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Monday⑪「ふたり」

一人より二人のほうがいい。



恋人、夫婦、親友やライバル・・・・・


様々な形はあれど、我々は孤独よりも誰かと関係を持つことを求めるものだ。



これは誰かに教えられたからではない。


しかし、我々は意識的にであれ、無意識であれ、そうする。



なぜ?



愛を育むため?子孫を残すため?


それとも切磋琢磨したり、喧嘩したりするため?



いや、それは後付けにすぎない。




ある者は言う。



「私は隠したいんだ」



寄り添う者が尋ねる。



「何を隠したいの?」



ある者は笑顔で言う。




「自分さ・・・・君がいない寂しさを感じる自分を、さ」



「なあ・・・・」



昼休みはもう半分を過ぎ、大抵のクラスメートは昼食を終え、教室で各々自由に過ごしていた。


昼下がりのぽかぽかした春の陽気が教室の窓からやってくる。


温暖な空気に包まれて、クラスメートは皆笑顔で会話に花を咲かせている。




オレは片手で頬杖つきながら教壇のほうをぼんやりと眺めながら呟いた。


結局、制服は借りられず、オレは汚れた制服をまだ身に着けていた。


トリスは予備を持ってはいなかったからだ。



「なあ・・・・トリス」


「何ですか・・・・ランス君」



トリスは腕を組み、額に皺をつくりながら机を見ていた。



花など咲く気配すらしないやり取りだったが、眠そうな表情のオレに対して隣の席に座る男はまったく異なる表情をしていた。



「あれはさ・・・・引き分けだよな?」



オレは閉じかけていた目に力を入れ直すと、トリスに向き直った。


言葉は疑問形だったが、そこには『そうに決まってる』という同意を込めたつもりだった。



「う~~~ん・・・・・」



大きな眼鏡が反射してその奥は見えなかったが、この『教授様』はオレが話しかけても、まだ考え込む仕草を続けていた。



オレの言葉が聞こえていないはずはなかった。



こいつは難聴でもなんでもないし、しかもオレとトリスは隣同士だからだ。



どうせならクラスのマドンナ的存在の隣が良かったのだが、勝手に担任の先生が決めてしまったのだった。



う~~~ん・・・・・しょうがないよな・・・・・・



ちなみにこの学園の教室は隣同士がものすごく近い。


椅子と机は一応、隣と区切られているのだが、その幅はオレの片腕一本くらいしかない。


椅子に関してはまるで長いベンチのようだった。



だからもし『マドンナ』と隣になれば、ちょっとした『イベント』だってあるかもしれないのだ。



どんなイベントかって?



・・・・まあ、それはいいじゃないか!あははは!



オレは無視し続けるトリスに少しずつ苛立ちを覚えた。



「だってオレ、別に殴られてもいないし、降参した覚えもない。だから引き分けだろ?」



自分の顔がピクピク引きつっていくのを抑えながら、努めて平静とした口調で言ったつもりだった。


無理矢理抑えつけられた表情はかえって不気味だったのだろうが、オレ自身には見えないからどうしようもない。



「う~~~~~~ん・・・・・」



トリスはまだ無反応だった。



まだ何かを無言で考えてやがる・・・・・



この頭でっかちはまたオレの知らない知識を披露する計画でも練っているのか?


また高慢な態度で下らないご高説をたれようとしているのか?



「なあ!聞いてんのかよ!・・・・・せっかく助けてやったのによ。何だこの仕打ちは!」



語気を強めながら、オレはトリスの肩をつかんで強引にこちらを向かせた。


さすがに考え中の教授様も脳細胞の活動を休め、オレの顔を見た。



特に驚いた顔もせず、トリスはわざとらしく大きな溜め息をついた。



「・・・・ランス君。あまり近くでギャーギャー言わないでくださいよ。それに僕は君に助けてもらった覚えはありませんよ。君は勘違いをしています。ついでに君の問いにも答えましょう」



やっと見えた教授様の表情はえらく真面目な顔だった。


トリスは大きな眼鏡の位置を直しながら、憎らしいほど冷静な口調で、



「あれは君の負けです」


と言った。



負け・・・・?



オレは友人の放ったたった一言が胸に深く抉り込んでくるのを感じた。



元来、勝負にはどうしたって勝者と敗者がいる。



どんなに努力したって、負けるときは負ける。


悔いだって残るだろう。



だが全力でぶつかって、自分の実力を出し切ってその結果なら納得することも出来る。


納得することで次負けないためにどうしたらいいかと試行錯誤することも出来るのだ。



しかし、綺麗に納得出来ない場合だってもちろんある。



「何だって!?」



オレは立ちあがって、両手で机を叩いた。


驚いた何人かのクラスメートがチラッとこちらを見た。



それでもオレの怒気は冷めるどころかますます燃え上がった。



「オレの負けだって!?何でそう思うんだよ!?あの状況を考えれば、オレがお前を助けたのは明らかだろ?肉体的にも経済的にも!それともお前、あの金はやっぱり『こっち系』のお礼なのか?」



言い終わった後、オレは寒さに震えるような素振りをして、軽蔑を含んだ目つきをした。


トリスは「やれやれ」と面倒そうに腕組を止めて、人差し指をぴんと立てた。



いつものご高説を始めるときの仕草だった。



「・・・・いいですか。まず、君はダイダラ君に対して何ら攻撃めいたことをしていません。それに彼のかけた黒封術『ソスタ』に完璧にかかってたじゃないですか。あれは上級の封印術で、かかると一切の動きを止められてしまうんですよ。その封じる力は授業でスピカ先生にかけられた白封術『ハルト』とはレベルが違うんです」



