踊らせた。
「ここに来る前に地虫が鳴いたんですよ、それって遠人愛なんですよ。どうして愛することができないんですか!」意味子は机を叩いた。
そのままお手洗いに行こうとした。
ソムドノニオがお手洗いに入る瞬間だった。
「邪魔」意味子は椅子にへたり込んだ。
大きな水だまりができた。
「まさかりかついで きんたろう
くまにまたがり おうまのけいこ
ハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ
ハイ シィ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウ
あしがらやまの やまおくで
けだものあつめて すもうのけいこ
ハッケヨイヨイ ノコッタ
ハッケヨイヨイ ノコッタ のこった」意味子は上を向いて歌った。
「体調がお悪かったようで、ドラッグラグいきますか?」
失笑が漏れた。
その夜、さびは逆さ吊りにされる夢を見た。
地獄を踏み抜く。
フエキは三虫図書館で「美味しんぼ」を読んでいた。
それによると、スッポンを何度も煮た鍋にはエキスが染み込んでいて、水を張って火にかけるだけでスッポン鍋になるという。
「んなわけあるか」
あさせは「お手洗いに行く」と言ったまま帰って来ない。
「どこまで行っちゃったのかしらね」
あさせは天上の世界に来ていた。青紫色の花穂を指でつまんだ。
「これが天国の花?」
「ルピナスです。地上にも普通にあります」案内するのはソムドノニオだ。
木の上にシダが茂っている。ここは湖の近くだ。
「あなたどうして自分が天使になれるかご存じですか?」
「モルモン教だからじゃないか」
「卑猥だからですよ」
あさせはイチモツを持ち上げるフリをした。
「人間の世界を滅ぼすなら人間の手で」ソムドノニオはあさせの手をガッシリ掴んだ。
「誰が天使になるか」
ソムドノニオは鉛の矢をあさせの額に打ち込んだ。
「薬局はどうして花の名前なんですか」さびはマルメロ薬局で薬剤師を困らせていた。
「シックスセンスでも言ってるでしょ? 虹を描いとけば問題ないから、って」
「スッキリしました」ボディバッグに便秘薬を入れてお辞儀した。
この頃、便秘のことばかり気になる。食生活の変化がいけないんだろうか?
「急ぎ?」三虫図書館で意味子に呼び止められた。
磁器婚から今までのことを聞かされた。その間も指はあやとりを続けていた。
「私の恥ずかしい所見たでしょ?」意味子は顔が真っ赤だった。
「来年、大学生なんすよ」
「そう。私もあの頃が一番良かったな。まだ一三に会う前でね」
意味子は東京タワーを作った。
「どこにするか・・」
「小さい頃はね、まだ貧しくて、パイナップルが珍しかったのよ。それがどういうわけか厳しかった父が買ってきたのか貰ってきたのか、家に会ったのよ、丸々。ある日だったな。その頃はバナナが果物の王様でね、パイナップルは葉っぱもツンツンして表面もトゲトゲでしょ、中身がどうなってるのか包丁でお母さんが割いてみるとビックリ、バナナではなかった。いよいよ食べる時になるとみんな緊張してね、お前最初に食べてみろって私、まだ子供だったのよ。食べてみるとねー、酸っぱかった。おかしいのよ、その後みんな格式ばって一口ずつ食べてみてね、美味しいもんじゃないなって、私はもったいないからって言ったんだけど、腹壊すぞって厳しい父が捨てちゃったのよ。それから田舎に行って素朴な人に会ってね・・」
「それっておもひでぽ・・」
「ん? なあに・・」その目は正気を失っていた。
「で、その素朴なお茶摘みの人が安藤さんだったんですか?」
「ううん、安藤は最初から申し子だった」意味子は思い出に一人だけいるようだった。
「安藤は俳人でもあったのよ。牧山って言ってね。一句だけ作ったな」
「どんな句ですか?」
「ビスケットかごいっぱいに」
さびが首を傾げていると、「体を大事にね」と意味子は席を立った。
その背中はニシンのようにもう排卵を終えようとしていた。
花籠下
意味子は東京タワーを机の上に残したままだった。
「大切なものなんじゃないかな」
取り上げるとほぐれて一本の糸になった。
「東京か・・」
神様がそう言ってるんだから。
天と地獄しかこの世にはない。
フエキは一匹の虫になって地面を這いつくばっていた。
「大地だ」
土の香り。
「助かった」
野薔薇が身に刺さる。
ムダ毛処理を怠ったせいか世迷い言が鶏鳴にかき消された。
色即是空。
「筒抜けだ」
テントウムシは空を見た。
通り抜けよう。
空が重力で落ちてくる。
恙虫は腫れ上がった空に押し潰された。
「どうして東京なの?」
さびは親元と話していた。
「赤い所へ行きたいんだ」
春日大社もいいかなと思ったけど、やっぱり野暮ったいなと思って東京を選んだ。
河原に座って、中原中也の「山羊の歌」を読み終えると、ザボンの雲が天国と地獄を分けていた。
ただ生きた空の分だけ。
虹は出なかったな。
虹を書いた人はきっとこう言うだろう。「恥かいてるだけですよ」
小さなつむじ風がただの雑草、「の仲間」を揺らした。
さびは赤い東京行きのバスに乗った。
命拾いしたとは誰も考えなかった。
意味子は小便小僧と話していた。
「ハッピー?」
意味子は聖水を浴びた。
後ろから視線を感じた。
「そこにいるのは陽気なポピンズ、チム・チム・チェリー」
散ら散らと花びらの舞う季節だった。
カオルはお手洗いから出て来た。
「よろしくお願いします」
インカムを付けられて、ワイヤレスイヤホンをはめた。
「カオルさん肌キレイですね」
「お通じがいいせいかしら」
「3秒前、」
ADの指が減っていく。
カオルは唇を舐めた。
カメラに向き直るといきなり目隠しをされた。
「しばらくお待ちください」の画面になった。インカムは生きている。
カオルは縛り上げられ片手には天秤、片手には剣が置いてある。
ソムドノニオとガギゼウムが後ろから見守っている。
「6秒待つ」
スタジオは混乱している。
後5秒。
女一人でニュースを任せられるなんて平坦じゃなかった、毎日ボイストレーニングもした。
後4秒。
ニュースで秒読みには慣れている。決して緊張しない。
後・・。
天秤が端から黒くなった。
大きな波が来た。
私の中のどこにこんなものが潜んでいたのか。
おぞけが背骨を走る。
「あと何秒?」
自分の声が高くならないように歯を食いしばった。
深いところから波が打ち寄せる。
「アメージング」
馥郁としてカオルは呟いた。
当然の帰結だった。
また大きな波が来た。
タイダルウェーブだ。
目隠しの下から一筋光が差した。
インカムが拾った。
「分かったら剣」




