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Monday⑤「祭」

王歴2012年、春。


今日は月曜日。

一週間の始まりであり、人々は様々な表情を見せるものだ。


休日とのしばしの別れを惜しむ者もいるだろう。

リフレッシュした顔で「またがんばるぞ!」と意気込む者もいるだろう。


月曜日に見せる表情で週末をどう過ごしたかが大体分かる。


肩を落とし、疲れた顔で「はぁ~・・・・」なんて言っている奴は大抵前者だ。

週末遊び過ぎて休日の意味を忘れた連中やこれから始まるウィークデイ・ストレスを前に意気消沈する連中だ。


後者は・・・・あんまり見かけないな。

このストレス社会に全身からエネルギーを溢れさせたり、あり余ったエネルギーをお裾分けしたりする奴はもはや絶滅危惧種かもしれない。


それはオレたち学生にとっても同じだ。

通りを歩く制服に身を包んだ若者たちはその若さにそぐわないシケた顔をしている。


楽しそうに喋っていても、見た目はお気楽でも、どこか足りない。

少なくともエネルギッシュな奴は数えるほどいたらいいほうなのかもしれない。


こんな風に大人も子供も揃って沈んだ顔で月曜日を歩いているわけだ。

いつもなら・・・・・


そう、普段だったらこの寂れた商店街もそこに店を構える商人もそこで買い物をする客も、みんな覇気のない顔で人生のレールを各駅電車でトロトロ走っているのだ。


止まっては走り、止まってはまた走る。


それが人生だ!なんて豪語する輩がいるかもしれないけど、やっぱり思いっきり突っ走ったほうがいいだろ!


細かいことは考えず、嫌なことがあってもウジウジと引きずったりしない。

一つや二つくらいの困難という名の駅なんかすっ飛ばしていく快速電車のほうが絶対に楽しいだろ。



しかし、今週の月曜日は違った。すれ違う顔と言う顔が、表情という表情が違った。

大人も子供もウキウキした顔で通りを歩いているのだ。


まるで快速電車か!いやこれは特急だ!

困難(駅)なんか知るものか!幸せという名の目的地へと一直線に突っ込んでいく特急だ!


勢いが違う!みんな自分の人生のレールを爆走している!

誰もがシャキッと背筋を伸ばして活き活きと生活している!


それは商店街も同じだった。

毎度毎度売り上げが「伸びない伸びない・・・・」と口癖のように呟くことも、客に対して「いらっしゃい・・・・」と歓迎の気持ちがまったくない挨拶をすることもない。


それどころかキリッとした顔つきでこっちが圧倒されそうなくらいの大音量で客引きを行っている。

普段はカウンターで新聞を読んでいたり、煙草を吸っていたりする店員も今日はきちんとお客に応対し、むしろ積極的に商品を勧めている。


今日は、いや正確には今週はいつもと違うのだ。

MondayからSundayにかけて、この7日間は一年で最も意味のある、そして重要な7日間なのだ。


その理由は町に行けばそこら中に転がっていた。



【マナ祭まであと6日・・・・・マナ祭実行委員会フォアブリッジ支部】


町の至る所に、特にここフォアブリッジ商店街にはこれでもかといくらいにこう書かれた看板やポスターが設置してある。

右も左も前も後も・・・・どこを見ても必ずこの文字が嫌でも視界に入ってくる。


下は?