眼鏡を片手でクイッと上げたトリスの表情は完全に『教授モード』だった。


さっきまでデカブツに怯えていたとは思えないくらいの自信に満ちた目だった。



「例え暴行を受けてなくても、カツアゲされてなくても、相手の術に完璧にハマったらその時点で負けですよ。分かりましたか?ランス君」



言い終えると、トリスは再び腕を組み、机とのにらめっこを再開した。



「・・・・・・・」



オレはすぐに反論出来なかった。


正直、トリスがつらつらと並べた言葉もほとんど意味が分からなかった。



しかし何とかその糸口を見つけようとあのときの状況を思い浮かべることにした。




オレとデイダラは互いに戦闘体勢に入っていた。



先に仕掛けた、というより唯一仕掛けたのは向こうだった。



あのデカブツが呪文を唱えた瞬間、オレは『止まって』しまった・・・・らしい。


「らしい」というのは、その間の様子をまったく覚えていないからだ。



あのデカブツの濁声が聞こえてから、オレの目の前は暗黒に包まれた。


そして一切の感覚がなくなった。



場所の感覚も時間の感覚もなくなっていた。



それから一瞬だったのかもしれないし、数秒後、いや数分後だったのかもしれない。



気付いた時にはデイダラたち3人、あれ4人だったっけ?あいつらはなぜか屋上から姿を消していた。



ただオレが止まっていた間、奴らがオレやトリスに何かした形跡はどこにもなかった。


外傷も経済的な損失もなかった。



オレは再び顔が引きつっていくのを唇を噛みしめることで抑えた。



「確かに・・・・・あいつらには何もされなかったけど、オレはあいつの技をまんまと食らったんだ・・・・」



声がトーンダウンしていくのを感じながら、オレは両肩をガクッと落とした。



でも待てよ・・・・・



「なあ、こう考えられないか?あいつらはオレらに術をかけておいて何で攻撃しなかったんだ?それは奴の術が破られたからだろ!奴らは術を破られて逃げたんだ。だったらこれは負けでも引き分けでもなく、オレの『不戦勝』じゃないか。な!そうだろ!」



オレはようやく納得することが出来て、ほっとすると同時に誇らしい気分になってきた。



不戦勝でも勝ちは勝ち。


理由はどうあれ、勝ちに優るものはない。



オレは再び椅子に深く座ると、自然と背筋が真っ直ぐになっていた。


『これでどうだ』とでもいわんばかりにトリスのほうへ顔を向けた。



しかし、隣から聞こえたのは称賛の声でも羨望の眼差しでもなく、濁った息と軽蔑を含んだ視線だった。



「ランス君・・・・ポジティブシンキングも甚だしいですね。だいたい、ダイダラ君の『ソスタ』を破ったのは君じゃなくてその子でしょう」



トリスはオレではなく、オレの机の下に置いてあった鞄を指差した。


鞄は完全に閉じられておらず、チャックは半分ほど開いていた。



「ウッ・・・・そ、そうだけどさ・・・・・」



オレは鞄の中をチラッと見た。



「スゥー・・・・スゥー・・・・」



中には丸くなった格好のフェンリーヌがお腹を上下に規則正しく動かしていた。



実はデイダラのソスタとかいう術を破ったのはこの銀色の子犬らしいのだ。


確かにオレが意識を取り戻したとき、フェンリーヌは鞄から出て、オレの隣に立っていた。


しかし、そうであるという確証はなく、状況証拠だけだった。



でも毎度毎度、よくこんな狭いところで寝られるもんだ。


絶対に窮屈だと思うんだけどな。



「へへへ・・・・」



オレは再び椅子に腰かけると、手を伸ばして鞄にピッタリ収まっている子犬の体をそっとさすった。


もふもふした感触が手のひらから全身へ広がっていく。



何度さわっても、フェンリーヌはまったく起きる気配がない。


それが分かるとオレは遠慮なしに頭や片方だけ垂れている耳を撫でた。



・・・・・・・・



やっぱり子犬の毛並みは最高だな・・・・


もう、勝ち負けとかどうでもよくなるもんな・・・・・



オレは頭がふわふわと軽くなうような感覚を覚えた。



「ランス君・・・・幸せを満喫しているところ悪いんですけど、話はまだ途中ですよ」



トリスは相変わらずの上から目線での話し方だったが、今度は腕を組んではいなかった。



代わりにいつの間に出したのか、机の上にあるモノを慣れた手つきでカタカタいじっていた。



「実は気になることがあるんですよ。さっきの件で」



トリスは両手で滑らかにピアノを弾くような手付きでモノを操作していた。


オレに向かって話していても顔は常にモノのほうを向いたままだ。



「サイコロテディベアか・・・・お前、いつもそれいじってるよな。それってパソコンと似てるけど全然違うんだろ?」



オレはトリスが熱心に向かっている画面を覗きこんだ。


そこには様々な絵や文章やらが滝のように流れていて、正直眼がチカチカした。



「ええ、違いますよ。これは『サイクロぺディア』っていう電子百科事典ですよ。インターネットにもつながって、常に新しい情報や知識がアップロードされていく優れ物ですよ!」



