56アイザックの涙
ようやくハリエットとエリカは国へ帰ることに。しかしエリカを守ることで傷ついたアイザックはマリサにどうしても伝えたいことがありました。
アーティガル号では屋敷で海賊たちと交戦した際、傷を負ったアイザックがハミルトン船医の手当を受けていた。マリサたちは彼をハミルトンに任せていたので状況を知らずにいたのだ。
「アイザック、アイザック……息子よ……」
そばでオルソンがアイザックの手を握りしめている。目の前にいるのは間違いなく先日まで梅毒とともに生きることを選び、堂々としていたアイザックだ。そのアイザックの変わり果てた姿にルークは打ちひしがれた。
「助からないのか……」
ルークの言葉にハミルトンは難しい顔をしている。
「傷口が大きすぎて出血が止まらない……。意識も朦朧としている」
ハミルトンの言葉通り、腹部から包帯をしても染み出すほどの出血があり、赤く染まっている。
オルソンの呼びかけに応じることなく、アイザックは時折り目をうっすら開けては閉じたり、何か言いたそうに口を開けたりしている。
マリサたちに遅れてシャーロットや総督、ハリエットやエリカもやってきた。皆、もう助からないと覚悟をしているようだ。
「おじさん、アイザックおじさん……」
エリカは血で服が赤く染まったアイザックをみても怖がらずに話しかける。この声に目を開き、エリカを探すかのように視線をおくるアイザック。
「……やあ……。エリカ、そこにいるのか……助かってよかったね……」
そう言うと少し微笑んだ。
「マリサ……マリサ……どこにいる……真っ暗で……」
アイザックはもう視覚がないようだ。
「アイザック様、わたしはここにおります。領主様とルーク様もおいでです」
マリサは跪くとオルソンと共にアイザックの手を握りしめた。その手から温もりが失われつつあるのが感じられる。
「マリサ……あのとき……あのとき僕が……お父様の帽子を湖に飛ばさなければ……君は溺れなくて済んだ……本当にごめん……君が死ぬかと思って、怖かった……。本当に……」 (幼少編 第2話 オルソンの息子たち)
アイザックの声は弱々しくなり聞こえなくなった。
「そんな……そんなことはどうでもいいのです。だから、またアーサー王の騎士ごっこをいたしましょう……一緒に……」
マリサは涙が止まらなかった。それ以上にじっと見つめているオルソンとルークも声を殺して泣いていた。
やがてアイザックは微動だにしなくなった。ハミルトン船医が彼の臨終を告げる。
「すまないが私とルークだけにしてくれ」
オルソンの申し出により、その場の者たちはその場を後にした。家族としてしばらくそばにいたいオルソンの気持ちを理解したのだ。
梅毒に罹患していたアイザックは有害で無益な水銀治療法をやめ、自分らしく生きることを望んでいた。思考が時々歪になることがあり、自分を見失う前に死ぬことができればいいと思っていた。正確な梅毒の知識、原因や治療法がわからなかった時代、梅毒に罹患したものは自ら死を選ぶことがあった。
あのエドワード・ティーチも海賊行為をしながら医者を求めており、医薬品を多数船に置いていたほどである。
「アイザックは自分の過ちで君が溺死しかけたのをひどく気にしていた。君が屋敷を去ってからもどこでどうしているのか、どうしたら会えるかってね。君があの忌々しい野郎と結婚したとき、僕たちは君の幸せそうな顔を見ていられなかった。お父様がアーティガル号に乗ると知ってこっそり乗り込んだのはそんな気持ちがあったからだよ。それだけじゃなく君に謝罪して役に立ちたいからだった。想いを遂げてアイザックは満足したと思う」
そういうルークはどこか寂し気である。幼いころから兄アーネストとともに3人で遊んだり勉強したりした。マリサが屋敷に来てからはマリサの利発的な言動や使用人の子としてわきまえた行動に兄弟たちは惹かれていった。しかしこの状況に危機感を持ったマデリン(オルソンの妻であり兄弟の母)に引き裂かれてしまう。それでも屋敷内でマリサを見かけるたび、兄弟たちは温かいまなざしを送っていた。
「お父様、僕は領地へ帰らずグリンクロス島に残るよ。僕は島の復興を手伝いたい。これは総督とシャーロットお嬢さんの依頼でもあるんだ。許可していただけますか?」
ルークの言葉にオルソンは深く頷く。あれほど放蕩を極めたルークもようやく目的をしっかり見据えたようだ。
「アイザックの分も担っていると思ってしっかりやりなさい。領地についてはアーネストがいる。私の死後はアーネストがうまく治めるだろう。そろそろ孫もできるころだろうからな」
そのように答えるオルソンの姿をみて、マリサは彼にも皆と同様に老いがきていることを感じる。
翌日海賊たちに信仰心があったのかどうかはわからないが、被災を免れた教会にてアイザックのお別れが執り行われた。
何度かアーティガル号とともに島を訪れては島民や屋敷の使用人たちと交流を深めたアイザックのために多くの人々が集まって別れを惜しむ。飲んだくれで女遊びを覚えてオルソンを困らせたアイザックだったが、それを打ち消すかのように穏やかな顔つきで眠っている。