恐らく通行人に配布したのだろう・・・・PRのためのポスターが地面に『貼って』ある。


高いビルがまったくない田舎町フォアブリッジなら流石に上はないよな・・・・

なんて油断して上を見ると・・・・


やっぱりあった。

フォアブリッジ商店街のほぼすべての店舗が屋根にアドバルーンを掲げ、あることないこと色々と店のアピールをしている。


そうなんだ!今週末には大きなお祭りが控えているんだ。

その名は『マナ祭』。


年に一度、国中で行われる祭典だけど、特にここア・ヴァロンではその規模も盛り上がりもそして訪れる観光客の数も他地区の追随を許さない。

そのため、いつしか首都で行われるマナ祭を俗に『ア・ヴァロン祭』とまで呼ぶようになったほどだ。


本当にすごいんだ。


毎年、有名人やタレントが様々なイベントを行ったり、有名アーティストが至る所でライブを行ったりと観る物には事欠かない。

テレビ局だって取材に来るから運が良ければテレビにだって映るかもしれない。


実はそのイベントのひとつにあのアーテも出るらしいんだ。

だからオレも今から『特急』に乗ってウキウキ気分なわけだ。へへへ・・・・・


またア・ヴァロンには世界中のあらゆるジャンルの有名店が店舗を構えている。

それらが一斉にセールを行うもんだから、金がお札が飛ぶわ飛ぶわで民衆の財布の紐は緩みっぱなしだ。


節約家のオレでさえも時には惑わされてしまうその誘惑は子供から大人、高齢者まで男女問わず魅了する。

みんな湯水のように金を使い、それと引き換えに最高の時を過ごすわけだ。



そんなお祭りでオレが一番好きなのは『オープンYATAI』だ。

1つの通りを色々な食べ物を売る店『ヤタイ』が軒を連ね、世界中の珍味を提供するわけだ。


『ヤタイ』っていうのは要するに移動式の簡単な出店のことだ。

はるか極東の国『ジャッパン』ではそう呼ぶんだってこの前トリスに聞いたことがあったっけ。


確かこのイベントの創始者がジャッパン人だからこういう名前がついたんですよ・・・・って自慢げに言われた気がする・・・・


あいつはいつもオレに知識をひけらかすことに忙しい奴だからな。

今度あいつの知らないネタを吹っ掛けてアッと言わせてやるかな。


そのヤタイが通りにズラリと並び、いつもと違ういい匂いを出して客を誘惑するんだ。

特に本場ジャッパンの食い物は特にうまい。


タコヤキ、ヤキソバ、ワタガシ、アンズアメ・・・・他にも見たことない食い物を味わえるんだ。

毎年、祭りはエレと一緒に行くんだけど、ここだけは必ず立ち寄って腹いっぱい食うんだ。


今年も楽しみだけど、残念ながら『ここ』ではそれらの娯楽は味わえない。

ここにいたらそんな遊興とは無縁なのだ。


何故なら今までの話はすべて首都ア・ヴァロンの中でも中心部である『セントラル』での話だからだ。

同じ首都でも『お荷物』であるフォアブリッジはそんなイベントを行ったり、ヤタイを呼んで通りを1つ貸し切ったりする金はあるはずもない。


第一、この町に通りは商店街を真っ二つにし、駅まで続くこの通りひとつしかない。