ご機嫌な様子でトリスはさらに『カタカタ』のスピードを上げた。


画面を見ながら、キーボードを一切見ずに操作する。


いわゆるブラインドタッチをこの男は流れるような動作でこなす。



オレもパソコンはいじるほうだが、さすがにこんな真似は到底出来なかった。



オレは顔を突き出して横からサイクロぺディアの画面を覗きこんだ。



画面には政治や経済に関連した難しい記事がいくつも並んでいた。


斜めにざっと眺めると、ふと見たことある顔と名前が映っていることに気づいた。



「何だ?この記事。なになに・・・・『占い師カザニア=アルカナついに本領発揮!』だって!?」



そこにはド派手なドレスとド派手なアクセサリーをふんだんに身にまとったド派手な女が映っていた。


笑顔で大勢のファン(?)に向かって手を振っていた。



カザニア=アルカナ・・・・あのインチキ占い師だ。



こいつには散々、裏切られてきたからな。


あんなこともこんなこともあったな・・・・って、思い出しただけで腹が立ってきた。



こいつがどれほど無能でどれほど役に立たないかはここで語るほどのことではないし、第一語りたくない。



でもそいつが本領発揮って・・・・いったいどういうことだ?



オレが首をひねっていると、さっきまでBGMのように聞こえていたカタカタ音が消えた。



「それに普通のインターネットと違って、デマや役に立たない情報はカットされるという機能までついているんですよ!すごいでしょう!・・・・って、聞いてるんですか、ランス君!」



トリスは画面からオレの顔に目を移したが、オレの目線は画面上の成金女の姿に固定されていた。



「あのインチキ占い師が本領発揮ってことは、ついになんかやらかしたな!きっとデマでもって逮捕でもされたんだな!あははは!・・・・って、聞いてるよ。そのサイコロテディベアはお前の『知識の宝庫』なんだろ!もう聞き飽きたっての」



オレは記事に書いてある小さな文字を読む気にはなれず、自分の予想というか願望を口にした。



「でもまあ、これであのインチキ占い師も終わりだな。次はもっとマシな占い師に交代して欲しいよな」



どうせなら美人で初々しい感じがいいなぁ。


そうしたら毎朝欠かさずチェックするだろうなぁ。



それに多少、はずれたって、「ごめんなさい(はあと」の一言で許せるしな。



オレがどんな女性がいいか思案していると、トリスはなぜか驚いたような顔でオレを見ていた。


まるで珍しいものでも見るかのような視線だった。


そんなある意味人を小馬鹿にしたような視線は浴びていていい気分はしない。



トリスはキーボード上で止まっていた手を離した。



「ランス君は今朝の占い、見てないんですか?そのカザニアの占い、確かに今までほとんど当たらなくてランス君みたいにインチキ呼ばわりする人も多かったんですけど・・・・今日は違うんですよ!凄いんですよ!」



興奮した声で、トリスはズイッと顔を近づけてきた。



近い・・・・まるで唇が触れそうだ。



って!オレは『こっち系』じゃない!


BLなんか勘弁だ!



