65企みの真意
エリカとハリエットは一足先にオルソンとともに国へ帰っていました。オルソンはアイザックが死の床に就いていた時、ある言葉を聞きます。
エリカに何か手を打たねばならないと思ったオルソン。彼はあることを企みます。
次回は最終話となります。
話はアーティガル号が国を目指して航海をする頃に戻る。
航海のことはすべて連中がうまく回している。古参のハーヴェーが「”青ザメ”としての頭目の地位は存在しない」と言ってくれたことでマリサの肩の荷が下りた感じだ。今まで連中のことを第一優先にしてきたが、これからは大切な家族を守りたいと思っている。
そう思いつつ、マリサはその決心の表れとして針仕事をしていた。
育ての母親イライザや女中頭のメアリーはマリサに家事を教えて使用人として働くことができるように教育をしている。おかげでマリサはそうした生きる力を持つことができた。子どもながらにオルソンの屋敷で使用人として働き、その対価をオルソンから文字の読み書きや武芸、芸術といった教育を受けることで得ていた。(もっとも、これはオルソンがマリサを教育して王族相手の高級娼婦に仕立て、権力を得ようという企みがあった)
アーティガル号がロンドン港へ到着するころには縫物は終わり完成することができた。
長い間使っていた船室を片付けて念入りに掃除をする。女性用のトイレを外側に設置しているマリサの船室は狭いながらも女性の客人用として使用することができる。海賊ハンターとしての私掠の仕事はいずれなくなる。そうなれば連中は商船として航海するだろう。船室の掃除はその機会が早く訪れるのを願う意味でもあった。
国へ帰るまで天候に悩まされながらも無事に到着したアーティガル号。
港の沖合には何隻かの海軍の船が停泊していた。そこには多くの乗員たちの姿を確認することができる。
「海軍様の戦争への意気込みは相当なものだな。あんたたち、強制徴募隊に捕まるんじゃないぞ」
「もし追いかけられたら女のところへ逃げるさ」
そう言って連中は笑った。マリサからこのような忠告を受けるのももうないだろう。
それを聞いて安心したマリサは船室へ戻ると荷物をまとめ、着替えをする。今までは船を降りたら世間を気にしてスカート姿だったが、これは世間でなく家族に対する意思表示として着替えたのである。
「ほう、お前こそエリカちゃんとハリエットへの意気込みが相当なもんだぞ」
マリサが航海中に縫い上げた服を見て連中がはやし立てる。それはスカートの裾に小さくエリカの花の刺繡が施されていて上品なものだった。
「当たり前だろう?もうあたしは頭目マリサじゃなくスチーブンソン夫人なんだぜ」
いつもなら『うるせえ!』とでも言ってしまうのだが、マリサは機嫌がよかった。
連中は荷車を借りてマリサの荷物と積み込み、そのままマリサとともに家へ向かった。アーティガル号がどこでどう活躍をしていたかハリエットやエリカは知らないだろう。フレッドの動向も然りだ。
ロンドン港は相変わらず賑やかだった。ことに戦争が再び始まると海軍様は景気が良くなる。それは行き交う船乗りたちの表情を見ればわかる。それを相手にしている娼館や飲み屋もそうだ。
ふと見ると処刑台で吊るされた者がいた。おそらく海賊だろうか。処刑されて間がないようだ。
マリサは連中を処刑から守り切った。これから連中は自分たちで船と自分自身を守り抜いていくだろう。
もし再びマリサに船へ乗ることの要請があれば断わらないつもりであるが、できればそのような事態は考えたくもない。
(そんなことはおこりえないだろうな……)
マリサはフッと笑う。それでも愛用のサーベルと銃は手放さないつもりだ。再び何かが家族を巻き込んだとしたらフレッドが任務で不在の長期間は自分が家族を守らねばならない。だからときどきはオルソンのところへ出向き稽古をつけてもらうことにしていた。
荷車が家へ向かう間、久しぶりの街並みを眺めながめる。行き交う人々はマリサを見ても何も言わない。エリカが生まれてしばらくまでマリサは世間のうわさ話のネタになっていた。毎日どこかで誰かが話す噂話は回り巡ってマリサの耳に入り、フレッドを追い詰めた。貴族と市民の結婚という貴賤結婚は人々にとっておいしいネタだったのだろう。しかしそんな噂はもう耳に入らない。長期間の留守はそんな有り難い状況をつくりだしていた。
荷車は家の前に到着をする。音に気付き、中から誰かが飛び出してきた。
栗毛の女の子。それはエリカだった。
「母さん?」
グリンクロス島であった時よりも背が伸びて顏はますますフレッドに似てきている。
マリサは静かにほほ笑んだ。
「帰ったよ、ただいま」
たちまちエリカが飛びついてくる。
「母さん……母さん……」
エリカは言葉にならないらしくマリサへ抱きついて泣いていた。
今までひとりで我慢しなくてはならないことがたくさんあったのだろう。それはエリカの目を見ればわかることだ。