だからオレは毎回地元そっちのけでセントラルの、本物の『ア・ヴァロン祭』に行くのだ。


オレだって地元は好きだし、応援もしたい気持ちだってあるにはあるんだ。

でも呼んでいるんだ・・・・セントラルから漂ってくる珍味が奏でるハーモニーが。


まあ、イメージキャラクターとしてアイドルのアーテを呼んでくれるならオレも地元を応援してもいいかななんて思うけどね。



そういえばこの祭りの正式名称『マナ祭』にはちゃんと由来があるんだ。

元はその名にある『マナ』を崇める行事だったらしい。


それがいつしか興業的な娯楽的な祭りに変化したそうだ。

だから今では本来の目的『マナに感謝する』という本義はすっかり建前扱いされているのが現状だ。


それならまだいいほうで、中にはマナの『マ』の字も出てこないマナ祭を行う地域もあるって話だ。

時代の変化ってやつは怖い怖い・・・・


それでもア・ヴァロン祭ではどこも一応『マナ記念式典』という行事を祭りの前夜祭に行う。

マナへの誠意を一応は示すわけだ。


だけどそれはやっぱり一応でしかない。

祭りが始まればみんなマナのことは頭から消してしまうのだ。


そうそう、マナって何それ?ってみんな思ったかもしれないけど、実はオレもよく知らない。

というかオレはこの祭りの名前はずっと『ア・ヴァロン祭』だと思っていたくらいだからな。


この間、歴史の勉強をしたときに、初めて正式名称を知ったんだ。

そのときにマナのことも、なぜ崇めるのかも頭に詰め込んだはずなんだけど・・・・


もう頭から綺麗サッパリ抜けているというわけだ。あははは。


とにかく今はどこもお祭りの準備で忙しい。

商人にとっては格好の稼ぎ時、一般人にとっては絶好のお楽しみ。


しかも今年はなんとマナ祭が始まってからちょうど1000年目の記念祭でもあるんだ。

ミレニアムマナ祭とかミレニアム・ア・ヴァロン祭と特別に銘打って、もはや国中が浮かれ気分なんだ。



しかし、今のオレは浮かれている余裕なんてなかった。


それもそのはず、エル・エンズからここまでずっと走りっぱなしで、さらに『血癒』の使用もあり、体力が残り少なくなってきているのを否が応にも実感していた。


とにかく駅まで行けば、電車にさえ間に合えば何とかなる。

電車に乗れば、学園はすぐそこだからな。

この疲れだって、電車内で少し休めば取れるだろう。


そうやって自分を鼓舞し、奮い立たせようとしたが、どうしても駄目だ。

何か発奮させるような物がないと挫けそうになる。


「そうだ!駅まで休まずに走り続けられたら残りを食べることにしよう!」


そうすればもうひとふんばりできるぞ!我ながらいいアイディア!

カザニアの占いで確か仕事運は・・・・そうだ!


『なかなか目標を達成するのは難しそうです』だ!

でも恋愛運の『運命の出会い』がはずれたんだから、これもはずれというのが論理的思考だ。


へへん!と自信たっぷりな表情を浮かべたオレは鞄の中に入っている甘いあんを包んだもちもちした好物を想像し、唾をゴクリと飲み込んだ。

達成できるという確信しか湧いてこなかった。


さあ!がんばれ!オレ!

ご褒美はもうすぐだぞ!