少し赤みを帯びた髪を遺髪として切ったオルソンの目から幾筋もの涙が流れていく。こうまで彼の体が小さくみえたのをマリサは知らない。時代の移り変わりの中で自分たちも年齢を重ねており、考え方が変わっていった者が他にもいる。あのレッド・ブレスト号のウオーリアスもそうだ。
その後アイザックの亡骸は水葬されることになり、グリンクロス島が遠く見える海原に流された。アーティガル号の連中はかつて"青ザメ"がデイヴィス船長や大耳ニコラスを見送ったように酒を酌み交わす。
水葬を終えるとアーティガル号はいったん港へ停泊となった。次の航海の予定の話がマリサから伝えられるからだ。
ここで総督の屋敷で働いていた元海賊"赤毛"のアーサーがアーティガル号へ乗り込む。ウオルターは警護役のアーサーを解職し、アーティガル号へ乗ってマリサたちを助けるように命じた。もともとアーティガル号には"赤毛"にいた連中もいる。彼らはかつての船長と再び航海できることを喜んだ。
「俺が船に乗ると囮にされて沈んでしまうぞ」
自嘲気味に話すアーサー。(本編13話 アカディア襲撃②)
「心配すんな、あたしだってデイヴィージョーンズ号を沈められたからな。アーサー、ハーヴェーが腰を痛めてシュラウドの昇降が危なっかしいんだ。助けてやってくれ」
マリサが言うのも無理はない。古参の連中であるハーヴェーはもう年配だ。
国王の恩赦を受けた海賊たちは足を洗い、真っ当な生き方をしている。中には海賊共和国の巨頭だったホーニゴールドのように私掠免許を得て海賊ハンターとなった者もいる。
マリサは連中にウオルター総督からもらった私掠免許状をみせた。
「今までは特別艤装許可証に基づき海軍への協力ということで攻撃をしてきたが、こうして私掠免許状を得たことにより単独であっても攻撃できるようになった。あたしたちの敵はフランス船やスペイン船でもない、海賊だ。あたしたちは海賊ハンターとして活動をする。商船が安心して海上輸送できるように努めなければならない。また違った海賊行為となるが協力できるか」
そう言って民主的に連中に問いかける。
「時代遅れの海賊はついに時代の先端をいくようになった。俺たちはどこまでもついていきますぜ。同じアーティガル号の仲間ですからね」
ハーヴェーが言うと連中のそれぞれが頷いた。
「それと……スパロウ号のエヴァンズ艦長は海軍の乗員だった連中を強制徴募にくるらしい。それに捕まるかどうかはあんた達次第だ。まあ、よく考えてくれ」
マリサがこのように言うと元海軍の連中は互いに顔を見合わせた。自分たちの知らないところでそんな話が進んでいたのは心外だったのである。戦争が終わった今、陸で待機している乗員も少なくない。今更そのように言われても、といったところである。
荷積みをしている間、レッド・ブレスト号では長い間国へ帰ることができなかったハリエットとエリカ、そしてオルソンを送り届けるために準備がなされた。ハリエットとエリカの拉致は、フランスへ亡命をしているジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアートを国王にと望むカトリックの一派・ジャコバイト派が海賊ジェニングスと組んで行ったものである。そのジェニングスはすでに恩赦を受けており、罪を問うことはできない。ジェームズ・フランシス・エドワード・スチュアートを擁護していたルイ14世が亡くなりジャコバイト派の勢力は失われつつある。こうなれば蜂起も難しいだろう。
航海のための十分な荷積みを済ませ、総督に挨拶をしたウオーリアス艦長。相変らず顔は気難しげだが、言葉に棘がなくなっている。それは積年の思いであった犯罪人マーティン・ハウアド(マリサの育ての父であるジョン・デイヴィスの本名)の処刑を果たすことができたこともあるが、いったんは引退をして孫の相手をするうちに性格が変わっていったのもあるだろう。
「本当なら屋敷へ招待をしたいところですが、みてのとおり屋敷は跡形もありません。まずはスチーブンソン夫人とエリカを無事に国へ送り届けてください。彼女は長く家を留守にしており、家がどうなっているかも心配です。オルソン伯爵も同じく長い間領地を離れています。くれぐれも私の客人が二度と事件に巻き込まれないようにお願いします」
総督が言うとウオーリアス艦長は微笑んだ。
「承知しました、総督閣下。無事に彼らを送り届けることを約束しましょう」
艦長が言うとハリエットのそばからエリカが飛び出し、ウオルター総督に抱き着いた。
「おじいさま、だいすき」
そのように言われたウオルター総督はうれしくてたまらないようである。
「エリカ、もしもこの島を嫌いじゃないならまたきてくれるかな」
「そのときはおばあちゃんと一緒にね。今度来るときは母さんの船でくるわ」
エリカの表情にたまらなくなったウオルター総督は何度も頬ずりをする。
「さよならエリカ。また着られなくなったドレスがあればエリカのために用意しておくわね」