「寂しい思いをさせてごめんね」
マリサはエリカを抱き上げると家へ入る。連中は荷物を運び入れるとマリサに気付かれないよう静かに船へ帰っていった。家族の邪魔をしたくなかったのである。
マリサの帰宅は食事の準備をしていたハリエットを驚かせ、喜びの沈黙が続く。
「……お帰り、マリサ。次の航海はいつなの……」
この問いにマリサは首を振ってこたえる。
「頭目という地位を失いました。あたしはもう船の乗員ではありません。”青ザメ”という海賊はもういないからです。お義母さん、スチーブンソン夫人の見習い……家族として……あたしはここへいます」
マリサがそういうとハリエットはことさら涙を出してマリサを抱きしめた。
「……ホットパイを作りましょう。また一緒にね。まだとっておきをあなたに教えてないのよ」
白髪が増えているがまだまだ話し方やそぶりがしっかりとしているハリエットを見て安心するマリサ。
ハリエットの話では、拉致によって長期間家を留守にしていたため納税ができず、帰宅したときは危うく家が売却されそうになっていたそうだ。不在で払うことができなかった税金をオルソンは立て替えて払っており、何回かに分けて返したということだ。その間、フレッドがしばらく帰ったが、スペインとのきな臭い関係は再び彼を任務へ就かせたため相変らずマリサとフレッドはすれ違ったままだった。
埃だらけの家を掃除して片付ける作業は相当大変なものだったらしい。それでもハリエットの意地は失われることなく、家をきれいにして生活できるようにしていた。
そしてエリカの教育についてオルソンが手を貸してくれていた。ハリエットは文字の読み書きは自分が教えるといっていったん断ったが、エリカには音楽の素養があるからもっと伸ばしたいと言われて、それならばと何回かオルソンの屋敷へ泊りがけで行っていた。それもオルソンが送り迎えの馬車を用意してくれるというから尚更に不思議な話だ。
「それは妙だな……。オルソンがそんな篤志家とは思えない。オルソンは何か自分に利益がないとそこまでやるような人間じゃない。それは一番あたしがよく知っている。なぜ送迎してまで市民の子であるエリカにお嬢さま教育をするんだろう……。何か裏があるかもしれないな」
マリサはオルソンがマリサを高級娼婦に仕立て上げ、王族に差し出し、貴族社会で優位に立とうとしていた彼の企みを知っていた。一見やさしそうに見えるオルソンだが、毒の守り人として政敵から王族や自分の家族を守る役目を負っており、秘密裏に動くことがままあった。オルソンの表裏を知っているマリサにとって、エリカに音楽教育を善意でやってくれることに恐怖さえ抱いていた。
「お義母さん、今度エリカが屋敷へ行くときはあたしが同行します。オルソンの真意を確かめてきます」
マリサの提案にハリエットは頷いた。彼女もオルソンのこの好意をどう受け取っていいのかわからなかったからである。
マリサが帰宅して1週間は過ぎただろうか。ハリエットの言うエリカが屋敷へ行く日となった。オルソンは計画立ててエリカを屋敷へ呼んでいた。どうも彼のペースにはめられている気がする。本当に何か裏のあるような気がしてならなかった。
ハリエットはシャーロットから譲り受けた古着(シャーロットが子供のころの衣服)を仕立て直していくつかエリカの服を作っていた。少しでもオルソン家へ招かれる際に恥ずかしくない格好をさせたかったからである。
この日も朝から着替えをして髪を編んでもらったエリカは子どもなりに嬉しそうであった。大人びてみえるエリカは言葉もしっかりしており、子どもらしからぬ言い回しさえ覚えていた。それが周りの人々に不釣り合いな印象を持たせている。それは他人に囲まれて成長をしたマリサと同じ印象をもたせた。
マリサは会いたくてたまらなかったイライザに会える楽しみもあり、ハリエットはこれを理解していた。マリサが出産するまでの数か月、イライザと一緒にマリサの世話をしたことから彼女の人柄を理解していたからである。
(オルソンの企みはさておき、イライザ母さんは孫のエリカの訪問を喜んでいるのだろう。それだけならいいが……)
やがて迎えの馬車が付き、エリカとマリサが乗り込む。この市民の家に馬車がきて送迎をするという光景に、近所の人々は驚いて噂話をしたが、人生経験が長いハリエットはこれを見事にかわし続けたので、そのネタはもう下火になっている。人の噂はそんなものだろう。
馬車の道中でエリカは膝の上に両手を置き、何やら指をしきりに動かしていた。
「これね、今教えてもらっている曲なの。ハープシコードがなくてもこうして練習しなさいって先生がおっしゃったの」
そう言って指を動かすエリカは、以前グリンクロス島の夜会でシャーロットがハープシコードを演奏した姿を思い出させた。