自分ルールを課すことで、オレは残りの体力を燃焼させ続けた。

枯渇するまでに駅まで辿り着けば、あんこたっぷりの大福にありつける。

でももし、駄目なら・・・・


・・・・どうしよっかな・・・・・



やっと商店街を抜けそうだった。


まだ自分ルールを達成できなかったときのルールが決まってなかったが、オレは人通りがイマイチ物足りない商店街を『駆け抜け』ていた。

ほとんど歩くのと同じくらいの速さでかろうじて走っていた。


そう、あくまでまだ走っているのだ。速さはこの際問題ではない。

歩かなければルール違反にはならないのだ。


オレは胸が痛み、呼吸が苦しくなっていくのに堪えつつ、足を前へ前へと動かし続けた。


前にもいったとおりオレはスポーツが苦手だ。

体力トレーニングも筋力トレーニングもまともにしたことがない。

当然、体力の最大量も決して多いとはいえないわけだ。


他のスポーツ、ベースボールとかフットボールとかなら苦手でもまあ楽しんでやることも出来るけど、マラソンなんてただ走るだけだろ。

苦痛以外の何物でもない。


ゴールの先にご褒美でもなければやってられない種目だ。

だからオレは目の前に『大福』という名の人参をぶらさげた馬の如くただひたすら走り続けているのである。


スピードは馬に比べるにも値しなかったけど。


「まあ、カザニアがインチキなのは真実だから、達成出来ないなんてことはありえないかな。罰ゲームはいらないな!」


カザニアが言ったことははずれる・・・・これもある意味、インチキ占い師を信じていることになる。

情けないことにオレは占いを信じていないようで、実は信じていることに気付いていなかった。



「視線を感じる・・・何だ、気味が悪い」


走り続けながらオレは疲労感と足の重量感だけでなく奇妙な違和感も覚えていた。

後ろから誰かがオレを見ている・・・・そんな気がした。


しかも走っているのにその感じはずっと変化なく続くため、オレは次第に落ち着かなくなってきた。

まるで何かが後頭部にまとわりつかれているような、何かがべったりと背中に張り付いているような感覚だった。


オレは左右を確認しながら足を進めた。


商店街にはまばらながら人通りはある。

しかし、わざわざ走っているオレを追いかけてまで視線を向けるような奴はいないだろう。


オレが今を時めく人気アイドルなら話は別だが、残念ながらオレはそんな大それた者ではない。

ただの一男子学生だ。


追っかけじゃないとすればじゃあ何者なのか。

いったい誰がこんな視線、しかも感じの悪い視線を送ってくるのだろう。


どんなに考えても一向にその答えは見えてこない。

唯一はっきりしていることは今、オレは2つの目的のために商店街を走ることになってしまったということだった。


1つ目は遅刻を回避するためである。

これ以上の『遅刻者』のレッテルを上塗りすることは何としても避けたい。

クラスメートからの印象をこれ以上悪化させたくないからな。


そして2つ目はこの視線からの回避だ。

いくらこっちが移動しても、今まで感じたことのない視線は、どこまでもオレにつきまとっていた。

でも何とかして振り切りたい。


「もしかして幽霊とかの類かな・・・・だったら、ヤバいな・・・・」


オレは全身から噴き出る汗に冷や汗が混じっているのに気づき、それを振り払おうとスピードを上げた。

無我夢中になればこの視線を忘れる・・・・ことは出来なくても、無視するくらいなら出来るかもしれない。


こんなもの気にしなければどうってことはない。

今のところオレに害を加えようという気配はない・・・・と思うし。



オレは商店街に並ぶ様々な種類の店に脇目を振ることなく、一目散にただ真っ直ぐに突き進んだ。

高画質テレビを並べる『誠実な』電気店も、好物の大福の匂いを漂わせる菓子屋も、その他、本来なら寄り道してしまいそうな店でさえも今のオレを誘惑することは出来なった。


それでも視界に入ってくる綺麗な映像や、甘~い匂いを無視するのは辛かった。


「ねえ、後ろ・・・・見て・・・・」


不意だった。


何だ!今度は声が聞こえる。しかも、頭に響いてくる。


オレは背筋がゾッとするのを感じた。

全身が鳥肌を呈し、寒くもないのにブルッと身震いまでしてしまった。


聞こえた声は子供の声か大人の声か、男なのか女なのかもよく分からなかった。

ただ後ろを見てと命令する割には無感情な声なのが印象的だ。


「後ろって・・・・」


オレは足を止めた。でもまだ振り向かない。


・・・・・・・


周りから音が消えた。

いや、周りには人がいるのだから音が消えるわけがない。


「これは・・・・?」


オレの耳は周囲のあらゆる音を拾うのを拒絶していた。


なぜ・・・?緊張のあまり意識を失いそうになっているのか?


違う!オレの意識はしっかりしている。

なんなら今ここで九九を暗唱してもいいぞ・・・・ってそんな場合じゃない!


考えても埒が明かない。

呼吸は歩くに等しい走りを止めたおかげで少しずつ楽になってきたが、心はむしろ窮屈になっていた。


ドックン、ドックン、ドックン、ドックン・・・・・・・


心地の悪い鼓動はその音とリズムを徐々に激しくしていった。

今回ばかりはインチキ占い師カザニアの言う『運命』を期待する気持ちも余裕も1ミリグラムもなかった。


大きく深呼吸してからオレはゆっくりと『声』に従って、後ろを振り返る決意を固めた。

もうそうするしか状況を変える方法が無かったからだ。


スローモーションのようにゆぅ~~~っくりと振り返ると、視界に飛び込んできたのは、お化けでも化け物でも、ましてや女の子でもなかった。



弾丸だ!これは銀色の弾丸だ!

あの悪魔でさえも一撃で倒せるという幻のシルバーブレットだ!


・・・・ってオレは悪魔でも何でもないぞ。

それに撃退されるような謂れもないし、そんな悪事を働いた覚えはない。


たまにエレに『セクハラ』呼ばわりされるけど、あれだってほとんど・・・・じゃなかったすべて誤解なんだ。


だったら今まさにスローモーションでオレ目がけて飛び込んでくるこの銀色の物体は何なんだ!?


「おわっと!!」


オレはスローで近づいてきた弾丸をキャッチした。


キャッチ?え?

弾丸なのにキャッチなんて出来るの?


オレは自分で自分のした行動が理解出来なかった。


だが確かにオレは銀色の塊を抱えていた。

・・・・え?抱えていた?弾丸なのに?


ちょっと待てよ。普通、弾丸っていったら銃から放たれるアレだろ?