背筋にちょっぴり寒気を感じたオレはすすっと顔を遠ざけたが、トリスの力説は止まらなかった。



「全国各地から占い当たりましたっていうメールやFAXがテレビ局に殺到したそうです!もう巷では『カザニア様』なんて言う人まで出てくる程なんですよ!」



トリスはその後もカザニアの占いが当たった事例をいくつも挙げて、その偉大さを語った。


どっかの会社が大成功したとか、おかげで告白に成功しましたとか、それこそピンからキリまであった。



「なんだそりゃ?オレも今朝見たけど全然当たってなかったぞ・・・・もし、あのインチキの言うとおりになったら今、オレはお前と話してなんかいないからな」



もしあのインチキの言うことが実現していたら、オレはきっと学園サボってるからな。


そしてセントラルの繁華街を歩いているんだ、二人で。



相手はもちろん『運命の人』。


その娘と今日は一日デートだ!・・・・ってなことになってたはずだからな。



オレは大きくため息を吐いた。



だから今こうして眼鏡の教授様と対面している事実がカザニアが無能だということの証明になるんだ。



「そういえばランス君は『おひつじ座』でしたよね・・・・『あれ』ってどう思います?」


「『あれ』・・・・何のことだ?」



オレが『?』を頭上に掲げていると、トリスは腕組をして、再び「う~~~ん」と唸りだした。


こいつは何か腑に落ちないことがあるとすぐに考え込む癖があるからな。



でも今朝のカザニアの様子がおかしかったのは分かる。


なんたって今、トリスの『サイコロ』に映っているカザニアとは全くの別人のようだったからな。



あのときのインチキ占い師は赤紫の地味なローブに身を包み、指輪やネックレスといった装飾品は一切身に着けていなかったんだ。



おまけに声も透き通ったような耳に響き渡る声だったしな。



だからといって占い内容はやっぱりインチキだった。



確か、オレの場合、恋愛運は『運命の出会いがある』で、寄り道してみるとよいとか言ってたな。


あと約束したことはきちんと守らなければならないでしょうなんていうのもあった。


仕事運は『なかなか目標を達成するのは難しそう』で、金運は並。



どこにも変なところはないじゃないか、当たらないこと以外は。



そう返そうとしたが、唸りを止めたトリスが真面目な顔で先に口を開いた。



「ランス君、本当に見たんですか?実は他の11星座と違っておひつじ座だけはいつもの『金運・恋愛運・仕事運』の他にもうひとつアドバイスがあったんですよ」


「へぇ~・・・・そう」



オレは欠伸をしながら、頬杖ついた。


カザニアのアドバイスなんか知ったって無駄、聞いたって無駄、実行したって無駄だ。



トリスはオレがまったく聞く気がないのを悟ると、肩を落とした。



「何でそんなに興味ナシなんですか・・・・せっかく教えてあげようと思ったのに」


「はぁ~」と長い溜息を何度も吐き、何度も「せっかく―――」を繰り返し始めた。



オレはしばらく無視していたが、トリスはまったく引く気がなかった。


どうやら意地でもオレに教えたいらしい。



「そんで?その『カザニア様』はおひつじ座のみなさんにどんなアドバイスを仰ったんですか?」



仕方なくオレは折れることにした。


まあ、聞いたところでどうせ実行する気もないし、すぐに忘れるつもりだった。



トリスは急に「そうですか!知りたいですか!」と大げさに喜ぶと、パッと表情を真面目な顔に戻した。


そして少し重い口調で、まるで怪談話でもするかのように妙な間を作りながら呟いた。



「『一週間・・・・一週間で決めなさい、己の進むべき道を』だそうです」


「はあ?なんだそりゃ、まったく意味分かんないじゃんか。やっぱりインチキだな!」



予想どおりの意味不明なアドバイスにオレは不満をぶつけた。


しかし、トリスはオレの言葉にうろたえるどころか、顔をほころばせていた。



「そんなことないですよ!だって今朝の占いで僕は『思いを寄せる人に良い所を見せることが出来ます』って言われたんですけど、本当に的中したんですから!」



鼻の下がのびたみっともない笑顔をしながら、トリスは語気を強めた。


その態度に虚をつかれ、オレは言葉を失ったが、頭に何かが引っかかったのを感じた。



「『思いを寄せる人に良い所を見せることが出来ます』?・・・・って、お前、もしかして好きな子いるのか?誰だよ!」



まさに寝耳に水だった。


こいつと知り合ってから数週間が経つが、そんな話今まで聞いたことがなかった。



もちろんそれ関係の話をしてこなかったわけではない。


クラスの女子で誰が一番可愛いかとか、あいつはあの女がすきらしいぞといった話はよくした。


オレも自分の好みをトリスに話したことがあるし、トリスからも好みを聞いたような気がする。


それでもトリスに好きな子がいるといったことは本人はもちろん誰からも聞いたことがなかったし、そんな素振りも様子も見られなった。



オレの追及にトリスは狼狽しながら、目線をキョロキョロと動かし始めた。


四方八方に向けられる目は、確実にオレの目だけは避けていた。



「えぇ!?あ・・・・それはですね・・・・それは・・ですね・・・・あっ!これこれ!これ、大変ですよねぇ~!」



トリスは素早く手でキーボードを2、3回叩くと、新しく画面に映ったひとつの記事を指差した。


その人差し指は落ち着きなく震えていた。



「ここ最近、首都に出没していた通り魔の魔の手がついにセントラルにまで及びましたかぁ~・・・・西地区ですか、怖いですねぇ~・・・・気をつけないと」



トリスは「怖い、怖い」と仕切りに呟いた。



まるで自分に何かの暗示をかけているかのように繰り返した。


呼吸は荒く、顔は紅潮し、一見すると何かの病気なのではないかと思えるくらいだった。



しかし、オレはトリスの態度も通り魔の記事もどうでもよかった。


知りたいことはただひとつ。



「なあ、トリス・・・・誰なんだよ?」



オレは完全にトリスの『上』にいることを自覚していた。


今まで散々上から目線で力説してきた教授様をさらに上から見下ろす立場に立ったのだ。



オレは嵩にかかって問い詰めた。



「誰だよ?教えろよ!・・・・あいつか?この前、図書館で見たあの子か?それとも・・・・」


「そんなことよりもランス君!君はダイダラ君にやられたままでいいんですか?このまま負け犬でいいんですか?」



