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余吟抄  作者: 森川めだか
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LIFE

LIFE

    


 クジラの死体が深海に浮かんでいる。それは深海の心。失われた才能の行方にも似ていた。


「先生、外の世界はどうなっていますか?」

「戦争」

「またか!」膝を打った。危うく足を掛けていたイーゼルからキャンバスを落としそうになった。

「第六次か? 七次か?」笑っていた。

九門(くもん)心支(しんじ)は特別に合成された空気の部屋から外に出られない。原因不明の病気で地球の大気では生きられなくなった。

九門家は名家で、私財でこの辺境の地にこうした研究所をしつらえたのだった。それから代わる代わる病気を治すために様々な研究者が派遣されて来るのだが、誰も治せないまま。

心支は歳を取ることもなく死なない。それもこの病気のせいなのだろうか?

いつしか医者達には「島流し」と噂され、心支はいつもやって来た教授たちに、「今、世界はどうなって、人類はどうなっているのですか?」という質問を投げかけるのだ。

教授たちも初めは精一杯過去のデータを見たり、自分なりに治してみせようと努力するのだが、木から枯れ葉が落ちるようにやる気をなくしていく。

教授たちは特別なマスクなしではこの部屋では生きられない。あまりに空気構成が違うから。

心支と教授、共に言葉を交わすことはほとんど無かった。

奴と話すと気が狂う。そんな話が実しやかに噂されていた。心支も話すことは無かった。ただイーゼルに向かって絵を描いていた。

まだ僕の望む科学者は現れないのか。


クジラの意思のない巨体が海に任されて深海に沈んでいく。限りなく静かなのに、クジラはそこにいない。


ある頃からパッタリと教授が来なくなった。

痩せた顔色の悪い眼鏡の男が入って来た。

「ねえ、地球は今どうなっているのかねえ?」

「・・」

「名前は?」

「デパーセン」

デパーセンは何もしなかった。

椅子にぶらさがるように座り、あっちを向いていた。

コトンと音がしたかと思ったら、デパーセンは椅子から崩れ落ちて死んでいた。

頭をこっちに向けているので、よく観察できた。

長い時の終わりにデパーセンはミイラになった。

横目でそれを見、心支は色とりどりのカタコンベの絵を描いていた。

いきなり、キャンバスが破けてそこから女が顔を出した。

「こんにちは」

「はい、こんにちは」

「私はてこもこ」

「てこもこ?」

「あれ? 人間ってそんな名前じゃなかったっけ?」てこもこは首を傾げる。

「これでも天使のはしくれよ。人間の言葉じゃ発音できないから」

「えっと・・」

「とにかく外に出てみて」てこもこは絵筆を取り上げ、出口に連れてく。

部屋から一歩出る。

血を噴き出すかと思ったら腹が鳴った。

「開かないー」一足早く研究所のドアをてこもこが押していた。

「よいしょ」こじ開けた。

「男! 男!」

広がる大地。

「人類は滅んだわ。世界にあなたたった一人」

「莫大な遺産だな・・」

「どうするの? もしアレだったらこのまま天国に連れてくけど」

「僕はピリオドか・・」

心支は振り返ると、「これも俺の人生だろ?」と笑った。

「薬漬けの日々から解放されたんだ。体中が嬉しい悲鳴を上げてるよ」

誰かがやって来るんじゃないか。そう思わずにはいられない光景だった。

デパーセンのミイラを案山子にして一人言を並べた。

「人が芸術を欲していなかったのかな。芸術が人が必要としていなかったのかな」

「人生は汽車に似てるね。あちこちに駅があって、乗降口があって、運ばれて、揺れて、出口が多くて」

とてつもない罪悪感が襲って来ることがある。

僕の一体、何がいけないっていうんだ。

「灯台もと暗しか」


クジラの死体は次第に腐り、プランクトンに食べられて、白くなりながら、ほんの少しずつ海面に向かって昇ってゆく。


「遺書の伝言を頼むよ」

デパーセンのミイラに手紙を噛ませた。

先立つ不孝をお許し下さい。

「じゃあ、ね」

心支は手を挙げて歩き出した。


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