引き金を引くとドキューンとかいう激しい音と共に物凄いスピードで目標へ向かって飛んでいくアレだろ?


空気を切り裂きながら、轟音が消える頃にはもうすでに対象に到達し、時にはそれさえも貫いていく。

撃たれた対象は当たり所によっては即死に至る。


そんな殺傷能力抜群の弾丸もそれ自体は小さい。


ほんの数センチの金属の塊が一瞬で人や動物から命を奪う。

その恐ろしさや虚しさは撃たれたことも撃ったこともないオレには頭で分かっても、真の意味で理解出来ないのかもしれない。


正直、理解したくもないけど。


そんな手で握れる程の大きさしかない物体をオレは両腕で抱えているのだ。


これは一体何なんだ?


思考がショート寸前まで進行しかけたとき、その答えは腕の中から発せられた『音』、いや『声』ですぐに分かった。



「きゅ~~ん・・・・」

「・・・・あははは・・・・何だ、お前か・・・・」


オレは自分の抱えているものが何か分かると、大きなため息を吐いた。

今まで持っていた恐怖心や何やをすべて吐き出すように、ドックンドックンいっていた心臓を安心させるように2、3回繰り返した。


何のことはない。

銀色の弾丸の正体はさっきの子犬だった。


そういえばさっきから腕や手にもふもふっとした感触があったっけ。

それに気付かなかっただけだった。


それ程オレがビビって・・・・じゃない、緊張していたということだ。あははは。


オレは苦笑いともほっとした笑みとも取れる微妙な表情しか出来なかった。


「きゅん?」


子犬と目が合った。


小さい体とそれに見合った小さい顔、その割にオレを覗き込む目は大きく、くりくりっとしていてとても愛らしかった。

今朝の番組でアーテが紹介していたペットたちにも決して負けてないとオレは思った。


思わず顔が緩んでいく。頬がくすぐられているようだった。

しかもなぜかオレの腕の中にいる子犬は綺麗な銀色の毛をなびかせていた。


さっきエル・エンズの出口でベンチの上に置いてきたときにはまだ土と血で汚れていたはずだった。

注意深く見ればかろうじてその毛が銀色だと分かるくらいだったのだ。


それが今では洗ったかのように綺麗になっている。

汚れや染みなどどんなに集中して探しても見つからないだろう。


いや・・・・あっ!あった!汚れが。

しかもその汚れからはほのかに甘い香りがする。

これは・・・・


「あははは!お前、あの大福食べたのか。うまいだろ!オレの大好物なんだ!」


「きゅん!」と嬉しそうに鳴く子犬の口周りをオレはハンカチでサッと拭った。



「さて、これからどうしよっかな・・・・ついてきちまった以上やっぱり連れていくしかないよな・・・・」


苦笑いを浮かべそうなセリフだけど、オレは同じ笑いでも苦くも辛くもなかった。


へへへ・・・・気持ちいいなぁ・・・・

やっぱり『もふもふ』はこの世で最高の感覚だよなぁ~・・・・


顔中の表情筋がすべて弛緩してしまったようだった。

垂れた頬が元に戻らない。くすぐったい。


オレは腕の中に包んだ銀色の温かい小さな体を思いっきり抱きしめていた。

顔に頬ずりしたり、体中のサラサラもふもふした毛並みをおさわりしたりと子犬の魅力を堪能していた。


「きゅ~・・・・」


子犬は少し苦しそうだったが声色は嬉しそうだった・・・・と思う。

何回も言うけどオレは子犬の言葉なんか分からない。


飼い主はペットの表情や鳴き声でペットの気持ちが分かるっていうけど、オレはこの子の飼い主じゃないし、今までペットを飼ったこともない。

だからオレは子犬の声をすべて前向きに解釈していた。


しかし、幸せな時間は永遠ではない。

誰もが望みながら、求めながら手に入らないもの。


それが永遠だ。


今、『子犬LOVE症』末期患者のオレにとって一番欲しいもの・・・・それはこの愛らしい子犬との甘いひととき。

この一度味わったら病みつきになってしまう『もふもふ』した肌触りと子犬の体温が作る、手に腕にそして頬に伝わる温もり。


ああ!もうこのままオレは時間が止まってしまってもいい!!