オレは学園で見た『目ぼしい女子』を次々に思い浮かべていたが、トリスのある一言に体が心が反応した。



「いいわけないだろ!オレは犬は大好きだが、あくまでかわいい子犬限定だ!そんな縁起の悪い犬はお断りだ!」




『醜い犬がいた。


その顔にはヘビみたく鋭く細い長い眼と長い舌がついていた。


「ガハハハ!」と鳴く犬に立ち向かうもう一匹の犬がいた。


白と黒のツートンカラーをした犬は果敢に自分よりもはるかに大きな犬に立ち向かった。


両者が激しくぶつかり合う。


そちらが勝つのか・・・・そしてどちらが地に臥すのか・・・・



負け犬はどっちだ・・・・』




オレはなぜかそんな光景を脳内劇場で流していた。


しかし、結末が上映される前に幕は下りてしまった。



トリスは深呼吸をすると、ようやく落ち着いてきたようだった。


再びサイクロぺディアを操作し始めると、画面がガラッと変わった。



「言ってる意味がよく分かりませんけど・・・・実は僕はあの『ソスタ』について不思議に思っていたんですよ」


「これを見てください」と言ったトリスに促されるがままに、オレは画面をサラッと見回した。



そこに映っていたのは『魔術大辞典』というタイトルを冠したページだった。


これは前にもトリスに見せられたことがあった。



様々な呪文が種類ごとにデータベース化されている辞典で、検索機能も充実しているためすぐに目的の魔法を知ることが出来る優れ物だそうだ。


もちろん情報量も半端ないらしい。



トリスが映した画面に載っている呪文はどれもがオレの知らないものばかりだった。



「まず『ソスタ』は黒の封印術でもかなり上級レベルなんですよ。なんたって対象とその空間までも止めてしまいますからね。でもそこがおかしいんですよ」



トリスは画面を指でタッチした。


すると画面がまた変化する。


そこには『黒の封印術№56ソスタ』とあり、その呪文についての解説文が長々と続いていた。



トリスはオレにこれを見せようとしたのだろうが、オレは細かい虫がうじゃうじゃしたような文章を読むなんてまっぴら御免だった。



「?・・・・どこが?オレたちは完全に止められちまっただろ」



オレのリアクションにトリスは「やれやれ」とため息混じりに言うと、再び『上』に立った。



「ランス君・・・・今日の授業で何を聞いてたんですか・・・・魔術の基本は『代償』じゃないですか。全然聞いてなかったんですね・・・・やっぱり、フェンリーヌちゃんにメロメロだったんですね」



トリスはチラッとオレの鞄を見た。


鞄はさっきからピクリとも動かない。


フェンリーヌはまだ夢の中のようだ。



「あははは・・・・そのせいで授業中は酷い目に遭ったけどな。それで?」


「スピカ先生が仰ってたでしょう。術のレベルが高ければ高いほどその代償も大きくなるんですよ。『ハルト』程度の術なら、スピカ先生にとっては小指一本ですが、僕らが同じ術を使ったらどのくらい代償が必要だと思いますか?」



まるで自分が教師にでもなったかのような口ぶりでオレに問題を投げかける。


これは教授モードの『症状』のひとつだった。



「そうだな・・・・親指一本くらいかな」



オレは特に深く考えずに答えた。


どうせ考えても分からないことは認めざるを得なかったからだ。



その答えにトリスは一瞬だけ口元に笑みを浮かべた。



「本当にランス君は自意識過剰というか身の程知らずというか・・・・それに魔術、いや魔法について何にも知らないんですね」



突き放すような口調でトリスはオレの無知を宣告した。


今まで何度も言われてきたが、今回もトリスは呆れ果てた表情でそれを口にした。


対象的に口をもごもごさせているオレの顔の前に、トリスは腕を差し出した。



「恐らく僕やランス君が『ハルト』を使ったら、腕一本くらいは代償になりますよ」


「そんなにか!?じゃあ、相手の動きを止めたとしても戦いづらいな」



オレは片腕をだらんと垂らしたまま、もう一方の腕をぶんぶん回した。


トリスは「危ないですよ」と忠告してから、再び人差し指を天井に向けた。


今度は少しも微動だにしていなかった。



「止められたら、の話ですよ、それは。ランス君は授業中、フェンリーヌちゃんに夢中で無防備だったから簡単にかかってましたけど、実際の戦いの場では簡単に相手に術をかけることなんて出来ませんよ。相手だってこっちの攻撃を防いだり、逆に攻撃してきたりするんですから」



オレはその指摘に納得するしかなかった。



今まで喧嘩なら時折してきたが、魔法での戦いをしたことはなかった。


まあやろうと思っても、この平和なご時世、戦う敵なんていない。


それにオレは実戦で使えるような攻撃的な魔法はほとんど使えない。


医術系なら得意だが、この系統は主に戦いの最前線で使えるような代物ではない。



「チェッ・・・・で、お前は何が言いたいんだ!オレをバカにしたいのか!?」



こいつの『講義』はまずオレの無知さを暴いてから始まる。


トリスははなからオレが質問に正解出来るなんて思っちゃいないのだ。


だからまず知っている自分が知らないオレよりも優位な立場に立ってからつらつらと講釈をたれるのだ。



「つまり、初級の封印術であるハルトですらそれくらい代償がかかるのに、その程度の実力しかない僕らと同じクラスメートであるダイダラ君が、黒の封印術上級のソスタを何の代償もなしに出来ると思いますか?いえ、もしかしたらソスタを発動させることすら出来ないかもしれません。何たって『上級』ですから」



トリスは何度も『上級』という言葉を強調した。


なんだかオレが『初級』で、トリスが『上級』だとでも言おうとしているような気がして、ちょっと腹立たしかった。



「でも、あのデカブツはやってのけたじゃないか。代償は・・・・あいつの脂肪だな!きっとあのたるんだ腹の脂肪を代償にして発動させたんだ」



ダイダラは確かにドデカイ体だったが、それは筋骨隆々のそれではなく、どちらかというと肥満のそれだった。


制服の下にはきっとぷっくりと出っ張った腹が隠れているのだろう。


想像するだけで吐きそうだった。



「ははは・・・・でもダイダラ君は太ってますよ。君は相変わらず面白い発想をしますね。でも実はおかしいのはそれだけじゃないんですよ。気になることはもう一点あるんです」