シャーロットも寂しそうだ。
沖合に停泊をしているレッド・ブレスト号へ向かうためにボートへ乗るハリエットたち。そしてそれが小さくなるまで見送るウオルター総督をはじめとする島の人々。
遅れてアーティガル号からマリサとハーヴェーがレッド・ブレスト号へ乗り込んだ。元”青ザメ”のフェリックスは恩赦をもらったのち、再びヴェインの下で海賊化した。許せなかったのは其の矛先を自分たちに向けたことだ。ヴェインの命令だから仕方がなかっただろうが、結果的にハリエットやエリカ、島の人々を恐怖に陥れた。
以前のマリサなら掟により頭目として彼を始末することができたのだが、今の自分たちにその権限はない。ウオーリアス艦長はマリサの心情を汲み、彼と話をすることを許可した。ハーヴェーが同行したのは古参の連中のひとりとして亡きデイヴィスの代理を務めようとしたからだ。
レッド・ブレスト号では多くの海兵隊員や海軍の乗員たちがマリサとハーヴェーを珍しそうに見ている。2人はその視線をものともせずに艦長の案内で海賊たちがとらえられている牢へいく。案内された場所には幾人もの海兵隊が見張りにつき、汗と血で汚れた服を着た海賊たちが黙って座り込んでおり、フェリックスも彼らに紛れるかのように小さくなっていた。
「フェリックス、お前に話があるそうだ」
艦長はそう言ってフェリックスを呼び出すと、マリサとハーヴェーに気づいたフェリックスが顔をゆるくして牢の奥からでてくる。
「何だい……。えらく景気が悪そうな顔をしているな」
ハーヴェーが話しかけるとフェリックスは緊張した顔つきながらも笑みを見せる。
「笑ってくれよ、ハーヴェー。これが俺の結末だ。情けねえだろう?」
フェリックスはそう言って眼を閉じた。彼が処刑を待つ絶望感を抱いていることにマリサは気づいている。それは自分がかつてそうであったからだ。
「海賊をやめたあたしは頭目であってもあんたを殺すことはできない。海賊の掟でなく司法があんたを裁くんだ。フェリックス、あんたは海賊として十分に人生を楽しんだか?」
マリサが問いかけるとフェリックスは小さく頷く。
「稼いだことよりも好きなようにさせてもらった……。ただ、残念なのはもう一度”青ザメ”として海賊をしたかったことだ……」
フェリックスの気持ちがわからないでもなかった。海賊という冒険はいちどやればその快感を忘れなくなるのかもしれない。
「……主よ、どうか彼を貴方のもとへ導き給え」
マリサはそう言って十字を切るとフェリックスの肩をたたきその場を後にした。
「フェリックス、お前はマリサに許されたんだよ」
ハーヴェーはそう言ってマリサの後を追った。
マリサは艦長にお礼を言うと、すでに乗船しているハリエットやエリカに挨拶をする。
「今まで義母さんとエリカをつらい目にあわせてごめんなさい」
マリサが言うとハリエットはマリサを抱きしめて大粒の涙を流す。
「本当に……、ええ本当にそうよ。あなたは困った嫁だわね。だから罰としてタティングレースをまた編ませてあげるわ。エリカに似合う上品なレースをね。シャーロットお嬢様の話だとエリカはハープシコードを弾くのをすぐに覚えたらしいわ。きっと素敵な娘になるわよ」
ハリエットはようやく気持ちが落ち着いたようだ。
「ねえ母さん……父さんと一緒に暮らせる?」
エリカはそう言ってマリサを見つめる。
「うん、その日はきっとくるよ……今度こそ」
そう言ってエリカを抱きしめる。またしばらく会えない。
別れを告げるとマリサとハーヴェーは次の任務のためアーティガル号へ乗り込んだ。グリンクロス島を拠点にしていた海賊が他にもいる。島が奪還されたことを知らず海賊行為に明け暮れているだろう。フレッドと他の海軍の乗員たちもエドワード・ティーチ討伐のためジェーン号へ乗り込むこととなっており、一緒に暮らせる日はまだ遠い。
ほどなくして国へ向けて出帆するスパロウ号とレッド・ブレスト号。
小さくなっていく島を見つめるハリエットとエリカ。毒の守り人であるオルソンはエリカの様子にある疑念を抱いている。かつてマデリンを毒殺しようと動いたあのマリサの表情が重なって見えた。結果的にマリサは毒の量を間違えたため、死へ追いやったのは自分であるがマリサはそのことを知らない。
オルソンはアイザックが死線をさまよっていたとき、かすかに彼がうわ言でこう言ったのを覚えている。
『……そうだ……エリカ……。引き金に手をやって……』
現場を見たフレッドの話では、アイザックは海賊と相打ちになったのだろうということだったが、オルソンはそれを疑っている。
(エリカは人を殺したのかもしれない……。身を守るため……アイザックが力を貸したのだろうが……)
マリサだけでなくエリカも同じ荷を負わせるのか。オルソンはどうにか手を打たねばならないと悟る。
最後までお読みいただきありがとうございました。ご意見ご感想突っ込みお待ちしております。
いつもつたない私の小説を読んでいただき感謝です。もう少し今風の文章をかけたらよいのですが……。