もうずっとこの1コマを永久に繰り返したい!


このまま時間が・・・・って


オレはハッとして我に返った。


「今、時間は!?」


天国から一気に現世へ転落したオレがいきなり叫んだのに驚いたのか、子犬は少し脅えた顔で「きゅ~ん・・・・」と鳴いた。

オレはすぐに子犬の毛に隠れていた腕時計をチラッと見た。


「ヤバい!!またやっちまう!!」


現世から地獄に叩き落とされたオレはその絶望の叫びで再び子犬を驚かせてしまった。

今度は声も出さずに震えてしまっている。


オレはすばやく「ごめんな!」と言って、子犬を下ろした。

今から本当に本当に本っっっっ当に残りの体力、死力を尽くせば万が一の確率で間に合うかもしれない。


オレは足に力を込めて爆発させた。

よ~い、ドン!!!



「お前も犬なんだから走るのは得意だろ・・・・って・・・・アレ?」


足を止めた。


オレはてっきり横に颯爽と走る銀色犬をお供に走っていると思っていた。

大好きな子犬と散歩ならぬ『散走』なら大福ルールと合わせて何とか頑張れると思ったのに。


代わりにオレの足元にあったのはマナ祭PRのポスターだけだった。


「きゅぅ~~~ん!・・・・きゅぅ~~~ん!・・・・」


後ろを振り返れば、薄っぺらい紙のそばで蹲った子犬が鳴いていた。

遠吠えってやつだった。


何度も何度も叫んでいた。

少し離れていてもその大きな目にちゃんとオレは映っているだろうに。


それでも子犬はまるで目の前からオレが消え去ってしまったかのように悲壮な表情で遠吠えを繰り返していた。


オレは涙が出そうになった。


あんなに寂しそうな子犬をオレは今まで見たことがなかったから。

あんなに必死にオレに向けて鳴く、叫ぶ子犬に今まで出会ったことがなかったから。


「お前・・・・やっぱりまだ立って歩くのは無理か・・・・ごめんな・・・・本当にごめんな・・・・」


オレは一目散に駆け寄り子犬をひょいと抱き抱えた。

もう一度ごめんなを言おうと小さな顔を見ると・・・・



「きゅん♪」

「アレ・・・・え?・・・・え?」


目の前には不幸に沈む顔も、悲しみに打ちひしがれた顔もなかった。

はたまたオレにもう一度会えて安心した穏やかな顔でもなかった。


そこにあったのはニコニコご機嫌な顔で何度も「きゅん♪」と、まるで「サンキュー!」とお礼を言うかのように繰り返す銀色の子犬。


オレがさっきまで感じていた胸に突き刺さるような居たたまれない気持ちも、一瞬でも子犬と離れてしまったことへの罪悪感も瞬く間に吹き飛んでしまった。


「あははは・・・・」


何とも言えない微妙な空気に苦笑いしか出来なかった。


「分かったよ!ちゃんと連れてってやるよ!その代わりまたここに入ってくれよ!」


オレは銀色の小さい体を鞄へ収めた。やっぱり小さいからすっぽりと入る。

エル・エンズから出るときはぐっすり寝ていたけど、今回は鞄から顔を出してこっちを向いていた。


「きゅん!」

「よし!行くか!少し揺れるけど簡便してくれよ!」


オレは再びスタートを切った。

少し休んだせいかさっきよりも体が動く。

これなら間に合うかも・・・・多分。


「ん?よく考えたら何でさっきはオレに向かって飛び込んでこれたんだ?まるで弾丸だったぞ・・・・それにそもそも何でこんなに綺麗になってるんだ?」


走りながらオレは後ろの鞄を見た。

銀色の子犬はまるで車の窓から顔を出すような格好で外の景色を見ていたが、不思議そうな顔を向けるオレと目が合うと元気に


「きゅん♪きゅん♪」


・・・・まあ、いっか!


オレは再び襲ってきた胸の痛みや過呼吸の苦しさに耐えながらも、この世で最も幸せ者だと言わんばかりの顔をしていた。




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