オレが口を押さえていると、同じく口に手を当てていたトリスはオレの足元を指差した。



「・・・・この子はどうやってソスタを破ったんでしょうか?」



トリスは今までと打って変わって口調が違っていた。


なんだか自信のない響きがあった。



オレは心の中で『終わったか・・・・』と呟いた。



「なんか凄い技を使ったんだよ、きっと。こいつには不思議な力があるのかもしれないだろ」



オレは適当な案を言って、この話を切り上げようとした。


もう『教授様』ことトリスにいい顔されるのはさすがに耐えられない。



トリスはいつもサイクロぺディアを携帯しているくらいの知識マニアだ。


だからオレの知っていることはもちろんオレの知らない多くの知識、雑学も含めて膨大な量をその頭に蓄えている。


しかもそれは常に本人曰く『アップロード』されるらしく、朝には朝のニュースを、昼には昼のニュースを、夕方には夕方のニュースを完璧に把握しているのだ。



そんなトリスも自身が知らないことに直面すると急にトーンダウンする。


まるで知らないことが罪であるかのように感じているようだ。



すっかり元の生徒に戻ったトリスはキーボードを2、3回叩くと、画面はプツッという音とともに真っ黒になった。



「でもどう見ても普通の子犬にしか見えませんよ。とても上級魔術を打ち破るような魔力を持っているとは思えませんが・・・・」



トリスは鞄を見つめながら何度も首を右に左にひねった。




トリスの意見はもっともだ。


フェンリーヌはいわゆる『野良』だが、今朝テレビでオレお気に入りのアイドルであるアーテが紹介していたペット犬のどの犬種よりもかわいい。



毛並みは最高、体は小さいのに眼は大きくてくりくりしていて、鳴き声も愛らしい。



そんな銀色の子犬があのデカブツヘビの厄介な術を破る真似が出来るなんて考えるほうが馬鹿げている。



そのときオレは今朝のあの『視線』を思い出した。


あの背中に貼りつく気味の悪い視線、あの正体はまだ分からないが、やっぱりこいつなんだろうか。



「なあ、オレがフェンリーヌを連れて行くことになったいきさつは話したよな?」



トリスが頷くのを見て、オレは話を続けた。



「あのときこいつは凄く不思議な視線を出したんだよ。まあ、余り・・・・というか凄く嫌な視線だったんだけどさ・・・・だからこいつはきっと何か力を持っているんだよ。よく分からないけどな」



オレはもうこの話は終わりにしたかった。


それよりももっと大事な話題があるのだ。



しかし、トリスはまったく納得する様子がない。



「う~~~ん・・・・でも・・・・・」



腕組みをしたまま唸るトリスを横目にオレは教室の壁を見た。


ふと時計に目が止まり、昼休みが残りわずかであることを示していた。



グゥ~・・・・・・



品の無い『鳴き声』が今までで最も大きく響いた。



「そうだ・・・・まだ昼飯食ってなかったんだ。早く食わないと昼休みが終わっちまう!」


「僕もまだでした。すぐに食べましょう!」



オレは鞄に入っていた袋を乱暴に取り出した。



「そういえばあの購買部の店員、メチャクチャ嫌な奴だったぞ。女にはサービスしたり愛想よくするのに、男のオレには急に態度を変えやがったんだ。おまけに・・・・・」



あのロキとかいう新しい販売員はオレが頼んだ物とは全然違う商品を袋に詰めやがったんだ。


確か『カレーパンと牛乳』だったな。



ったく!サービスしなくていいからせめて最低限の仕事はしろよな!



オレは明日、昼休みに文句を言おうと考えながら、袋の中身を覗いた。



「・・・・・あれ、ちゃんと入ってる」



中には『イースト乳業:Cafe au lait』と『ウェストベーカリー:野菜とたまごのサンドウィッチ』が入っていた。


オレが注文したとおりの品だ。



「どうひたんでふか?」



オレが一向に食べ始めないことを不審に思ったトリスが変な言葉遣いで尋ねた。


すでにトリスの机には弁当箱が開封状態で置かれており、その中身はすでに半分くらい無くなっていた。



「きゅ~~~ん・・・・・」



オレは耳に心地よく響く音でやっと我に返った。


足元の鞄がゴトゴト動くと、そこから銀色の塊がぴょんと飛び出し、オレの膝の上に着地した。



「ランス君がガサガサうるさくするから起きてしまったじゃないですか。可哀想に」


「あ、ああ・・・・ごめんな・・・・でもお前は凄いよな」



オレはカフェオレにストローを刺し、思いっきり吸い込んだ。


反対の手にはレタスやトマト、茹で卵のみじん切りをはさんだサンドウィッチを持ち、交互に口に運んだ。


時間的にのんびり味わっている時間はなかった。



「あんな凄い術を破っちまうんだからな!偉いぞ!よしよし・・・・」



オレは一つ目のサンドウィッチを平らげると、じっと上目づかいで見つめてくるフェンリーヌの頭を撫でた。



「きゅ~~~ん♪」



起きたばかりで少し瞼が下がり気味だったフェンリーヌだったが、すぐに甘い声を出した。



「そうですね・・・・あのおかげで君は無傷で済んだんですからね。ちゃんとお礼しなければいけませんよ」


トリスが偉そうに言う。


「分かってるよ・・・・ほら、サンドウィッチだ。やるよ。ただし、半分な」



オレは2個目のサンドウィッチを半分にするとフェンリーヌの口元に近付けた。


何だか今日はやけにこいつに食料を取られている気がする・・・・・



「きゅん!」



フェンリーヌはそんなオレの考えなど気にする素振りも見せずに、くんくんと匂いを嗅いでから小さな口にサンドウィッチを含んでいった。



まあ、いっか!・・・・でも、あれ?