曲を頭に巡らせて軽やかな運指をするエリカ。市民には高い楽譜もオルソンは買ってくれており、エリカは大切にそれを扱っている。それもマリサの不安材料だった。
こうして馬車に乗ってオルソンの屋敷へ向かうのは何年振りか。あのデイヴィスの亡骸を墓地へ埋葬するために向かった時が最後だろう。
屋敷に付いた馬車は特に使用人たちの出迎えを受けることがないかわりにオルソンが直接出迎えていた。
「ほう……。マリサがわざわざ同行とは。船を降りたのか」
オルソンはマリサが今でもアーティガル号に乗っていると思っていただけに驚いたようである。
「腕がなまってきたからオルソンに手合わせ願いたいと思ってね」
マリサはそう言ってサーベルやピストルを見せる。稽古のための木刀ではなかった。
「なかなか準備がよろしい。さすが私の教え子だ」
そう言ってエリカには広間へ行くよう指示を出し、マリサとの手合わせの支度にとりかかった。
マリサもスカート姿から船に乗っていた時のシャツとズボンに着替えると使用人たちが見守る庭でオルソンと対峙する。
この庭には庭師のジョナサンと毒の精製を行った東屋があった。今でも変わらず庭に存在している東屋はオルソンの妻マデリンを毒殺した記憶を鮮明に呼び覚ます。
執事のトーマス、庭師ジョナサンはマデリンが毒によって死んだことを知っている。彼らも加担者だったからだ。
「では、どこからでもかかってきなさい」
オルソンが声をかけるとマリサは慎重に彼の動きを見ながらサーベルを振り上げた。
カンカン……。
他の使用人たちはマリサが海賊の頭目となっていたことを知らなかったので、なぜマリサが男の恰好をしてオルソンとやりあっているのかわからず、不安そうに見ている。
その中で久しぶりにマリサと会えた喜びを抑えながら見守るイライザがいた。孫のエリカとはハープシコードの練習のたびに会うことができたが、マリサとは彼女がアーティガル号に乗ってからというものの何年も会うことがなかった。
海賊宣言をし、突きつけられた掟を守り通しただけでなく仲間も守ったマリサ。イライザは亡くなった恋人デイヴィスを感じながらオルソンとマリサの稽古を見守っている。
使用人たちの目の前で繰り広げられる激しい剣のせめぎあい。2人とも汗をかいてハアハア言っている。オルソンのほうは年齢のせいか体の動きが悪くなり庭の石に躓いて体のバランスを崩してしまう。
ここで若さがものを言うマリサがオルソンの動きの隙を見てサーベルを喉元に突きつけた。
そのまま動きが止まるオルソン。
「オルソン……いえ、領主様。あなたはいったい何を企んでおいでです?無償でエリカに音楽教育をするとはよほどの篤志家か善人でなくてはできないことだと思いますが。答えによってはここであなたの命をいただきます」
マリサの言葉に周りの使用人たちは大騒ぎをする。しかしトーマスとジョナサンがこれを止めた。
「……よかろう、いずれお前に話さなくてはならないと思っていた。マリサ、久しぶりに会えたのだから東屋で茶会をしよう」
そう言ってオルソンはジョナサンとトーマスに目くばせをした。マリサのほうも屋敷の一室でなく東屋を指定されたことから状況を理解する。庭師ジョナサンが管理する東屋は毒の精製だけでなく人払いができる環境とあって、一般の使用人に聞かれたくないことを話すのにちょうど良かったからである。
エリカに対するオルソンの企みはいかがなものか。真相がわからずマリサは仏頂面で使用人の部屋へ入ると着替えをすませた。エリカはレッスンが始まるまで使用人頭のメアリーに行儀作法を教わっているとのことだ。市民に貴族の行儀作法を身につけさせることは増々オルソンへの不信を募らせる要因となった。
鏡を見ながら髪を整えていると、背後にイライザの姿が映りこむ。
「エリカは初めてここへ来たときよりずいぶんと表情が柔らかくなっているわ。いつの間にかこんなに成長していて驚きばかりよ」
彼女の頭には白髪が目立つようになったものの、いつもデイヴィスとマリサを包み込んだあの慈愛に満ちた微笑みは変わっていない。
「イライザ母さん!」
思いが募ってマリサはイライザに駆け寄り、互いに抱きしめる。
「船を降りたのね……。航海のたびにあなたの無事を心配することはもうないのね。お帰り、マリサ」
家にはハリエットがいても彼女は義母で、いろいろ気を遣うことが多々ある。しかしイライザはマリサが1歳すぎたあたりから育ててくれている母親だ。マリサにとって心を寄せていた家族だった。
「……ただいま、イライザ母さん……」
これ以上言葉が出てくることはなく、マリサとイライザは涙目で寄り添っていた。
「領主様を信じるのよ。きっと間違ったことをなさっていないわ」
イライザの言葉は妙にマリサの心に響いていた。
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