「ん?ちょっと待て、トリス、何でオレだけがお礼をしなくちゃいけないんだ。それになんだその『オレだけ』助かったみたいなその言い方は。お前だって助けられたじゃないか。一緒に止まってただろ」



オレは半分にした残りを一気に口に入れると、トリスに抗議を入れた。



「それは君の勘違いです!さっきも言いましたが、僕はあそこでダイダラ君たちにカツアゲされていたわけではないんですよ!本当に自意識過剰ですよ!君は!!」



すでに弁当箱には9割近くの空白部分が出来ていたトリスは、立ちあがると両目を大きく開けたまま、けたたましい音量を出した。



一瞬で教室が静まり返った。


クラス中の生徒たちがただ一点を凝視した。



静寂の中でオレはたくさんの視線がチクチク体中を刺すのを感じた。


眼球だけを動かして、周囲を窺うと、誰もが怪訝そうな顔を向けている。



「・・・・何もそこまで怒らなくたっていいだろ。分かったよ・・・・」



体中がほってりと熱くなっていくのを感じた。


オレはトリスに小声で「座れ」と囁いた。



教室は誰もいない海のようだった。


さざ波しか聞こえない。



クラスメートたちは只ならぬトリスの様子にヒソヒソ話をしているのだろう。



興奮気味だったトリスもさすがに周りの変化に気づいたのか慌てて椅子に座った。



「・・・・ははは・・・・で、でもかわいいですよね、フェンリーヌちゃん。ランス君が骨抜きにされるのも分かる気がします。まあ、僕は君の言う『子犬LOVE症』なんかじゃありませんが」



トリスはオレの膝の上で食後の休憩を楽しんでいるフェンリーヌにゆっくりと手を伸ばした。



「きゅ~~~~!」



しかし、フェンリーヌは小さな頭を上げると、その手を睨みながら不快感を表す声を出した。


前足がわずかに動いた気がした。



それに勘付いたのかトリスはサッと手を引っ込めた。



「やっぱり駄目みたいですね。僕もランス君を救った『英雄』の頭を撫でてあげたいんですが・・・・」



トリスはあくまでオレ『だけ』が助けられたことにしたいらしい。


意地になっているとしか思えなかったが、それを追求する気は湧かなかった。



教室は徐々に昼休みのざわめきを取り戻していった。


午後の授業が始まるまでもうほとんど時間はなかった。



「落ち込むなよ。お前はまだいいほうだぞ。エレなんかもっと嫌われてるんだぞ。あいつが抱こうとしたら、ガリッって引っかかれちまったんだからな」



オレは慰めの気持ちを込めて言った。



フェンリーヌが人間嫌いでオレ以外の人間は抱くことはおろか体を触ることすら出来ないことをトリスはすでに承知していた。


それでもガッカリしているだろうと思って、チラッとトリスの顔色を窺ってみた。



「エレインさん・・・・・」



なぜかトリスは顔を紅潮させていた。


エレを心配しているような顔には見えなかったが、かといって何を考えているのか、今のオレには見当もつかなかった。



「なあ、トリス。あいつに勝つにはどうしたらいいかな?やっぱり魔法を磨かないと駄目だよな。何かいい手ないか?」



オレは3個目、すなわち最後のサンドウィッチに手を伸ばした。


もうすぐ先生が来るような気がしたので、一気にかっ込むつもりだった。



「そうですね・・・・・やっぱり『クラブ』で腕を磨くのが一番だと思いますよ」


「クラブ?なんだそれ、蟹か?それともゴルフでもするのか?それかトランプか?それとも・・・・え~と」


「もういいですよ、ごちそうさま」



トリスは両手の手のひらを合わせた。


机の上にあった弁当箱は空だった。



「お前、いつの間に昼飯食ったんだよ!・・・・なあ、悪かったよ・・・・もうふざけないからさ。教えてくれよ・・・・あっ、しまった・・・・」



カチッ・・・・・



スイッチが入ってしまったことを告げる音が聞こえた。


その音はオレにしか聞こえない音だった。



「いいでしょう!そこに座りたまえ、ランス君」



トリスはオレを見下ろした。


といってもトリスはオレよりも背がやや低いため、無理矢理顎を上げることでそのポーズを取っていた。



「ずっと座ってるけど・・・・」


「いいですか、クラブというのはですね・・・・」



オレの言葉など意にも介さず、トリスはああだこうだとクラブについて語り始めた。


しかもあろうことかその発祥起源からだ。



オレは首をすくめながら、再び現れた『教授様』の顔を見ると、気が滅入るのを感じた。



「ああ!いい、いい!もういい!えっと確か、今はクラブの勧誘期だったよな!な!確か前に担任の先生が言ってたもんな!」


「学生が魔法に親しむには授業だけではどうしても足りないのです。そこで、学生同士で興味のある魔法を学び、技を磨いていく場を設けようとしたのが始まりです。そして現在・・・・」


「・・・・フェンリーヌゥ~・・・・助けてくれぇ~・・・・」



オレは膝の上で大人しくしてるフェンリーヌの顔を覗きこんだ。



「スゥ~・・・・スゥ~・・・・」


「・・・・・あははは」



オレは机に突っ伏して、なるべくトリスの声から自分を遠ざける努力をした。


しかし、『講義』は止む気配がない。


もはや本物が始まらない限り、延々と続きそうだった。



オレは小声で自分にしか聞こえない微かな声で呟いた。



「・・・・早く来てくれ!先生!」




オレは今ほど先生が教室に現れることを、授業が始まることを待ち望んだことはなかった。




「さあ、帰るか!エレは用事があるって言ってたし、トリスは先に帰っちまったから、クラブ見学は明日からだな!」



オレは校門前で、立ち止まった。



放課後、まだ、日は沈んではいなかった。


今から帰れば、家に着くくらいでちょうど夕方に入るころだろうか。



振り返ると放課後を過ごす生徒たちの姿が垣間見え、楽しそうな声がどこからともなく響いてくる。


みんな『クラブ』で魔法の研究や技の練習をしているのだろう。



「今日はお前と二人きりだな!」


「きゅん!」



オレの腕の中で元気な声を出すフェンリーヌ。



治したとはいえ怪我した足で家まで歩かせるのに、オレはまだ少し不安だった。


しかし、鞄の中に入れようとしてもフェンリーヌに断固拒否されてしまったのだ。


何度やっても入ってくれず、それどころかオレにしがついて離れないのだ。



仕方なくオレは帰宅するまで抱いておくことにした。



でもこんなに好かれるのは子犬LOVE症末期患者冥利に尽きるってもんだ。



「そうだ!今日は奮発してお前にうまいもん食わせてやるよ!な~に、気にすんなよ!節約は明日からさ!」


「きゅん♪」



何がいいかな・・・・



財布の中はお世辞にも潤沢しているとは言えなかった。


でも今日は・・・・今日は特別な日なんだ。



オレとこいつ、フェンリーヌが出会った日なんだ。




新しい『家族』との出会いの記念日・・・・・



「あとで一緒に風呂にも入ろうな!綺麗そうだけど、体をしっかりと洗ってやるからな!」


「きゅ~ん♪」



これはセクハラにはならないよな・・・・・


オレはチラッとエレが足を上げる様子が浮かんだ。



オレが洗ってやらなきゃ他に洗う奴いないしな。


フェンリーヌが自分で洗うなんてことは無理だからな。



オレは頭に浮かんだ黄金の右足を持つ少女の姿を追いだした。



「それから夜は一緒に寝ような!お前はもふもふしてて温かそうだからな!へへへ・・・・」


「きゅぅ~ん♪」



あ・・・・そういえば。


不意に赤紫の古めかしいローブと耳をくすぐるような透き通った声が頭に浮かんだ。



『運命の出会い』



こいつとの出会いのことだったのかな・・・・


なんて!そんなわけないよな!



オレは頭を左右に振った。



あのインチキの言ったとおりになるなんて御免だ。



「くっくっく・・・・」



自然と顔から笑みがこぼれた。


あまりニヤけるのは周りから見ると、気味悪い気がして押さえようともしたが、どうしても抑えられなかった。



まるで蛇口から出る水を両手でせき止めるようなものだった。


どんなに蛇口に手を当てても、指の隙間からは容赦なく水はこぼれていく。



オレは指を広げた。


こぼれるのを無理にせき止める必要なんてない。



水はオレの手をつたってそのまま流れていく。



「あははは!!あっはっはっは!!!」



こんなに笑ったのは久しぶりだった。



顎が外れるくらいに大口で、大声で、歩いているときも、電車内で揺られているときも、笑いが絶えることはなかった。




今日は月曜日。


一週間の始まりの日を、オレ以上に有意義に過ごした者は世界中どこにもいない気がした。


それくらい最高の日だった。



オレは腕に抱えた新しい家族にやさしく頬笑みかけた。




薄暗い部屋、窓がないことから地下室だろう。



男の声がした。


ひどく粘着質な声だ。



「彼は今どこにいるのですか?・・・・そうですか。ヒッヒッヒ・・・・」



気味の悪い笑い声は部屋の壁という壁に反射した。



もう一人の声がした。


若い女の声だった。



「でもよろしいのですか?あの方はこのことを・・・・」



微かに震えていたが、言葉ははっきりと出ていた。



「知りませんよ・・・・それが何か問題でも?」



男は丁寧な言葉遣いだったが、口調は詰問するかのようだった。



「い、いえ、失礼しました。準備は出来ております・・・・」



女はうろたえながらもやはり滑舌のよい言葉を返した。



男が小さく笑うのを見ると、女は男に何枚かの用紙を渡した。


男はその用紙に一瞬だけ目を落とすと、すぐにそばにあった机の上に置いた。



「ヒッヒッヒ・・・・これはワタクシの重要な案件ですからね。くれぐれも他言は無用ですよ・・・・特に彼にはね」



男は自分の顔の前に人差し指を立てた。


似合わない仕草に女は不気味な生き物を見ているかのような気分だった。



「は、はい・・・・分かっております・・・・」



男は用紙が置いてある机に備え付けられている椅子に腰かけ、勢いよくくるっと回転させた。



まるで椅子で遊ぶ無邪気な子供のようだった。



男を乗せて回っていた椅子が止まると、ちょうど女のほうを向いていた。


やはり不相応な行動だと女は思った。



「しかし、今日は気分が良いですよ・・・・まさか『アレ』の邪魔をされたのは初めてでしたからね。いったいどなたか存じませんが是非ともお会いしたい・・・・ヒッヒッヒ」



邪魔されたのに気分が良い・・・・・


訳の分からないことを言う男だと女は思ったが、それを悟られないように冷静な表情を貫いた。



女はこの男を未だに理解出来なかった。



「それにつきましては現在、調査中です。しばらくお待ちください」



女は用件のすべてを報告したので、部屋から出ようとした。



「楽しみですよ!ヒィーッヒッヒッヒ!!」



部屋中に甲高い笑い声が響いた。


ピリピリするような緊張感が部屋中に走った。



女は背筋が凍るような感覚を覚えた。


今すぐに耳を塞ぎたかった。


一礼してから女は足早に部屋から出たが、その『音』はずっと頭に残って離れなかった。



これで『Monday』は終わりです。


次回からは『Tuesday』とタイトルが少し変わります。


どうぞ読んでください!

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